戦後編 4 ~決着~
「極……もう…やめてたもれ……そなたがこのうえ人を殺むるのを見たくない……」
「義母上……」
極自身、初めて彼女に対して口にした言葉だったが、皇極上皇は感動の余り声を上げて泣き崩れた。
「義母上、どうか、そこをおどき下され。これは、ただの私怨ではござりませぬ。わたくしの肩には、東国二十万余の民の命がのしかかっておりまする。ここで……」
「いいえ、いいえ、どきませぬ」
「なぜに分かってくださらぬ。彼らは生きておる限り、何度でも兵を起こし、東国を我がものにせんとしましょう。その度に、罪無き多くの民の命が奪われるのでござる」
「いいえ、決して……この命にかえてそのような真似はさせませぬ」
上皇は涙に濡れた顔を拭おうともせず、鬼気迫る表情で立ち上がった。そして、後ろを振り返ると、厳しい声で言った。
「皇子、鎌足、さあ、今この場で誓うのじゃ。今後、二度と東国へ兵を差し向けぬと。それができぬというなら、今ここで、極に討たれるがよい」
中大兄皇子は苦悶の表情でうつむき、鎌足は肩の傷を押さえながら、青ざめた顔で上皇を見上げた。
「お言葉ではござりまするが、この後東国が都を攻めぬと、誰が言えましょうか。口約束なら何とでも言えましょう。政事とは、万が一のことも考えて行うもの。されば……」
「ええい、黙れっ」
上皇は憎々しげに一喝した。
「そちの、そのような独りよがりが、このような結末を招いたことが分からぬか。政事とは人が行うもの。人と人が信じ合うてこそ、まことの政事はできるのじゃ。そちは、周りの誰も信じておらぬ。いや、自身さえも信じられぬのではないか。そのような者に、戦の無き国を造れるはずがあろうか……。そなたたちはこの後政事から離れ、極の国造りを見守るのじゃ。よいな…?」
「は、母上、それはあまりなお言葉……とてものことに……」
「ならば、ここで極の手に掛かるがよい」
中大兄皇子はがっくりとうなだれて、それ以上何も言えなかった。
「極殿…これでよいな…?」
「……ははっ」
極は、わずかに無念の思いを残しながらも、深々と頭を下げた。
その無念の思いとは、綾、広麻呂、祖父の穂足、そして仁来と安里たちの恨みを晴らせなかったことである。しかし、綾がもし生きているなら、きっと自分にこう言うだろう、と極は思うのだった。
『殿……同じ生きるんやったら、恨みつらみなんか捨てて、精一杯楽しゅう生きんとあきまへんえ』
板葺宮は全焼はまぬがれたが、主要な建物は大きな被害を受け、しばらくは使えない状態だった。まだ続いているその混乱と、くすぶる煙に紛れて、極たちは宮中から脱出した。
「極殿……よくぞ我が願いを聞き入れてたもうた。この通りじゃ…礼を申しまするぞ」
夜空は晴れ渡り、満天の星が美しく瞬いていた。まだ刈って間もない田の上を吹き渡る風が、人々の衣をなびかせている。そこは、板葺宮から程無い野道の上だった。宮中からのかすかな灯りに照らされて、極と皇極上皇は、万感迫る思いを抱いて互いを見つめ合った。
「このような形でいとまごいをいたすは、まことに辛うござりまする。されど、必ずやいつの日か、笑うてお会いできる日も参りましょう。それまで、どうか御身を大切になさりますよう…」
極は馬上から、そう言って頭を下げた。
上皇は、こらえても溢れ出てくる涙をそっと袖で押さえながら、何度もうなづく。
「されば、面倒が起きぬうちに、発ちまする…」
「皇子様…これを、どうか皇女様に…」
今は上皇の側仕えをしている葛城玉比女が、泣きながら駆け寄ってきて、自分の肩掛けの布を手渡した。
「そなたも達者でな」
「はい…はい…うう…」
極はもう一度上皇に向かって頭を下げると、馬を北へ向けて走り出そうとした。
「あっ…き、極…」
上皇は二、三歩前に進むと、振り向いた極に、涙で喉を詰まらせながら言った。
「母と呼んでくれたこと…まことにうれしかったぞよ…できることなら、もう一度…もう一度だけ、母と呼んでたもれ…」
「義母上…極はこの後も永久に、義母上をまことの母と思うておりまする…さらば、これにて…」
極は、右手だけで手綱を操り、二十数名の配下の者たちとともに夜の闇の中へ消えていった。
こうして、本当の意味で東国と都の戦いは終わり、東国の独立が達成された。極にとって、失ったものはあまりにも大きかったが、自分の立場を考えたとき、それはあくまでも個人的な悲しみとして胸の奥にしまい込んでおかねばならなかった。
この後、都では、消失した板葺宮に代わり、上皇の生家のある岡本に新しい宮が建てられた。そして、その完成とともに孝徳帝は退位し、上皇が斉明帝として再び大王の位に就いた。中大兄皇子の弟、大海人皇子が立太子となり、左大臣はこれまで通り蘇我石川麻呂が、右大臣には高向玄理が抜擢されて就任し、国の政治を動かすことになった。
また、鎌足の長男で、若干十五歳の不比等は大海人皇子の大舎人として、やがて父の後を継ぐ朝廷
の中心的存在になっていった。
中大兄皇子は河内に隠棲し、七年余り日の当たらない鬱とした日々を過ごしたが、もともと人に抜きんでた才覚の持ち主である。斉明帝が退位し、その心が和らいだ晩年、弟、天武帝の摂政に復帰し、内外の政治にその敏腕をふるった。そして、斉明帝の崩御の後、それを待っていたかのように弟天武帝を強引に退位させ、自らが帝位に就いたのである。
藤原鎌足は、ついに中央の舞台に復帰することはなかったが、息子不比等を陰で補佐し、隠然たる存在として大きな影響を与え続けたのだった。




