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4話 少年は少女に恋をする

 自分が不幸だと思ったことはなかった。

 生活は苦しいけどそれが普通だった。

 おいしくなくてもご飯はちゃんと食べられた。

 親もいたし兄弟もいた。友達もいた。

 みんなで働いて、みんなで支えあって暮らした日々は、むしろ幸せだった。

 多分あの日が来なければ。普通に過ごして大きくなって、同じような家庭を築いて、幸せのまま死んだのだと思う。


 あの日。

 普通の日だった。

 僕は、たまに近所の子供に勉強を教えていた。

 お父さんの家系には、昔どこかで貴族の血が混ざったことがあるらしく、魔力と多少の教養が何世代も超えて残っていたからだ。

 そうやって開いていた青空教室に、その人は来た。


「失礼します。エドアルド……という名前の方は、おられますでしょうか」


 こんな下町ではとても聞けないような丁寧な言葉づかい。

 普段着のようだが、その仕立ては明らかに平民が着るようなそれの出来とは異なっていた。

 多分、貴族……それが自分を捜しているらしい。


「エドアルドは、僕です。何かご用でしょうか?」


 僕が名乗ると、その人は驚いたようなそぶりを見せ、そのあとに僕が教えるために地面に書いていた文字に視線を落とした。


「……これは、あなたが?」

「え、ええ。一応は……」


 意図が読めず困惑していると、その人は少し考えてから口を開いた。


「もし、あなたさえよろしければなのですが……頼みたい仕事があるのです」

「仕事? ですか」

「はい。ある女の子の、友達になるというお仕事です」


 僕に声をかけてきた人はライラさんといって、さるお方に仕える使用人なのだそうだ。

 そして、その女の子というのがライラさんの雇い主になる。

 なんでも、その女の子は友達がいないのだと。

 理由は立場的なものもあるが、何より話が合わないのだという。

 その子は頭がよく、ある時期から自分を高めるための努力を厭わなくなっていった。

 誰と話しても退屈そうにしている姿は見るにしのびなく、そこで、体面上は足りない使用人を補充するという名目で同じ年頃で賢い子供を捜していた。

 彼女の初めての友達になれるように。

 そこで、僕に白羽の矢が立ったらしかった。


 話を聞いたとき、僕には間違いなくためらいがあった。

 間違いなく相手は身分が高い。なにか一つ間違って、今の生活が壊れるようなことがあっても嫌だ。

 でも……


「わかりました。僕で、お力になれるのなら」


 そう、頷いた。









 前金で相当な額をいただいて、それを家族に渡して事情を説明したら、僕は馬車に揺られてどこかのお屋敷へと入っていった。

 窓からは嫌に警備が目につく。いくら貴族だろうとはいえ、こんなにも多いものだろうか。


「それだけのかたということなのです」


 その言葉を聞いて、僕の緊張はどんどん高まっていく。


 何度もチェックされた上で、まずは清潔にと身だしなみを整えられた。

 すっかりきれいにされたあと、ようやく僕は、その子の部屋へと招かれた。


「初対面になりますので、私がいても無粋でしょう。お二人で」


 そういって、ライラさんはどこかへ行ってしまう。

 そうして礼儀作法もきちんと学んだことのない少年が、たった一人、貴族の少女の部屋の前に取り残された。


「……やるしか、ないよね」


 意を決してドアを叩く。

 どうぞ、とドアの中から小さな声がした。


「ふぅー……っ! 失礼します!」


 中に入ると、部屋の中はうす暗かった。

 日当たりのいい部屋なのに、窓が開いていないらしかった。

 そしてそこに、少女がいた。

 人形のように綺麗な瞳が、闇の中でじっとこちらを見ていた。

 その視線を受けて、僕は……僕は、どうしてか涙が溢れた。


「……どうして泣いているの」


 淡泊に少女が聞いた。

 僕にも、理由はわからなかった。

 多分、その瞳があんまりにも何も映してなかったから。

 何にも期待していなくて、誰にも必要とされていないような、死体のような目だったから。

 目の前にいる僕を、視ているようで見ていなかったから。


 それが、はじまり。









 彼女はいつも、感情のないような顔をしていて、僕は困った。

 遊びに誘ってもあまりいい反応をくれなかったのでとにかくいろんな話をしてみたら、思いのほか好評だったみたいで、とても真剣に聞いてくれて気分が良かった。


 しばらくするとぽつりぽつりと質問をしてくれるようになる。

 家族はどんな人。どんな生活をしているの。……友達はいるの。

 全部に回答していると、彼女はうらやましいとつぶやいた。


「……私は、あなたと友達になるためにここに来たのですが……」

「ううん。あなたと私は友達にはなれない」

「どうして……ですか?」

「決まってるの。そういう風に」


 彼女は時々、よくわからないことを言った。

 でもそれがあまりにも真に迫っていて、冗談と笑い飛ばすこともできなかった。

 彼女の心を閉ざしているのはこのせいなのでは。

 屋敷でライラさんにいろいろと教えてもらいながら彼女と過ごすうちに、僕はそう思うようになっていた。


「ほかに……決まっていることは、あるんですか?」

「……色々。例えば……私が死ぬこと」

「…………」

「8年後にね」


 彼女が真実を言っていると、魂が叫ぶ。

 彼女は死を見ながら生きてきたのだと、この時悟った。









 屋敷に来てから、一月ほどが経とうとしていた。

 ライラさんに教えてもらうお仕事は楽しく、大勢いる警備の人たちも優しくて退屈しなかった。

 ライラさんが言うには、あと一月ほどで僕の仕事は終わりになるらしい。

 僕は、どうにかして彼女の心を開きたかった。

 そんな気持ちが、どんどんと強まっていた。


「……先生。僕はどうしたらいいでしょうか?」

「それがわかれば、自分で実行しています。……本当に、自分で自分が情けない……」


 ここで生活しているうちに、僕も彼女の優しさがわかるようになっていた。

 仕事が終われば、誰が置いたかわからない冷たい飲み物とタオルの差し入れがある。

 時間が空くと僕の話を聞くかたわらで色々なことを教えてくれる。

 彼女の純粋な優しさがそうさせていたのだと、僕は気付いていた。


 彼女はなんだってできた。

 剣の稽古も魔術の訓練も、日課と軽くこなす。

 山のような量の本を読んで知識を蓄え、屋敷の全ての人にさまざまな知恵を与えてくれる。

 誰も彼女を嫌ってなどいないのに、彼女は心を開くということをしてくれない。

 だから、彼女がどうしてか生きることを諦めているのが理解できなくて、許せない。


「……今日は、姫様がおやすみになる日です。お部屋に行ってみてはどうでしょうか」

「おやすみに……?」


 言い方に引っかかるものを感じた。

 いつもならば、仕事が終わった夜はまっすぐ自分の部屋に戻るところだがとてもそんな気にはなれない。

 なにか、嫌な予感を感じながら僕はその夜、言われた通り彼女の部屋を訪れた。

 ノックすると、いつも必ず返ってくる返事がない。

 寝ているようだが……


「……?」


 中から、何か物音がする。

 不審に思ってドアを開くが、寝ている彼女のほかには誰もいない。

 だが、その不快な音はなりつづけている。

 頭蓋の内側に響くような、ガリガリという音が。

 彼女の、方から。 


「っ……!!」


 血塗れのベッドが目に映る。

 彼女の綺麗な爪に肉が挟まっている。

 彼女が切り裂いていた。

 自分の爪で、自分の腕を。


「……死にたくない……! 死にたくない……」


 (うな)される中で、彼女が命乞いのように吐き出した言葉が、脳裏に焼き付いて離れなかった。









 次の日、腕はきれいに治っていた。

 彼女は回復魔術が使える。それくらいは朝飯前だろう。

 その魔術に、けがを手当てしてもらったことだってある。

 僕は……いいようのない感情に、胸を焼かれるような思いだった。

 朝食を食べ終わると、彼女を二人きりになれるところに連れ出した。


 そして、僕は──我慢の堰が切れたように、彼女にそれをぶつけた。


「僕は……あなたの友達です。あなたが何と言おうとも」


 ぎゅっと手を握る。

 少し顔が赤くなるのを感じるけれども、知ったことではない。

 

「だから……だから! 決まったことなんてないんだ。僕があなたの友達である限り! あなたが──死んでしまうということだって! そうだろ!?」


 叫んだ。

 お腹の底から、息が切れるほどに。

 彼女が、少し困ったような様子を見せた。

 多分初めて、僕は彼女の感情を見た。

 

 それから、僕の息が整うのを、彼女は手を握り返しながら待っていた。

 数秒の静謐の後、彼女が僕の名前を呼ぶ。


「エド」

「……何ですか? お嬢様」

「私が死んだら、悲しい?」

「もちろん。毎夜泣いて過ごすことになると思います」

「そう……ありがとう」


 涙にうるんだ彼女の眼が、僕を見た。









 それから、どういう心境の変化かはわからないが彼女はとても快活になった。

 本来はこっちが彼女の性格なのだと、そう思わせてくれるほどに。

 自然と遠慮もなくなって僕に抱き着いたり、からかってくるようになっていった。

 

 誰もが困惑したが、好意的にその変化を受け入れた。

 僕の嬉しさはひとしおだ。

 やっと、彼女のためになれた気がする。

 笑顔の彼女を見るたびに、言いようのない喜びが胸にあふれた。


 ああ、きっとこれが。

 この感情を、人は──









 それから数日で、終わりはあっけなくやってきた。

 彼女は隣国のお姫様で、いつか別れることなどわかりきってたのに、嫌に現実感がなかった。

 馬車が走り、どんどんと小さくなっていく。


「私!!」


 馬車から身を乗り出して、彼女が叫んだ。


「待ってるから! 6年後もう一度きっとこの国に来て、あなたを待ってる!」


 馬車は進んでいく。

 ──彼女が、遠い。

 








 普段の生活に戻ったとき、なにも変わらないその生活が。

 不幸だった(・・・・・)

 どうして自分は、平民なのだろう。

 どうして彼女は、王女なのだろう。

 こんな気持ちを知らなければ、僕は幸せだったのに。

 だけど、知ってしまった。

 きっと僕は元から不幸だったのだと思う。

 不幸(それ)不幸(それ)と知らないことが不幸だったんだ。

 彼女を知れた今は、きっと幸せだ。


 6年。

 短くない時間。

 足りるだろうか、彼女の隣に立てるようになるまで。

 彼女はきっと、どんな僕でも隣に置いてくれるだろう。

 でも、置かれちゃダメなんだ!

 自分の足で、そこに立ちたい!!


 そして、8年後。

 彼女が諦めた生を、僕が拾い上げるのだ。


 僕は歩き出した。自分ができる、すべてのことを成し遂げるために。

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