2話 悪役令嬢は主人公に逃げられる
「ど、どうしましたでしょうか。もしかして身なりがおかしかったでしょうか!?」
慌てるような声ではっと我に返る。
ぼうっと彼女──シクシズの主人公である、メイを見つめてしまっていたのだが、彼女は自分がどうしてみられていたのか誤解してしまったらしい。
「ごめんなさい、違うの。ちょっと立ち眩みをしてしまったみたいで。隣失礼しますね」
「お付きの方はいらっしゃらないのですか?」
「今は人捜しをしてもらってるの。友達をね」
「ご友人ですか?」
「ええ、エドアルドというのだけれど……」
「エドアルド様、ですか……うーん、存じ上げませんね」
メイがうなる。
有力な貴族ならわかるかもと思ったのだろうけど、残念ながらエドは違う。
「貴族ではないのよ。でもとても頭が良いから、教養をつけたらって私が勧めたの」
「そうなんですね! でも、庶民がこの学校に入るのはいろいろと大変なことがあると聞きますけど……」
心配そうにするメイに、発言の意図を組んだ私が続ける。
「ええ。主にお金と、魔力の問題ね。でもエドは大丈夫」
この教育機関は貴族以外の人間にも入学の権利がある。
だが、多額の学費と、進学・卒業試験に必要な魔力が多くの場合貴族にしか流れていないことで断念せざるをえなくなるのだ。
とはいえ抜け道はいろいろあるが……今回のエドの場合、ほとんど正々堂々突破した形だ。
「お金は、彼が貴族お抱えの相談役になったことでねん出したし、魔力は彼、生まれつき持ってるから」
「すごい! 頭がいいからってなかなかできることじゃないですよ!」
話を聞いたメイはパンと手を打って感心した様子だ。
表情もころころ変わって、本当にかわいい。
話していてこんなに感情を表に出されると、誰だって気持ちが安らぐだろう。
それに、【ひっこみじあん】かと思ったが案外話せる。
勇気が初期パラメーターのハズとはいえ、大舞台に立てない……その程度のものなのかもしれない。
それとも、ゲームのパラメーターが影響することはなくて、ここにいたのはたまたまだったのだろうか……いや、考えても仕方ない。
「ええ、本当にすごいわ。でも、背伸びしても庶民だから人付き合いとか大変なこともあると思うの。ぜひあなたに紹介したいと思うから、仲良くしてあげてね」
「もちろんです! ……その、すみません」
「ん?」
「お名前をいただいてよろしいでしょうか?」
「……エドアルドだけど?」
もしかして天然なのだろうかと、私は小首をかしげる。
でもその様子を見て、噴き出したのはメイのほうだった。
「ふふっ。あ、失礼しました! そうではなくて、あなたのお名前を聞きたかったんです」
「あ……」
つい頬が赤くなるのを感じる。
委縮させるかと最初に名乗るのを控えて、そのままだったのを忘れてた……
天然なのは私だったみたいだ……ぐぬぬ。
「ご、ごめんなさい。自己紹介してませんでしたね。シアン・ミラ・マーテラです。同じ一年生になることだし、これからよろしくね」
「はい! 私はメイ・レスカンディです! これからよろしく……マーテラ?」
私が握手をしようと差し出した手を握り返そうとしたメイの手が、別のことに気を取られて虚空を握る。
……もしかしてやったか、これは?
「マーテラってあれ? そ、そういえば今年に隣国のお姫様が来られるとか、お父様にくぎを刺された、ような……」
「……私のことですね。でもそんな畏まることは……」
「し、し、し、失礼しましたぁぁぁ!!!」
逃げるように衣服のスカートをたくし上げて彼方へ走っていくメイを、私は茫然と見ることしかできなかった。
やっ
ちゃっ
「たぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
私は自分に与えられた寮の部屋に戻り、机に突っ伏し腕を枕にしていた。
幸いまだライラは戻っていないようなので、好きなだけだらけることができる。
うすうす予想できていたとはいえ、どうやら彼女の勇気が足りなかったらしい。
よく考えれば私の服装も悪かった。長旅と、入国した事実自体はお忍びだったことで、王女が着るような絢爛豪華なそれではなかったのだ。
彼女はきっと、自分と同じくらいの地位の貴族だと勘違いしていたのだろう……上の貴族が下の貴族とすすんで話すこと自体少ないのだ。そういう勘違いも仕方がなかった。
こうなると次に会うのが大変だ。
普通に考えれば立場が上の私から逃げてしまうという行為がアレなのだけれども……どうもとっさのことには慌ててしまうところがあるらしい。
きっと部屋に戻って青ざめていることだろう。
「うーん……どうにかして仲良くなりたいところだし、なにか作戦を考えないと……」
と、考えている間にドアが叩かれる。
慌てて体を起こし、どうぞと声をかける。
「失礼します」
「おかえり、ライラ。エドは見つかった?」
「ええ。姫様の予想通り、とても大勢の女性方に囲まれておいででした。難儀な見た目ですね」
「あはは、やっぱり。連れてはいないようだけど、どこかで約束を取り付けてくれたのかしら」
「もちろんです。彼に女子寮に入る度胸はないでしょうし」
お連れしますって言ったときに悪い顔をしていたが、どうやらこういういじめ方をしたかったらしい。
「度胸っていうか……ルール違反なんだけどね」
実際度胸もないだろうけど。
「姫様に会うためにルールの一つも破れないなんて、失礼です」
「……相変わらず相変わらずエドには厳しいよね」
私が苦笑すると、ライラがにっこりと笑う。
「当然です。元部下ですから」
それはつまり今は違うということで、呼ぶときにだって昔のように呼び捨てエドと読んだりしない。
そもそもが別の国の人間だ。上も下もなくなったはずなのに、エドはきっとライラにいいようにいじられているのだろう。
なんだかこういう関係性も面白い。
私がプレイしたゲームには到底なかった交流だから、ついほほえましくなってしまう。
「……ところで、姫様」
「なに?」
「その顔で、エド様にお会いになるつもりでしょうか?」
顔?
私が無意識に頬に手を伸ばすと、歪な感触が……
「また、腕を枕にして、頬に服の跡をつけましたね?」
顔を青ざめさせる私に、対照的にとっても素敵な笑顔を浮かべたライラが怪物より恐ろしく見えた。