1話 悪役令嬢は決意する
馬車に揺られて、国境を越えた。
私はこれから3年間の学生生活を思う存分楽しむのだ。
いつか華々しく死ぬ、その時のために。
『シックザールの雫』
魔法も存在するような西洋風のファンタジー世界を舞台に繰り広げられる恋愛シミュレーションゲームだ。
主人公は位の低い貴族の三女として生を受け、貴族である限り必ず通う必要のある学園に入学するというのが物語の導入である。
ありがちな設定ではあるが、声優の豪華さ、人気絵師のキャラクターデザイン及びCG登用、攻略キャラ4人+隠しキャラ1人の攻略ルートに加え、トゥルーエンドルートを加えた6つのルートはボリュームも申し分ない。
特に評価が高いトゥルーエンドルートはそれまでの恋愛シミュレーションとは一変。世界を巻き込んだ抗争の渦中に巻き込まれていくのだが、ここまでの恋愛で培われてきたキャラへの愛着はストーリーへの没入感を何倍にもしている。
主人公は何も特別じゃない。
聖女であったりしないし、特別な魔法も持っていない。
ただ確固たる自分とたぐいまれなる求心力と、覚悟があった。
そしてすべてのルートに登場し、時に恋のライバルとして。時に嫌がらせをしてくる障害として。
登場するのが隣国マーテラの姫であるシアンだ。
最後には必ず死ぬものとして──
転生して、記憶を取り戻してから8年の月日が経っていた。
私は今15歳だ。
「クリスナーに来るのも6年ぶりね。エドは元気にしているかしら」
「きっと元気にしておられますよ」
「最後に会ったときは、私よりも小さかったのだけど……もうきっと私より大きいんでしょうね。楽しみだわ」
「エド様もびっくりされますよ。姫様がこんなに美しくなられているとは思わないでしょうから」
「……おだてても何も出ないわよ?」
「もちろんです」
少しの荷物と、専属のメイドであるライラだけを載せた馬車は王都を目指してゆっくりと揺れる。
これから始まる乙女ゲーム、その舞台へと。
クリスナー王都、クリスナー。
街の名前が国の名前となんともわかりにくい。例えるなら日本の首都の名前が日本であるようなものだ。
もともとこの国の領土はこの王都だけを指すものであったという歴史的背景がそうさせたそうだが、わけがわからなくなるので、みな街のほうは王都と呼ぶ。
馬車はこれから私が三年間通うことになる王立魔法学校へと入っていく。
ライラにも手伝ってもらい荷物を降ろすと、生徒寮へと運び込む。
三日後には入学式があるとあって、地方からやってきた貴族の子息たちが同じように寮へと荷物を運んでいるようだ。
「流石に、貴族は入学が義務付けられているとあって人が多いわね」
「クリスナーは広大ですから。知識階級の水準を一括して上げるという試みは我が国も参考にすべきところがあるかもしれませんね」
「うちの貴族は性格悪いから、同じようには出来ないと思うけどね」
権謀術数逆巻く学校になりそうだ。
マーテラの貴族は全体的に性格が悪かった。
乙女ゲームの敵役の国だ、当然といえば当然なのだけど。
「人を捜すのも一苦労ね」
「……そうでもないかもしれません」
え?と聞き返すより先に、ライラがそういった理由がわかってしまった。
人の流れは不規則なように見えて、露骨なくらい規則的だった。
交流をはぐくむための広場で、一部の人間の周りに人が凄く集まってきていたのである。
「あの中心……王子様でもいるのかしら?」
「かもしれませんね。第二王子が今年ご入学される予定でした」
「第二王子かぁ……今は会いたくないのよね。でもあそこに囲まれているのがエドかもしれないし……」
「随分、エド様が凛々しく成長されたと信頼されているのですね」
ライラがにこりと笑う。どうやら恋愛のなにかと勘違いしているらしい。
私からすれば、乙女ゲーの攻略対象の一人であるエドがモテモテなのは当然って感じなんだけど……まさかそれを言うわけにもいかないし。
でも、勘違いしてくれてるなら好都合かも。
「ねぇ、ライラ。代わりにエドを捜してくれない?」
「もちろん構いませんが……ご自分で捜されないのですか? エド様も喜ばれるかと」
「第二王子に会いたくないの。イベント……じゃなくて、えっと……ほら、こういう公の場で王族同士で国際交流なんて、威厳も風情もないでしょう? もっと畏まった場で会いたいっていうか……」
「…………何か隠してそうですが、わかりました。では部屋でお待ちください。見つけ次第お連れしますので」
う、すごくじとーっとした目で見られてしまった。
まあ乙女ゲーのイベントを発生させるのに都合が悪くて……なんて言えないものね。仕方ない。
それに、ちょっと一人で行動したかったのだ。
ここには、もういるはず。
彼女が入寮するのは入学式の三日前と、記憶を頼りにここにきたのだから。
「もう誰かに絡まれていなければいいけど……」
ゲーム開始は入学式の日から。
今日ならまだ、彼女は一人を除く攻略対象との顔合わせも済ませていないはずだ。
はず、なのだが。
私も本来のシアンの行動とは大小さまざまな違いを作りながら8年を過ごしている。それがどういう影響を及ぼしているのかさっぱりわからない。
だから早く会いたい。会って、いろいろ確認したい。
でも、アテがあまりにもない……
「……いや、待てよ?」
そういえば。シクシズの主人公のパラメーターには勇気がある。
主にイベントを通して成長するパラメーターで、第二王子などの身分に差があるキャラクターとイベントを起こすために必要だったりするのだが、ゲームが始まっていない今なら、当然初期値。加えてあのゲームに周回などによる能力値の引継ぎはない。
シクシズでの勇気のレベル1は【ひっこみじあん】。
とすると、こんな人の多いところにはいない!
寮の部屋に早々に行ったか、人の少ないところで人ごみを眺めているかもしれない。
部屋の中ならもう会えないけど、もし人の少ないところにいるなら……
私は建物の影になっていて、座れるようになっているところを捜す。
そして、見つけた。
パッケージイラストでもCGでも、そしてアニメでも何度も見た。
あの美しいなびく金髪を。
「あの…‥隣に座られますか?」
視線に気づいた女の子が、ヒマワリのように笑顔を咲かせた。
8年前に、この世界で暮らしていた私は突然前世の記憶を取り戻した。
そして思い出すのは、このシアンという少女のこと。
彼女は……爆弾だ。
王妃の子として生まれ、けれど一切の愛を注がれずに育ち、そして王妃にしこまれる。
その宿主の魔力のすべてを燃料として炸裂する爆弾を。
その威力は街一つを容易に滅ぼすことができる。
王妃はそれを、クリスナーとの戦争の引き金に使うつもりだった。
だから、シアンは死ななければならない。
これはもう、どうしようもない。運命だ。
どれだけ死にたくないと思ったって覆せない現実。
今、こうしている私の胸の中にそれは存在してしまうのだから。
だから、決めた。
どうせ死んでしまうのなら、誰もが感涙にむせび泣くような。
そんなラストを描いてやろう。
「どうやったって死ぬっていうなら……いっそ、誰の心にも留まるくらい! 素晴らしい死にざまを演じてやろうじゃない──!!」
私が一番好きだった、彼女がそうしてくれたように。