第二章 事情と思惑 その2
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「今年の狩猟会は中止なさるように申し上げたはずです、母上。デュラハンの件をお忘れとは思えませんが」
ヴィリーは、ランチェスター家の当主である母エリザベートに、苦言を呈していた。デュラハンの呪いは、昨年の狩猟会に参加していた他の貴族たちに及んでいないのだから、不要の雑事を背負い込むことはない。何故それがわからないのか。
「ランチェスター家の誉れある狩猟会を、アンデット如きのために中止にするなど、ありえません」
エリザベートは、自らの意思を翻しはしなかった。きっぱりと言い切ったのは、当主の威厳というものであろう。
「アンデット如きとおっしゃりますが、ゾンビやグールを殲滅するのとは訳が違います。デュラハンを侮ってはなりませぬ」
「ならば、万全の準備をなさい。騎士たちがいないなら、尚のこと、そうするのです」
「だからこそ、狩猟会は中止せよ。と進言しているのです」
ヴィリーとエリザベートの会話は、平行線を辿っていた。
「ヴィルヘルム。ヴィルヘルム・フォン・ランチェスター。当主たる私が決めたことです。ヘルベルト殿下にも招待状を送り、出席の快諾を得ております。狩猟会は行います」
この人は、いつもこうだ。喚き散らして命令すれば、すべてが都合よく叶えられると信じている。相手が格下の人間ならば、そうしてくれるだろうよ。だが、相手は殺意を持った怪物だ。あなたの都合を忖度などしない。
「……わかりました」
ヴィリーは内心を覆い隠した完璧な一礼をしてみせると、エリザベートの部屋から出ていった。
領地の中、森の外れ。
落ち葉の舞う季節になったからこそ、ようやく森の奥が見通せる。どこぞの島国と違って、樹々は山だけでなく平地にも、どこまでも広がっている。不用意に訪れる者は、己の判断を悔やむことになるだろう。
狩猟が秋に行われるのは、動物たちが肥え太り、毛並みが良くなることにあるが、人間が迷子になりにくいという理由もある。相応の技能を持たない者にとっては、森は癒される場所ではなく人外の領域なのだ。
そんな森の近くにあるランチェスター家の別邸――狩猟会場――に、ヴィリーが到着したのは太陽が頂点を過ぎた頃であった。
使用人たちが来たる日のために準備をしている中、別の意味で準備を続けている者がいた。黒衣の魔術師である。
「いまは何をしているのだ」
「『火炎防壁』を使う予定なので、屋敷全体に炎の延焼を防ぐための結界を構築しています。大規模な結界になりますので、実技の一環として学院の生徒たちにも協力を仰ぎました」
周囲では、結界を構築するために若者たちが東奔西走している。
「もちろん、当日にヴィルヘルム卿をサポートするのは、私だけです。実戦は学院を去れば、否応にもついてきますから」
何人かの生徒が、キサマに近づいてきた。
「先生。Aブロックの結界構築、完了しました」
「Bブロックも完了しました」
「ごくろうさまでした。太陽も天頂を超えたことですし、しばらくの間、昼食と休憩にしてください」
キサマは生徒たちが話の聞こえない距離まで離れたことを確認すると、ヴィリーに向き直った。
「首尾は如何でしたか?と尋ねる必要もなさそうですね」
「ああ、けんもほろろ。というやつだ」
まったく話にならなかった。とヴィリーは続ける。
「それどころか、ヘルベルト殿下が隣席されるから絶対に中止にはしない。と返された」
「そうですか。ヘルベルト殿下を招待したのは、過日のヴィルヘルム卿とイザーク殿下の遺恨を取り成すつもりなのでしょうか」
キサマは、エリザベートの意図に対して推測を立てるが、真相を知ることはないこともわかっていたので、口にしてみたという以上の意味はない。
「さあな。仮にそうだとしても、俺の出る幕じゃない」
ヴィリーも、エリザベートの思惑に興味がなかったので、改めて問い質そうとは思わなかった。
「中止という選択肢がなくなりましたし、ヘルベルト殿下が来賓として出席されるとなれば、期日の延期もできません。狩猟会は、つつがなく運営するしかありませんね。ご苦労をお察しします」
それからのヴィリーは多忙だった。
執事やメイドたちと打ち合わせを重ねながら、狩猟会の準備を進める。比較的安全な狩猟場所の選定のこと。狩猟に参加する貴族たちの昼食のこと。狩猟に参加しない貴婦人たちの午餐会のこと。晩餐会で音楽を奏でる弦楽器四重奏の演奏者のこと。などなど。この催しが3日間――そして同じ内容を繰り返さない――つづく。
当然のことながら狩猟会のあとは、デュラハンと一戦が待っている。ヴィリーにとっては、そちらの方が重大事項だった。対策のための時間がとれたのは、狩猟会開催の3日前。来賓の貴族たちが徐々に訪れ始め、それに紛れてアリアバードがようやく現れたころであった。
「お待たせ」
アリアバードは、乗ってきた馬から荷物を降ろし、馬小屋に預けた。
「遅かったじゃないか」
「キサマに頼まれて、血止めの薬草を多めに仕入れていたからね。馬に乗ったのも、半分は荷物運びさ」
アリアバードはヴィリーの問いかけに答えると、仕入れた薬草が入った袋をキサマに渡した。
「アリアバードに怪我をされると、回復に困りますから。我々は『小治癒』すら使えませんし」
キサマは袋から薬草を幾つか取り出すと、アリアバードに渡した。
「あなたも持っていてください。念のためです」
「戦闘中に使う余裕があるとは思えないけど」
「念のためです」
短いながらも畳み掛けてくるキサマの返答と表情には、問答無用の真剣さがあった。
「わかったよ。万が一のときは頼む」
キサマの真剣さに思い当たる節が十分すぎるほどあるアリアバードとしては、薬草を受け取らざるを得なかった。