第一章 祓魔師は海都にて その3
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テラス席のイザコザに介入してきたのは、深紅を基調に金と銀の刺繍が施されたクロークに身を包んだ若者だった。腰に長剣を帯剣している。若者がフードを外すと素顔が覗いた。艶やかな黒髪と射抜くような眼光を宿した瞳。その眼差しからは、たとえ運命でも黙って横切ろうとするなら、捻じ伏せてでも従わせるという意思が醸し出されていた。
彼の名はヴィリー。ヴィルヘルム・フォン・ランチェスター。侯爵家の後継ぎである。
「俺の男〜?オメーら男色かよ」
船員は、アリアバードとヴィリーを交互に眺めた。
「一緒にしないでくれるかな」
アリアバードの否定の声は、どこまでも冷たかった。
「うるせぇ」
船員は、アリアバードの頬に平手打ちをした。ヴィリーの瞳が妖しく輝く。
アリアバードを平手打ちにしたことで満足したのか、今度はヴィリーの方へ向かう。
「オレは、お高くとまったヤツが嫌いだが、男色はもっと嫌いなんだ」
両方を兼ね備えている貴公子は、顔色ひとつ変えずに、船員を見据えた。
船員の右拳が繰り出される。充分に力の乗ったストレートであった。
顔面に入った。
周りの野次馬たちは、そう思った。
だが。
船員の拳は、ヴィリーの顔面に指半分ほど届いていなかった。
船員は、次々と拳を、蹴りを、と繰り出した。だが、ヴィリーの見切りの前にことごとく避けられる。野次馬たちには、まるで組手の演舞を行なっているように見えた。
なぜだ。なぜ当たらねぇ。船員の心に不安と焦りが滲み始めた。
「そろそろ飽きたな。報復の時間だ」
ヴィリーは、船員の左肘を逆関節に極める。と同時に、背負って投げた。
悲鳴が上がる。
船員の左肘は、あるべきでない方向へ曲がっていた。船員は、折れた箇所を押さえながら、苦痛に喘ぐ。
「アリアバード!」
「はいはい」
平手打ちを喰らった祓魔師が、船員に近づく。
「ひぃぃぃ。来るなぁぁぁ」
報復される。船員は、そう思った。アリアバードから逃げ出すため、後退りしようと足掻く。だが、その努力も虚しく、ゆっくりと近づいてきたアリアバードに捕まえられた。船員は覚悟を決めた。
緑色に輝く光の粒子が螺旋状に動きながら、船員の左肘を包んだ。
「『小治癒』!」
それは神聖魔法による治療だった。接触したのは、コストがもっとも掛からないからだ。詠唱を破棄しても、効果を発現できるのは、熟練の技能というものであろう。
「酔いは覚めました?」
船員は、頷くことしかできなかった。
「もう絡んじゃダメですよ。あいつは手厳しいから」
親指を立てた拳を振ることでヴィリーに注意を向けたアリアバードに、そう言われると、船員は大人しく仲間のもとへ帰るのだった。
野次馬たちの拍手喝采。
だが、ヴィリーはまったく気にすることなく、キサマがいる席に座ると、店員を呼んでコーヒーを注文した。
アリアバードも席に戻る。
「あれだけの実力差があったんだから、肘を折らなくても、腹部に拳一発で片がついただろうに」
「吐き戻したゲロの臭いとともに、コーヒーを飲みたくないのでな。それに首をはねなければ、たいていの怪我は、お前が治せるだろ?」
あの男はお前を平手打ちにした。当然の報いだ。ヴィリーは、冷めはじめたコーヒーを口にするアリアバードを見つめる。
「そりゃ、そうだけどさ」
アリアバードは、ヴィリーにどうして自分がここにいるのを知っていたのか、とは尋ねなかった。彼にとって、それはあまりにも自明だったからだ。
「キサマが告げ口したんだろ」
その心の声が言語化されていたら、黒衣の魔術師は、こう答えたであろう。
「告げ口したとは心外な。あなたの居場所を知りたがっていた人に、最上の善意を示しただけですよ」
アリアバードは、目の前に座る貴公子に、ある疑問を投げかけた。
「お前。どうやって、ここに来た?」
「『門』だが、どうかしたのか?」
「お前も『門』。どいつもこいつも気軽に『門』を使いやがって。お前らは徒歩で慎ましく移動する庶民の敵だな」
「あなたを庶民扱いしたら、本当の庶民が怒りますよ。俺たちは大金貨なんて持ち歩かない。と」
キサマが冷静にツッコミを入れた。
ヴィリーの元にコーヒーが届けられる。貴公子の代わりに、祓魔師が店員にありがとうと礼を言う。祓魔師の習慣なのだろう。
「で、帝国に名だたる大貴族さまと学院の導師さまが、休暇中の祓魔師に何の用だい?」
キサマが口を開いた。
「実は、こちらの侯爵家がデュラハンの指名を受けておりまして、近々、再訪されるのです」
デュラハン。自らの頭部を左腕に抱えた首なし騎士の亡者である。突如、現れて相手を指名した後で消え去り、一年後、再び予告相手の元を訪れ、殺害する。わざわざ殺害に一年の間を置くのは、相手に死の恐怖を刻みつけるためなのか、生前の騎士道精神の名残りなのかは、研究者の間でも意見が割れている。そして、デュラハンを相手に生き延びるには、再訪時に返り討ちにするしか手段がない。
「また、厄介な相手に呪われたね。しかし、なんで侯爵“家”なんだ?普通は個人だろ?」
「それは、我が家主催の狩猟会で使っていた屋敷ごと指を差していったからだ。屋敷の中の誰が呪われたのかは、実際に殺されてからじゃないと、わからん」
「なるほど」
「園遊会が終わって、招待された貴族たちが帰った後のことだったので、ランチェスター家の関係者以外は除外されます」
「なら、話は簡単。関係者を一ヶ所に集めて、ランチェスター家の騎士たちで返り討ち。これで決着だね」
「ところが、その手段は取れません」
「どうして?」
「ヴィルヘルム卿が帝都でポカをやらかしたのです。ざっくりと表現すると、帝室大逆の罪人を取り逃した。そのペナルティーで騎士たちをイザーク殿下の護衛につけることになりました」
「はい?」
アリアバードから素っ頓狂な声が引き出された。それとは対照的にヴィリーは悠然とコーヒーを口にする。
「話が端折られ過ぎてて、意味がわからない」
「詳細を語ると文字数が一万字を超えそうなので、荒筋で語りますと、美人と評判のケーキ屋の妻に横恋慕したイザーク殿下が実力行使に出たところ、旅の剣士と神官のコンビに阻まれた上に、ケーキ屋夫妻とともに逃亡されました。殿下の護衛を叩き伏せた腕前。帝都警備隊を手玉に取った策略。その手腕を気に入ったヴィルヘルム卿が、剣士を麾下に加えたいと言い出したので、彼らが帝都を脱出する直前に捕捉したのですが、見事に出し抜かれまして」
「剣士が決闘を途中で放棄するなど、どうかしている」
ヴィリーは、その時の状況を思い出して苦々しく語る。
「剣士としてのプライドより、帝都脱出という目標を優先させた彼の器量は、優秀です。『大家さん』とやらの薫陶があったとはいえ、むしろ褒め称えるべきかと」
「ふん」
キサマの諫めの言葉をヴィリーは理解できていたが、その感情は未だに納得していなかった。
「そんな訳で、犯人逃亡を阻止できなかったヴィルヘルム卿は、皇帝陛下の裁可によって、逃亡犯の捕縛に息巻くイザーク殿下に配下の騎士たちを護衛として一時的に差し出すことになったのです」
「でも、それ。警備隊は知らなかったんだろ。黙っていれば、最後はヴィリーが取り逃したなんて、誰もわからなかったんじゃない?」
「あのまま放置していたら、帝都警備隊長の首が飛ぶ。原因がイザーク殿下の狼藉にあったとしても、だ」
ヴィリーは腕を組みながら、理由を述べた。
アリアバードは、さらに重要な疑問を述べる。
「それに、ヴィリーの騎士たちを護衛につけて平気なのかい。デュラハンの呪いがかかってるのなら、却ってイザーク殿下が危ないんじゃ?」
「イザーク殿下がバカをしでかさなければ、大丈夫だ。防御役も回復役もできる奴がいる。それに、奴らが本命だったとしたら、イザーク殿下には良い薬だろうよ」
トラブルメーカーに悪態を吐きつつも、配下の騎士たちの実力は微塵も疑わないヴィリーであった。