第一章 祓魔師は海都にて その2
2
宿屋ヴォストークには、幸いにして泊まることのできる空き部屋があった。アリアバードは、部屋代を前払いして荷物を置くと、鍵をしっかり掛けて、階下にある食堂兼酒場に赴いた。
仕事の成功の祝杯をあげている冒険者。今日、海都に着いたであろう船員たちの宴会。ごく普通に夕食を求める人々。食堂は、そんな客たちで賑わっている。
「おいしい食事とお祭り騒ぎ。あとは仕事をしないこと」
それがアリアバードの理想であり、久しぶりの街中で、理想の表現を躊躇する理由はなかった。
フォン・ブラウンは海都だけあって、食事のメニューも山あいのハイラントと違って海産物が多い。アリアバードが注文したのは、白身魚と貝殻を水、少量の白ワイン、ニンニクなどで煮込んだ料理だった。そして、料理がやってきたとき、大鍋に魚が一匹丸々入っていたのを見て、少々後悔した。魚は切り身で提供されると思い込んでいたからだ。
「一匹まるごとか……」
料理を見て唖然としたアリアバードの静かなボヤキを耳に拾った店員は言った。
「値段を見なよ。切り身で出したらボッタクリ。まるごと一匹つかうのは、骨からいい出汁が取れるからよ」
それにしても量が多い。そう思いつつ、食べ残すのも、また主義に反するので、完食を決意して魚を切り分けると口に運んだ。あっさりとした見た目に反して、程よいコクを感じる。
「これなら、完食に決意なんていらないな」
料理が提供された時の戸惑いを軽々と乗り越えて、アリアバードは夕食を堪能するのだった。
食事を終えたアリアバードが部屋の鍵を取り出そうとしたとき、彼は扉に違和感を覚えた。鍵をかけたはずなのに、扉が少し開いていないか。だが、扉の鍵は、かけられていると主張していた。扉と柱の隙間をよく見ると、閂の部分が綺麗に切断されている。どんな道具を使うと、こんなことができるのだろうか。
状況の観察を続けていると、借主不在のはずの部屋の中から、少し音程の外れた歌声が聞こえた。
「星が、ほら、出てきたよ。君に微笑みながら。優しさを知っている女の子だけが、やがて綺麗になれるのさ」
「……歌詞は素敵だね」
すぐに咎めるでもなく、壊された扉の前で、歌を最後まで聴いているのだから、侵入者に心当たりがあったにせよ、アリアバードの感性も少しずれている。
「『解錠封じの秘石』があっても、お前の魔力なら無視して『解錠』ができるだろう。なんで、わざわざ扉の鍵を壊した。修理に関する一切合切は、お前がやれ」
部屋の中にいたのは、黒衣に身を包んだ魔術師だった。名はキサマ・ヴェーア。賢者の学院の導師である。身長はアリアバードより高め。横幅も多めだったが、恰幅がいいというには、ちと遠い。
「もちろん、修繕費は私が出しますよ」
黒衣の魔術師はアリアバードを見ながら両手を広げると、拍手をする構えで止めてみせ、言った。
「見えますか?」
アリアバードは、広げられた両手の間を見つめた。よく見ると、キラキラと光る何かが見える。
「えっーと……糸か」
「正解です。これが扉破りのタネです。学院の書庫で見つけた『失われた技術王国』時代の娯楽作品で、主人公の想い人が使うのですが、面白そうなので作ってみました。自在に動かす魔力を付与するために、材料はミスリル鋼を用いています」
黒衣の魔術師は種明かしをしたが、彼の作り上げた道具を一般的冒険者が手にするためには、材料費だけで許容範囲を超えていた。
「……で、それの性能評価試験をしたいがために、本来は不必要な手段を選んで、扉の解錠を試みた。と」
「その通りでございます」
キサマは恭しくお辞儀をして、アリアバードの推理を肯定する。もちろんアリアバードは自らの推理が当たったことを喜びはしなかった。
そんなアリアバードをキサマは一瞥しながら、手首をクルクルと回すと、突如出現した小菓子の袋を掴み取った。バックの中から『引き寄せ《アポート》』をしたのだ。
「さいきん帝都で評判の小菓子を用意しました。せっかくですから、コーヒーにでもしましょう」
再度、食堂を訪問したアリアバードたちは、他の席が空いてなかったので、テラス席に座ってコーヒーを注文した。小菓子を広げる件については、持ち込み料を支払うということで、折り合いをつけた。もちろん交渉役はアリアバードであり、彼が交渉に笑顔と感謝を添えるのを忘れることはなかった。
漆黒の液体が、いわゆるコーヒー色に染まる。祓魔師は、ダイエットを気にすることなく、コーヒーにクリームを入れたのだった。魔術師のコーヒーは漆黒のままだ。それが好みだからである。
祓魔師がコーヒーを口にしながら、言う。
「ところで、お前。どうやって、ここにきた?ハイラントや賢者の学院から、フォン・ブラウンまで、馬車でも時間がかかる距離だぞ」
だから、フォン・ブラウンを拠点として目指したのだ。とまでは、口にしない。
「『門』を使いました。ここで、あなたを押さえないと、追跡が面倒になるので」
『門』とは、大陸の主要都市を結ぶ大型の瞬間移動装置である。魔術師協会が管理と運営を行なっている。使用料は金貨1枚。銀貨で暮らす庶民の金銭感覚ではありえない対価だが、維持管理費である。『門』が、戦争の道具にならなかったのは、各地の諸侯が公然と魔術師協会を敵に回すことを恐れたことと、起動の度に行き先を指定する仕様だからである。仮に『門』を占拠できたとしても、長時間の繋ぎっぱなしができないので、大軍を送るのは不可能だった。
「『門』か!」
ふだんの移動は徒歩、ときどき馬車というアリアバードは、そのような移動手段があることを失念していたのだった。
「僕は、お前に用事がないぞ。あっ、お菓子、おいしい」
アリアバードは、その薄緑色の瞳以外を満面の笑みにして、拒絶の意を示した。
「そうですね。別に、あなたのバカンスに同行したい訳ではないのですよ。」
キサマも小菓子の感想を口にしつつ、アリアバードの拒絶をやんわりとかわす。
「じゃあ、いったいなんだ?」
「それはですね……」
会話の内容はともかく、テラス席に小菓子とコーヒーを置いて語る彼らの醸し出すまったりとした雰囲気は、冒険者の宿という場所には不釣り合いであった。
そんな彼らの雰囲気を不快に感じる者がいた。アリアバードが食事している時から、麦酒片手に酒盛りをしていた酔っ払い船員のひとりである。
「オメーたち。何をお高くとまってるんだよ。コーヒーを飲みながらの世間話なら、余所でやりやがれ」
完全なる言いがかりであった。
「船員さん。僕たちは、店内で、メニューにあるものを、注文して、口にしているだけ、なんだよ」
持ち込んでいる小菓子のことを棚に上げて、アリアバードは船員を見上げながら諭し始めた。句読点が多いのは、その都度、一呼吸おいて言い聞かせるように喋っているからである。
「なんだと、オメー」
酔っ払いに、アリアバードの思いやりは通じなかった。
船員は、口答えしたアリアバードの胸倉を掴んで、立ち上がらせた。
そのとき、イザコザの始まったテラス席に、第三の声が届いた。
「その男は、俺の男だ。お前のような輩の、酒臭い口を近づけていい存在じゃない」