第五章 トアル村 その2
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網罠から降ろされて埃を払っているアリアバードたちに向けられた村人たちの視線は、こんなやつらで大丈夫なのかという疑問を纏わせていた。
村人たちに漂う空気を敏感に察知したエミリーがアリアバードの耳元にささやく。
「先輩。わたしたち、怪しまれてますよ」
「別に構わないさ」
自分たちはトアル村に転居したのではなく、仕事で訪れたのだ。問題が片付いたら去っていく来訪者なのだから、村人たちが内心でどう思っていようと関係ない。悪意を持って妨害する者がいなければ、それでいい。
そんな磨れた考え方まで披露する必要もないだろうと、アリアバードは思って淡々とエミリーに答えた。
そして、集まってきた村人たちに静かに尋ねる。
「神官のオスカーさんという方は、居られるでしょうか」
埃を払い終えて顔を上げたアリアバードを見た村人たちは、一瞬だけ緊張を弛めた。アリアバードの容姿に気を取られたからである。
「オレがオスカーです」
オスカーが前に進み出る。
「僕の名前はアリアバード。こちらは助手のエミリー。そして……」
アリアバードは荷物の中から、法王府の紋を象って作られたペンダントを取り出した。
「……これが法王府の聖印。これで身分証明になるでしょうか?」
アリアバードは、微笑んだ。
「大丈夫です。あなた方が来られることは、啓示を受けていたので。しかし、何故このような夜中に?」
「事は急ぎますから……」
アリアバードは言葉とは裏腹にゆったりとした呑気とも取れる口調で語った。そして荷物の中をまさぐると、棒状の物体を取り出す。それは微かと表現するには強い香りを漂わせていた。
「……アンデット避けの香木と香油を持ってきました。これは皆さんのために用意したものです。我々はアンデットを返り討ちするのが仕事ですから、本来は必要ありませんし」
「そんな高価な物を……」
オスカーは絶句する。
アンデット避けの香木。削った欠片を燃やすと、低レベルのアンデットが近づかなくなる品物である。金銭にゆとりのある貴族や隊商が道中の安全を確保するために用いる。最も1ヶ月前にアリアバードが対峙したデュラハン級になると効果はない。
「法王府には、功徳を積むと称して寄進してくれる貴族や大商人も多いのです。この香木と香油も寄進です」
貴族や商人がこのような寄進を行うのは、アンデットが貴族の権力を畏怖せず、商人の品物を求めることもないからである。たとえ富を手放すことになっても、ほどほどの人間社会が維持されている方が彼らにとって都合がいいのだ。豪遊と権勢に酔いしれるだけの者が、ただの成り上がりと侮蔑されるのは、そこを理解していないことに起因している。
「そうですか。ありがたいことです。ここでは何ですから、ひとまず寺院へ」
オスカーはアリアバードの説明に納得しながら、二人を寺院へと案内を始めた。
寺院の近くに構築された『炎の櫓』を見つけたアリアバードは、さっそく香木を削って投げ込んだ。独特の香りが辺りに漂い始める。
「これで、朝までグールが侵入することはないでしょう。皆さんはゆっくり眠ってもらっても大丈夫です。あとは我々にお任せください」
アリアバードは、村人たちに散会を促した。そして、村人たちの帰宅を見届けると、寺院の入り口をくぐる。
関係者用の小部屋には、オスカー、カイ、村長、アリアバード、エミリーが卓を囲んでいた。村長とカイとオスカーのそれぞれが、この1ヶ月の間のグールの動向を語る。
ひと通り話を聞き終えたエミリーが口を開いた。
「状況は理解できました。次の襲来では、私たちが前面に立ちますので、ご安心ください」
「ありがとうございます」
村長は祓魔師たちに向かって頭を下げた。その声には、ようやく安心を覚えることができる喜びが滲んでいた。
「オスカーさんには、香木を使った結界の維持をお願いしたいです。僕たちはグールの殲滅に専念したいので」
アリアバードは補足するように、オスカーに願い出た。
「櫓の維持に一手間加えるだけですから。お安い御用です」
オスカーは了諾する。
「もうじき夜も明けます。僕たちも、きちんと休みましょう。働くにしたって、十分な休息を取ってからでないと」
アリアバードは、最後に冗談とも本気とも理解し難い言葉を語って、その場を収めるのだった。