第五章 トアル村 その1
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トアル村に怪異が訪れたのは、10月の新月が過ぎた頃だった。
最初にやってきたのは、腐敗の進んだ犬のゾンビであった。余裕で逃げられるほど動きが遅かったので、村の若者たちに叩き潰された後に、鎮守の神官の指導の下、焼却された。
次の異変は、村にやってきた隊商の護衛を請け負っていた冒険者の証言だった。
「道中、街道でゴブリンに襲われたんだよ。返り討ちにしてやったはずなんだ。ところが、奴ら、のっそりと起き上がりだして、また殴りかかってきやがった。奴らに殺された番犬も一緒に襲いかかってきた。気味がわるいから、逃げ出してきたよ」
その話を聞いた鎮守の神官は、冒険者に尋ねた。
「トドメは刺さなかったのですか?」
「そんな余裕なんてねーよ。荷物を持って逃げるので精一杯さ」
鎮守の神官の表情が曇った。
鎮守の神官は急いでその場を離れると、村長の元を訪ねた。だが、村長の邸宅に居たのは、いつも不機嫌そうに見える表情を持った幼馴染の長男だった。
「どうしたんだ、オスカー。血相を変えて」
「村長は、どこだ」
「親父なら、畑仕事さ」
「そうか」
オスカーと呼ばれた鎮守の神官は、しばし考えて、村長の長男に語りだした。
「カイ。隊商がゴブリンに襲われた話は知っているな」
「ああ」
「あれは、ただのゴブリンじゃない。おそらくグールだ。どうも近郊に徘徊しているようだ。この前のゾンビ犬の件もある。放っておくと、春の種まき作業に差し障りがでる」
「どうすればいい」
「まずは、若者を集めて自警団を組織しよう」
「わかった」
幼い頃からツーカーの仲だったカイは、オスカーの提言を疑うことはなかった。
「それから、オレたちは村を離れることができないから、隊商が雇った護衛の冒険者に法王府宛ての手紙を、街まで届けてもらおうと思う」
「わかった。護衛への依頼料は親父に用意させる」
「グールは足が遅いしバカだから、狩猟の罠に簡単にかかると思うが……」
それはゴブリングールが単体で彷徨ってきたときだけだ。オスカーは思案する。だが、今はそれを口に出す時ではない。
「無理は禁物だ。オレたちは必ず複数でグールに当たろう」
それからのトアル村は臨戦体制だった。徴兵の経験がある村人もいる。とはいえ、指導的立場であるカイやオスカーにしても防具は革鎧に過ぎず、村人たちも統率された戦闘集団ではないので、武具イコール農具である。斧や槌がまともな武具になるくらいだろうか。
それでも村を棄てることもできないので、拙い武器と防具と知恵で、村人たちはゴブリングールに立ち向かわざるを得ないのだった。
「ゴブリンが来たぞ〜」
狩りを生業にする村人が仕掛けた跳ね上げ式網罠に、ゴブリングールが掛かった。
「網に掛かったゴブリンは放置していい。陽が昇れば焼け死ぬ!」
カイが叫んだ。
徴兵経験のある壮年の村人がコンビを組んで、盾役を担う。「いのちだいじに」が基本方針なので、盾役の村人は武器で殴り付けることはせず、木製の扉に取手を付けただけの即席の大盾で防御に徹した。ゴブリングールが盾役の村人に気を取られている間に、数名で死角になる位置から襲いかかる。可能な限り四肢を切断し行動不能にしたら、オスカーが構築したアンデットを滅却するための『炎の櫓』に投げ込んで焼却していく。
「しかし、この臭いは何とかならないのか」
炎に焼かれたグールの屍体が異臭を放つ。『滅却』以外の方法でアンデットを滅ぼすと漂ってくる、動物の乳が腐ったような臭いだった。
「『滅却』だと数瞬だからな。オレたちでも滅ぼせる手段があるだけマシさ」
オスカーが諭すように返した。
それが4〜5日おきに繰り返されたのだった。
「ゴブリンが来たぞ〜」
「これで何度目だ」
カイがいつもの不機嫌そうな表情に、明らかに不機嫌な声を上乗せして、ぼやく。
「4回目……だったかな」
オスカーの返事にも疲労が滲む。『炎の櫓』の維持と負傷者の治癒。そのために自身の体調をも管理せねばならないことに、オスカーの疲労も少しずつ濃くなっていた。
オスカーは自身の視界と表情が歪むのを感じた。倒れるわけにはいかないと必死で頭を振る。
それを見てとったカイが声をかけた。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫」
責任感からくるオスカーの答えに、カイは幼馴染の無理を見抜く。
「少し休んでろ。お前に夜更かしはムリなんだよ」
「カイには筒抜けか。少し休ませてもらうよ」
オスカーは寺院に下がった。そして床に座り込む。
「偉大なる大地の母にして法則の守護者サタよ。我らが生き残れるように加護を与えたまえ」
ひとり休息することを良しとせず。というわけではないが、気がつけば祈祷用の錫杖を掴んで、祈りの言葉を口ずさみだすオスカーであった。
鎮守の神官を戦闘から欠いたトアル村の村人たちであったが、4回目の襲撃をなんとか退けていた。
「いままでのパターンからすると、次の襲撃は新月が近くなるな。さすがに視えにくくなる」
盾役を買ってでていた村人のひとりが懸念する。
「月光の恩恵は大きかったな」
カイは欠け始めている月を仰ぎ見ながら、懸念に共感する。
「せめて、グールが何処からやってくるのが、わかればいいんだが」
「もうじき夜が明ける。心配事はそれからでもいい」
「そうだな。考えても仕方ないことは、考えないことだな」
他の村人たちも口々に意見を述べる。
そんななか、オスカーが疲労の表情を隠せないながらも、寺院から舞い戻ってきた。
「サタの啓示がきた。『助ける手は、間もなく現れる』。もう少しで法王府の人が到着するみたいだ」
「オスカー。おまえ、ちゃんと休んでなかったな」
カイは朗報に接したも関わらず、先ほど善意から発した忠告を無視したオスカーを咎めた。だが、その糾弾はお見通しの苦笑を含むものだった。
「ごめん」
オスカーもカイの真意が手に取るように理解できたので、悪びれる態度にに留まった。
「さて、もうすぐ陽が昇ることだし、罠を貼り直すとしようや」
年長の村人が、その場を締め括った。
大地母神の啓示がオスカーを介してトアル村に届いた翌々日の夜半。
跳ね上げ式網罠が作動して、鳴子が鳴った。
「ゴブリンの奴ら。ペースが早いんじゃないか」
カイたちが斧と松明を持って網罠に駆け寄ると、罠に掛かっていたのは、金髪癖毛の優男と藍色の髪の娘だった。
金髪癖毛の優男は、申し訳なさそうな声で答えた。
「すいません。罠から降ろしてもらえますか。法王府の祓魔師です」
アンデット退治の設定ですが
第二章その3において
・魔力付与された武具か魔法でなければ傷つけられない
と、しましたが、
・“中級以上のアンデット”は、魔力付与された武具か魔法でなければ傷つけられない
に、変更します。
またアンデットへの対抗手段として
・炎で焼き尽くす
・太陽光を浴びせる
を追加します(第二章修正済)。
でないと、村があっという間に滅びるので(^_^;)