第四章 森の隠者と見知らぬ少女 その3
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数日後。
法王府に帰還したアリアバードは、カシウスの執務室へ向かっていた。面会の予約は、前もってキサマに取ってもらっている。
普段は地方から地方へと直行するので、滅多に中央政庁に顔を出さないアリアバードが廊下を歩いていると、すれ違う者が振り向いていく。
過日、キサマがランチェスター家の狩猟会において、
「それでなくても注目を集める容貌なのですから」
と、外に出歩かないように助言したのは、充分以上に整ったアリアバードの顔立ちが、この現象を引き起こすからである。
執務室の扉の前にたどり着いた。アリアバードが扉をノックすると、中から入れと言う声が聞こえてくる。もちろん声の主はカシウスである。
アリアバードが扉を開けて執務室に入ると、カシウスは自身の黒い机に腰を預けるように立っていた。
カシウスは、アリアバードと視線が合うと、重々しい口調で語った。
「1ヵ月に渡った任務、ご苦労であった。休息が開けた貴殿には、新たな任務を担ってもらう」
「あの……1ヵ月とは?」
アリアバードがデュラハンを撃退したのは9月末のことであり、その後の1ヵ月間は、彼にとって記憶の欠落と空白の期間である。カシウスを訝しむには十分な理由であった。
「事情は、キサマ導師に聞いている。が、貴殿は、この1ヵ月近く我が密命を帯びて活動していたことになっている。さすがに“眠っていた”と、周囲に伝える訳にはいかないからな」
カシウスは天井を見上げる。そして嘆息を吹き払うように、
「まさか、おまえが攻撃を避け損なうなんて思いもしなかったな。『触れること叶わず』の二つ名を返上するべきじゃないか?」
と、アリアバードをからかった。
「『触れること叶わず』なんて、そんな恥ずかしい二つ名で呼ばれたことなんてありません!」
アリアバードは憤った。
直後、カシウスは深々と頭を下げた。
「すまなかった。俺はお前の能力を過信していた。傷がついたら終わりだということは、誰よりも俺が知っていたはずなのにな」
キサマにボヤキはしたものの死にかけたことについては、自身の選択の結果と責任だとアリアバードは思っていたので、師父の謝罪に対して激しく感情が動くことはなかった。だが、受け入れることが正解なのだろうとも思ったので、師父の発言に対しては肯定も否定もしない沈黙の態度を選んだのだった。
アリアバードは、しばらくしてから口を開いた。
「過ぎたことです。それに僕は、いま、ここに居ます」
自分は生きている。アリアバードの真意を汲み取ったカシウスは、態度を上司のそれにふたたび戻す。
「今回の反省を踏まえて、次の任務には、貴殿に相棒をつけようと思っている」
「相棒……ですか」
アリアバードは、任務の上で現地の人間に協力してもらうことはあったが、専属の人間とコンビを組んだことはなかった。そのことに対して、特に不満もなかった。法王府の斡旋の巧みさ故なのだろうが、たいていの案件は一人で解決することができたから。
キサマとヴィリーがアリアバードに同行することはあるが、それはあくまでも依頼人としてである。特に前者はその傾向が強い。
「神学校を卒配する新人をつける。相棒と言うよりは教導だな。おまえも受けたことがあるだろう」
「枢機卿直々のね」
アリアバード苦笑いしながら頷き、続けた。
「教導期間が終わってから他の者に聞いて知りましたが、枢機卿の教導は一般的な教導とだいぶ違うようでしたね」
「きちんと独り立ちできるように、俺の持つ技術のすべてを叩き込むつもりだったからな。実際に役に立っているだろう」
「おかげさまで」
扉の開錠のやり方。家捜しの方法。関所の抜け方。街道以外での食糧の調達。動物の足跡の追跡。一対多数における戦闘技術などなど、アリアバードが神官としての職能以外のさまざまな技術を身につけているのは、カシウス直伝の実地訓練があったからこそであった。
カシウスは隣室に控えていた補佐役の神官に、新人神官を呼び出すように伝えた。もちろんアリアバードに紹介するためだ。
しばらくすると、藍色の髪を短く整えた若い女性がやや緊張した面持ちで、執務室にやってきた。
「はじめまして。エミリーと申します。カシウス枢機卿の懐刀と名高いアリアバード先輩の教導を受けられることを誇りに思います」
「はじめまして。どうぞよろしく」
アリアバードは新人神官に挨拶を返すと、後半部分をやんわりとした笑いで否定した。
「どこで話が捻じ曲がったかは知らないけど、僕は懐刀と持ち上げられるような人材じゃないよ」
「そんなことありません。謙遜なさらなくてもいいと思います」
エミリーは、やや上気した表情をアリアバードに向けて答えた。
「二人だけの世界を見ていても面白いんだが、そろそろ本題を切り出していいかな?」
カシウスが話に割って入る。
エミリーは我に却って、居住まいを正した。アリアバードは茫洋とした表情でカシウスの方へ顔を向ける。
「君たちには、グール退治に出向いてもらう。場所はトアル村。現地からの情報では、街道で冒険者が出会したそうだ」
「グール退治ですか」
エミリーは、不思議そうに聞き返した。新人である自分の教導とはいえ任務が簡単すぎる気がしたのだ。
「不服か?」
カシウスはエミリーの真意を見向いたように言葉を返す。
「いえ。そんなことはありません」
「退治することねぇ」
淡々と口にしながらも、アリアバードは右手で顎を掴み左手を右肘に当てると、しばし考え込んだ。いくつかの方法は考えられる。しかし、正解は現地に赴いてみないと得られない。それは現場で立ち向かう者の経験則だった。
アリアバードは、推測を巡らせることを止めて姿勢を正すと、カシウスと目を合わせた。
「任務、拝命致します」
やってくるアンデットを迎え撃つ。
法王府対魔部の戦略は、その一択でしか語ることができないのだから。