第四章 森の隠者と見知らぬ少女 その1
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空に爆ぜるは、炎。
その時が昼だったのか夜だったのかは、覚えていない。
覚えているのは、鉄器のぶつかる音。うめき声。馬の疾走が響かせる蹄の音。逃げ惑う人々。そして、悲鳴。
「お父さん、お母さん。どこなの?」
両親と逸れてしまった不安から、それしか言うことができなかった。
たぶん、泣いていた。
気がつけば、周りには誰もいなかった。
そんな時に、頭上から声が降ってきた。
「お嬢ちゃん。迷子なのかい?」
「お嬢ちゃんじゃない。僕は男」
いつものことだったから、そう答えた。
「おお、そうか。すまなかったな。だが、その器量だと、下手すると慰みものにされちまうから、オレが保護してやるよ。お父さんとお母さんを探さないとな」
見上げると、黒っぽい服を着たおじさんがいた。
「おじさん、誰?」
「オレはカシウス。ハイラントの人間さ」
そう名乗られても、何者なのかはよくわからなかった。
他に選択肢はなかった。
……それが現在に至る人生を決めた瞬間だった。
目が覚めた。
そこが何処なのかわからなかった。
知らない天井だ。少なくともハイラントの借家ではないことはわかる。
どうやらベットに横たわっているらしい。
どうして、こうなったのだろうと、アリアバードは状況を思い出す。
デュラハンに左肩を刺されて怪我をした。トドメは刺したけど、血液が止まらない体質の自分の肉体に、『小治癒』すらできなくなって、死にかけていたのだ。そして意識を失った。
アリアバードが身体を起こすと、見知らぬ少女が座っているのが視野に入り込んできた。
薄いストロベリーブロンドの髪。琥珀色の瞳。華奢な身体は平均値より小さめ。活発という雰囲気が不釣り合いに見える少女だった。
「えーっと……こんにちは?」
アリアバードの挨拶には、ぎこちなさと疑問符がまとわりついていた。
少女は、表情を変えることもなく無言だった。それは悪意からではなく、どう返答したものか窮しているといった風だった。
「ここは、どこ? 君は誰?」
アリアバードはゆっくりと質問をする。まだ体調が本調子ではなかったからだ。
だが、少女は答えることなく椅子から立ち上がると、アリアバードに背を向けて部屋から出て行った。
アリアバードは、少女が部屋を出て行くのを何となく見届けた。すると、黒衣の魔術師が入れ替わるようにやってきた。
「ようやく気がつきましたか」
「やぁ、キサマ。いま見たことのない子が部屋から出て行ったけど、誰だか知ってる?」
「わたしにはわかりません。ただ、立ち振る舞いからして、侯爵家のメイドではなさそうですね」
「そうか」
少女に関して明確な答えを得ることはできなかったが、咎める理由もないので受け入れると、アリアバードは質問を変えた。
「で、ここは何処だい」
「場所は変わりませんよ。あなたが倒れたランチェスター家の別邸です。違うとすれば、あなたが横になっているのは貴賓室の寝室のベットであることでしょうか」
「よく許可が降りたね」
アリアバードは驚きとともに答えた。ハイラントの人間であるとはいえ、あの当主が平民出身で肩書きのない自分によくぞ許可したものだ。と。
「もちろん無許可ですよ。ヴィルヘルム卿の独断です」
知らないことは存在しないからな。というヴィリーの言葉を、キサマは付け加えた。
「あいつの言いそうなことだな。お陰で、知らない間に贅沢を堪能していたわけか。せっかくの豪華なベットでの就寝という経験が台無しだな」
ヴィリーの格言を聞かされたアリアバードは苦笑する。
「ところで、僕はどのくらい眠っていたんだ?」
「法王府の暦で言うと、989年の11月です」
キサマは淡々と答える。だが、アリアバードは状況の異常さに気がついた。
「……1ヶ月くらい過ぎてないか?」
たしか狩猟会は、9月の末だったはずだ。眠っているには長すぎる。
「そのくらい眠り続ける。と、あなたを助けてくれた人に言われました」
キサマはアリアバードを落ち着かせるように、いつもと変わらぬ口調で語った。そして、自分たちはアリアバードが眠り続けることを予め知っていたと伝えた。
「僕を助けてくれた?」
アリアバードは、まだはっきりと状況を飲み込めなかった。
「あなたの怪我には『小治癒』が必須です。わたしの技術では完治できませんでしたからね。そして、あの時のメンバーに神聖魔法の使い手は他にいません。第三者の存在を気がついてもいいはずですが」
そう言って、黒衣の魔術師は事の顛末を語り始めた。