第三章 首なしの騎士はふたたび訪れる その4
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「いつまで、かかっているのです。うるさくて眠れやしない」
声の主は、御付きの侍女たちを連れたエリザベートだった。むろん武装をきちんと身につけることもなく、寝巻き姿である。侍女たちは顔を蒼白にしながらも、館の当主に付き従っている。内心はともかく、大人しく従い、当主の要望に応えることが彼女たちの仕事であった。
「なっ……!」
その場にいた全員が驚愕し、声の主に視線を向けた。
唯一、トドメを刺すべくデュラハンの頭部を狙っていたアリアバードだけが、デュラハンの表情に変化が起きたことに気づいた。その表情は歓喜。
「ヴィリー、デュラハンの狙いは君の母親だ!」
「エリザベートさま!」
アリアバードが叫び声をあげた瞬間、アランは戦場を放棄してエリザベートの元へ駆け出した。
他の二人は、状況の想定外の変化による自失から立ち直っていない。
デュラハンがその手にあった大剣をエリザベートへ投げつける。相手は防具すら身につけていない戦闘の素人。勢いのついた剣を避けることすらできないだろう。
だが、エリザベートは侍女の一人を盾として自分の前に突き出した。それは技能を有するが故の冷静な判断ではなく、貴族としての常識が露わになったものだった。
アリアバードは一瞬で状況を分析する。アランさんのガードは間に合わない。ならば……
「『大快癒』」
それは、あらゆる病や傷を癒し、タイミングさえ合えば首を刎ねられた者すら即座に治癒できる最高位の回復魔法。アリアバードは射程を伸ばし、対象を拡大した。詠唱を破棄したのは、非戦闘者を護るため。貴重な時間をさらに節約したのだ。
飛来した大剣が盾とされた侍女の肩を切り裂き、大量の血飛沫がエリザベートに飛び散った。
直後。
エリザベートと侍女たちが立ち登る緑光の柱に包まれる。
盾にされた侍女の傷は即座に塞がり、土気色に成りつつあった顔色は血色を取り戻した。
デュラハンの敵意がアリアバードに向いた。予備の武具である短剣を抜き出すと、アリアバード目掛けて突き出す。
これを避ければ。アリアバードがそう思ったとき足元で何かを踏み外した。
「サーヴァントの欠片?!」
気づいた時には、アリアバードは体勢を崩していた。デュラハンの短剣が首元へ届きそうになる。
アリアバードは右手で短剣を捌いて軌道を変えたが、崩れた体勢では避け切ることはできなかった。デュラハンの短剣が左肩に突き刺さる。
「ぐっ!」
アリアバードの表情は苦痛に歪んだが、彼はこれを奇貨とした。相手の間合は自分の間合。デュラハンが左手に抱えている頭部に右回し蹴りを決める。
「『滅却』ッ!」
『滅却』を浴びせられたデュラハンは、輝きながら光の粒子と化し、頭部から全体へと少しずつ消え去っていく。
アリアバードは傷口から短剣を抜き取って立ち上がり、デュラハンの消滅を見届けたが、気が緩んだのか、すぐに倒れた。
「アリアバード!」
キサマが青ざめた悲鳴をあげた。
「ごめん、キサマ。ドジ踏んじゃった」
「あなた。『小治癒』はどうしたのですか?!」
「さっきの『大快癒』と『滅却』で打ち止め」
アリアバードは自重気味に笑う。
「無茶をして。もっと自分を大切になさい」
「せっかくのチャンスを無駄にしたくなかったからね。避け切るつもりだったし」
「最悪の場合、トドメとして『物質の分解』を撃ち込んでもよかったのです。いま傷を処置します」
キサマは、懐から不可視のミスリル銀糸を取り出すと、アリアバードの傷口を縫い合わせ始めた。あっという間に傷口を塞ぐと薬草を塗り込む。
駆け寄ってきたヴィリーは、今まで見たことのないキサマの技術が、治療を目的にしているのだろうとしか理解できなかった。
「細かい血管を塞ぎ切ることはできませんでしたか」
謎の、だが完璧に見える技術を披露したはずのキサマの表情は曇ったままだった。
アリアバードの出血は傷口から滲み出るように広がって、止まっていなかったのだ。
「その程度の出血ならば、そのうち止まるだろう?」
「ヴィルヘルム卿、ご存知なかったのですか。アリアバードの出血は、自然凝固することはありません……」
キサマはヴィリーを仰ぎ見ると、アリアバードの戦闘者としての致命的な弱点を語ったのだった。
「……いま私にできる治療術を試みましたが、残念ながら失敗しました。アリアバードの怪我には神聖魔法による治癒が絶対に必要です」
「どういうことだ?」
「このままでは、アリアバードは失血死します」
キサマは、我々は誰一人として神聖魔法を使えませんからと付け加えて、冷徹な現実を伝えた。
「キサマ、後始末はよろしく。そして、カシウス枢機卿に伝えてくれ。あなたの息子はあなたの与える仕事に振り回されて倒れた。と」
アリアバードは痛みを堪えながら、事後処理についてキサマに委ねる。死ぬことはあまり怖くはない。むしろ為すべきことは片付けておきたかった。死んでしまっては、もう何もできない。
「あなた、この物語の主人公でしょう?それが第3章の終盤で死んでしまっては、誰に続きを語らせるのですか!」
キサマの叱責を聞いても、アリアバードは何を言われているのか理解することができなかった。痛みと倦怠感から猛烈な睡魔に襲われつつあったのだ。
「ごめん」
意味なく呟いたアリアバードが薄緑色の瞳を閉じると、ヴィリーとキサマはアリアバードに目を覚ますように呼びかける。
アランはエリザベートの側に立ち、侯爵家当主は血飛沫を拭いながら、階下で騒いでいる三人を一瞥すると、侍女とともに奥に引き下がる。
「……森の端が騒がしいから来てみれば、館の中で亡者が暴れていたのか。そして、重症者が一人。『ナラヤナ……』」
聞いたことのない声をアリアバードは捉えた。そして聴こえてきた詠唱を、なんと完璧で美しいのだろうと思いながら、徐々に意識を失っていった。
また、しばらく出涸らしの日々が続きます