3話 アリエルへの復讐1
冷たい風でカーテンが揺れている。
アリエルが部屋の窓が開いていることに気付いたのは、室内に一陣の寒風が吹き抜けたからで、そうでなければ窓に近寄ることさえせずに、ベッドに潜り込み眠っていたことだろう。
ここ最近、よく眠れるのだ。
あるべき位置に自分が納まっている感覚がある。
その感覚は人生で一度だって味わったことがないぐらいの快適な眠りを提供してくれた。
すなわち、王族であるということ。
それも、正しく『王族』として扱われている、ということ。
平民たちと泥だらけになりながら旅をさせられるでもなく。
第五身分出身の男の妻という役割を押しつけられるでもなく。
持って生まれた魔法の才能と、王族の血統にふさわしい扱いを受けられるようになっている。
人々は自分を見ればかしづき、時期国王と称える。
自分を見下していた貴族たちは数多の贈り物や手紙で機嫌をとってくるようになり――
父だって。
今まで見向きもしなかったあの老人だって、今では、自分の顔色をうかがうようになっている。
「ああ、人生が正しく動き始めている」
夜風を呼び込む窓を閉める前、赤い瞳をうっとりと細めて夜空を見上げた。
そこには今日、月がない。
どうやら黒い雲で隠れてしまっているようだった。
透ける赤いベビードール姿では吹きこむ風は堪えたかもしれない。
自分の部屋に寒風を呼び込んだ遠因――部屋の掃除をさせているメイドの処分を頭の中で考えつつ、アリエルは窓を閉めた。
振り返る。
お気に入りの色――髪や瞳と同じ赤い調度品で満たされた室内。
壁がなく、書斎と寝室のつながったその大きな空間を、毛足の長い絨毯を踏みつつベッドに戻れば――
天蓋付きのベッドの上に、先客がいた。
それは、黒い毛並みの猫だった。
「あら、猫ちゃん」
次期国王――『英傑姫』アリエルの苛烈な性格は、勇者処刑前後でだいぶ人口に膾炙しつつある。
だが、彼女のそんな苛烈さも猫を相手には発揮されない。
彼女がくだらない理由で処罰を与えるのは、ヒト相手のみだ。
なぜならば『すべてのヒトは次期国王と目される自分より格下であり、自分に奉仕すべき存在だから』だ。
『書く』という役割をこなせなくなったペンは、捨てるだろう。
それと同じ感覚で、『奉仕』という役割をこなせなくなったヒトを、彼女は捨てる。
ヒトにはランクがあり、その頂点に立つのが王族であるという認識が彼女にはある。
だが――猫をはじめとし、多くの動物はランクの外にいる。
特にかわいらしい見た目の動物を、彼女は好んでいた。
それゆえに勇者の死体を悼むように舐めた猫さえも、見逃した。
「お前はずいぶん綺麗な毛並みをしているわね。……ふふ、かわいい。寝床がないなら、ここで眠る? そうだ、私の飼い猫にしてあげましょうか? 世界一幸せな猫になれるわよ」
「いや、それは遠慮しておくニャア」
「!?」
黒猫が、言葉を発する。
通常ありえないその事態に、油断しきっていたこともあって、アリエルは動揺した。
体が自然と、ベッドから一歩遠ざかろうとする――
だが、そのアリエルの腕を、ベッドから伸びてきた腕がつかんだ。
「ヒッ!?」
つかまれた腕へ反射的に視線をやる。
その腕は――ヒトの腕だった。
真っ黒い長袖に包まれた、たくましい、男の腕。
……視線を、ベッドに戻す。
おそるおそる赤い瞳でうかがえば、そこには猫の姿はなくって、代わりに――
代わりに。
「よお、アリエル。俺の姿はもう忘れたのか?」
――それは闇夜を切り取ったような、漆黒の衣をまとった。
跳ねた黒い髪。
よどんだ黒い瞳。
精悍な顔立ちをした――二十歳ほどの青年。
覚えがある。
いや、忘れるはずがない。
だって、そいつは――
「勇者……!? あなた、昨日、処刑され――」
「覚えててくれたのか、いや、光栄だね」
おどけたような口調。
口の端をつり上げてみせる笑い顔。
間違えようがない。
容姿が似ているだけではない。
その冷笑的な、カンに障る態度は、まさしく本人以外にありえなくって。
「――お前が憎くてあの世から舞い戻ったんだ。少し相手をしてくれよ」
彼の目的はきっと復讐なのだろうというのは、言われるまでもなく、わかった。