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「どうしたの?その怪我」


 吐く息の白くなる冬の公園のブランコに座りながら、小学生の航平は秋野 瑞希の頬に貼られた絆創膏を指さして尋ねた。


「これ?近所の猫に引っ掻かれちゃった」


 苦笑いを浮かべて、秋野 瑞希は答えた。


「大丈夫なの?」


「大丈夫よ。痛くないし。―――それより、話って何?」


 秋野 瑞希の言葉に、航平は俯いた。地面を軽く蹴り、ブランコを小さく揺らす。


「実は―――相談があるんだ」


 航平が言うと、秋野 瑞希は微笑んだ。


「いいよ。何でも言って」


「ものすごく可笑しな話だから、きっと信じられないと思うんだ」


 切り出しておきながら、航平はそれを打ち明けることを渋った。


「大丈夫よ。信じてあげるから」


 秋野 瑞希はそれに対し、優しく答える。


「最近、ものすごくたまにだけど、変なものが見えるんだ。何て言うのかな。映画とかに出てきそうな化け物が、学校や町の中を歩いてるんだ。気味の悪い奴らでさ。それを見かけると、気分も落ち込んでくるんだよ」


 やっぱり、可笑しいよねと、航平は伏せ目がちに秋野 瑞希に言った。しかし彼女は、それに対して笑ったりはしなかった。あくまでも真面目に、その話を聞いていた。


「見えるだけ?襲われたりはしないの?」


「見えるだけ」


 航平は頷いた。


「俺、どこかおかしいのかな。そういう、変なものが見える病気かもしれない」


「病気じゃないよ」


 秋野 瑞希はそう断言した。


「私にも、そういう風に変なものが見えるってこと、あるもん。病気じゃない」


「だといいんだけど」


「大丈夫だって」


 秋野 瑞希が、航平の背中を優しく叩く。


「色々なことがあったから、ちょっと疲れちゃってるだけだよ。そのうち、全部分かるようになるよ」


「分かる?」


 航平が尋ね返す。彼女は首肯いた。


「今は分からないことも、そのうち分かるようになる。その化け物っていうのも、いつか正体が分かるかもしれない」


 秋野 瑞希は、頬の絆創膏を撫でながら微笑んだ。




 母親がリビングでかける掃除機の音で航平は目覚めた。枕元の時計を見ると、短針は十時を指していた。思いがけず、ゆっくり眠ってしまっていたようだ。航平は視線を天井へ戻すと、つい今まで見ていた夢を思い出した。それが鮮明に脳裏に残っていることで、航平はおおよその確信を持った。これは夢ではなく、自分の記憶である。秋野 瑞希は確かに存在し、自分と彼女には間違いなく繋がりがあった。その事が事実として理解できた。


 航平はベッドを抜けると、階下へ降りた。今日は通っていた中学校を訪ねる予定だ。また何か思い出せるかもしれないと、航平は期待を抱いた。



 中学校は、一部の校舎が新しく建て替えられていた。震災の影響だろう。それでも、新校舎以外には、様相の変化がほとんどなかったため、昔を懐かしむ分には特に障害はなかった。

 校内に入れないことにもどかしさを感じながら、航平は昔の思い出に耽って学校周辺を歩いた。今の時代、こうしてうろついているだけでも通報されかねない。


 グランドでは、生徒達が部活動に励んでいる。自分は確か部活動には所属していなかったなと、航平は当時を思い出した。


 周辺を二週もしたところで、航平はえらくポケットが軽いことに気付いた。ポケットに触れてみて、そこに入れていたはずの財布がなくなっていることを知った航平は慌てた。大した金は入っていないが、免許証も入っている。家を出るときには、確かにポケットに入れていたはずだ。どこでなくしたのか、全く心当たりのない航平は、足元に落ちていないか探しながら学校外周をもう一周した。しかし学校周辺に、財布は見当たらなかった。


 航平は落胆した。財布をなくすというのは辛い。絶望的な表情をしながら、航平は顔を上げた。視界にたまたま、中学の昇降口が入る。


 その時、航平の脳裏を、中学一年の春、秋野 瑞希と一度だけ喧嘩をしたときの様子がよぎった。




「お前には分かんないだろ!」


 中学一年生だった航平は怒鳴った。雨の中、傘を持ち合わせていなかった二人は、昇降口で雨宿りをしている最中だった。


「いつもニコニコしやがってる、人生楽しそうなお前に、俺の苦労が分かってたまるかってんだよ!!」


 航平のその言葉に、秋野 瑞希の頬が引き攣った。


「はぁ?あんた、何調子乗ってるのよ。自分が一番不幸だとでも言いたいわけ?」


「苦労も知らねえ奴が、どうして俺の気持ちを理解できる?どうせ両親や周囲に持て囃されてばかりのお前が、俺の何を理解してるってんだよ!」


 航平が勢いに任せて叫ぶ。秋野 瑞希は不意に右手を振りかぶり、航平の頬を平手打ちした。


「その言葉、そっくりそのままあんたに返してやるよ!人生楽しそう!?苦労を知らない!?両親に持て囃されてる!?私の両親は、私が六歳の時に死んだよ!私の目の前で自殺したんだよ!二人仲良く、首を吊ってね!!」


 叩かれた頬を押さえながら、航平は唖然とした。


「私から言わせれば、あんたの方が幸せよ!一人暮らしの苦労も知らない!親の死に顔がフラッシュバックすることもない!家に帰れば、お母さんがご飯を作ってくれていて、お父さんが帰ってくれば、家族で食卓を囲める!その事の何が不幸なのよ!家に帰って、暗い部屋の一つ一つの電気を点けて。少ない食材で自炊して、暗い蛍光灯の下で独りでご飯を食べる!これがいつもの私よ!これのどこに、あんた以上の幸せがあるって言うの!?」


 秋野 瑞希の目から、涙が溢れる。


「え...でも、だって―――そんなこと、これまで一度も...」


 転校後に彼女を知ってから、もう二年が経っていた。しかし、彼女のその家庭事情を航平が聞いたのは、その時が初めてだった。


「バカ!」


 航平を突き飛ばし、秋野 瑞希は雨の中へ飛び出していった。残された航平は、遠ざかる彼女の背を見て立ち尽くした。




「君、ちょっといいか?」


 背後から声をかけられ、航平はハッとした。はい、と答えながら振り向くと、三十歳そこそこと思われるサラリーマンが立っていた。


「こんなところで、何をしているんだ?」


 男性が航平に尋ねる。航平は内心慌てた。端から見れば航平は今、平日の昼間に学校を覗き込んでいる不審者と思われかねなかった。航平は、勘違いをこれ以上深められないよう、慎重に言葉を選んだ。


「実家に帰省したので、想い出に耽りながら家の回りを散歩してます」


 自分が地元民であり、この中学校の卒業生であることを暗に示し、何とか誤解を解こうとする。しかし男性は、航平を不審がることを止めなかった。


「それじゃあ、それは何だ?」


 男性が、航平の右肩の辺りを指さした。航平は首を回し示された辺りを確認したが、目の前の男性が何を指しているのか分からなかった。肩の辺りには、特に何もない。背後の方まで確認してみても、あるのは桜の木ぐらいだった。


「どれです?」


 航平は男に尋ね返した。いや、と

男性は腕を下ろした。


「何でもない。失礼した」


 軽く頭を下げ、男性が航平に背を向ける。航平も家に帰ることにした。今の男性のように、他の誰かが自分を不審者と見て通報するかもしれない。そうなる前に帰ろうと航平は判断した。

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