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36

 夜野邸正面玄関前。

 着いた、戻ってきたまではいい。シユはどう入ろうかと緊張に立ち尽くしたままだった。今の今まで生活をしてきた家でもあるというのに、まるで他人の家にでも来てしまったかのようだ。

 しかし、こうしているのでは何も始まらない。きっと、いつも通りでいいのだ。シユは扉に手をかける。


「……ただいま、戻りました」


 屋敷の中は静まり返っていた。部屋のドアを開け閉めしる音さえ響き渡るくらいに。だが、昨日出てきたそのままだ。

 当たり前ではあるのだが、今のシユは長きに渡る時間が補填されたことにより若干、時間の経過に対して混乱している部分がある。

 まずはシルフェイミに話を通すのがいいかと考えていたところ、リビングの方から駆けてくるような足音が聞こえてきた。シユは一度考えるのを中断すると、誰かがいるのならとリビングへと足を向ける。


「……だって今誰か入ってきて──やっぱりシユちゃんだ!」


 リビングのドアが開くのが早いと分かっていても、あまりに勢い良く開いたため、シユはその場で足を引き戻しながら止まるしかなかった。

 顔、といわず全身を覗かせたイユリはシユを見つけた途端に表情を輝かせ、駆け寄ってくる。ドアは放るように開け放って。


「おかえりなさい、もう大丈夫なの? あとそれとやっぱり……」

「体調は平気ですが……何から説明したらいいのでしょうか……」


 開け放たれたドアの向こうには、それこそ珍しく兄弟揃っているようだった。本当にシユがいたと驚愕と唖然の声が聞こえてくる。そこには同様にシルフェイミの姿もあり、困っていたシユに助け舟を渡してくれる。


「とりあえずこっちにいらっしゃい、落ち着いて話しましょう」


 その一言に促されシユはリビングに入り、それぞれと顔を合わせることになった。何やら異常に見られているような、そんな感覚。次に目が覚めた時には記憶が戻っているかもしれないことを知らされているため仕方がないが、シユの挙動一つ一つの変化にまで目を光らせている様はどうも落ち着かない。

 それでもシユは先に言うべき事と、ここにいる顔を見渡した。


「まずはご迷惑をおかけして申し訳ありません。ですがもう大丈夫ですので──」


 深々と頭を下げ、続きのために前を向いたシユの目に飛び込んできた各々の顔、正に呆気に取られているような、珍しいものでも見たような表情に、シユはまたおかしなことでもしてしまったかと押し黙った。


「あの……?」

「何かお前……変わったな」


 呆然と指を差してくるアシュウ。シユはもちろん自覚がないため首を傾げる。

 彼ら一家にとって彼女のこの変化は目を見張るものだ。頼りなく浮いたような空気を漂わせながらも必死に立とうとしている迷子が、一夜にして確かな足場と目的を見つけ、しっかりと立ったようなものなのだから。


「そんなに変わっているように見えるのですか……?」

「本当にシユを形作ってたものが戻ってきたんだな」

「確かに失っていた記憶は取り戻しましたが……」


 良かったと頷いたクレイの言葉に理由としてそれ以上はない出来事を挙げてみるシユ。

 元を辿ればここに立つことになった判断や覚悟、さらには大切な思い出までもが抜け落ちていたのだ、抜け殻になっていて当然であり、その記憶という中身、核を取り戻したことで変化が訪れるのもまた然り。

 だが忘れていたとはいえ、その選択をしたのは間違いなくシユ自身だ。


「まあどうせ俺たちだって親父に迷惑押し付けられることあるし」

「ですが私は望んでこちらに来ましたので……」


 心底面倒だと腕を組み息を吐いたラシュウ。都合で振り回され、迷惑しているのはどっちにしたって同じことだという意図が感じられる。が、続くシユの返答は思いもよらなかったと一同、驚愕の表情を浮かべた。


「でもどうなるかは私も知らないままで……自分自身の存在を消すという話、取り引きをしただけだったんです」

「消す……? どうしてそんなこと……」


 望んで来た、には語弊があったと、シユは慌てて言葉を足し、結果事実ではあるが恐ろしい決断を晒すことになってしまった。文字通りの意味にイユリはおろか、兄弟たちも衝撃を受ける。何が彼女をそうさせたのか、イユリの問いかけに対し、シユは胸の痛むあのことを思い出し、悲しい笑顔をふっと浮かべた。


「……私が死んで、壊れ行く仲間たちの関係。その全てを救うために何度も巡り続けた──レーヴェンの行動を知ってからの、私の自分勝手な決断です」


 どうしても死に続ける自分を誰からも消し去り、彼を苦しみの連鎖から救いたかったのだ。結果的は彼を余計に苦しませるだけとなってしまったが。

 それがまさかここまでの大事に発展してしまうとは。シユはさらに続ける。


「でも……記憶を失くして生きることになるとは思ってもみませんでした……彼らともまた、会うことになるなんて……」


 余計なことは一切いらない。ただ伝えるべきことを簡潔に。そうしてシユは最後にすみません、と頭を下げる。

 誰も、何も言わなかった。これだけの事情が眠っていたなど、誰も想像すらしていなかったのだ。その事実を知りながら行動しているように見えたカイルでさえ。ここまでのものとは知らないでいた。

 ましてや、彼らが見てきたシユが、そんな大層な考えや覚悟を以ってこんな暴挙にも似た行動を起こしてみせたという事実すら信じ難いものだ。


「この件に関しては特にカイル、貴方にはずっと迷惑をかけてしまったかと思います」

「……いや、こうして聞いてみると、俺はただ邪魔をし続けてただけだったな」

「やはり知っていたんですね」


 ああ、とカイルはただ認めるように頷く。彼はシユの秘めているものは知らなかったが、レーヴェンたちの目的は知っていたから。

 記憶を失くしてしまうほどの事情で世界を渡り、そんな彼女が落ち着いてきた頃に追いかけてきた彼ら。どうしても彼女に会い、失っている記憶を呼び覚ましてまで話をしたがっている彼らをどうして信用できようか。奪う側になれと呪いをかけられたことから、彼女は奪われる側に立っていたことまでは察しがつくものだ。この平穏を乱されるかもしれないことは、彼には看過できなかった。

 その裏、彼が知らなかった部分は、それらを覆すに足る真実が隠されていただけの話だったが。


「それでも貴方は間を取り持って助けてくれたこともありました。ありがとうございます」


 今度は感謝の意がこもった礼。もう彼女には迷いの陰はなくなっていると、その目、表情を見て誰もがそう思った。今まで過ごしてきた中のことを、今のシユとして伝えなければ気が済まないという彼女の強い意思。本当の彼女はこうであったのだとつくづく思い知らされる。

 いつの間にかその胸に強い意志を秘めたのだと。

 これでシユ自身、言いたかったことは言い終えたらしく、静かに部屋の中を見渡した。何が探し物でもあるのかのように。


「……ミスカラルドはあの部屋に?」

「ええ、いつもと変わらずよ」

「分かりました、ありがとうございます」


 その答えを聞いたシユはすぐさま行こうと歩き出す。誰も止めなかったが、ドアに手をかけた彼女は一度振り返ると目だけで頷くようにしてリビングを後にした。

 その姿を見送った残る面々はしばらくの間動きもせずに数秒を持て余す。


「なんかあいつ……思った以上にとんでもねぇ奴だったんだな……」


 口火を切ったのはアシュウだった。見たことがないくらいの感慨深い様子には思わず笑ってしまいそうになるが、今はここにいる全員が同じことを思っていたため、言葉にこそ出さなくても、それぞれが視線を動かしたり、もう一度ドアを見たりするなどして同意を示していた。




 このドアの前に立つのは初めてになるか、入ろうとすることも。こちらへ来た時に目覚めただけ、一度通り過ぎただけの場所。それ以来、足は向けていなかった。

 シユはそのドアの前で目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をすると手を上げ目を開き、ノックをする。

 するとドアはひとりでに開き、部屋の中を露わにした。相変わらず、この一室だけは切り取って付けたようだな、とシユは思う。最初の一度きりでしか見ていなくても、全く同じ感想が浮かんできた。

 まるで造りそのものから違うようなのだ。他の部屋がきちんと屋敷の中身として釣り合っているとするなら、ここは城の一室を無理矢理持ってきてしまったような異様さがある。ワインレッドを基調とした柔らかな絨毯でも敷かれているような荘厳な雰囲気はあるものの、室内は少々物足りないというだけの至って普通の部屋。

 そんな部屋の中央、シユに背を向けて座っているミスカラルドの姿があった。この部屋は一対一での対話のみを行う場であるかのように、二つだけの椅子に一つだけのテーブルしかない。

 シユが部屋に足を踏み入れば後ろのドアはまた、ひとりでに閉まる。


「ミスカラルド、聞きたいことがあります──いえ、狭間の番人と呼ぶべきでしょうか」


 凛としたシユの声の後、一拍、間が空いた。呼ばれ、呼び直されるも彼は動じた様子もなく、ただ椅子から立ち上がり、呼び名に対して彼なりの意見を返す。


「……それは、君が私をどういう存在として捉えるかで変えればいい」


 未だシユに背を向けたままだった彼はようやく振り向くと、ほんの僅かな笑みを湛えた顔で、あの時のように手を差し出してくる。今回は彼が言葉という真実を差し出す番だ。


「さあ、今の君は何をぶつけたがっている?」

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