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「──と、これが経緯ってとこ、だな……」
ふ、とレーヴェンは息を吐いた。途中、若干の熱が入ることはあったが、ただ記録した内容を訥々と読み上げるような淡泊な語り。最後の細かなところに気になることは残るが、シユは後ろめたさを感じるしかなかった。
「やはり、番人の手を借りて……」
「それしか思いつかなかったんだ」
彼には大人しく受け入れるという選択肢などなかった。分かっていたはずだったがやはり、胸がつかえる。それに、彼女を救うということに囚われ、彼が好きだと言っていた仲間たちとのあの時間が意味を成さないものになってしまっていた。
「でもこれは、これでは……貴方が望んでいるかたちとは程遠くなってしまっているではないですか……もちろん、私が悪いのですが……」
仲間は半分に別れてしまっている。まだそのあたりの詳細は聞けていないが、向こうに残る彼らの現状も気になるところだ。レーヴェンの話ならばあの時、全員が番人との交渉の場に居合わせ、そのまま三人だけがこちらへやってきてしまったような流れである。
根本から存在が消えるというその行為を目の前で起こしてしまうことはできない。それこそシユは一度死に、レーヴェン一人が知る中で消えたため、まだいいというもの。彼の中からその記憶は消すことができなかったからだ。
戻される時間の先でなら容易に変革できることでも、進む時間の中では破綻してしまう。
「それはあの時に言ったことと同じだ。お前もいないと意味がないだろ」
だがレーヴェンにも困ったものだ。どれだけ行動が常識とかけ離れていても、その主張は全く正しいものなのだから。
シユは黙り目を逸らした。きっと、誰でもそうかもしれないと。同じ境遇に立たされたのなら、それこそ何を言われようと同じことをした。
「はい……それはその通りです、けど……あの、他の皆さんがどうなっているかは分かりますか?」
「ああそうか、それは──」
レーヴェンは例の懐中時計を取り出すと、テーブルの上に滑らせるようにして置く。そういえばこの時計だけは見ていなかったと、シユは興味深く凝視してしまった。
細かな装飾や彫刻はさることながら、金をベースとした高級、というよりはやや神秘的であることを思わせる品だ。用途と言えば時を遡るためのものであるため針などは動いていないが、これは。
「こっちに来て最初の部屋、だな、そこで番人が持ってたんだ。多分、これを使ってあいつらを誰も知らないところまで戻した……きっとその時に壊されたんだ」
「では彼らは、互いを知らない時間の中に?」
そうなるだろうな、とレーヴェンは表情暗く目を伏せた。これでは今度こそどうすることもできない。手出しのできなくなった状況ではあったが、彼の目は諦めているようには見えないことに、シユは首を傾げる。何か一つでも策を握っているとでもいうのか。
そんな彼女に気が付いたのか、レーヴェンの目が動いた。その先にはクィディーしかいない。
「向こうを出てくる時に何か意味深な顔してたからな、どうにかできるって、賭けた」
「俺に話を振るってことはそっちの話も片付きはじめたか?」
二人の話し合いが終わるまで口出しはせずにいたらしいクィディーは、レーヴェンに頷かれたことで開口一番に軽口を叩きだした。彼なりの見方や意見は今の今まで話しすらしていなかったため、今がいい機会というものだ。
クィディーは頬杖をつく。
「……まあ、こっちを探ってみて良さそうだったら何としてでもあいつらを呼びつける手段は整えるつもりではいたんだ。まさかお前がこんなことになってるとは思ってなくてな」
「それをどうするのって聞いてるんじゃない」
クィディーが黙っていた二人の話の最中に何度も反応を返しそうになっていたウェイニーもようやくと口を開く。“こんなこと”は十中八九シユの記憶が失われていたことだが、こうなれば四人で話を進めるだけだ。そのウェイニーの先走る横槍に、クィディーはとりあえず聞けよと黙らせる。
「シユの記憶が戻ってからの方が後々動くのにも楽だと思ってな、それまで待ってた──どうせお前、この後アレのところに乗り込むつもりだろ?」
「今回のことでご迷惑をおかけしましたので一旦戻ろうとは思っていますが……」
確かに、一つ言ってやりたい気もするが、それは彼が想像するような啖呵を切るという激しいものでもない。ただ、記憶に関する処置については本当に一言ぶつけてしまっても許されるか。
若しくは、乗り込む時一緒に赴き、話をつけたいというそれだけかもしれない。ただ、それが予定外に遅くなってしまっただけだ。シユの記憶が失われていたこと自体が想定外であり、仲間に余計な負担をかけるまいと待っていただけのこと。
「──て、いうか、水臭いのよあんた! こんな大事になってるならもっと早く言ってくれたらよかったのに!」
もう我慢ができなくなったとばかりに、ウェイニーは若干切れながらレーヴェンの腕に掴みかかり揺さぶる。シユ以外あの壮絶な記録は視ていないはずだが、それでも彼女にとっては怒るに十分な情報だったのだろう。何度も巡っていたという事実は知っているのだから。必要以上に揺らされるレーヴェンはどこまでも嫌そうに顔を歪めた。
「そんなの、お前が知ってたらボロ出しまくるだろ……」
「ああ、確かに。ここでも口が滑るんじゃないかってヒヤヒヤしたもんだ、何回かあったか?」
「あたしはそういうの苦手だけど何とか頑張るわよぉー!」
ばふ、とソファーを叩きつけるウェイニー。何かと、箍が外れてしまえば一気に噴き出てしまうものだ。まるであの日々のように、ここで客人、友人として過ごした時間のように、何でもない時が戻ってくる。自身が抱えていた事情は違っていても、変わらなかった風景にシユは思わず笑った。
その声を聞いて三人は彼女を向いた。目覚めてやっと笑顔らしい笑顔を見ることができたと。
「そういえばシユ、あんまりショック受けてなさそうよね」
「いえ、これでも起き抜けの時はどうにもできなかった絶望、というのですかね……ありましたよ」
シユは胸を押さえてふっと笑う。
何度も思うことだが、きっと、そんな予感はしていたのだ。死んだあの日、消えると決めて全てを綴ったあの時、自分がどこに向かうのかも分からないままでも、もしかしたら彼は諦めずに追ってくるのではないかと。それでもつい先程まで忘れてしまっていたが。
そして今言った通り、起きてすぐは息もし辛い程の苦しさに襲われたものだ。決断そのものは彼が下していたのだとしても、結果だけを見ればこれ以上ない別れ方をしているのだから。
だがそれでも打開策はあるような、その一筋のおかげでシユは激しい罪悪感にのまれ、深い悲しみに落ちずに済んでいる。
「でもこうして顔を合わせて話をしていたら落ち着きました」
「それならよかった」
完全に立ち直れたかと言われたら万全だとは答えられない。それでも解決するべき話、行動のための精神状態は整っている。ただ一つ、シユには引っかかるものが残っていた。それが何なのか彼女自身もまだ見つけられていないのだが。
そこで一段落ついたらしいウェイニーはそれにしても、と愚痴をこぼし始めた。
「番人ねぇ……ここでの知識をくれて、家までくれたのは感謝するけど……」
「余計なものも多すぎるってか?」
「そう!」
後を引き継いだクィディーにそれだと指を突きつけたウェイニーは、またもレーヴェンの腕を掴むと今度は勢いよく引っ張り、自身へと引き寄せる。急なことについて行けなくなっていた彼は体勢に気づくと何がしたいんだという顔になるが、ウェイニーは構わずその顔を指差した。
「だって信じられる? 呪いよ、呪い! なんだってこんな──」
「そうだ、それ……!」
思わず、といった様子で言葉が口を突いて出てしまったらしいシユは慌てて口に手を置いて閉じる。引っかかりの正体が分かったとしばし、何とかその呪いとやらを解けるかどうかと考えるが、自分の知る範囲外だと切り上げるしかなかった。
確かに一つとして存在している呪いでも、普通の日々の中でそんなものを受けることはない。よって、シユでもそこまで呪いに関して知識があるわけではなく、勉強の一環で流し読みをしていた程度でしかないのだ。これはいよいよ問題を持ち帰り問い詰めてみる他はないだろう。
「呪い……確かに呪いなんですか?」
「ええ、だって番人がそう言ったんだもの。奪う側になれとか訳分かんないこと付け足して」
「そうですか……」
おそらくだが、いつもの施し方とはまた勝手が違うものになるはずだ。まずはこの呪いに関しては第一に、記憶に関しても訪ね、理由を尋ねなければ彼女自身気が済まなくなってきている。
レーヴェンの身体を侵しているそれが分かったところで、シユは彼が苦しさを滲ませる原因は決まって自分がいる時だったことを思い出した。
「レーヴェン、今ももしかして苦しいのではないですか……?」
「まぁ、な……無理が祟ってる」
「だから寝ろって言ったんだ」
それならば早くここを出るべきだ。後はもう、解決に向けての行動あるのみ。
一刻も早く呪いの解き方を見つけ、彼からそれを取り除かなければならない。
「一度、夜野邸に戻ろうと思います」
「もう行っちゃうの……? 大丈夫?」
立ち上がるシユに心配よりは寂しそうな表情を向けるウェイニー。そうすると決めてしまえば気力はいくらでも湧いてくるものだ。シユは大丈夫だと笑いかけ、持ってきてあるままのコートはどこかと部屋を見回していたところ、いつの間にか席を立っていたクィディーにそれを投げ渡される。
思えば、一晩は経ってしまっているのだ。
「きっと向こうの皆さんにも心配されているかもしれないので、無事を伝えるためにも戻らないと」
「それじゃあ頼んだ、とりあえず先に呪いの対処だけでいいから聞いてきてくれ」
はい、と力強く返事をしながらシユはコートに腕を通す。
そのままリビングを出て、玄関に立てば見送りにと三人も来てくれる。
「やっぱりあたしも一緒に……」
「やめとけ、お前昨日啖呵切ってきたみたいじゃねぇか。大人しくしてろ」
う、と詰まるウェイニー。昨日シユが倒れた後のことだ。イユリを家まで送って行った時、カイルに言われたことについカッとなったらしく、喧嘩に発展してしまいそうなとんでもない一言を投げつけてきてしまったとのこと。
「そこまで酷いことを……?」
「ええ、あの頭良さそうな金髪にね……分かったような口聞くなーとか、余計なことに首突っ込まないで大人しくしてろー、とか言っちゃった気がするのよね……」
確かに、それは良くないかもしれない。互いに状況が上手く伝わらないままでのこの言い合い、だろう。当の本人は頭に血が昇った状態でよく覚えていないらしい。出て行った時と真逆な態度で帰ってきた彼女に二人も驚いたという。
ウェイニーは面倒事、雰囲気を悪くするのも嫌だと、諦めたようにシユの肩に手を置いた。
「うん、だからよろしくね!」
「はい、それでは行ってきます……──で、いいのでしょうか……?」
無意識に出た挨拶だが、純粋に疑問だ。昨日は客人としてお邪魔しますと入り、今日は身内として行ってきますと出て行く。どこかちぐはぐだ。シユは困って首を傾げる。
まるで帰る場所が二ヶ所存在しているようだ。
「いいんじゃねぇか? ほら、さっさと行ってこい」
「は、はい……!」
と、慌てて出て行こうとしたシユは足を止めて振り返った。どうせなら期限を設けてしまった方が行動しやすいし、何より、彼の調子も考えておきたいと。
「──レーヴェン、明日の朝、学校の屋上にお願いします。それまでに策を見つけますので」
「分かった……けど、今日一日しかないぞ?」
「はい、それでも必ず見つけます」
では行ってきます。
今度こそ、シユは頭を下げてこの屋敷を後にした。朝の冷たい空気が肌身に染みる。
気分はどこか晴れやかだ。新たな目標を掴んだことで、彼女は止まっていた長い時間から歩き出すことができたのだから。




