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追憶ノ19

 傾ぐ彼女の体を、誰もが目を見開いて追っていた。晴れ行く砂埃の向こう側にいたロスフォルたちでさえ。誰一人として動くことなく、もう何も、何が飛び交うこともなかった。

 迎撃の手段は間に合わなかったが体勢は取れていたレーヴェンは、彼女を抱きとめるべく腕を伸ばす。絶対に受け止めると必死の表情で。


「シユ……? おい、シユ……!」


 激しく揺らし起こしたい気持ちを抑えつけてシユを呼び起こすレーヴェン。意識はあるがぐったりと苦しそうに閉じた目が開かれる。


「お前、本当に何が……」


 彼女の目はしばらく焦点も合わず彷徨っていたが、戸惑ったレーヴェンと目が合ったことに弱々しい笑みを見せた。彼は一度シユから目を離し、目の前で倒れ伏した敵に目を遣る。困惑するのも無理はない、何せ彼女はあの時、接近してきた敵を殺すことができたのだから。その視線を追うようにシユは目を動かし、自分が倒した亡骸を捉えると、罪悪感に耐えるような苦々しい表情を浮かべる。


「……こう、できなくては、と」

「……」

「っ、でも、結局……だめ、でしたね……」

「いいや、十分だ……十分……!」


 ここまで来ても尚、力なく笑おうとする彼女を諫めるように、レーヴェンは悲痛の表情で首を振る。きっと彼の方がずっと痛くて苦しい、シユはその顔を見上げながら声にもならない笑い声として息を吐くと同時、逆流した血液を吐いた。

 目を見張り息をのむレーヴェン。どう見ても助からないと分かっていても助かると信じたいのは毎度の悪い癖か。


「シユ、待──」

「あ……あああああッ! 何故、何故君が……!」


 狂ったように張り上げられた声の主を、誰もが一様に向く。膝をつき頭を抱え、発狂にも近いこの取り乱し方。皮肉にも程があるだろうこの男、ロスフォルはもう、何も見えなくなっている。

 そこへ苛立ったような舌打ちが一つ。


「おいおい、何故手前が嘆いてやがる……?」


 激しい怒りに燃えていながら、この男はどこまでも冷静に動けないでいるロスフォルと距離を詰めていく。目的を変えなくともいいのだが、完全に沈黙してしまった主を前に、側近たちは自分の身を守ることに精一杯で主を助けに入る余裕など一切なかった。

 失ってはならなかったものを失い、戦意喪失に至った者と、仲間を失うも燃え続けるままの者。腕の差は一目瞭然となろう。

 クィディーは抜け殻になりつつあるロスフォルを前に右手の装飾、チェーンを外した。次なる動作のため翻るチェーンが日の光に反射し、怪しく光る。


「見るな、見ない方がいい……」


 やんわりとシユの目に手をかざすレーヴェン。しかし、指の間からそれははっきりと見えてしまう。

 クィディーは一瞬の躊躇いもなく右手を横に薙いだ。反動でさらにしなるチェーンには血が絡みつき、先から地面に滴り落ちる。そうして時間差で奥の体が傾ぎ、空中に放り出される切断されたロスフォルの頭部であろうものが影となり目に映る。

 こうして敵の頭を落とすという目的を果たしたとしても、仲間が一人死に行くのであれば意味がないというもの。もう逃げるだけの側近たちは放っておいても問題はないが、ここで大人しく逃がすクィディーではない。シユの様子を見ようと足を止める仲間たちは、残りを手早く片付けるために再び走り出す他なかった。まるで意図的に二人を残していると見えるくらいには。


「ごめん、なさい……また、こんなことに……」

「いいんだ、もう、何も言わなくていい……」

「レ、ヴェン……」


 戦闘の騒がしさが遠くに聞こえる。シユの声は限りなく小さくなっていくが、ここだけ切り離された空間のようだ。シユは手を伸ばし、泣きそうなレーヴェンの頬に指先で触れる。


「きっと、分かっている、とは思いますが……人の死は、乗り越えなくてはならない、ものです……」

「あぁ……」

「できること、なら……貴方の時間を、生きてほしい……」


 何もかも知っておきながらこんな願いは残酷だ。シユは自身に呆れて苦しげに笑った。しかし、今の自分だからこそ言える言葉もある。

 いよいよ力さえ入らなくなってきた彼女の手を、しっかりと握りこんだレーヴェンは最後の言葉まで聞き届けようと耳を澄ます。


「きっと私、は……いつまでも助からない……だから……」

「……」

「時間、を……大切に……ちゃんと、生きて……」


 無念に微笑んだ彼女の目から涙が溢れて落ちる。どれだけシユが彼の時間を生きるよう願っても、彼は終わらない旅を続けるだろう。また彼女の知らないところで苦しい思いをしながら。それを理解できなくなることへの無念でシユは悔しくなる。そんなシユの意識を引き戻したのはレーヴェンにより強く握られた手だった。


「それは……お前も一緒じゃないと」

「ふ……貴方という人は……ずるいです、よ──」

「シユ……! 待て! まだ──」


 砂時計の最期の一粒が落ちるように、命の灯火があるのならそれが静かに燃え尽きるように、シユから全ての力が抜け落ちる。

 もう、息絶えた。す、と彼女の目が閉じられようとしたその時、何かは分からないが、何かが起きた。あまりに不自然に、何もかもが停止したような。砂の一粒さえ動きを止める。


「──全く、妙な流れがあると来てみれば」

「……っ!?」


 何もない空間から溶け出るように、一人の男性が姿を現す。風に靡く黒いマントに後ろで結われたグレーの髪が揺れ、不可解に細められた瞳はシユを捉えた。異質でしかない男だ。現れ方はさることながら、出で立ちや纏う雰囲気までもが。

 唯一、動くことができるのはシユらしく、彼女は息をのみ目を見張る。


「確か君は……紫の天才と呼ばれていた娘か」

「あな、たは……」


 死ぬまでの、ほんの少しの時間が引き延ばされているようだ。苦しさだけは取り払われ自由に喋ることはできるが身体は怠く、動かすことが億劫になる。そんな彼女を見兼ねてか男は手を伸ばし、シユをいとも簡単に立ち上がらせてみせた。そして問いに対する答えを探すように唸る。


「私にも一応個体としての名はあるが、そうだな。君たちが狭間の番人と捉える者と言っておこう」

「狭間、の、番人……まさか……」


 シユは愕然とした。あんな一時の話だったとしても、彼女の中では根強く残った存在。あらゆることに干渉できること、架空であってもシユは探し出したいと思っていた人物であり、まさかこんな形で言葉を交わすことになろうとは思ってもみなかった。


「実在していて驚いたかな? ……あぁしかし、これはいけないな……大変にまずい」

「貴方はこのことを知っていたのですか?」

「それなりに前だったか……この少年なりに結論が出たのを見届けてから放ってしまったのがいけなかったな……未だに囚われたままだったとは」


 “囚われた”この言い回しにシユは眉を歪めた。深く考えなくてもその意味は理解できるが、理解しにいこうとするのが怖い。レーヴェンは、彼が始めた彼の旅に囚われているということであり、終わることができないと分かっていながら、終わりにできると足を止めないのだ。

 そう考えるのも永遠に続いてしまうと、シユは背筋に寒いものが走り、腕を掴んで首を振る。考えを散らすために。

 話の途中から背を向けていた番人は完全にではないが振り返る。


「結論から言おう、君はあの死期からは抜け出せない。そういう命運の下に生まれてしまったんだ」

「はい……彼からその話を聞いた時にはもう、そう思っていました」

「ふ……当事者の方が潔いとはね。それで、だ」


 番人は鋭く見定める目をシユに向けながら、今度こそ完全に彼女を振り向き、手を差し出した。


「君は、あの少年の終わらない旅を救う気はあるか」


 聞かれるまでもない問いだ。シユは一度面食らったが、試すようにゆるりと差し出されている番人の手を見つめると、覚悟のできた強い目を彼に向ける。


「その取引をしたいと思っていました」

「ふむ、ではそのために君は何を差し出すと言うんだ?」


 シユの手は番人ではなく、自身の首元に置かれた。最早何の迷いもなく、彼女はその言葉を口にする。


「私自身以外に何があると言うのですか」


 今度は番人が面食らう番だった。その表情の変化は乏しいものだったが、彼の眼は僅かに開いている。それもすぐに参ったという笑みに消えてしまうも、彼という人物でも人並みに感情や表情は動くらしい。


「確かに、この少年の行動は常軌を逸している。ここで終止符を打たねばと思ってはいたが……君もなかなか残酷な選択をする」

「もうこれしか、残されてはいないではないですか……」


 腕をきつく握ることで心の苦しさを確かな痛みに変換し和らげるも、シユの顔には暗い影が落ちる。何をしようとしているのか一番に理解できているからこそ苦しい。レーヴェンが積み重ねてきた全てを無に返そうとしているのだから。


「では、決まっているのら行こうか。君という人間の存在をこの世から掬い取る」

「……貴方にはそこまでの権限が?」

「ああ、あるとも。幾多ある世界の調和を保つことが私の仕事だからね」


 先程の取引の最中に下ろされていた手を再び上げる番人。シユはその手を取りに行き、自身の手を重ねようとしたところでふと、思いつく。彼がもしそこまでのことをできるのだとしたら、最期に何かを残すことくらい許されるのではないかと。


「──待ってください、番人」

「……怖気づいたか」

「いいえ、一つやっておきたいことがあります」


 引き留めるシユの目に怯えなど一つもなかったが、番人はわざとらしく煽り眉間に皺を寄せた。そんなことは絶対にできないという答えを聞くまでは一歩たりとも動かない。シユの手は番人の手を握ってしまっていたが、彼は次の動作には移らなかった。

 この少女は一体、彼を何と心得ているのか。番人は仕方ないと首を振る。


「私を何だと思っているんだ君は──手早く済ませてきなさい」

「ありがとうございます」


 おそらく指でも鳴らされたのだろう、ぱちんと小気味良い音が響いたかと思えば、シユは自室にいた。仲間と共に過ごした屋敷の、彼女に与えられた部屋。しかし、不気味な程静まり返っている。衣擦れの音さえよく響くような。今の彼女の身体状態と似たようなものだろう、確かに彼女の部屋ではあるが特殊な状態となっている。それを証明するかのように、窓の外は塗り潰されたような暗闇が広がっていた。


「……早く」


 シユは机に向かうと本が立てかけてある棚に手をかけ一冊ずつ見ていくが、便箋などというあつらえ向きなものはないと、適度な線の引かれたノートを丁寧に破り取る。そのまま椅子を引いて座り、ペンを走らせた。綴るべき内容など知れているが、伝えるべき相手には何もかもが伝わらなければならない。そして、もしもの時のため、誰が手に取っても問題がないような書き方にする。

 どうせこれは置き手紙であり、ただの手紙でもあるが一種の通知でもある。果ては遺書か。


 ふ、とペンを置いて溜め息を漏らす。手に取って読み返し、間違いがないとそれを四つ折りにしておく。次に最期になるならとシユはチャームに込められるありったけの魔力を残そうと集中し始める。これだけ静かであれば呼吸をする音の他ならばどんな小さな音でも聞き取れるだろう。左手を前に出し、力を抜いて、通常よりも多くの魔力を溜め込めるように加工のされたこのチャームに、限界まで魔力を注ぐ。加減こそ知らないがヒビが入る、入りそうな最初の音が合図だ。それが聞こえるまでは集中を続ける。

 不意に、軋むような音が鳴り、シユは目を開けた。


「こんなに濃くなるなんて……あとは……」


 他のチャームより何倍も濃く染まったチャームに目を見張るも、シユは部屋を見回しながらそのチャームを取り外す。手の平に転がるこんなにも小さな紫色の欠片が何になれるとも思えなかったが、どうせ死に行くならば、余る力を遺していくのもまた一つ。シユは折りたたんだ紙きれも手に取ると、タンスの上に置きっぱなしとなっていたジュエリーボックスの前に立った。

 蓋を開けてみても中身は空。アクセサリーの一つも欲しがらなかった彼女に対し、勿体無いと半ば怒られた思い出が蘇り、シユは懐かしそうに笑った。だが、それも今は好都合だったと割り切る。


「……来る時期に、ちゃんと見つけてもらえるように……届けて」


 紙きれと欠片を落とし、蓋を閉じる。そうして仕上げにまじないをかける。然るべき時期に、然るべき理由の下にこれが届けられるように──。


「──っ、番人……?」

「もう、やり残したことはないね」


 目を開けば元の場所。シユは何もないと分かっていながら後ろを向いた。あの部屋を振り返るように。しかし、広がっていたのは崩れ落ちた建物ばかり。ただ一つ、今のが夢ではなかったと証明できるのは、左手の親指にはめた指輪から繋がるチェーン、すぐそこにあったはずのチャームが消えていることだけだった。


「……もう、行くだけなので構いませんが……今この瞬間から私という存在が消えるのですか」

「いや、まず君にはここでちゃんと死んでもらう。そうでないと彼らが破綻してしまうからね」

「そうですよね……良かった……」


 シユは未だ停止したままの風景、仲間たちを見つめて、悲しそうではあったが肩を下げ安心したような表情を浮かべる。もう死に行くだけ、その先に何が待っているとも知らず、死ぬためだけに戻るというのに、彼女は落ち着き払っている。さすがの番人でも彼女はどこかずれていると思わざるを得なかった。


「さあ戻ろう、あの少年が次を行く時、君という人間は消える。」

「はい……それでは──」


 動き出す。空気さえ止まっていたのだと知らされた。

 既に身体は怠く、目を開けられる力も残されておらず、視界は暗い。自分の名前を呼ぶ声が遠くなる。最早、自分が呼ばれているのかも分からない。ただひたすらに暗い場所へと落ちて行く。

 今ここに、紫の天才は最期の死を遂げた。

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