追憶ノ16
この場で一人浮いたような出で立ち、困る程見慣れた笑顔には少しの鋭さがうかがえるような。悪寒が背筋を駆け抜ける。
「ロスフォル、様……」
「あいつか」
シユの顔が焦燥に歪んだ。彼女の前方にいたヴェルクは興味なさげだったが、敵と見なした彼の顔を確認するため見遣る。黒い髪に黒い瞳、一見人好きのする笑みはこの男の場合、行き過ぎているようにも見えた。底がなく、不気味。裏に持っている感情をひた隠しにするような笑みでもある。
広場の端と端、まだ身を守るための壁が近くにあることが幸運か、避けられない、避けるつもりもない戦闘に備えるのなら、ここから動く真似などできるはずがない。見たところ、彼がまだ単身でもだ。油断は禁物。
「驚いたよ、まさか君が町を出ていたなんてね」
「また町へ行かれたのですか?」
「ああ、それにしても、こんな場所にまで連れ回されているとは……お父様が心配するのではないかな?」
シユは一度目を閉じ大きく息を吐くと、気持ちを堪えるように眉根を寄せる。そして目を開いた彼女は前へと歩み出た。一番前にいたクィディーの、さらに前へ。その姿は微かな怯えも含むが凛としていた。
「父に、町の方々には手を出していませんよね」
「とんでもない! 君が悲しむことなんてできないさ」
「それは……ここにいる皆さんを傷つけることも同義だということを理解しておられるのですか」
彼が理解できていない彼女の心境。考えたくもないが、ロスフォルはシユを見ているようで見えていないのだろう。自分の解釈でしか彼女の周りを見ることができない。
その事実を諭すシユの内に秘められた静かな怒りが、彼女の語気から滲み出る。しかし、彼女の思いも虚しく、彼はただ哀れむように首を振るだけだった。
「ああ……それはいけないな、シユ。君は彼らに毒されているだけだ」
「何故、そう思うのです」
「大方、そこの男に唆されでもしたんだろう?」
腕を組み、片足に体重をかけ、ロスフォルはクィディーを顎でしゃくる。その表情は許し難く歪んでいた。シユは一歩後ろにいた彼を向き、すぐに正面に直る。言いたいことは同じらしかった。とんだ言いがかりも甚だしいと。
「違います、彼らはどの組織よりも言葉が少ないものでした」
「騙されてはいけないよ、君を手駒にするための一つの作戦かもしれない」
「それでも私は自らの意思で彼らを選んだのです」
紛れもない彼女自身の意思を、言葉を強くぶつける。何よりもの証明だ。しかし彼は冷静さを欠き、少々苛立った様子で頭を抱えた。シユは手に汗を握りながら唾を飲み込む。
「……君は、いつからそんな子になってしまったんだ? もっと聞き分けのいい子だったじゃないか」
「それは最初から、私が貴方の理想に適う人間ではなかっただけの話です」
誰にだって態度の差というものがある。時と場合、人によって。それは様々なかたちに変化する。
シユの場合、ロスフォルは一人の客人として失礼のないように接してきていただけであり、現在、仲間を巻き込んだ危機のためにそれを崩しただけである。
訴えかけるような彼を一蹴にも似たかたちで突き放したシユ。後悔はしていないが、ロスフォルが吐いたであろう溜め息に緊張を顕にせざるを得なくなった。
「これは早急に目を覚まさせてあげないといけないようだ……君は日々に刺激が欲しかっただけなのではないかな?」
「その理由が全くないわけではありませんので、それは認めます」
離れたところにいながらの対話だとしても、彼の雰囲気に変化が起きたのは目に見えていた。哀しみに低く落ちる声に、今にも手を上げそうな危うい空気。だがシユは退かずに留まり、対面を続ける。
そこへいい加減痺れを切らしたらしいクィディーが腕を盾にシユの前へと歩み出た。
「おいおい、家の奴をいじめてくれるなよ」
「……貴様か、全く名を吐くのも顔を見るのもおぞましい」
「は、嫌われたもんだ」
クィディーが加わったことでロスフォルの声はますます低くなり、機嫌が悪くなっていくのが感じられる。しかし、クィディーはクィディーのままだ。口元を愉快そうに歪め、楽しんでいるようにも見える。
「シユ、今からでも遅くはない。彼らから離れるんだ、早々に命を落とすことになるよ」
ふ、とシユは思わず鼻を鳴らすように笑ってしまった。正にこれからがそうなのだから。
そうと知りながら町を出た、それを知ったら自然と受け入れてしまった。受け入れることができてしまった。
態々こんな場所、こんな状況で忠告をしてくれた彼への無礼にもあたるが、シユは顔を上げた。恐怖の欠片もない意思の強い笑みを。
「それはそうですが、どうせ死ぬのなら私は、選んだ道で生を全うします」
初めて見せたに等しいだろう、彼女の勇んだ笑み。ここで死ぬことが確定していたとしても、後悔など微塵もしていないのだから。早くに命を落としてしまう道でも、己で選び、後悔の一つもなく全うできることの何が虚しいというのだろうか。
それでも彼はシユを引き剥がしたいらしい。やれやれと溜め息と共に目を瞑る。
「こうなっては仕方ない、手荒なことはしたくないが君の為だ」
ざ、とロスフォルが片手を上げたと同時、物陰から彼の配下らしい大勢が姿を見せる。簡単に言えばシユたちは囲まれた。だが、誰も狼狽えることはなく、ただ鋭く冷ややかな目で周りにどれだけの人数がいるのかと観察しながら互いに身を寄せ合う。クィディーに至っては相変わらず、楽し気な笑みを絶やさないままだったが、今回は相手を見下しているような笑みも含まれているか。
「はっ、舐められたもんだな。囲んだくらいで勝った気になるなよ」
「私もこれくらいで止められるとは思っていないよ。だが強がりは良くない」
「おいおい、家には優秀な盾と狙撃手がいるんだぜ?」
馬鹿にしたように崩された言葉が、一つも危機感を覚えていないその余裕の笑みや態度が、遠巻きの大勢はおろか、ロスフォルまでをもたじろがせるには十分であった。彼にも少なからず脅威に映ったらしく、目元に小さく反応を見せる。
クィディーはこの状況を仕掛けやすいと見ていたのだ。仲間が固まっており、外に向かって撃ち込むだけでいいと。多少なり困難はあるだろうが、それは相手も同じこと。取るに足ることではないと、その意図がロスフォルにも伝わっただけだった。
「まあいい、君を排除するというなら他の貴族も協力的でね。だが私は彼女を巻き込んで傷つけたくはなかったものだから今は任せてくれと言ってある」
「裏で手を回してたってか」
その他の貴族とて、シユの存在を知らない者はいないだろう。排除したい男の下に彼女がいる、だがもろとも殺してしまうのは惜しい。その利害の一致がロスフォル単独での行動を良しとしているのだろう。彼は誰よりもシユを傷つけないことにこだわり、危険な目に曝そうとするクィディーを激しく嫌悪している。何かと言いくるめて彼一人で動ける状況を作り上げたのだろう。
こちらからしてみれば、手を組まれなかったことが何よりの幸運だ。しかし、シユは彼の発言にクィディーの腕を軽く押し退ける。
「では始めから彼らを殺そうと……?」
「分かってくれ、シユ。私は君を危険な輩の下へ置きたくなかったんだよ」
話の通じねぇ野郎だ。クィディーは呆れて首を振る。シユも彼の一点張りには歯噛みをする他なかった。彼女の為と言い張りつつ、その実、彼女を理解しようともしないまま奪おうとしている。いつでも手の届く場所に置きたがっている。
「シユ、言ってやれ。お前の最大級でアレを拒絶しろ」
クィディーはシユの肩に手を置き、下がって行った。シユは頷きつつ、彼と入れ替わるように前へ歩み出る。今まで有耶無耶にしていたツケを払う感覚に近いというのだろうか、シユは自身が持ち得る限りでの拒絶を示すために心を落ち着ける。
「ロスフォル様、仮に貴方がここで彼らを全滅させたとしても、私は町に戻るだけですよ」
「それはいい! きっと誰もが安心してくれる」
「そしてこれはどなたに対しても言えることですが──」
心臓が早鐘を打つ。次の言葉で何が変わるとも思えないが、先に出した発言により彼に希望のような光を見せてしまった。上げて叩き落とすようなものだ、シユは覚悟を決めてロスフォルの目を見据える。震える息を整え、ただ一つの結論を。
「私は、私の判断で貴方を選ばなかった。ただそれだけです」
それが合図だったのだろう、クィディーたちが一斉に動いた。囲む相手に向けて飛んだ大量の閃光により、前方に構えていた多数が倒れる。とんだ不意打ちだ。そのため一度きりしか通用しないが、敵を大きく崩し、足場を整えることには成功した。
ロスフォルが立つ側の反対、そちらの勢力は今の不意打ちで無力化、殲滅できたと言っていいだろう。ついでに側面と正面、こちらは半分落としたか落としていないかだ。
そして素早く建物の陰に身を隠す。
「全く、小癪な真似をしてくれたものだな……」
冷たい顔が垣間見えたか、ロスフォルは背を向けて引き返して行く。あまりに無防備で狙いやすい背中、だが誰も手を出さなかった。どうせ今狙ったとしても防がれてしまうだろうと。
「テリス、行けるか?」
「うん、任せて」
通路を挟み、ディスタ、ヴェルク、ラジョラ、レーヴェン。向かいにクィディー、テリス、ウェイニー、シユは引っ張られるように二手に分かれた。そこで最初の仕事とばかりにテリスを向かわせようとするクィディー。テリスは軽く手足を振ると悪餓鬼のような小憎たらしい表情を浮かべ、行ってくると一言残し、後方へと用心深く駆けて行った。まずは一つ。
クィディーは向かいのディスタに目配せをし頷き合う。おそらくは前方の敵も崩壊した建物の陰に身を潜めていることだろう。次にそこを叩き崩す。
「こんなんじゃ話を聞いてないってだけじゃ済まされないでしょうね」
「それは置いておけ、頼むぞ? ここから崩していくんだ」
ウェイニーはあの大勢の配下を気にして言ったのだろう、その顔には同情のような苦笑いが張り付いていた。先に綿密な情報が渡されていたとしても、それを面と向かって活かせなければ意味がない。その中でも半数が倒れた可能性のあるこの体たらく。
そこへ更なる追い打ちをかける。周りを崩すだけ崩して親を叩く、ここからが本番だ。テリスが向かった後方で、断末魔の悲鳴が上がった。




