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「一時間しか寝てなかったなんて……!」
「それだけ休めたら十分ですって」
怒りながらも卵焼きを口に放り込んだイユリ。
学校だというのに緑であふれ、豪邸の庭かとも思うほどに整備された中庭。晴れていれば日当たりもいいことから、昼食時には人気の場所だ。
今日は運が良かったか悪かったのか、イユリがシユと昼食を摂ると決めていた日であり、結局最初の一時間しか休まなかったシユは怒られている。
「まあいいか……それより新しい人が来たみたいでさ」
「新しい……?」
「そう、変な時期だなーって。何の区切りでもないのに」
それを言えばシユも、その変な時期に通い始めたのだが。
「三年生みたいで、アシュウ兄さんがわざわざ見に行ってきて……」
「はぁ……」
「白髪のロン毛だった、って……」
手を止めて若干顔に影を落としながら言い放ったイユリに、シユも固まった。二人の思うところは同じ、きっとアシュウの捉え方がおかしい、と。
「それは……白髪と受け取るべきでしょうか」
「絶対そうだと思う」
箸の先を噛むイユリ。
きっと、イユリもどんな人物かは気になっていることだろう。しかし、違う学年の教室まで見に行く勇気まではないのか、単にそこまでしてまで確認したいとも思わないのか。
「シユちゃんはもしかしたら会えるかもしれないね」
「そうですね、流石に意識して探そうとは思いませんが」
「私もその間に見かけるくらいするかもしれないし!」
それを想像したのか、楽しそうに笑い声を漏らすイユリ。
短い束の間の休憩時間をとりとめのない話をして過ごし、一層気合いを入れなければならない午後に備え、教室に戻る。
今日も一日の終わりを知らせるチャイムが鳴り、教室には疲れた溜め息がここぞとばかりに聞こえてくる。その中にはこれからの時間に対する楽しみの声も混ざっていた。
午後は眩暈を起こすことなく集中することができたシユは教室を出て、待っているであろう人たちの元へ急ぐ。昼の別れ際、イユリから午後も無理をしないこと、帰りも一緒だから、と怒涛のように宣言されていたからだ。
「っう……」
手すりを頼りに、次の階段を下りようと足を出したところでの眩暈だった。頭の後ろが沈むような、強烈で重たい眩暈。
足が階段を踏み外す。──滑り落ちる。シユは来る衝撃に備え、目を瞑った。
──が、痛みはなく、代わりに右腕を痛いくらいに掴まれていた。そのおかげか、シユは落ちずに済んでいる。
「大丈夫か……?」
聞いたことのない声だった。けれど、心地良く馴染む低い声。
「はい、ありがとうございます……」
シユはしっかりと足元を確認してから彼を振り仰ぐ。彼も、しっかりとシユが立ったのを見て手を離した。
無造作にはねる白い髪。後ろでくくってあるのか、はねている毛先が肩越しに見えている。透き通るような水色の瞳は目を引いた。
「よかった、──怪我がなくて」
「っあなた、は……」
何か別のことを言いかけたのか一瞬詰まったような彼に、シユは首を傾げようとする。が、心から安心したようなその表情、彼の口元から覗いたものに怯み、二、三段距離をおいてしまった。
彼ら一家と同じそれは。
「──シユ」
下からの制止にもとれる声に、シユはそちらを振り向く。
廊下に近い場所にカイルが立っていた。一切の行動も許さないというような鋭い目。ここまでの目は見たことがない。
「カイル……」
「帰るぞ、あいつらが怒ってる」
「……はい」
シユは騒ぐ心臓を落ち着けたいがために足早に階段を下りたところで止まり、一回短く息を吐いて駆け下りた。
待っていたカイルが背を向けて歩き出してから、シユは助けてくれた彼を振り向く。まだ同じところにいたようで、シユは頭を下げてからカイルの後を追った。
「くそっ……」
残された彼は壁に寄り、拳の側面を叩きつける。表情は苦し気で、呼吸も若干乱れていた。
「──ああ、シユと接触できた」
彼にしか聞こえない声に反応したのか、左手を口元に持ってきて返事をする。
「歯を見られたのか、ひどく怯えられたけどな……」
「……! ……!?」
「大丈夫だ、必ず何とかしてみせる」
彼が応答している左手、その人差し指には、シユとは違う色の石がはめこまれた全く同じ彫刻の施された指輪がはめられていた。
らしくなく部屋のドアを音を立てて閉める。
一息ついて首にかけていたチェーンを外し、指輪に戻してまた一息。
帰り道はずっと上の空であり、イユリにはまだ具合が悪いのかと心配される始末。先程のを一部始終でも見ていたのか、カイルも珍しく思案顔だった。
こうして同じ家で暮らしているというのに、第三者として突然現れるとこんなに恐怖するものなのかと。
「失礼、だったよね……絶対……」
もしかしたら、でもなく。怪我をしていたであろう状況を助けてもらったというのに、見た目の判断だけで恐怖を覚えてしまい、呼ばれるままに立ち去ったこと。礼の言葉一つ言えていない。
できるだけ早く謝りたい、シユはそう決め、握りしめた手を額に押し当てた。




