追憶ノ13
「そう、ですか」
諦めるわけでもなく、哀しんだ様子でもない、ただ納得し受け入れたシユ。レーヴェンはその静かな声を聞いて落ち着くことができたのか、今度は臆することなく彼女と目を合わせた。
「ごめんなさい、ノックしても返事がなかったので立ち聞きしてしまったも同然なんです……」
「俺も注意が足らなかった……今になってどうして……」
そうして、互いに非があったと謝罪をする。レーヴェンは広げてあった本を閉じた。馴染みのある装丁の施された分厚い本。ここにいる子供であるなら持っているであろう、手製の本だ。しかし、彼のそれは何倍にも分厚い。
「その本は……」
「ああ、そうだ。俺がずっとずっと前にあいつからもらったもの──少し、話でもするか?」
シユはただ頷いた。彼の作業机の前、促された椅子へと腰を下ろす。心なしか距離が空いているのは先程の言葉も関係しているか、彼女は置かれていた本へと視線を移した。その近くには紫色に煌めく砂が入れられた砂時計が。あと少しもすれば全ての砂が落ちるだろう。
「……落ち着いてるんだな」
「──はい? ……あぁ、そう、ですね……言われるだけでは何とも」
病に侵されているのでもなく健康体。そんな中で死を宣告されたとしても実感など湧くはずもない。シユは膝の上で重ねた手をぼんやりと眺める。それでも気にかかることはあった。彼は何故そんな結末を知っているのか。
「視えるのですか? 先に起こることが」
「いや……先のことなんかこれっぽっちも分からない。ただ、何度も経験してるだけだ」
「経、験……?」
たったそれだけの何でもない言葉が恐ろしく胸に落ちてくる。レーヴェンの手が乗せられた本、中には手書きの文字がこれでもかと綴られていた。彼はそれを読みながら悲壮の叫び声を上げたのだ。
「これ、分かるだろ? クィディーが渡す本だ」
「はい、けれど厚さが全然違います、よね……?」
「ああ、改造して使ってるんだ。ページは後から増やしてここまで来て……は、あいつに知れたら半殺しにされるだろうな」
彼は鼻で笑うが、上手く笑いきれていない。どうにも気分の沈みを引きずっているようだ。当たり前のことだが、これからしようとしている話に、さらに重たくなっているようにも見える。彼は深く息を吐き、準備を整えたらしくシユの目をしっかりと見据えた。
「ここには、お前と他全員を巡る記録が入ってる」
「……他の皆さんも死んでしまうのですか?」
他全員分の記録。シユは自分の死以外にも記録があると、苦しさに眉を歪める。
レーヴェンはいいや、と首を振り、ちらりと砂時計に目を向けた。そのまま一度目を閉じ、遠い日を思い出すような虚ろな雰囲気を見せる。
「死ぬのはお前だけなんだ、その後俺たちがちょっと不仲になる。それだけだ」
自嘲気味、そんな表現が一番相応しい笑い方をしたレーヴェン。端から聞けば酷い冗談も言い合える彼らがそんな関係になってしまうのかと信じられないシユは、先程の彼のように悲しみを顕にする。
「私の死が関係して……?」
「ああ、どうしても変わらないってのは残酷だよな……」
閉じた本の中を透かして読んでいるかのような彼の瞳。どうにもならないという絶望にも似た表情、今にも涙が零れ落ちてきそうだ。
「どうしたら……」
「ちゃんと説明はしてやりたいんだが、きっと詰まるだろうな……かと言ってこれを読むのは勧められない」
「けれど当事者である私が少しでも事情を知っていれば……!」
「いや、そうじゃないんだ……お前なら全部知りたがるとは思った、けどこれは俺がただ記録をつけただけの見づらい文ばかりなんだ」
地味に主張の食い違う二人。シユは自分が死ぬことよりも仲間に不和が生まれることを何よりも恐れている。そしてレーヴェンは、彼女が事実を知ればその詳細を全て知りたがることを見越していた。だが、一から説明するには複雑に入り組み、且つ長すぎる話なのだ。それに、彼女にとっては恐れていること以上に恐ろしく、耐え難い真実になるだろう。
軽い言い合いになっていた二人は、レーヴェンが一瞬の迷いを見せたことにより言葉を止める。彼は本とシユとを見比べると決断したように息を吐いた。
「視て、みるか……?」
「私が見てもいいのなら、是非」
「……分かった、お前にとってはきっとずっと、何よりも辛いものになるかもな。……耐えられないくらい」
「構いません、きっとこれは知っておかなければならない気がしますので」
彼女の決意は固く強かった。言い出した彼の方に迷いがあると見えるくらいには。
レーヴェンは本を手に取り、神妙な面持ちで中を流し見ると最後のページで動きを止めた。
「ここには文字しかない、でも逐一記録し続けた俺の記憶も入ってる。最後の記録まで止まらないが耐えてくれ」
「はい」
レーヴェンは右手中指の指輪をシユの額の前に出すと軽く接触させる。発光した石の眩しさにシユは目を閉じたがすぐに開き、光を湛えたまま下げられる彼の指輪を目で追った。その目には一つの迷いもなく、次に掲げられた本の裏表紙と彼の目をしっかりと見つめる。
「とにかく落ち着いてくれ──いくぞ」
シユは大きく深呼吸を一回。肩から力を抜き、目を閉じて頷く。
用意は整った彼女の前、レーヴェンは見られていないことで躊躇った。先程指輪を接触させた彼女の額、本を乗せようかと一旦手を止めた。しかし、彼女の固い決意をふいにすることなどできるはずもない。
レーヴェンはシユの額に本の背表紙を当て、そのまま支える。彼女の閉じられた目、眉が小さく反応を見せた。“始まった”ようだ。これからシユは、彼の巡った膨大な時間を旅することになる。レーヴェンは情けないと首を振り、俯きながら何度目かの溜め息を吐いた。
それは死から始まった。腹部に重症を負い、息絶えた私──シユから。
彼女がいなくなったことによりそれまでの脅威は去った。次第に悲哀も薄れていくが、彼女が存在していた名残は消えることはなかった。再びやってきた元の脅威。交戦において些細なミスでも対処できていた彼女の能力が消えたことにより、若干の亀裂が生まれ始める。元からそうだった、理解はできるが一度の快適は甘さになったか。
“俺たちはこんなにも脆かったのか、弱かったのか”
そうして心を落ち着けたい、頭を冷やしたいと数日家を空ける者が出てきた。それで以前のようにとまではいかないが、若干の空気は良くなる。しかしそれでも空いた穴は大きく、埋めることは難しかった。
だから俺は──レーヴェンは思い立った魔法具を作製した。決して手を出してはいけない代物だと理解していながら、どうしても手を止めることはできなかったのだ。
数年とかけて完成したのは、時を遡る懐中時計とシユの死を計る砂時計。
始めは彼女に起こり得る出来事や死を招く障害を排除することしか考えていなかった。
不得手な魔法の手助けから始まり、よく目をかけ話を聞くなど、日々の中でできる小さなこと。本来なら最初の交戦で彼女は相手を殺してしまう。それを避けるために彼は立ち回りそれを起こさせないようにするが、結果的にそれは不可能となる。どう足掻いても“今回”と同じように回避はできない。
それこそ元凶であるロスフォル・ディアティニスを排除してしまえばいいのだが、また別の脅威が現れるため、意味がなくなる。
それならば彼女をこの流れから遠ざけてしまえばいい。そのためには自分も彼らとの接触を絶つことになるが、レーヴェンは幼少時代に我が儘を通し、シユの住む町に移り住むこともあった。そうして彼女と彼らが共に歩まない関係を作る。良き友人として彼女と接し、考えさせるのだ。この時の彼女は町を出ない気の方が強く出ているらしい。
それで安心かと思えば、今度は全く別の理由で死ぬことになる。これは悲惨だ、惨すぎる。周りの人間を巻き込んだ死を招いてしまう。
再生される映像で見れば大したことではなく見えてしまうのが残酷だ。しかし、一つを変えればその先も変わっていく。これはどんなに小さな出来事でも逐一記録し続けた彼の奮闘記だ。
一つを変え、一つを越え、一つが終わり。対応できずに過ぎた一つの時間。その終わりは必ず彼女の死。
諦めかけてその後の不和の解消に奔走したこともあった。しかしそれも変わることはない。
そうして何度も、何度も彼女の死を看取り、戻っては些細な一つでも変え続けた時間の旅。そうしてここまで来てしまった。
彼女の死は絶対だ。決して動かすことのできない運命。固定された死。
そうして何度も巡り、彼が見つけ設定した彼女の死期がある。
“現在”身をおいている時間、順番で言うと次だ。待っているのはロスフォル・ディアティニスその人。激しい戦闘になり、彼女はそこで命を落とすことになる。
ここで救わなければ後がない。だが救えない。何をどう変えても彼女の死は確定されている。
どうすれば、どうしたら、シユもあいつらも笑える平穏な時間が生まれるのか。
考え、最善を選び取るが何度巡っても終わらない結末。救われる道などないのかもしれない。これは最初から決定していたことなのだろう。抗っても嘲笑われるだけだ。もういっそ結論づけて諦めてしまおうか。いいや、できるはずがない。いつか終わりにできることを信じて巡るしかない。初めてしまった旅を放り投げることなどできるわけがない。だから、もう一度、もう一度だ。
きっと、救ってみせる──。
絶え間なく切り替わり、頭を支配していた映像が途切れる。
瞬間、シユは大きく息を吸い、苦しさに激しい呼吸を繰り返していることで戻ってきたのだと理解した。いつの間にか頬を濡らしていた涙の最後が落ちる。
「大丈夫か」
そんな彼女の肩を支え覗きこんだレーヴェン。打って変わり静かな声はシユの胸を締め付け、彼女は肩を支える彼の腕を掴んだ。
「一体……一体、どれだけの時間を……貴方は……!」
切れ切れに紡がれる言葉は悲痛に悲哀に、微かな怒りにと震える。レーヴェンはゆっくりと目を逸らすと、どこか虚空を見つめて諦めたように笑みをこぼした。
「さあな、そんなの最初から数えてなかった」
「っ、では……」
「人の一生分、何回かは巡ったんじゃないか?」
言葉をなくす。気力が抜け落ちたようでも笑みを湛えた返答だったからだ。しかも、時間を思い出せない自身に対しての嘲りにも聞こえてしまったから。彼は気に留めていないようだが、その単位は恐ろしいものだろう。
「どうして……そこまで……」
「……俺も言うほど訳があるってわけじゃないんだけどな、多分ここが好きだからだ」
いつだって理由は簡潔だ。彼もそんな小さな理由でここまでの大事を成し、繰り返している。そして、記録もこちら側での流れが圧倒的に多かった。
「って、これだけ聞くと俺の個人的な行動に見えるな……でもお前の意思を尊重して動いてはいるんだ」
「何と、言ったらいいのか……」
「確かにな、変えられていく自分の行動を見るのはいい気分じゃないよな」
全てを知られ、共有できたことで彼は吹っ切れたのだろう、表情や喋りに余裕が見え始める。シユは言葉に詰まりはしたが、彼の言わんとしていることは理解できていた。今の今まで、それを“視て”いたのだから。
「この道が最初だったってのもある。それに、町に残った時よりもずっと、こっちの方がお前の負担も少ないって分かったからな」
「はい、それは何となく分かりました」
「それならいいんだ、でもここからだな……」
レーヴェンは本を開き眉間に皺を寄せる。現在、完全に新しい時間を進んでいるからだ。この先は何が起きても不思議ではないが、彼の中には言いようのない不安が渦巻いていた。
記録の流れそのものなのだが、つきまとう違和感。その正体が分からない。




