表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/62

追憶ノ11

「はぁ~あ! ちょっと気分も温まってきたんじゃない?」


 一面が白い湯気に覆われた浴室、たっぷりと縁まで入れられた湯は乳白色に染まっていた。この屋敷に住まう全員が一度に入っても余裕のある浴槽で今、ウェイニーは盛大に伸びをする。その近くもなく遠くもない距離で湯に浸かっていたシユは、天井へと伸ばされた腕を見上げ、ただその一言を肯定した。

 濃く漂う湯気にすぐ隣にある顔の表情がよく見ることができない。だが、それが不思議にも気分を落ち着かせる。やや熱めの湯がどこまでも沁みわたるようで、身体全体に圧し掛かる重みも取り払われていくようだった。


 ほんの数分前だ。意を決したウェイニーがシユを訪れたのは。慰めや気休めの言葉をかけるわけでもなく、ただ一緒にお風呂に入ろうという誘いだった。他の目的がない、と言えば嘘になるが。ともかく、ウェイニーは気乗りしないシユを何とか説得し、引きずるように連れて来た、というわけだ。


「まぁアレよね、裸の付き合い、って言うんだっけ? よく見えないこの状態ならいろいろ話せるかなって」

「ごめんなさい……早くどうにかして立ち直らなければと思っていたのですが……」

「いいのよ、あたしだって話しづらいこと話せるチャンスだもの」


 シユは思わず隣のウェイニーに顔を向けた。細かい表情まで拝むこともできないのだが。

 いつも聞いている彼女の声より、トーンの下がった落ち着いた声。雰囲気がまるで違う、内側に秘めたものを吐露するための真面目な声音。

 彼女は本当に腹を割って話すつもりのようだ。


「変なこと聞くようだけど、シユはどうしてここに来たの?」

「どうして、ですか……」

「ほら、あの時お見送りしてシユの頭を撫でてくれてたのってお父さん? じゃないの?」

「はい、父ですが……」


 シユが歯切れ悪くなったのはやや返答に困ったからだ。今のウェイニーの口ぶりでは人物が合致していない時のそれと同じ意味に聞こえてしまう。

 シユの父は間違いなく実の父なのだから。


「あの人、本当にシユのこと大事に見えたから、無理に出てこなくても良かったんじゃないかって思っちゃって」

「そうですね……父はずっと居ていいと言ってくれました……でもそれと同じく、後悔してほしくないとも」

「そっか、やっぱりそれが誰でも一番になるのね」


 今度は実感の込められた声だった。経験あるものとないものの差が滲み出る。

 ウェイニーは先程のことに対してか、酷いこと言ってごめんなさい、と頭を下げる影が動いた。


「あたしさぁ、気が付いたら一人で銃を抱えて生きてたものだから、実感ないのよね。お父さんとかお母さんとか」

「それは……」

「ふふ、言いにくいこと言わなくていいから、とりあえず最後まで聞いてくれる?」


 縁に寄りかかり、頭を乗せて天井を仰ぎ見る。ウェイニーはその体勢で笑いづらそうにシユを気遣った。気遣う、というよりは自分の過去について全く気にしてもいないように聞こえる。


「そうね、多分紛争とかが絶えない地域だったのよ、あたしがいた場所。自分以外みーんな敵で、生きる手段は殺すことでしかなかったわけ」


 湯気越しでも分かる、彼女は真っ直ぐ曇りない瞳で天井を見上げている。遠い昔、掲げた手に場所を重ねて思い出すように。単調にそれだけを語ると、彼女は転がすように喉を鳴らした。


「でもそれが幸運だったのよ、クィディーに見つけてもらえた」

「彼はそんな場所にまで……?」

「そうよ、あいつったらぺらっぺらの服で歩き回ってたんだもの。頭おかしいんじゃないかって思ったわ。銃声とか銃弾なんて数えきれないほど飛んでた場所なのに」


 幸運で不審で、面白かった。ウェイニーは話に熱が入ってきたのか、シユの方へ身を乗り出し、顔を近づける。それもすぐに引くが、気が付けばいつもの調子に戻っているようだ。


「まあクィディーのことは置いといて……その時のあたし、ただの銃と弾に魔力を乗せて撃ってたらしくて……全く自覚なかったけど」

「……」

「後で聞いたんだけど敵を撒くためにそこに来てたらしいのよ、あいつ。で、そこで面白い線が飛んでたからついでに追ってみたって」


 馬鹿よね。ウェイニーは今に至る奇跡をその一言で片付けた。今思えば、という考えなのかもしれないが、現在こうして安定した生活を送れていることも影響しているのかもしれない。


「当然敵だって、殺そうとしたんだけど銃弾全部焼かれちゃって……あたしもここで終わりかなって思ってたら手を出してきたの」


 何て言ったと思う?

 ウェイニーは可愛らしく首を傾げてみせた。シユは考えることもせずにただ首を横に振り、続きを促す。


「ここでただ死んで行くか、俺のところに来て生きてみた挙句に死ぬか、後悔しなさそうな方を選べ、って。どんだけ悪い奴の台詞なのって感じだけど忘れられないわ」


 そしてすぐさまその手を取った。当時と重ねるように彼女は右手を強く握りしめる。あの瞬間から彼女は救われ、こうして仲間たちと面白可笑しく日々を過ごしている。


「彼は恩人なんですね」

「そういう訳アリを拾ってたみたいだけどね」


 この一連を聞いてみれば、彼女が最初に疑問として投げかけてきた理由は明白だ。他の仲間の境遇も似たようなものなのだろう、その中でシユは家族に大切にされていながら、危険なここへとやってきた。断ることだってできたはず、というウェイニーの疑問はそこだろう。


「それで、シユはどうしてあたしたちのところに来たの?」


 話、質問を蒸し返す。ウェイニーは悪戯をしようとする一歩手前のような笑い声を出した。純粋に気になっていたことであり、次はシユの番だということか。


「……他の方々とは違った、というのもあったんです……けど、皆さん本当に自由で生き生きしているように見えたから、と言えばいいのでしょうか」

「まぁ理由なんてそんなものよねぇ、他人ばっかり壮大な理由を期待しちゃってるってね」


 続く、同じような環境から脱出したかった、異なる環境にて楽しげに笑う人が半ば羨ましかった。一歩踏み出す勇気になるのはそんな些細なことでしかない。他人が聞けばそんな理由で、と笑われてしまいそうだが、本人にとってはそれが切実な理由となる。

 シユはもう一つ、後ろめたい気持ちもあったことを付け加えようと口を開いた。本当に何もかも打ち明けられる気分だと。自然と言葉を発してみようと思える。


「……期待する、町の人々から離れたいという思いもあったと思います」


 度重なる重圧。巨大な組織からの勧誘、旅立つ期待の目。どこまでも気乗りしないと、断る度に馴染んだ町人を落胆させてしまう、それが苦しかった。これは彼女なりの一種の反抗だったのかもしれない。

 日々に刺激を求めたか、或いは二度とないかもしれない、行ってみたいと思えた人々のところに逃げ道を作ってしまったか。シユは自嘲気味な笑みを浮かべる。


「ふふっ、シユも一癖抱えてたのね」

「それは、そうですよ……私は期待されるような人間ではないんです、全然」

「いいんじゃない? ここには一癖抱えてる奴ら多いわよ~?」


 誰もが持っている一面だと、笑い飛ばしてくれたことがシユにとっては一つの救いになった。その一面を抱える人間が集っていると肯定される、ややふざけた言い方だったのが彼女の心を解し、笑みを引き出す。ウェイニーは気付いたが口には出さなかった。


「どう? いろいろ温まった?」

「そう、ですね、ありがとうございます。気を遣わせてしまったみたいで申し訳ないですけど……」

「いいのよ、ちょっとでもシユと話したかっただけだから。また冷えちゃうかもしれないけどさ、シユはきっとそういう質なのよ」


 悪いことじゃないわ。ウェイニーはシユの頬を掴んで引っ張り、自分も思いきり歯を見せて笑う。突然の行動に彼女は驚き目を見開いたが、つられて微笑みを見せた。


「また一緒にご飯食べましょうよ」

「そうですね、余ったら困らせてしまいます」


 よし、とウェイニーは勢いよく立ち上がる。何て堂々とした仁王立ちか。シユは呆気にとられてその背中を見上げるしかなかった。


「うん、今日は冷めないうちに眠っちゃうといいわ」


 一人納得したように頷き、シユを見下ろして笑ったウェイニーはそのまま浴槽を出て行こうと歩き出した。シユも一拍置いてから立ち上がり、言われるままこの温かさが冷めてしまう前にベッドに潜った方がいいかと考えを巡らせる。自ら冷ますなど、無意味なことはせずに。




 控えめにドアがノックされた。眠る前にと髪を熔かしていたシユは臆することなく素直に出て行く。


「レーヴェン?」

「良かった、出てくれて──顔色、良くなったか?」

「そう見えるなら嬉しいです、ウェイニーと少し話をしまして」

「変なこと言われなかったか?」


 部屋に通されたことにより、調子が戻ってきたと安心したらしいレーヴェンは軽い冗談を交える。シユもそれに応えたのか、ちょっとした昔話をしただけだとドアを閉めて彼と向き合った。

 先程冗談を言ったとは思えない程、真剣な表情がそこにはあった。


「こんなこと、言ってもいいかと迷ってはいたんだ。けど今の顔を見てると平気な気がしてくる」

「何、でしょう……」


 少し、恐怖心が蘇ってくる。シユは暗い気持ちが心に湧いてきているのを悟られないようにと、後ろから片方の腕を掴んだ。

 彼の振り絞った覚悟を前に、聞かないという選択肢などあり得なかった。落ち着けるように一度、固く目を瞑ったレーヴェンの言葉を待つ。


「ありがとう、それを言いたかったんだ」


 シユの目が大きく見開かれる。しかし、眉は悲痛に歪んでいた。自分にはその言葉を言われる資格などないと。見方によっては、彼の言葉は残酷でもある。どんな形であれ、他人を殺めた事実が自身を苛み続ける彼女と、それによって救われた彼。


「お前が庇ってくれなかったら、俺は死んでいた……それは、分かってくれるよな?」

「……はい」

「俺は突然の対処がどうしても遅れる、そういう質らしいんだ。どうしてもそれだけは改善できない、できなかったんだ」


 持って生まれた性質のようなもの。どれだけ鍛錬を重ねようが、どれだけ足掻いてみせようが埋められない能力。戦闘の場において、それは何よりもの命取りになる。彼は、自身の最悪ともいえる短所を自覚しているからこそ、誰よりも神経を張り巡らし、人一倍余裕を持たせて立ち回らねばならない。だが、それがどうにもままならない時の方が圧倒的に多いのだ。今回の件がそうであるように。


「でも俺はこんなところで死んでいる場合ではないんだ。どれだけ残酷でも、お前があの時庇ってくれたことに、俺はありがとうと言いたい」


 表情を失くした、開かれただけの彼女の瞳から涙が零れ落ちる。せめぎ合う感情が涙となり、言葉の代わりに滑り落ちていった。


「本当なら俺が、俺たちが守ってやらないといけなかったのにな」


 自分を責めるような笑みを浮かべ歩み寄ってくる彼の前、シユは下を向いて顔を覆い、ただ首を横に振り続けた。未だに言葉を挟める余裕が出てこない。たまらず膝をついて座り込んでしまう。


「いいえ、いいえ……分かっていなかったんです、私が……こんなことになるかもしれないという覚悟が足りていなかったんです……!」

「ああ」

「乗り越えなければいけない壁だというのは理解できています、けど……」


 あの時掻き消えた何もかもが頭から離れない。シユはこめかみ周辺の髪を握り潰す。

 果たして乗り越えていいものなのだろうか、一生背負うべきことなのではないかと。決して忘れ去っていい出来事ではない。

 レーヴェンはシユの後ろに回り込み、背中合わせに一緒に座る。


「確かに、殺した事実は消えない。けど守ったという事実も忘れないでほしい」

「守、った……」

「これを機に、って言うのも酷い話だ。それでも新しい技を編み出してみたらどうだと思ってな」


 すぐ隣にはいるが顔は見えない、また同じ環境での話し合いだ。後ろから聞こえてくる声にシユは反射で彼を向こうとして、止める。レーヴェンは何もない、ドアがあるだけの壁から目を動かすことなく、ただ助言を与えるだけだ。


「何も殺す威力じゃない、ちょっと痛いだけの行動不能にさせる方法なんてな」

「……考えて、みます」


 縋るように膝を立て抱えたシユは一層身体を縮めるように小さくなる。何故か、目の前を覆っていた靄が晴れそうな、たった今思いを振り切って新しい一歩が踏み出せそうな感覚がやってくる。

 シユは彼の名を強く呼び、立ち上がった。


「ありがとうございます、もう少し時間があれば考えが変わるかもしれません」

「そうか」

「私はこの事を忘れません、一生胸に留めたままだと思います。だからこそ、恐れないための方法を考えます」


 立ち上がった彼女の様子見をしていたレーヴェンも立ち上がり、肩の荷が下りたような笑みを見せた。そうして一度頭を下げたシユは強がりを混ぜた、意思の強い表情で気持ちを奮い立たせているらしかった。それからふっと、参ったように表情を綻ばせ、精一杯笑ってみせる。


「……明日、皆さんと一緒に食卓に並んでみようと思います」

「それは全員喜ぶだろうな、でも無理はするなよ?」

「はい、ですがこれも日常に戻るための大切な一つですから」


 きっと、こうしている間にも状況は悪くなっていっているかもしれない。重要な話もあることだろう。全ては自分がここに来たから起こったこと、シユは一刻も早く気持ちを切り替えなければと窓の外を見上げた。

 目先のことに囚われてはならないと、今強くそう思えた。そのずっと先、そう遠くはならないだろう最後に、対峙しなければならないのは自分だと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ