追憶ノ2
笑顔もあれば涙もある。
笑顔は晴れやかなものから悲しみを堪えるもの、涙は嬉しさから流れるものもあれば心の底から悲しんだものもあった。
そんな一人一人を見渡せば忙しく変化する感情の中、シユは最低限の物が入ったバッグを手に、見送りの町人たちの前に立っていた。
「やめておきなって言ったじゃないか」
「ごめんなさい、でも楽しそうだと思ってしまったので」
「……お前がそう言うなら止めたくはないけどねぇ」
管理人の彼女がシユの前で腕を組み、心配からの静かな怒りをあらわにする。シユも心からの謝罪ではなく笑顔を見せたため、管理人の彼女は溜め息混じりにやれやれと首を振るしかなかった。
あれからシユは行くことを決めた。せっかくついて行きたいと思える人たちに会うことができたのだからと、機会を潰したくなかったからだ。それを父に伝えたところで、彼は別段驚くこともなくただ受け入れた。
「嫌気がさしたらいつでも帰っておいで」
「ふふ、行く時から戻ってくる話をするの?」
「いつでも待ってるってことだよ」
父親はシユの頭を撫でながら微笑んで目を閉じる。最初の一言で可笑しそうに笑った娘の顔をしっかりと焼きるけるように。
「楽しく過ごせるといいな」
「うん」
「じゃあ、行っておいで」
頷いたシユは行ってきます、と彼らが待つ町の入り口へと向かって行った。最後に振り返った彼女は大きく手を振って一礼する。笑顔で背を向けた彼女に、町人たちは思い思いの言葉を贈り、早速ウェイニーとテリスに飛びつかれた楽しげな姿を見送った。
シユが住んでいた町は酷寒の地と言っても過言ではない場所。一方彼らの拠点は静かで穏やかな気候の地域にあるらしい。道のりは果てしないものだ。
けれど彼らは魔法の腕が立つ者ばかりなことから、退屈な地域はとばして進んで行くことになっていた。地点を決めて行う転移のようなもの。気まぐれに歩き、地域を渡り歩きながら拠点までの道を行く。
シユは普段から動き回ることなどしていなかったため、疲労を凄まじく感じていた。
「そういえば……拠点に残っている方もいらっしゃるのですか?」
「いるよ、ウェイニーが一回名前出したけど、ラジョラっていうんだ」
「あと忘れちゃいけないもう一人!」
もう拠点に近いのではないかと思える程、緑豊かで暖かな地点。出発時から両隣にはりついたままだったウェイニーとテリスの二人。ふとしたシユの質問にテリスが答えるも、食い気味にウェイニーが次の言葉を被せてくる。疲れを知らないのか、シユの前に躍り出ると笑顔に頬を染めた。
「あたしの大好きな射撃の先生、ディスタ!」
「ウェイニー、簡潔に頼むからな?」
「えー」
愛しさに溢れた表情で頬に手を当てるウェイニーを面倒そうな目で見遣ったテリスは釘を刺す。こうなったら話が止まらなくなるため、これは早めに言っておかなければならないことだった。ウェイニーは一気に熱が冷めたのか、ひどく残念そうな顔をする。
「本当に大好きなんですね、その方のこと」
「ええ! よく悪い顔するけど格好良くて大好き!」
仕草や声音からどれだけの想いがあるのか察することのできたシユが温かく微笑めば、ウェイニーは認めてもらえたことに満足したらしく、上機嫌に一歩先を行く。
安心したような溜め息を吐いてシユの隣に並んだテリス。大げさでもなく命拾いしたかのような顔だ。
「助かった……ディスタのこと話し出すと止まらないんだよ……」
「大変……ですね、それは……」
全くだよ。
テリスが諦めたように吐き捨て、シユは今そうならなくて良かったと肩を下げた。話はちゃんと聞いておかなければ失礼だと思っている彼女だからこそ、この道中では辛いものがある。
でも、と続けられたテリスの言葉に、シユは彼に視線を移す。
「僕も人のこと言えないからなぁ」
「テリスも誰かを?」
「ラジョラだよ。ウェイニーに負けず劣らず敬愛してる」
育ての親と同じようなものだしね、とテリスはシユを見上げてきりっとした笑みを見せた。
そうして歩いてきた人気のない草原や森。またもう一つの木々の群れが見えてきたところで、変わらず一歩先を歩いていたウェイニーが振り返る。突然のことであったため、シユは目を丸くしながら足を止めた。隣ではテリスも同じように止まり眉を歪める。
「ウェイニー、吃驚する……」
「この森の中よ、行きましょう!」
「え……!?」
笑顔で手を取られたシユは、走り出したウェイニーについて行く他ない。制止の声を聞くよりも早く、引っ張られるままに走れば、後ろから聞こえてくる呆れた声。
「ウェイニー、せめて手を離して! 転んだら大変だ」
「あ、そうね」
すぐに走り出していたのか、テリスが追い付いてきて叫ぶ。素直にも手を離したウェイニーと、後ろから同様にクィディーも全く同じことを叫んでいるようにも聞こえる。
一度止まることのできたシユは大きく息を吐いた。前触れもなく走らなければならないのは流石に堪える。平気そうに立っている彼らに驚くくらいには。
「じゃあついて来て、行くわよっ!」
「は、はい……!」
「……何も走らなくたって」
既に走り出す用意のいいウェイニーは片手を上げながら先に行く。慌てたシユが走るのを確認したテリスは文句をたれながらもその後をついて行く。
鬱蒼と茂る木々の間を縫うように走る。森の中を走り回る経験などシユは皆無だったが、先に何があるのかと高揚していた。長い歩きに身体は疲れているものの、それを振り切って走ることは苦ではない。
それでも体力の限界はくる。気分はまだまだ余裕でも体の限界で、シユは途中で立ち止まり膝に手をついて息を整える。これだけ息を切らせたのはいつ振りだろうと。テリスは隣に立って見ていてくれる。
「もうすぐそこだよ」
「ごめんなさいシユ、大丈夫!?」
ついて来る気配がなかったのか、ウェイニーが戻ってきてシユの前にかがむ。声も出ずに頷いただけのシユは、最後に大きく息を吐いて前を見据えた。
生い茂る葉の間からかすかに見える、自然のものではない明らかに人の手が入った建物らしきもの。シユは目を見開いて息をのんだ。
「行ける?」
「……はい」
もう最後だからか、差し出してきたウェイニーの手を、シユは取った。今度は止めることなく、テリスはシユの背中を叩いて一緒に走り出す。
そうして開けた場所に出て、離された手。シユはそのまま立ち尽くし、さらに走って行ったウェイニーを目で追う。
「ようこそシユ! あたしたちの家へ!」
これからよろしくね、と振り返り満面の笑みで両腕を広げて、ウェイニーは佇む大きな屋敷を背に立つ。
どこか朽ちた、夜に見れば恐ろしい屋敷に見えそうな。それでいて人が住む生き生きとした印象も与える、黒を基調とした大きな屋敷。森の中にひっそりと佇む主のような。
──ここが。
「新しく暮らす場所……」
シユはこれからの期待と、気圧されたように溜め息を吐いた。
「化け物でも出る屋敷みたいで驚いたか?」
「い、いいえ……! とても立派だと思って……」
いつの間にか後ろから声をかけてきたクィディーに、シユは肩を揺らして振り返る。歩いて来たにしては追い付けない距離だと思っていたために尚更だ。
シユは素直な感想を述べたのだが、クィディーは世辞か何かだと取ったらしく、笑いながら褒めても何も出ねぇぞ、と片手を上げて歩き出す。
「お帰りなさい──って、あらあら……!」
屋敷から出てきた女性。ちょうど正面だったことからシユに目がいったのだろう、一瞬で口を覆った驚きの表情に変わる。まるで女主人のようでありながら、柔らかな雰囲気のある女性だ。
「家に来てくれたのね? まぁ、綺麗な子!」
「は、初めまして……シユといいます……」
ドレスのような服でも躓くことなく階段を駆け下りてきた彼女は、シユの顔を両手で包んで観察し始める。シユはされるがまま、上手く喋れずに挨拶をした。
「ラジョラ、凄い困ってるから……あとこれ」
「あら、ごめんなさいね……と」
テリスの一言と、差し出された一枚の紙のおかげで解放されたシユは一息吐く。
手渡された紙に書かれているものに気づいたラジョラは急に真剣な顔になり、紙とシユとを見比べて頷いた。
「完璧よ、テリス。いい仕事してきたわね」
「よしっ!」
テリスにウインクを、そして頭で撫でるラジョラ。彼は小さく頬を赤くしながら拳を握った。
呆気に取られていたシユは、状況を理解して微笑み、もう一度屋敷を見上げる。
「シユ、長い旅で疲れたでしょう? 今日はゆっくりして明日屋敷の中を見て回るといいわ」
「そんなに見るところもないと思うけどね」
「はい、ありがとうございます」
早速作業に移るのか、ラジョラは屋敷に戻るようだ。テリスもついて行くようにその後を追い、シユも有難い申し出に頷く。
外に残っていたのはシユたちだけだったらしく、ウェイニーでさえ既に中に入っているようだった。中から声が聞こえてくる。
三人で向かう先、最後に入って行ったのがレーヴェンだったようで、彼が小さく笑っていたのを、シユは見た気がした。




