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 手袋をした小さな手、口に当てた隙間から吐いた息が空へ立ち上り、溶けて消える。後ろから肩を叩かれて追い抜いて行った、この雪景色に溶け込んでしまいそうな白い髪の少年の後を追うように駆け出す。

 こんな小さな村では全員が家族のようなもの。近所の子たちと一緒に走り回り雪玉をぶつけ合い、転んでは笑い合う。

 あるようで、ないような、足元が覚束ない感覚にもなる日常の一場面。知っていて、知らない光景。


 視界に入っていた自分の小さな手。それは一瞬にしていつも見ている大きさになる。

 あたりは暗闇。自分がどこに立っているのかも分からなくなるが人が、仲間たちが、見えた気がした。

 しかし、彼らは寂し気な顔をして暗闇の奥、さらに暗い向こう側へと去って行ってしまう。引き留める言葉が、叫び声が、かき消される。


“あぁ、行かないで”──“行くな”

“待って”──“待ってくれ”


 誰一人として足を止めず。もうここは自分一人が取り残されてしまった、ような──。






「……」


 視界がぼやけて歪んでいる。胸が苦しい。身体が怠い。

 目元に当てられた柔らかいものに吸い取られたのか、視界がはっきりとしてくる。頭を動かして状況を確認しようとして、その顔が見えた。


「起こしちゃったかしら、大丈夫?」

「おか──……シルフェイミ?」

「ふふ、ええ」


 見間違いが過ぎた。シユは若干の恥ずかしさに天井を見つめる。自分の部屋にいることは分かった。差し込んでくる光に、一晩経ってしまったのかと思う。どれだけ眠り込んでしまったのだろうか。

 昨日、帰ってきてからの記憶があまりないような、それであるのに、気分だけは落ち着いている。不思議なくらいに。


「具合はどう、って……多分まだ良くはないわよね」

「はい……これだけ怠いのは初めてかもしれません……」


 滅多にない、魔力を使い過ぎてしまった時の感覚によく似ていると、シユは思った。だが、何故そんなことをしなければならなかったのか、その理由が全く思い浮かんでこない。昨日、帰宅してから起きたことと関係があるのだろうか。

 こうしてシルフェイミが様子を見てくれているこの状態こそ、かなりの重症だったと思わせる。それでも、自身の身体の異常はシユが一番分かっていた。


「全く、あの子も珍しいことしたわね……」

「シルフェイミ、あの、一体何が……?」

「あら、覚えてないの?」


 驚いたように首を傾げたシルフェイミに、シユは困惑しながら頷く。まるで覚えていないものの、“珍しい”という一言から何があったか、知っておかなくてはと。


「カイルよ、貴方たちに何があったかは分からないんだけどね、ぐったりしてる貴女を抱えてたのには吃驚しちゃったわ……」

「カイルが……」

「謝りながら見てやってくれ、って……聞いても答えてくれなかったのよ」


 それを聞いても、出来事の一つも思い浮かんではこなかった。シユはシルフェイミから少しだけ目を逸らし、思い出してみようとするも上手く働かない頭ではそれも難しかった。


「何かこう……動揺したりしてたのかしら、それで記憶が飛んじゃったって思うんだけど」

「そう、かもしれませんね……」

「カイルのことだから理由もなくこんなことをするとも思えないのよね……」

「何か、隠しておきたいことでもあったのでしょうか……」


 そこで、部屋のドアをノックする音がした。

 考えに耽りそうになっていた二人は突然の音にそちらを向き、シユはひねった首に刺すような痛みが走り、顔を歪めてそこに手を当てた。新たな痛みを生まないよう、指先で用心して触れてみれば二つ、抉れたような傷があることが分かる。本当に、まさかと思わざるを得ない。彼がここまでするとは。


「シユ、様子をと思って来てみたんだが、どうかな?」

「ミスカラルド……」

「流石にまだ顔色は悪いようだね」


 シユの代わりにシルフェイミがドアを開け、入ってきたのはミスカラルドだった。珍しいとも言える訪問者にシユは唖然とするが、シルフェイミは分かっていたのか何も言わずに招き入れる。


「魔力を抜いた挙句に貧血か……勘が良すぎるのも考えものだね……」

「今になってカイルにこんな風に言うことになるとは思わなかったわ……」

「全くだよ」


 先程シルフェイミが座っていた椅子を隣に退かし、ミスカラルドはそこに立つ。座ればいいと言ったシルフェイミに首を振った彼は手を伸ばしてシユの頭を軽く撫でるとふっと笑う。


「最近行動的になっていて嬉しいよ」

「引っ張られているだけのような気もしますが……」

「それでも変わりないさ。何か、変化はあったかな?」


 穏やかに微笑んでいたミスカラルドの目が、鋭く細まったように見えた。どんな小さな機微でも見逃さないというように。

 これは大事な話だ。ミスカラルドはきっと全て分かっている。シユは彼がこちらに踏み込んでくるのなら、こちらからも踏み込んでやろうと思い身体を起こした。


「っ私と、繋がりを持っている人物に会いました」

「ああ」

「記憶、も……夢となり少しずつ現れるようにもなっています」

「……」


 ミスカラルドの右目が、小さく動いたような。

 起きているのが辛くても、その視線だけはミスカラルドだけを。シユも彼の小さな動きを見逃さない覚悟で、現状の整理も兼ね、彼が知りたいであろうことを置いていく。


「そこで一つ、気になったことがあるのですが」

「何だい?」

「ミスカラルド、貴方は彼らに、彼に何か手を加えましたか?」

「……」


 一度疑ってしまえば、彼程の存在となると解けるまでは疑い続けてしまいそうになる。聞いてみたところで、明確な答えが返ってくるとも期待はしていないが、答えに繋がる言葉くらいはもらえるだろうと、シユは賭けに出る。

 それは、彼らが言っていることが本当だという前提で進んでしまうが、彼らが嘘を言っているとは現時点では言えない。シユを仲間だと言った彼らが、違う世界へと渡ってしまった彼女と同じ“今”にいることが証拠になる。

 ミスカラルドが自分たちの間に関わり、何かを握っていることが。


「私にも言えることですが、それはいいです。彼に何かしたのなら──」

「成る程、そうか……」

「っ……?」


 シユは突然、ミスカラルドに顎を上げられ眉を歪ませた。無理に合わせられる瞳の奥に何か得体の知れないものを見てしまったような気分になる。

 何故それまでも気が付かなかったのかと、シユは少し前までの自分も信じられなくなった。彼はきっといくつもの顔を持っていることを。


「これだけは言っておこうか、シユ」

「……」

「いずれ分かることになる、そう遅くないうちに、だ」

「っ、ミスカラルド……!」


 まるで捨て台詞のようにも聞こえた。ミスカラルドはそれだけを言い残し部屋を出て行こうと踵を返す。シユはその言葉に衝撃にも似たものを感じ、ミスカラルドを引き留めようとするも手が空振り体勢を崩してしまう。側で見ていたシルフェイミが間一髪支えてくれるも、ミスカラルドは冷たく去って行くだけだった。


「危ないじゃない……! 吃驚したわ……」

「ご、ごめんなさい……」

「急に動いちゃだめよ、まだゆっくりしていなさいね?」


 素直に頷くしかなかった。今回はいつものものとは比べ物にならないものだからだ。ベッドに潜り、回復に専念しなければ。

 それでも頭を離れない取り巻く環境に上手く眠りに入れそうにもない。


「……あの人、いつもあんな感じだから……考え込んでもいいけど、ちゃんと休んでね」

「はい、ありがとうございます」


 最後に、シルフェイミはシユの頭を触れるように撫で、静かに部屋を出て行った。






「全く、末恐ろしいな……あの娘は」


 いつもの自室、椅子に座り脚を組み、その膝の上で両手も組む。

 滅多なことじゃ思いもしない、後悔の念が彼の心の中に現れる。

 見つけたまでは良かった、取り引きを持ちかけ成立したまでも。そこからは、己の失態もあったか。見越して行った、それこそが間違ってもいたかと。


「綻んでいるどころじゃないな、あれは」


 異常を事細かに見ていたわけではなかったと、言い訳のようなものを並べて。彼らの力を侮っていたことを受け入れ、受け入れない。

 これだけの存在でありながら、結局己もただの人でしかないと。


「破られる寸前だ」


 ただ漠然と、感情もなしにこの状況を呟いた。

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