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朝の静けさの中、小さな寝息だけが聞こえてくる。落ち着いた色で揃えられた部屋、一人用にしては広いベッドで、シユは眠っていた。
掛け布団から覗く長い髪は黒く艶やかで、白い肌をより一層白く見せている。
そんな穏やかに眠る彼女の部屋に侵入者が一人。鮮やかな赤い髪の青年。起こさないようにと忍び寄る姿は実に怪しい。青年はシユと年の変わらないように見え、服や顔が薄汚れていることから彼の腕白さがうかがえるようだった。派手に遊びすぎてしまった後のような。
彼はシユを覗きこみ、そうして空気が動いたからか、シユは不快そうに眉を寄せ寝返りを打つ。彼はまだシユが眠っていることを確認すると、傍らに手をついて晒された首に顔を寄せる。開いた口元から覗いた、およそ人のものとは思えない鋭く尖った歯を。
──シユの首に突き立てた。
「う……」
苦しそうに顔を歪め、唸るシユ。鋭い痛みで起こされるという最悪の目覚め。身体が起きてくるにつれ、さらに痛みは体内を巡る。この痛みの原因は確認するまでもなく。
「い、た──痛い!」
「い、てぇ、な……この!」
シユはベッドサイドのテーブルから、彼女が“装飾”と呼ぶものを引っ掴んで一つ、仕返しをする。
ばち、と、小さな閃光と共に走る電流。静電気と呼ぶにはあまりにも強力な痛み。
シユが痛がろうが噛みついたままだった青年は、痛みに飛び退き悪態を吐く。その口元は言うまでもなく血に濡れていた。
「また貴方ですか、アシュウ……」
「いいだろ別に、っていうか加減しろよ! 痛ぇんだよそれ!」
「どの口が言うんですか──っ……」
アシュウと呼ばれた青年は口元の血を拭ってから、シユを指差し理不尽な怒りを向ける。
上半身だけを起こしたシユは呆れるも、続く痛みと眩暈に襲われ、ベッドに両手をついて項垂れる。どうしてもこの行為は不調しかもたらさない。
「仕方ねぇだろ、あいつが手加減しやがらねぇのが悪いんだ」
「また喧嘩ですか?」
「違ぇ、よ……いつも通りちょっと遊んだだけだ」
その遊びとやらから、いつも通りシユに飛び火する。
アシュウは電流の当たった左肩をさすりながら顔を背けて、歯切れ悪く表情を曇らせる。
鈍い痛みは残るが、眩暈が落ち着いたシユは手の平の下敷きにしていた“装飾”を手に取った。
植物のような彫刻が施され、楕円の石がはめこまれた指輪にチェーンがつながり、チェーンには等間隔にしずく型のチャームが下がっている。石もチャームもシユの瞳と同じく紫色に染まったもので、そのうちの一つのチャームは色が薄れていた。
二つある装飾。右手にはチェーンをブレスレットのように手首で一周させ、中指にはめた指輪につなげたもの、左手には親指と小指に指輪を、手を一周するようにチェーンがつながっている。
これが、シユが“魔法”を使う上での装飾になる。
「支度をしたいので部屋を出てもらえますか?」
「あーあ、分かったよ……ったく、補給もろくにできやしねぇ……」
頭を掻き、文句を言いながらも大人しく出ていくアシュウを見送ってから、シユは落ち着けるように息を吐いて、首につけられた傷に手をかざす。淡い光が発せられ、傷口はあっという間に塞がり、さらにチャームの色は薄れた。シユの場合、こうしてチャームに溜めた魔力を消費しながら魔法を使う。
傷口の様子を鏡の前で確認したシユは、着替えを始めた。
端的に言ってしまえば、真っ黒な制服。ブレザーに入っている白い線や、スカートから覗く控えめな白いフリル、シユが個人的に着用している袖がフリルのブラウスがなければ、多少の濃淡はあれど、真っ黒であるには変わらない制服。
それから一通りの支度を終えたシユはダイニングへ向かうためにドアノブを握ろうとしたところで手を止めた。その手の周りでチャームが揺れる。
シユは一拍おいてから両手を前に持ってきて少しだけ集中する。事は一瞬。繋ぎ目などなく、一体となっていた指輪とチェーンが溶けるように外れ、二つ分のチェーンが一本に繋がる。シユはそれを首にかけてブラウスの中にしまいこむ。ネックレスにするには長めのアクセサリーといったところか。
この“言いつけ”を、シユはたまに忘れることがあった。装飾はあのようなかたちで使うのが常だったためだ。どうやら、シユの持つ装飾は特異として見られてしまうらしく、人の多いところでは隠しておいた方がいいとのこと。それをたまたま、今日忘れてしまっただけのこと。
もちろん、その力を公に使用することも好ましくない。
「あ! シユちゃん、おはよう!」
部屋を出たところでシユの目に飛び込んできたのは、限りなく明るい栗色の髪の少女だった。先程の最悪の目覚めなど吹き飛んでしまうくらいの明るい笑顔に、シユも自然と顔がほころぶ。
「おはようございます、イユリ」
「……あれ、シユちゃんちょっと疲れてる?」
「寝覚めが悪かっただけですよ」
イユリはシユを覗きこんで心配するように眉を下げた。肩につかないくらいの長さ、毛先がカールしている髪が揺れる。シユがネクタイなのに対しイユリはやや大きめのリボンを着用しており、同じ制服であるのに並ぶと違うものを着ているように見える。
朝から“補給”と称されるアレをやられると、シユは一日中体調が優れないことが多くなる。体内の流れを乱されるようなものだ、そう一瞬で治るものでもない。イユリはそんな小さな機微も感じ取っていた。
「そっか、嫌な夢でも──兄さん?」
「っ……」
心配していた声音から一変、イユリの声が低くなる。肩をびくつかせて動きを止めたのはアシュウだった。
シユも気がついてはいたが、最初からアシュウも近くにいた。もう制服に着替えているところを見ると、部屋に戻っていたらしいが、またシユの部屋の近くまで来ていたようだ。
何故ここに。答えは明白だったかもしれないが、イユリの話の方向に何か危険を感じたのだろう。そそくさと立ち去ろうとしたところを、イユリに見つかってしまっただけのことだった。
「兄さん、またシユちゃんに痛いことしたんでしょ」
「……た、足りなくなったんだよ」
「他の方法だってあるし私だっているでしょ」
腰に手を当てて怒るイユリ。アシュウはシユへのあの態度はどこへやら、強く言い返せずにいる。
「お前にそんなことできると思ってんのか?」
「前はいくらでもやってたでしょ!」
「ガキの頃の話だろそれは!」
「──イユリ」
言い合いを遮るようにイユリの名を呼ぶ不機嫌な声。三人はそちら側に顔を向ける。やってきたのはアシュウと瓜二つの青年だった。髪は茶色いが瞳の色は同じく、茶色から緑色にグラデーションがかかっているような不思議な色。
「こんな馬鹿放っておいて早く来い、クレイが怒ってる」
「ラシュウ兄さん……うん、お腹空いたし……」
「てめぇ、馬鹿とはなんだ!」
「事実だろ──シユも、ほら」
まだ言いたいことはあるけど、といった様子でもイユリはダイニングに向かうべく歩き出し、シユも続く。
アシュウは“遊んでいた”などと言っていたが、おそらくまだ“喧嘩”は終わっていないように見える。アシュウとラシュウは双子であるがおそろしく仲が悪い。手を付けられないほどの喧嘩にもなるのだとか。




