転校生に嫌われてい……ます?
俺のクラスには、黒板の横の棚に小さなガラスの花瓶が置いてある。
そこには、どこからか摘んできた小さな野花が飾ってあった。
前から、置いてあったわけじゃない。
ある日から、突然そこに存在するようになったその花は、枯れそうになると、新しい花に変わっている。
いつしか、それを見るのが、密かな俺の楽しみになっていた。
◇◇◇
俺が小学校三年生の時に、隣のクラスに転校生がやってきた。
色白で、茶色い髪の彼は、名前を楢﨑 遥と言った。
遥は、どこか不思議なオーラを放っていた。
物静かというよりも……友達と話しているところを殆ど見たことがない。
喋っているのを見るのは、授業で話さないといけない時くらいだ。
必要最低限のことだけしか話さないタイプらしい。
最初こそ、クラスでも浮いていたけれど、そのうち誰も気にしなくなった。
別にいじめられているわけでもなく、遥はいつも一人で本を読んでいた。
そんな遥と同じクラスになった今年。
俺は、どうしても、彼のことが気になって仕方なかった。
「なぁ、ここいい?」
「……」
無言をムリヤリ肯定と受け取って、俺は遥の前の席に座った。
「話すの好きじゃない?」
「あんまり……」
「そっか、あのさ、気のせいだったらごめん。たまに、俺のこと見てない?」
そう、原因はこれだ。
どうも、彼からの視線を感じるのだ。
自意識過剰かとも思ったけど、何度かバッチリ目が合っているので、おそらく見ているのは間違いないと思う。
だけど、理由が思い当らなかった。
しかも、その視線が良いものだったならまだいいんだけど……俺が感じている視線は、どうも敵意な気がしてならない。
「俺、大白崎かんた」
「知ってる」
「遥、この間、俺のこと見てたよな……?」
「……見てない」
遥は、ぷいっと顔を横に逸らしてしまった。
見てないと本人は言うが、それなら目を逸らす必要はないはず。
それに、言葉の端々にやはり棘を感じる。
「何か俺に話したいことあるの?」
「ない」
「そっか……」
無理矢理に聞き出すのは、難しそうだ。
ここは、一旦出直そう。
そう思って、席を立って戻ろうとした、その時だった。
「お前なんか、全然可哀想じゃない……!」
「へ?」
「……っ」
遥は、それだけ叫んで、走ってクラスから出て行ってしまった。
残された俺は、ぽかんと口を開けたままだ。
「…なんだ、あれ?」
俺、何かしたのかな?
遥のことを何度も考えてみたが、一晩経っても、二晩経っても、その謎は解けないままだった。
◇◇◇
あれから、数日が過ぎた。
遥とは、まだちゃんと話せていない。
最初は、俺と遥が喧嘩したんじゃないかとざわついていた周りも、すっかり興味が無くなったのか、全く気にしなくなっていた。
そんな中、職員室にノートを届けていると、担任の先生と遥の話し声が聞こえてきた。
「遥くん、もう少しクラスの子とお話してみない?」
「放っておいてください」
思わず、廊下の影に隠れる。
「どうせ、すぐ引っ越すし、いらないんです」
「引っ越しは、まだ決まってないんでしょう?それに、お友達は……」
「いらないって言ってるじゃないですか……!」
「遥くん……、」
「どうせ、いなくなるのに。友達なんていらない」
遥の声は、凄く落ち着いていた。
まるで、子どもじゃないみたいに。
先生も困った顔をしていたが、それ以上何も言えなくなったみたいだ。
教室へと戻って行く遥を、ただただ見つめていた。
「楢﨑、遥……か」
やっぱり、何かが気になる。
そんな気持ちを抱えたまま、俺は何事もなかったかのように、また歩き出した。
◇◇◇
ある日、スーパーで買い物をしていると、そこには見慣れた姿があった。
「あれ?遥だ……何してんだ?」
まさか、買い物か?
でも籠らしきものは持っていない。
それどころか、財布すらも……。
「--……」
何だか、様子がおかしい。
不思議に思って見ていると、なんと、遥はその場にあるお菓子を万引きしようとしていた。
「!!」
それを見つけた俺は、慌てて籠を戻して、遥の手を引いた。
「このバカッ!!」
「おまえ……なんで、」
「こっち来い!!」
「……ッ」
お菓子を叩き返すように、元の場所に戻して、俺はそのまま遥を連れて、スーパーの外へと飛び出す。
遥の手をギュッと強く繋いで、逃がさないように必死だった。
そのまま、俺の家まで連れてくる。
無我夢中だったので、ここしか思いつかなかった。
息を切らしながら、リビングに座り込む。
遥は、苦虫をつぶしたような顔をしていた。
「なんで、あんなことしたんだよ……!!」
「あんなことって?」
「クッキー、万引きしようとしてただろ!」
「なんだよ、学校に言うなら言えばいいだろ。警察にでも、親にでも連絡しろよ」
「そんなこと聞いてるんじゃない!!」
万引きは、犯罪だ。
たとえ、ガム一つでも罪になる。
「悪いことだってわかってるんだろ」
「お前には、関係ない……!!」
遥が叫んだ瞬間、何故か、その顔が怒っているのに泣きそうだと思った。
どうして、こんな顔をしているんだろう。
遥は、きっと……優しい奴なはずなのに。
「そこで、待ってろ。逃げるなよ」
「は?なんで……」
「いいから!」
俺は、それだけ言い残してキッチンへと向かった。
遥は、大人しくリビングのソファーに座っている。
逃げ出そうとも考えていたんだろうが、俺が思ったよりも早く戻ってきたせいか、ビクリと肩を揺らしていた。
「ほらっ、食え」
「なにこれ……?」
「クッキーだよ!!」
俺は、ギロリと睨みながら、遥の前に皿を突きつけた。
「クッキー……これが?」
「……不恰好だけど、俺が焼いたやつ」
「はっ?おまえが焼いたの?」
頷くと、遥はおかしなものを見るような眼で俺を見た。
なんだよ、男がクッキーを焼くのがそんなにおかしいのか?
「味は……不味くはないと思う」
「プッ……へったくそ」
前言撤回。
おかしかったのは、クッキーの見た目だったらしい。
「すげぇ、焦げてる、ははは、めちゃくちゃ、苦い……っくく!」
だからと言って、そこまで笑うことないんじゃないか?
料理はだいぶ上手くなったけど、お菓子作りは、お世辞にも上手いとは言えなかった。
いや、明らかにヘタクソなのは、自覚している。
だから、こうしてコッソリと頑張っているんだ。
遥は、そんな俺のクッキー見て、噴き出すように笑っている。
それと、同時に涙も溢した。
「あ、…」
一度、ぼろっと落ちた大粒の涙は、訳も分からず次々に遥の頬を流れ落ちていった。
それを見て、俺は遥の隣に腰をおろした。
そして、泣きながらクッキーを食べている遥を横から思い切り抱きしめた。
「なぁ、クッキーがどうしても食べたかったわけじゃないんだろ?」
「うっ、うぐっ……ひっくっ……っく」
「どうしたんだ?」
優しく聞くと、遥は小さな声で言った。
「俺、母さん、いるけど、……っ全然帰ってこなくて、母さん夜もずっと働いてるから、俺、いつも一人で、ひっく……飯も買ってきたのしか、食べてなくて、」
「そっか、」
「クッキー、昔、一回だけ、母さんと作って、美味しかっ、たから、」
遥の言葉を聞いて、俺は全て納得した。
母親との思い出があったから、クッキーに手を伸ばしたことも。
クラスでは喋らなかった理由も。
そして……
「前に、俺にお前なんか可哀想じゃないって言ったのは、それが理由だったんだな」
「あ、れは……!」
「俺、母さんが死んで大変だって周りからよく言われてたけど、母さんが生きてても、働いててなかなか会えない遥だって、すごく大変だったんだよな」
遥を抱きしめる力を強くすると、遥は涙を片手でごしごしと拭いながら、俺の腕にしがみついた。
「ごめん……俺、」
「俺もごめん。そんな理由があったのに、気付けなかった。そうだよな、俺たち、ちょっと寂しかったよな」
「……!!」
さっきよりも大粒の涙が、次々に遥の頬を伝って俺の腕に落ちてきた。
震える遥の背中を優しく擦る。
「うっ、うっ、ひっく、っ……ッ」
「遥の母さんが働いてるのはさ、遥を育てるためなんだろ?だから、我儘言えなくて、余計苦しかったよな」
「ぐっ、…っ俺、さみ、しか、っ……っく、うっ」
「うん、寂しくなったら、また俺の家に来ればいいし、もうあんなことしなくていいよ」
「ごめ、……っごめんなさ、い!」
遥は泣きながら、何度も謝った。
それを聞いて、俺は遥に言った。
「クッキーだって俺が焼いてやるから、そんな顔すんなよ」
「あの、へたくそな、やつ?」
「下手で悪かったな」
拗ねたように唇を付きだしてそう言うと、遥は眉をハノ字にして笑った。
「嘘……食べにくる」
「うん」
「ごめんな、俺、酷いこと言ったのに」
「俺さ、実は遥が良い奴だってのは、知ってたんだ」
「へ?」
「クラスの黒板の横にある花、あれ、遥がやってくれてたんだろ?」
俺が指摘すると、遥の顔が一気に赤くなった。
やっぱり、隠してたんだ。
まぁ、そうだよなぁ。
あんなに朝早く来てたくらいだし。
「なんで、知って……!」
「たまたま朝早く来た日があって、その時に」
「なんで、その時言わなかったんだよ!」
「言ったら、やめちゃうかなって」
「うぐっ……!」
「だろ?俺、あれ結構楽しみにしてたんだぞ?」
そう言うと、遥は俺の腕に顔を埋めた。
忘れてたけど、俺、ずっと遥のこと抱きしめたままだった。
「恥ずかしいやつ……」
「そうか?」
「今、飾ってるの蕾だから当分咲かねーぞ、」
「明日には、咲いてるよ」
「は?そんなわけないじゃん?」
「そうかなぁ、じゃあ、賭けてみる?」
「え?」
俺が賭け事をしようなんて言い出したのが意外だったのか、遥はキョトンとした顔になった。
俺は、遥を離して、小指を突きだす。
「明日、花が咲いてたら、俺の名前呼んで」
「そんなことでいいのか?」
「うん、指切りね」
「……変な奴」
俺は、ニコリと笑って指切りげんまんをした。
これでも、策略家なんだ。
勝ち目のない賭けは、しないってこと。
◇◇◇
次の日の朝。
俺は当然、満面の笑みだ。
それに引き替え、遥はとんでもないものを見たと言わんばかりに目を見開いている。
「遥、おはよう」
「おはよう、…おかん」
「そっちかよ!いいけど!」
まぁ、かんた、とは呼ばないか。
おかんの方が慣れてるからいいけど。
「そういえば、引っ越すのか?」
「なんで、知ってるんだ?」
「この間、担任と話してるのたまたま聞いちゃった」
「あー……実は、昨日母さんに、初めて我儘言ったんだ。できれば、もう少しこの街にいたいって……」
「おお!凄いじゃん」
「理由聞かれたから、その……友達、できたからって言ったら、なんか泣かれた」
「じゃあ、もしかして……?」
「引っ越さなくていいって」
「そっか!やったな!」
俺が遥の肩を組みながら親指を立てると、遥は照れくさいのか、困ったように眉を寄せた。
「あのさ、」
「ん?」
「おかんのこと、友達って言った……んだけど、よかった?」
「なんで?友達だろ?」
「そっか……はは、」
何を当たり前のことを。
俺が首を傾げて言い返すと、遥はぷいっと横を向いてしまった。
「遥って、たまに笑うけど、その顔俺すげぇ、好きだよ」
「は?!」
「いつも全然笑わないじゃん。相変わらず教室では大人しいし」
「まぁ、すぐには……でも、前より話すように努力する」
「それがいいんじゃない?遥なら、すぐ友達できるよ」
そう言いながら、俺は遥に顔を近づけてこっそり耳打ちした。
「今度一緒にクッキーつくろうぜ?」
「…作る!」
「決まりな!今度こそ美味いの作るぞ!」
「おかんよりは、上手いと思う」
「なんだと!」
俺たちが言い合っている姿を見て、周りの友達はみんなキョトンとした顔をしていた。
黒板の横では、俺の歌を聞いた花が満開に微笑んでいる。
俺たちは、不細工なクッキーを思い出して、いつまでも笑い合ったのだった。