喧嘩して、仲直りして、そして笑いあう。
『家族の幸せを、どうしておかんが決めるのよ!』
その発言に、俺は目をぱちくりさせた。
と言うか、さりげなく「おかん」呼びになっている。
彼女は、コップをテーブルに置いて、俺に言った。
「例えばの話をするわね。ある女の人がいました。彼女は無理矢理、働かされていました。さて、彼女は不幸かしら?幸せかしら?」
「無理矢理、働かせられていたのなら、不幸だよ」
「でも、彼女はそこでとんでもなく素敵な人と出会って結婚しました。彼女が働いていたのは、不幸だったのかしら?」
「え、えっと……それは」
「人生に終わりをつけるなら、死んだ時だけよ。それまでは、常に毎日を更新していくの。明日不幸だった人が、今日幸せを見つけるかもしれない。逆に、今日しあわせだったのに、明日には崩れるかもしれない」
「……まさに、今日そんな感じだったよ。あ、昨日か」
彼女は、俺の言葉に、うんうん、と頷いた。
そして、俺の手をいきなりギュッと掴んだ。
「え!」
「今のあなたは幸せじゃないかもしれない。じゃあ、あなたはどうしたら幸せになる?」
「どうしたら……?」
彼女の質問に、戸惑いつつも考える。
今の俺が、幸せになる方法は、たった一つしかない。
「父さんと仲直り……すること」
「じゃあ、決まりね!それが一番なら、それをするしかないわ!そうすれば、今のあなたは全然不幸なんかじゃなくなるし、お父さんもきっと幸せな気持ちになるもの!」
「でも、これは、俺の幸せなんであって、父さんの幸せがどうかなんて……」
「はい!言ったでしょ!きっと、そうなるって!きっと、って言葉は、多分とかおそらくって意味よ。絶対じゃないの。つまりは、ただの予測。どうせ、予測するなら幸せな予測をしなくちゃもったいないじゃない。どうして、おかんは、お父さんが不幸になることばかり考えてるの?」
「――!」
そんなつもりはなかった。
でも、言われてみれば、そうかもしれない。
俺は、マイナス思考になっていたのかも。
「おかしいな、母さんに似て、ポジティブだったはずなのに」
「不安になれば。人は誰でもネガティブになるわ。そういう時には、誰かに助けて貰えばいいのよ」
「誰かって?」
「誰かは、誰かよ。今、おかんの隣にいるのは、私だから、今は私の役目ね!」
「そうなの?」
「そうよ。隣にいる人が助けてあげるの。理由なんて、それだけで十分でしょ?手が繋げる距離にいて、何もしない方が不自然よ」
彼女の言葉には、妙に説得力があった。
そう言えば、忘れていたけれど、今、俺は、手を繋がれている。
白く、細い指先が、しっかりと俺の手に絡んでいた。
「俺、父さんと仲直りするよ」
「そうこなくっちゃ!」
「ありがとう……君がいてくれてよかった」
「どういたしまして。困った時は、お互いさまよ」
「いつか、恩返しできるといいんだけど……あ、そうだ。君の名前。聞いてもいい?」
「私の名前?私の名前はね……秘密よ」
「え!なんで?」
「もう一度、おかんに会いたいから!」
彼女は満面の笑顔で、そう言った。
「どういうこと?」
「また、私に会いにきて!名前は、その時、教えてあげる」
「俺が会いに来なかったら?」
「私の名前が知りたいなら、絶対また来るはずよ!だから、教えないの」
「君って、頭がいいんだね」
彼女の言う通り。
俺は、彼女の名前が知りたくて仕方なかった。
だから、きっと、また、ここに来るだろう。
「ねぇ、君に御礼がしたいな」
「御礼なんて、いいわよ」
「ううん。凄く、助けてもらったから……御礼に、特別な歌を歌ってあげる」
「特別な歌?」
「うん。誰にも内緒だよ?……魔法の歌なんだ」
俺は、息を大きく吸いこんで、歌を歌った。
すると、彼女の家の草木がどんどん成長していく。
彼女の目が大きく見開かれていった。
「凄い……っ!!」
目をキラキラさせて、花開く姿に釘付けになっている。
楽しくなって、俺は彼女の手を引いて、庭へと連れ出した。
走っている間も、歌い続ける。
彼女を魔法の世界へと連れて行った。
「――っ」
庭に咲いたバラが、どんどん花開いていく。
草も、木も、花も。
全てが天へと近づいていった。
「――……!」
「え、」
俺が歌い終わろうとした、その時。
彼女が、もう一度、俺の歌を繰り返した。
一回で覚えてしまったのだろうか。
まるで、俺が母さんから教わった時のようだ。
もしかしたら、彼女の中にも歌が流れているのかもしれない。
俺は、全身がわくわくした。
こんなに胸が高鳴ったのは、久しぶりだ。
彼女に合わせて、歌を重ねる。
さっきよりも、もっと素敵な歌になった。
彼女も、不思議に思っているみたいだ。
でも、歌うことをやめられない。
そんな顔をしている。
「はぁ、はぁ」
「凄いや、もしかして、音楽が流れてきたの?」
「うん、そうなの!びっくりしたわ!知らない曲なのに、とっても不思議……!」
「俺も、これ母さんから教えてもらったんだけど、教えてもらった時は、同じ感覚だったよ。知らないはずなのに、歌えるんだ」
「どうしてなのかしら……!」
「魂が知っているんだって、母さんは言ってた」
彼女は飛び跳ねて喜んでいた。
周りの草花も、まるで植物園のように伸びている。
「凄いわ!!本当に凄い!!」
「嬉しい?」
「最高に嬉しいに決まってるじゃない!!魔法って、本当にあるのね!」
「よかった、喜んでもらえて」
「ありがとう!!素敵な魔法を教えてくれて!」
彼女は再び俺の手を両手でギュッと握った。
喜んでくれて、嬉しい。
そんな気持ちが込み上げた。
「こちらこそ、ありがとう。素敵なお姫様」
そう言って、俺は彼女と別れた。
来た道を戻って、雑木林の奥へと進んで行く。
途中、木の影が重なって道が暗くなった。
そして、しばらく歩いて、雑木林を抜けた時。
俺は、あたりが薄暗くぼんやりしていることに気付いた。
「あれ、さっきまで昼だったのに……」
夕方にしては、夜に近い。
どちらかと言えば、この空は夜明け前な気がする。
「どうなってるんだ……?」
俺が道路に出て、空を見上げた。
その時。
「かんた――っ!!!!」
大声で呼ばれ、後ろを振り向く。
そこには、息を切らして立っている、父さんの姿があった。
服はボロボロで、髪の毛もぐしゃぐしゃに乱れている。
「父さん……っ」
身体からは尋常じゃないくらいの汗が流れていた。
今まで、ずっと探していてくれてたのだろうか。
唇が震える。
恐くないと言えば嘘になるが、身体が自然と前に動いた。
「――……っ」
父さんの元へ走って行く。
微かに手を広げた父さんの腕の中に、吸い込まれるようにして飛び込んだ。
「父さん……っ」
「かんた、かんた……っ!」
たった数時間しか離れていなかったのに、数年ぶりの再会のようだった。
涙目になりながら、父さんの胸元に顔を擦りつける。
「ごめんなさい、俺……家、飛び出して」
俺が謝ると、父さんは大きく首を横に振った。
「俺が悪かったんだ、かんたの気持ちも考えず、一人で決めつけて、空回りしていた……かんたが泣いた時、頭が真っ白になった。俺は最愛の息子をどれだけ傷つけてしまったんだろうって……気づいたら、かんたがいなくなっていて……死ぬかと思った……っ」
父さんが、さらに強く俺を抱き寄せる。
胸が潰れるかと思った。
「かんたがいなくなって、ひたすら探し回った。どこを探してもいないし、こんな夜に、かんたが一人ぼっちでどこかにいることを考えたら、心臓が壊れるかと思った、」
「父さん……、」
「ごめんな、父さん、バカだから、かんたの気持ち無視して、勝手なことして……っ」
父さんは、目から涙をボロボロ溢して、俺にそう言った。
その涙が俺の頬を伝って流れてくる。
「父さんにとっての一番はかんたとさくらだし、愛している女性は、やっぱり百花しかいないんだ」
「……っ」
「かんたとさくらが、お母さんが欲しくても、父さん、母さん以外愛せないから、ごめん……っ再婚はしないんじゃなくて、できない……っ!」
あぁ、父さん。
ごめんね。
たくさん、傷付けたし。
たくさん、悲しませた。
「父さん、俺もね、父さんの幸せとかさくらの幸せを勝手に決めつけてた」
「かんた……?」
「俺、新しいお母さんができたら、俺はもういらないって思われるんじゃないかって不安だったんだ。俺は、“おかん”だから。新しいお母さんができたら、俺の居場所、取られちゃうんじゃないかって……」
「そんなわけない!!かんたがいらないなんて、死んでもありえない……!!」
「うん……でも、そう思ってしまったんだ」
父さんが真剣な顔でそう返してくれたので、俺は余計に苦しくなった。
あぁ、もう。
彼女の言う通りだ。
さっきまで、あんなに不安で怖かったのに。
今は、幸せで胸が苦しい。
「父さん、我が儘言ってもいい?」
「かんた……?」
「これからも、父さんとさくらと、仲良く三人で暮らしたい」
いっぱい喧嘩して。
いっぱい泣きあって。
いっぱい怒って。
そんなことが、きっとこれからも、たくさんあると思う。
それでも、いいから。
一緒にいたい。
「喧嘩しても、何度でも、仲直りすればいい」
泣いた分だけ、笑って。
怒った分だけ、許しあって。
喧嘩した分だけ、抱きしめ合えばいいんだ。
家族の愛を感じられる。
「ここが、俺の居場所だから…!」
再び昇った太陽が、俺たちを優しく照らしていた。




