一歩、二歩、散歩。
母さんのおしえ。
【 ゆっくり、ゆっくり、ゆったり 】
これは、母さんがよく言っていた言葉だ。
深呼吸をする時、ゆっくり、吸って、吐く。
そして、その後。
だらん、とするのが大事なんだそうだ。
クラゲのようにふわふわと。
日向で寝ころぶネコのように、だらんと。
力の抜けた状態でいることが何より大事。
俺は、その時の言葉を、この人を見ていて、唐突に思い出してしまった。
そう。
安永さんだ。
◇◇◇
「あの、安永さん」
「んー、どうしたの?」
「いや、俺が聞きたいです、どうしたんですか?」
「何かね、たまーに乗りたくなるんだよね。これ」
「はぁ、そんなものなんですか?」
「うん。おかんくんもならない?」
「俺は……まだ、ならないですね」
買い物帰りに公園の前を通ると、安永さんが公園のブランコにいるのを発見した。
ぼーっとしながら、ブランコを漕いでいる。
クラゲみたいな人、というと、一番に思いつくのがこの人だ。
「仕事はどうしたんですか?」
「ん~~、今、終わったところ。今日は早かったからね、このまま直帰していいよって言われたの」
「まぁ、確かにもう17:00は過ぎてますけど……」
「帰ろうと思ったらさ、ブランコ発見しちゃったってわけ」
「それで、一人で乗ってたんですか」
「うん」
「周りから見たら、ちょっと怪しいですよ?」
「え、通報される?」
「通報まではしませんけど」
でも、サラリーマンの人が一人でブランコに乗っていたら、結構周りの人は警戒するんじゃないだろうか。
いや、悪いことしてるわけじゃないんだけどね。
「ブランコって、ゆらゆらしてるじゃん」
「そうですね」
「たまに、ゆらゆらしたい時ってない?」
「それは、どういう時なんですか?」
俺は、安永さんの隣のブランコに腰掛けた。
ゆらゆらと揺らしてみる。
公園のブランコに乗るのなんて、何年ぶりだろう。
「このゆら~、ゆら~って感覚にさ、委ねたい時ってあるのよ」
「それは、大人になったらわかりますか?」
「大人になったらわかるものなのかなぁ。大人になると、忙しくて、毎日慌ただしくて、ゆっくりする時間が取れなかったりするんだよ」
安永さんは、遠い目をして、空を見上げた。
「ブランコに揺られると、なんとなく、世界の時間がゆっくり進んでいるように感じるんだよね。実際は忙しい時と、時間の進み方は全く変わっていないんだけど、それでも、こうして揺られていると、何となく、あぁ、一秒、一秒、時間が流れているなぁ、って実感できるわけよ」
「大人って大変なんですね」
「子どもだって大変でしょ?」
安永さんの言葉に、俺はこくんっと頷いた。
「俺さ、子どもの時から、ちょっと捻くれてたの。おかんくんとは大違い」
「そうなんですか?」
「うん、大人の言うこと全部わかってた。わからないフリをしながら、いつも、話を聞いてた。子どもにはわからないから、って思ってる大人が嫌いだったんだ」
「……それなら、俺も捻くれてます」
「おかんくんも、大人嫌い?」
「嫌い……まではいかないですけど、大人が言ってること、ちゃんとわかってるつもりです」
「うん、君はちゃんとわかってると思うよ」
「……安永さん」
「だからね、子ども扱いはそんなにしてないでしょ?」
「してないんですか?」
「あれ、なんで不信の目?」
「たまに、俺のこと抱き上げません?」
「あれは、スキンシップだよ」
「父さんといい、安永さんといい……さくらならともかく、俺、もう結構重いんですけど」
そう言うと、安永さんは、まだまだ軽いよ!と言って笑っていた。
楽観的で、少しチャラいイメージの安永さんだけど。
実は、結構繊細だったりするのかな。
「ん?俺の顔に何かついてる?」
「いえ、何か、安永さんってクラゲみたいだなって」
「え?!それ褒めてる?!けなしてる?!」
「ゆらゆらしてて、掴めないと言うか……不思議ですよね」
「そうかなぁ?」
「明るくて、楽観的かと思ったら、真面目だったり、色々考えてたり、捻くれてたり?」
「それって、ただの面倒臭い人間のことを言うんだと思うよ」
安永さんが、苦笑しながら頬をかいていた。
確かに。
面倒な人間のくくりには入るのかもしれない。
だけど……。
「俺、安永さんのそういうところ、結構憧れてたりするんです」
「へ?」
「俺には無いものを持っているし、考え方に驚かされたりするから」
「マジ?」
「マジです」
「今の言葉、大白崎さんが聞いたら卒倒しそうだな」
「なら、父さんには内緒にしてください」
「えー」
あぁ、この顔は絶対に言うだろうな。
顔に、楽しいって書いてある。
「父さんでからかうのは、やめてあげてください」
「だって、君のお父さん、ここだけの話、結構凄いんだよ?」
そう、父さんは自分から仕事の話はしてくれない。
かと言って、俺から詳しく聞くこともほとんどなかった。
何となく、家で仕事の話はしたくないかなって。
だから、俺が知ってる働いている父さんの話は、殆どこの安永さんから聞いた話だ。
「仕事、できるんでしたっけ?」
「出来るも何も、あそこまで頭がキレる人は見たことがないよ。冷静な判断もさることながら、語学も堪能で、さらには、ITにも強いんだから。この業界では、最強だよね」
「家では、ただの親馬鹿なんですけどね」
「そこだよ。俺も、近づきがたいくらい雲の上の人だと思ってたんだけどさ、なんのことない、超家族馬鹿。親馬鹿なの。家族自慢をさせたらキリがないし、写真見せながら、顔はデレデレだし。あれだけ完璧に仕事をこなす人が、家では、別人だってわかって、びっくりしたよ」
そう言う安永さんの顔は、凄く楽しそうだった。
「父さんは、家と仕事場だと全然違うんですね」
「そうだね、いつか、仕事場の大白崎さんのことも見せてあげたいなぁ」
「こっそり、ムービー撮ってきてください」
「それいいね。でも、後で殴られそう」
「はは、そうしたら、俺も一緒に怒られてあげます」
「大白崎さんのことだから、おかんくんは無罪放免だよ~」
安永さんの言う通りだろう。
父さんは俺に甘い。
そして、安永さんには、めちゃくちゃ厳しいのだ。
「でも、なんだかんだ、仲いいですよね」
「そうかな?」
「そうですよ」
「じゃあ、おかんくんから、もう少し安永さんに優しくしてあげて!って言っといてよ」
「それとこれとは話が別ですね」
「厳しい~!」
はは、と笑う安永さんと一緒にブランコを降りた。
空はすっかり暗くなっている。
「今日、家来ます?」
「え?」
「ごはん、作るんで、一緒に食べませんか?」
「いや、いいよ。流石にそれは、大白崎さんに怒られそうだし」
「父さんは怒らないですよ、それに……」
俺は、安永さんの顔をジッと見つめた。
多分、何かあったんだと思う。
もう気にしてはなさそうだけど、そういう時は、誰かと一緒にごはんを食べた方が良い。
だから、このまま安永さんを、連れて帰ることにした。
「今日は、鍋なんで、人が多い方が楽しいです」
「ありゃりゃ、おいしそうな夕飯だこと」
「それに、さくらは、安永さんのこと気に入っているんで、また、高い高いしてあげてください」
「なんなら、おかんくんも高い高いしてあげるよ?」
「俺は、結構です」
キッパリとお断りをしておく。
でないと、この人は本気でやるからだ。
「そっか、じゃあ、ちょっと一本電話いれとこうかな」
「父さんにです?」
「うん、あ、どうせなら、おかんくんが出る?」
「出たいです!」
安永さんの携帯から、父さんの携帯に電話をかける。
電話口での第一声を聞いて、俺は噴き出した。
「なんだ、安永。大したようじゃないなら切るぞ」
「ぶはっ」
「ん?安永……?」
「くくっ、父さん、俺だけど」
「かんた?!!!おまえ、なんで、この携帯から?!」
「あのね、今、安永さんと公園でブランコに乗ってたんだけど」
「何してるんだ?!」
うん。確かにそうだよね。
二人でブランコって……良く考えたら、結構凄い図だったな。
「今日お鍋なんだけど、安永さん誘っちゃった」
「かんた~~!なんで、お前は安永に甘いんだよ~~!」
「ごめんね。父さん、安永さんと家で待ってるから、早く帰ってきてね」
「そうだ!あいつ直帰するとか言って!!あ~~~~、すぐ帰る!すぐ帰るからな!あ、切る前に、安永に代わってくれ!!」
「はーい」
俺は、素直に安永さんに電話を返した。
安永さんは父さんと話しながら、何やら耳を押さえている。
どうやら、相当大きな声で叫ばれているようだ。
何を言っているか、想像がつく。
「OK。おかんくんのお陰で、許可が貰えたよ」
「それは、よかった!」
「じゃあ、美味しいご飯をご相伴にあずかろうかな!明日、会社で自慢しよう」
「なら、ニンジン飾り切りとかしちゃいましょうか」
「なにそれ!クオリティー高っ!」
「はは、楽しいですね、安永さんといると、時間がゆったり感じます」
「……え」
「安永さんといると、時間をたくさん感じられるから、なんだか得した気分です」
俺が笑顔でそう言うと、安永さんが、鳩が豆鉄砲くらったような顔をしていた。
こういう顔は珍しい。
俺は再度微笑むと、買い物の袋を持って、一歩前を歩きだした。
一歩、二歩、散歩。
ゆっくり、ゆっくり、ゆったり。
世界は、少しずつ。
進んでいる。




