小学四年生、特技は家事です。
俺の名前は、大白崎かんた。
あだ名は「おかん」。
父さん譲りの黒髪と、母さん譲りの釣り目が特徴の、極々普通の小学生だ。
キーンコーン
カーンコーン……――
帰りのチャイムが鳴ると、みんな慌ただしく席を立つ。
もちろん、俺もその中の一人。
だけど、俺の目的はみんなとは、ちょっと違う。
「おかん~、今日みんなでサッカーするんだけど来れねー?」
「あ、ごめん、今日も無理!」
「了解!またな!」
「おう、また!」
学校が終わると、俺は急いで家に帰る。
友達と遊ばないのかって?
そんな時間はない。
だって俺には、やることがあるのだから。
◇◇◇
「鶏もも肉300gください!」
「あらあら、おかんちゃん。今日も偉いわねぇ」
俺が初めて料理をしてから、二年が過ぎた。
料理のレパートリーも増えたし、今では買い物も一人でしている。
最初の頃は、味噌の味しかしなかった味噌汁もちゃんとダシの味がするようになった。
「おかんちゃんったら、こーんなに見た目はサッカー少年なのにねぇ!中身は、ほんっと主婦顔負けだわ!」
お陰様で、大分成長しました。
買い物に行く度、親切な近所の人たちが簡単でおいしい料理をたくさん教えてくれるので、俺の料理のレパートリーは、日に日に増えていっている。
「おかんちゃん、今日は何を作るの?」
「今日は、親子丼だよ」
「あら、じゃあ、卵はマルマンスーパーが安かったわよ!鶏肉おまけしといたから、いっぱい食べてね!」
「ありがとう!仁美さん、だいすき!」
「あらぁ!おかんちゃんったら、ほんとに可愛い!ウィンナー三本もオマケしちゃう!」
「やった!ありがとう!」
肉屋の仁美さんは、凄く優しい人だ。
俺の頭をよしよしと撫でながら、早々と肉を包んでくれた。
買い物は、基本商店街でしている。
個人店の方がオマケもしてくれるし、交流が広がるからだ。
お陰で、商店街では結構知り合いが多い。
さっきの仁美さんへの言葉もそうだけど。
【 だいすきは、まほうのことば 】
これも、母のおしえノートに書かれている言葉の一つだ。
だいすき。
それは、魔法の言葉だと、母さんは教えてくれた。
その一言で嬉しくなるし、人を幸せな気持ちにさせることができるらしい。
大好きと言う言葉は、大人になればなるほど言えなくなる言葉だけれど、大人になっても使うことを惜しんだらいけないものだと教えられた。
大好き。
俺は、この言葉を今後も積極的に使おうと思う。
そうこうしている間にマルマンスーパーについた。
ここも、俺の行きつけのスーパーだ。
「おかんちゃん、今日もお買い物?」
「うん!卵と玉ねぎを買いに来たんだ」
「本当にいい子ね。あ、おばあちゃんね、チョコレート買ったの、よかったらどーぞ」
「あきさん、ありがとう!」
名前で呼ぶと、あきさんが嬉しそうに微笑んだ。
あきさんは、近所に住むお婆ちゃんだ。
旦那さんと二人で暮らしているらしい。
たまに家の前を通ると、縁側でネコと日向ぼっこしている。
可愛い、おばあちゃんだ。
【 なかよくなりたいのなら、なまえでよぶこと 】
これも母の教えだ。
近所のおばちゃんたちのことも、みんな名前で呼んでいる。
おばちゃん、と呼ぶとみんな一緒のように感じるが、一人一人名前で呼ぶとそれだけで、距離が近くなる。
これは、すごく大切なことだと母さんから教わった。
母さんのことは名前で呼ばなくていいのか?と聞いたら、母さんとは生まれた時から一番の仲良しなんだからいいんだと言われた。
「これと、これと……あ、キノコも安い」
結局、二年間の間に、すっかり主婦になってしまった。
キノコを籠に入れながら、美味しそうな玉ねぎを物色していると、後ろでコソコソと話している噂話が聞こえてきた。
「ねぇ、あの子、どう見ても小学生よね……?」
「一人で買い物?親はどうしているのかしら……」
「可哀想に――……」
小学生の俺が一人で買い物に来ていると、たまに知らない人からこうした同情の眼で見られることがある。
おそらく本人は俺が気づいていることに気付いていないんだろうけど、意外とちゃんとわかるもんなんだよ。
人の視線の意味とか。
大人の考えていることだとか。
そういう視線を無視するのにも慣れた。
俺には、帰って大事にしなきゃいけない家族がいるんだ。
母さんのためにも、俺はもっと頑張らないと。
でないと、死んだ母さんが心配で成仏できないからね。
俺は、母さん譲りのプラス思考だ。
お陰で、父さんのことを引っ張っていけるし、得している。
「――……」
だけど、こういうことがあると、どうしても少し心がモヤモヤしてしまうわけで……。
俺は、ほんの少しだけ、寄り道をすることにした。
そこは、俺の秘密の場所。
いつも誰もいない、林の奥だ。
危ないから誰も近づいてはいけないと、わざわざ看板まで立ててある。
俺は昔から、誰もいない此処に一人で来るのが好きだった。
理由は、歌を歌いたいからだ。
「誰もいないよな――……よし、」
こういう時に歌う歌は、決まっている。
母さんが教えてくれた、どこかの国の歌だ。
これだけは、楽譜も何も見なくても歌える。
そして、この歌は、たぶん俺だけしか知らない歌だった。
一度だけ、入院中のベッドの上で、母さんと一緒に歌ったことがある。
あの日のことは、忘れない。
母さんが歌うと、病院の中央に植えてある桜が一斉に咲きだした。
そして、病室の花たちも満開に開いていく。
俺は、何故かその歌だけは、一度聞いただけで全て覚えることができた。
魔法のような光景が、今でも鮮明に瞼の裏に焼き付いている。
母さんは、この歌は何もない時には歌ってはいけないと俺に言い聞かせた。
この歌は、しあわせを教えてくれる歌らしい。
母さんは、俺が大きくなった時、その意味を教えてくれると言った。
その約束が叶わないのだと知っていても、母さんとの約束が嬉しかった。
未来に向けた言葉は、俺に幸せを与えてくれた。
大好きだった、母さんの歌。
これを俺が歌えることは、誰も知らない。
母さんが歌うと花が咲くことは、父さんも知っていたみたいだけど、俺にそれを教えたことに関しては、母さんも父さんには話していなかったみたいだ。
父さんが、母さんの歌が大好きだったことは知っている。
でも、だからこそ、歌えなかった。
母さんの歌を歌ってしまえば、また父さんを悲しませるかもしれない。
さくらに寂しい想いをさせるかも……そう思ったら、この歌を歌うことはできなかった。
アカペラでしか歌ったことがないけど、この歌を歌っている時、何故か母さんの声がいつも重なって聞こえる気がした。
まるで、あの日のように。
母さんと一緒に歌っているような、そんな気分になれるんだ。
だから、俺は心がモヤモヤした日は、いつもこうして、一人でコッソリ母さんの歌を歌っている。
あの日の魔法は、まだ続いているんだ。
見れば、傍にあった草木が少しずつ成長している。
もう見慣れた光景だけど、よく考えたら、これってきっと変わったことなんだろうな。
だから、余計に人前であまり歌えないんだけど。
一通り歌うと、辺りが花畑になっていた。
それを見ると、とても穏やかな気持ちになる。
「……よし、帰ろう!」
その花を見て、満足したので、俺はスーパーの袋を抱えて家へと走った。
◇◇◇
「ただいま」
帰ってきても、おかえりの声はない。
だけど、「ただいま」は、必ず言う癖がついていた。
昼間は学校に行き、帰って来たら家事をする毎日。
夕方になれば、父さんとさくらが帰ってくる。
それまでに、お風呂掃除と簡単な夕食の準備を済ませておくのが、俺の日課だ。
失敗なんて数えきれないくらいしてるし、お風呂が出しっぱなしで家が洪水になりかけたことだってある。
周りから見れば、今でこそしっかりしていると言われる俺だけど、本当はそんなことない普通の小学生だ。
何度も泣いたし、悔しくて寂しい想いもしたけれど、それでもこうして母さんの代わりをやっていられるのは、大好きな家族がいるから。
家の家事をやっていると、あっという間に時計の針が六時を指していた。
「ただいまー!かんた!」
「ただいまー!」
「おかえり、さくら、父さん」
蕩けそうなくらい幸せな笑顔を浮かべて帰宅した家族を見て、俺もふにゃっと顔が緩む。
帰ってきた父さんとさくらにハグをしながら、あったかい愛を感じた。
俺は、母さんの代わりみたいな存在で、母さんにはなれない。
だけど、家族のしあわせを一番に願っている。
「ごはん、できてるよ!」
お母さんにはなれなくても、おかんにはなれる。
だから、俺はこれでいいんです。