苦手なものくらい、あります。
俺の苦手なもの。
それは、焼き菓子を作ること。
◇◇◇
「おかんって、何でもできるよね」
「いきなり、どうしたの……?」
「別に~、ただ、おかんを観察してたら、そうだなぁって思っただけ!」
観察か。
それで、さっきからジッと見てたんだね。
美由紀ちゃん。
「俺、結構不器用だよ?」
「え~~~、そんなことないよ!」
そんなこと、あるよ。
むしろ、できないことの方が多いと思う。
「嘘だよ!だって、おかん成績だっていいし!」
それは、勉強しているからです。
父さんとかさくらみたいな天才肌ではありません。
「スポーツだってできるし」
人並みにね?
スポーツテストは、平均程度です。
「料理も裁縫もできるし」
それは、おれがおかんだから……って、これは理由ではないか。
「何か出来ないこととかないの?苦手なこととか!」
美由紀ちゃんが、ぐっと目の前に詰め寄ってきたので、言葉を詰まらせる。
苦手なこと……か。
「何回やっても失敗することならあるけど」
「え、何々?!」
「お菓子作り」
「え、嘘、意外!!」
「ぶはっ」
予想以上に驚いていた美由紀ちゃんをよそに、彼女の後ろで噴きだした奴がいた。
俺は恨みがましい目を、彼に向ける。
「何笑ってんだよ……遥」
「ククッ、べつに、何でもない」
笑いをおさえているあたり、カチンっとくる。
なんだよ。
どうせ、俺は不器用ですよ。
「何でもないって顔してないだろ」
「あれから全然成長してないの?」
「……何回焼いても、何故か失敗する」
「ぷはっ、それ、才能ないんじゃね?」
「いつか、成功させてやるっつーの」
俺が遥と言い合っていると、美由紀ちゃんがキョトンとした顔でこちらを見ていた。
不思議に思って、首を傾げると、彼女は言った。
「は、遥くんって笑うんだ…」
「「へ?」」
その言葉に、俺と遥は、二人で顔を見合わせた。
そういえば、遥、そんなにクラスで笑ってなかったっけ。
俺は、もう何度も見てるから驚かなかったけど。
周りから見たら、珍しいものを見たって感じなのだろうか。
「そういえば、教室で大笑いしたの久しぶりかも」
「勿体無いな、もっと笑えよ」
「営業用なら、この通り」
遥は、ニッと、口端を吊り上げて笑った。
まったく、可愛くない。
遥の、その笑い方にムッとしたので、両頬を抓ってやった。
「その嘘くさい笑い方は、俺は好きじゃない」
「いへへ、ひっはるな」
「全く、笑ったら可愛いんだから、遥はいつも通り自然に笑ってればいいんだよ」
「は?」
「キャッ」
「ん?」
俺がそう言うと、何故かシンっとした。
遥は頭をおさえているし、隣にいた美由紀ちゃんは顔を両手で覆っている。
話に入っていなかったはずの、よっちゃんたちまでもが、凄い目で俺を見てきた。
なんだ、この空気。
「え、なに?俺のせい?」
「今のは、おかんが悪い」
「は?!俺、何かダメなこと言った?」
「悪いというか、性質がわるいな。それ、女の子には言うなよ?」
「うちのクラスの女子は、いつも自然に笑ってるから言う必要はないだろ?」
「そうじゃなくて……はぁ、おかんってこういうところあるよな」
「あるある」
「怖いよなぁ、天然って」
「うんうん」
なんなんだよ!
俺がジトッとした視線を遥に投げつけると、遥は苦笑しながら、席に戻っていった。
結局、誰からも答えを教えてもらえないまま、その日の授業は終了した。
◇◇◇
帰り道。
俺は顎に手を添えながら、考えた。
「男相手に、可愛いって言ったのがダメだったのか……それとも言い方?」
いくら悩んでも、何がいけなかったのか、わからなかった。
なんだか、それはそれでモヤモヤする。
「おかんくーん?」
「ん?」
すると、帰り道で、珍しい人と遭遇した。
「安永さん!お久しぶりです!」
「おー、久しぶり!元気?」
「元気だよ!父さんと一緒じゃないの?」
「今日は、俺だけだよ。こっちに用があったんだけど、偶然おかんくんに会えるなんて、今日はラッキーだな」
安永さんは、父さんと同じ会社の人だ。
昔、何度か会ったことがある。
ちょっと、チャライけど、いい人だ。
「なんか元気ない?」
「え、そんなことないですよ?」
「本当に?」
ジッと顔を覗き込まれて、うっと、喉がつまった。
言ってしまおうか。
でも、なんて?
男に可愛いって言ったら、ドン引かれたなんて。
……うん、答えはもう出てるよな。
「大丈夫デス。もう解決しました」
「え?!今?!」
「たった今です。はい」
俺が抑揚のないコンピューターのような片言でそう返すと、安永さんがムッと口を尖らせた。
「それじゃあ、俺、お役御免じゃん?」
「どういう意味ですか?」
「用無しってこと!」
「フルーツですか?」
「ラフランスじゃなくて!」
安永さんが拗ねてしまったので、俺は渋々今日あった出来事を彼に話した。
「……という、わけでした」
「なるほどなぁ……さすがは、あの大白崎さんの息子と言ったところか」
「え?」
「何でもない、こっちの話!それより、今の話だけどね、多分それは、おかんくんが無意識に相手のことをドキッてさせちゃったのが問題なんじゃないかな?」
「ドキッ?」
意味がわからず首を傾げると、安永さんがまぁまぁと言いながら、俺に缶ジュースをおごってくれた。
「例えばさ、可愛いって言われたとして、どう思う?」
「いつも、普通に流してます」
「いつもって……あー……そうだよね、大白崎さんは可愛い可愛い言うよね」
「むしろ、言わない日がないと思います」
「うん。会社でもよく言ってる」
「会社でも言ってるんですか……」
「うん、写真見せながら、よく家族自慢してるよ」
「なんか、スミマセン……」
「ほほえましくて、好評だから安心して」
「それなら、いいんですけど」
いや、よくない。
写真って、どの写真見せてるんだ?
え、待った。
そもそも、父さんの携帯のフォルダって、どうなってるの?
「帰ったら、チェックしなきゃ」
「やべ、俺、大白崎さんに殺されないかな……」
「あ、そうだ安永さん」
「はい!」
「さっきの続きなんですけど、男が可愛いって言われるのって、やっぱり嫌ですか?」
「うーん、ニュアンスにもよるんじゃない?あとは、時期とか」
「時期?」
安永さんは、たとえばね、と言って俺の目の前にしゃがんだ。
「思春期に、可愛いねって言われるのは、少し恥ずかしいんじゃないかな」
「それは……わかる気がします」
「今、まさに思春期だもんね」
「そうなのかな?」
「うんうん、あとは、なんだろう。たとえば、女の子みたいで可愛いねって言われたらどう思う?」
「あ、それは嫌です」
「でしょ?可愛いって、ほら、女の子への褒め言葉に使うことが多いじゃない?だから、可愛い、イコール、女の子みたいだね、って言われたみたいで嫌だと思う子がいてもおかしくないんじゃないかな」
「そっか……」
勉強になった。
楽観的に考えてそうな安永さんだけど、相談相手には凄く向いているのかもしれない。
「ありがとう、安永さん!俺、次から気をつけます!」
「そうだね!後は、そのうち、またちゃーんと注意が入ると思うけど、無防備とか無意識とか絶対ダメだからね!まだ小学生だから心配することはなさそうだけど……その様子だと、高校生になったら、君は特に要注意人物になる気がするから」
「要注意、人物?」
なんだ、それは。
まるで、犯罪者予備軍みたいな言い方だな。
「俺、なんかダメになるんですか?」
「違うよ、危なっかしいって言ってるの。あまりに純粋で綺麗だからね」
「はぁ、そうなんですか?」
安永さんの言っている意味は、全く理解できなかった。
そのせいか、安永さんも「将来が危険だ」となぜか俺の将来を案じている。
「とにかく、今日はくっきーを焼きます」
「え、話飛んだね?!」
「そのクッキーを渡して、明日、そいつに謝ります」
「あ、そういうことね」
遥はクッキーが好きだし、謝るきっかけにはちょうどいいだろう。
多分、怒っているわけじゃないと思うけど。
今のままだと、俺の方が、なんかもやもやするし。
ここは、スパッと男らしく謝ろう。
「手作りのクッキー?」
「そうです、俺、お菓子作りが苦手だから、また失敗するかもしれないんですけど」
「おかんくん、苦手なものあったんだね」
「ありますよ!むしろ、できないことの方が多いです」
「そっかぁ、なんだ!一気に親近感がわいちゃったよ!」
「そうで……うわぁっ!」
話している途中で、急に身体が浮いた。
気づけば、安永さんに抱きかかえられている。
父さんといい、安永さんといい。
俺、もう小学校五年生なんですけど?
体重も結構あるし、重いと思うんですけど?
「全然、軽いよ?」
「俺、口に出してませんけど?!」
「あはは、顔に書いてあるよ」
「読まないでください!」
「このまま、家まで送るよ」
「いいです!下ろしてください!」
「次の道、左だったよね?」
「人の話を!!聞きましょう!!」
下ろしてもらおうと、抵抗を試みたが、惨敗。
仕方なく抱っこされたまま、家を目指すことに。
「クッキー俺も手伝ってあげようか?俺、結構器用だから、いいアドバイスできると思うよ」
「え!でも、安永さんに迷惑かけるわけには」
「迷惑なんかじゃないよ~、むしろ、もう少しお喋りしていたいし、何より、家に帰った時に、俺がいたら大白崎さんがどんな顔するかが見てみたいね!」
「……あの、前から思ってたんですけど」
「ん?なーに?」
「安永さんって、結構、人をからかうの好きですよね?」
「えぇ、そんなひどい奴いるの?」
いますでしょう、ここに。
やれやれと頭を抱える。
どうやら、性質が悪いとはこういうことを言うらしい。
「ねぇねぇ、そろそろ家?」
「あ、そこの角を右に曲がったら」
「よーし、じゃあとうちゃーーー「何してんだ……安永」……っく?」
振り向くと、そこには般若の面を被ったような父さんの姿があった。
父さんが怒るだなんて、珍しい。
「大白崎さんじゃないですか」
「俺の息子に何をしているんだと聞いてる」
「たまたま、帰り道で会ったんで、相談されがてら、送り届けに参りました」
「は?!相談?!かんた、なんでこいつに?!相談なら、俺がのるのに……!」
「父さん、落ち着いて。これには、深い理由が……」
「というか、いつまで抱っこしているんだ!返せ!!」
グイッと引っ張られ、今度は父さんに抱えられる。
俺、荷物じゃないんですけど?
「そんな警戒しないでくださいよ、大白崎さん。俺、今からおかんくんとクッキー作る約束してるんですから」
「なに?!本当なのか、かんた!?」
「あー……その、俺がクッキー作るの下手だって言ったら、安永さんが、俺が教えてあげるよって」
「クッキーでも、マカロンでも、ティラミスでも、俺が教えてあげるのに!!」
「いや、父さんが料理とか無理でしょう?台所立ち入り禁止だからね?」
そう。
勉強はできても、家事はからっきしなのだ。
一度、うどんをゆでようとして、うっかり家事になりかけたことがある。
申し訳ないけど、父さんを台所に招き入れるわけにはいかない。
「ほら、俺の出番ですって!」
「かんた、ちょっと待っててな。今、安永と話つけてくるから」
「大白崎さん、その拳は仕舞ってください?話をするのに、いらないはずでしょう?」
「いやいや、即座に終わらせるためには有効的だよ」
「有効的かもしれませんが、友好的ではないので却下します」
そんな大人げない言い争いをしている父さんたちを見て、俺は頭を抱えた。
なんでもいいから、はやく下ろしてほしい。
そして、作ってみたけれど、やっぱり焼き菓子は失敗したのだった。
次の日、遥に笑われたのは、言うまでもない。




