音楽の成績は、普通です。
キーンコーン
カーンコーン――……。
「さぁ、授業はここまで」
上野先生の一言で、みんな教室から飛び出して行く。
俺も教科書を持って出て行こうとした、その時。
「あ、かんたくん、ちょっと残って貰ってもいいかしら?」
「はい?」
上野先生が、ふいに俺だけを呼び止めた。
俺は、学級委員でも吹奏楽部に入っているわけでもない。
なら何故、俺を呼び止めたのか。
俺は、疑問に思いながらも頷いた。
「何か用事ある?」
「いえ、大丈夫です」
他の生徒たちが音楽室から移動する中、俺は先生と音楽準備室へと向かった。
◇◇◇
「どうしたんですか?」
「あのね、気のせいだったらごめんなさい……かんたくん、もしかして、もっと声が出るんじゃないかと思って……」
俺がキョトンとしていると、先生はある古い雑誌を取り出した。
「……お母様のお話をしてもいい?」
「はい、もちろんです」
「私、実は、かんたくんのお母様のファンだったの。メデイアに出られることが殆どなかったから、そんなに有名ではなかったけれど、貴方のお母様はとても素晴らしい歌手だったわ。本当に、あなたのお母様の歌は、不思議だった。身体が音で包まれているような、そんな感覚になったのを、今でもよく覚えているの」
雑誌には、小さな記事が載っていた。
【 奇跡の歌声 】
と題されたその記事を、俺は初めて読んだ。
「“奇跡の歌声の持ち主、百花。彼女の歌声は、多くの人を癒やす、幻の歌である”……、この記者さんの名前、どこかで見たことがある……前に、母さんにファンレターくれた人かも?」
「彼女の周りにいる人たちは、みんな彼女のファンよ。スタッフも、記者たちも、みんな、彼女の魅力に包まれていたの」
「母さんって、凄かったんだね」
「少なくとも、私にとっては、女神さまのような人だったわ」
上野先生は、まるで子どもみたいに母さんのことを俺に話してくれた。
どうやら、髪を伸ばしているのも、母さんの影響らしい。
確かに、母さんはずっと髪を伸ばしていた。
「まるで、天使のようだったの。長い髪をなびかせて、白いドレスに包まれて。彼女の透き通る声だけが、ホールに響いている。最高のコンサートだった」
「先生は、その時いくつだったんですか?」
母さんがコンサートをしていたのは、結構、昔の話だ。
「私が初めて、彼女のコンサートに行ったのは、私が高校生の時よ。あの時は、正直学校も部活も辛くて、自分には音楽の才能なんてないんだって落ち込んでたの。でもね、彼女の歌に出会ってから、その考えは変わった。音を楽しむのが音楽なのに、私は、何も楽しんでいないことに気付いたの。彼女の歌は、それを私に教えてくれたわ。まるで、先生が生徒に教えるように。優しい歌を聞いて、まるで、あなたは一人じゃない。そう言って貰えてるように感じたの」
母さんは、歌うことは、話すことと、よく似ていると言っていた。
声を出す人間と、聞く側の相手が存在するからだ。
たとえ、誰もいない場所で歌っていても、それは一人の歌じゃないと母さんは言っていた。
自然や、空や、物たち全てが聞いている。
そして、目には見えないものたちも、みんな耳をすませている。
だから、歌う時には、必ず傍にいる誰かに聞かせているんだと思って声を出すんだと、母さんは俺に教えてくれた。
「もっと音楽を楽しみたい。そして、音楽の楽しさを、もっとたくさんの人に教えたい!……そう思っていたら、気付けば、音楽教師になっていたってわけ」
「凄いね、先生」
「凄いのは、あなたのお母様よ」
先生は、ギュッと古い雑誌を抱きしめた。
「お身体が弱くて、あまりコンサートも行われなかったけれど……開けば、チケットは即完売。知る人ぞ知る最高の歌手だったわ。貴方が彼女の息子だから、もっと声が出るとかそう言う風に言いたいんじゃないの。ただ、みんなの歌の中に混じって聞こえる貴方の歌声が……なんだろう、もっと、もっとって、言ってるように聞こえたの。……ごめんなさい、こんなこと言われても困っちゃうわよね」
「いえ、わかります……先生が言ってること」
俺は音楽準備室に置いてあった、小さなキーボードを取り出した。
「ここも、防音ですよね?」
「え、えぇ、そうよ」
「先生、kosmos弾いてください。1番だけでいいんで」
俺の申し出に、先生は慌ててキーボードの前に立った。
そして、恐る恐る、と言った様子でキーボードの鍵を叩いた。
母さんに教えてもらった「あの曲」でなければ、植物が極端に成長することはない。
だからこそ、思い切り声を出して歌った。
「―――……っ」
これだけの声量で歌うのは、久しぶりだ。
叫んでいるわけじゃない。
ただ、声を響かせているんだ。
空にまで届くように。
俺の歌声に、先生はピアノを弾きながら、どんどん目を見開かせた。
1番だけで終わらせようと思っていたけれど、先生の手が止まらなかった。
まるで、もっと歌ってほしいとでも言うかのように、指先が音を奏でていく。
全てを歌い終わった時。
先生は、涙を流していた。
「上野先生、」
「ごめん、なさい……あまりにも、綺麗で、まるで……」
「母さんみたいだった?」
俺がそう聞くと、上野先生は涙を零しながら何度も頷いた。
「俺がクラスで本気で歌わない理由はね、ここまで大きな声を出すと、目立っちゃうかなって思ったからなんだ…」
「そうね……目立ってしまうのは、間違いないわ」
「僕は、それをしたくない。今は、小さな声でも歌が歌えればいいんだ」
俺がそう言うと、先生は納得したように頷いた。
「素晴らしい歌をありがとう……」
「みんなには、内緒にしてくださいね」
「えぇ、もちろん。……かんたくんは、声楽の道へは進まないの?」
俺が首を傾げると、先生は勿体無いとでも言いたげな顔をしていた。
「まだ、将来なんてわからないです」
「そうよね、でも本気で目指したいなら、いくらでも協力するからね?本当に……貴方の歌は、素晴らしいもの……!」
先生の言葉に、俺はクスッと笑って答えた。
「まだ小学生だし、これから、声変わりもするよ」
「そうね……でも、あなたの歌の素晴らしさは変わらないはずよ」
「うん、ありがとう、先生。声変わりが終わっても、今と同じ声を出せるかはわからないけど、歌い方は変わらないと思う」
だって、歌は母さんから教わったものだから。
きっと、一生、忘れることはないから。
「えぇ、きっと。あなたの歌を、いずれ、たくさんの人が聞くことになると思うわ。……ううん、違うわね。そうなって欲しいと、私が思っているの」
先生は、ようやく泣き止んでくれた。
よかった。
このまま誰かに見られていたら、音楽準備室で、俺が先生を泣かせてしまったと言う変な誤解が回ってしまうところだったから、セーフだ。
まぁ、誤解ではないんだけど。
「そろそろ、休み時間終わるから、俺、教室に戻るね?」
「ハッ、ごめんなさい!先生の我が儘につき合わせちゃって、」
「ううん、大丈夫。それよりも、先生もちゃんと目を冷やしてね」
そう言って、キーボードの前に座る先生の頭を一度だけ撫でてから、準備室を出ていく。
後ろでは、上野先生がぽかんと口を開けていたみたいだ。
ましてや、その後、顔を真っ赤に染めて「なんなの……」と、先生が呟いていたことなど。
俺は、知る由もなかった。




