エピローグ
大白崎かんた、あだ名は「おかん」です。
別に苛められているわけじゃないけれど、気付いたらこのあだ名が定着していた。
俺の母さんは、俺が八歳の時に死んでいる。
凄く悲しかったけど、死ぬ前に母さんは沢山のことを俺に教えてくれた。
大白崎 百花。
それが母さんの名前だ。
母さんは、どんな時でも笑顔だった。
むしろ、父さんの方がめそめそしていたくらいだ。
病気が悪化してから、母さんはずっと入院していた。
幼い頃から元々身体が弱かった母さんと家の中で過ごした思い出は、ほんの少ししかない。
だけど、母さんが残してくれたものは、たくさんある。
母さんは、歌を歌っていた。
本格的な歌手活動をしていたわけではないけれど、母さんのファンはたくさんいたらしい。
今でも、母さん宛のファンレターが家に届くくらいだ。
母さんは、柔らかい声で歌を歌っていた。
俺は、母さんが歌う外国の歌が凄く好きだった。
何を言っているか全然わからなかったけど、それでも好きだった。
母さんは病院でも、身体の調子がいい時には歌を歌っていた。
母さんは、どこへ行っても人気者だった。
その歌が聞きたくて、いつもはベッドから降りない頑固な患者さんもみんな母さんの歌を聴きに中央広場に起きてきたくらいだ。
母さんの歌を聞くと、不思議と身体の具合が良くなるって、他の患者さんたちは言っていた。病院の先生も驚いていた。
だけど、肝心の母さんの病気は、少しも良くならなかった。
毎日お見舞いに行っていた俺に、母さんはいつも色々な話をしてくれた。
それを俺は自由帳に「母のおしえノート」とタイトルをつけてメモしていた。
そして、自分がいなくなった時には、頼りないパパと、かわいい妹のさくらを頼むと言われた。
八歳の俺は、世間から見たら、どうしようもなく子どもだと思う。
だけど、子どもだからと言って何も理解できないわけじゃない。
母さんがもうすぐ死んでしまうことも、周りの大人が話している会話も、全部理解していた。
だけど、子どもだから、話に入り込まないようにしていただけだ。
母さんだけは、そんな俺のことをよくわかっていてくれた。
だからこそ、俺に、あの二人を頼むと託してくれたんだと思う。
母さんが大好きだった。
だから、死んでしまうとわかっていても、本当に死んでしまった時は、どうしても悲しくて、悲しくて壊れてしまいそうだった。
だけど、そうはいかなかった。
母さんが言った通り、母さんが死んだ後の父さんの狂い方は酷かった。
ろくにご飯も食べず、幻覚を見ているのか夜中に何度も外に出て行って、母さんを探したりしていた。
母さんを溺愛していた父さんだったからこそ、こうなることは誰もが予想できたけれど、予想以上の半狂乱っぷりに、周りの親戚たちは俺たちを引き取ろうかという話さえしていた。
そんなわけにはいかない。
俺は、母さんに父さんと妹を任されているんだ。
妹は、まだ四歳だった。
俺は、俺がしっかりしないといけないんだと――覚悟を決めた。
そして、俺は行動に出た。
母さんの教えノートを片手に。
「……おはよう、かんた」
「おはよう!父さん!はい!お弁当!」
「え?!」
俺は、父さんと妹のために、お弁当を作った。
と言っても、ごはんと、もらったお漬物と、ウィンナーしか入っていないお弁当だけど。
炊飯器のやり方は母さんに習った。
お米は、小学一年生の時から炊ける。
後は、家のパソコンを使って色々調べた。
ウィンナーは火を使えなかったので、電子レンジでチンした。
お漬物は、冷蔵庫に入っていたやつだ。
「何してるの!仕事遅れるよ?朝ごはんは俺たちシリアル食べたから」
「え、……はい」
「帰りは、真っ直ぐ帰ってきてよ?」
「……はい、」
「今日もお仕事頑張ってね!」
俺がそう言うと、父さんは目が落ちそうなくらいに驚いた顔をしていた。
いつも死にそうな顔で仕事に向かうのに、その日は少しだけ目に光が見えた。
昨日コンビニで買ったウィンナーが役に立った。
父さんはぼーっとしていたから、俺が何を買ったのかすら覚えていなかったらしい。
母さんが死んでから、ずっとコンビニ弁当だった。
コンビニ弁当がダメなわけじゃないけど、やっぱり手作りの方がいいと思ったんだ。
さくらも久しぶりの弁当に喜んでいた。
でも、ごめんな。お兄ちゃんそんなにたくさん具は作ってあげれなかったんだ。
ちょっと申し訳なく思いつつも、これからはなるべく自分がごはんを作ろうと決意した。
それからの毎日は忙しかった。
図書室で料理の本を読んだり、家庭科の先生に料理の作り方を色々教わったり。
最初は塩おにぎりだけだったのが、徐々におにぎりに具が入るようになった。
買い物に行きたいからお金が欲しいと言うと、父さんがさらに驚いた顔になった。
自分も買い物に付き合うと行って聞かないので、仕事終わりの父さんと閉店間際のスーパーに駆け込んだ。
醤油や味醂、味噌も買った。
食材も買って、冷凍食品も買い込んだ。
必要なものを揃えて、重い荷物を抱え家に帰る。
待っていた妹には寂しかったと泣かれた。
「すぐにご飯作るからね」と言うと、妹はピタリと泣き止んだ。
俺は台所に踏み台を置いて料理をはじめた。
火や包丁を使うと言った時は、父さんに反対されたけど、やらないと一生できないままだ。
俺は冷凍食品やコンビニ弁当だけで過ごしたくないし、家族にもそんな生活はさせたくない。
父さんは、仕事をしている。
そんな父さんに、家事も仕事も任せるわけにはいかない。
そもそも、父さんに家事ができる気がしない。
妹もいずれは料理なんかができるようになった方がいいんだとは思うけれど、今は俺がやるのが一番良いんだと思った。
心配そうに唸る父さんを何とか説得して、俺は台所に立つ権利を手に入れた。
ただ、せめて火を使うのは父さんがいる時、という条件をつけられた。
買い物に出かけた日、初めて料理らしい料理を作った。
味噌汁と、肉炒めだ。
お世辞にも美味しい、綺麗とは言えない出来栄えだった。
味噌汁は味噌の味しかしないし、肉炒めはどこかしょっぱい。
食べれなくはないけれど、これは改善の余地がたくさんありそうだ。
だが、父さんも妹も喜んで平らげてくれた。
あたたかい手作りの料理は無敵らしい。
それだけで、久々に家族団欒に笑顔が戻った。
それから俺は、母の教えノートの一番最初のページを開いた。
そこには俺の書いた汚い字で【 おいしいごはんは、しあわせへのちかみち 】と書いてあった。
俺は、新しく書き始めた、自分の料理改善ノートに、今日のメニューを書いて、次回はもっと美味しい肉炒めを作る!と書き足しておいた。
そんなノートが、今日で丸三冊目になる。
あれから、二年。
大白崎かんた、小学四年生。
今年で十歳。
あだ名通り、「おかん」やってます。