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お爺ちゃんが妙ちゃんに伝えたい事…それは、平和よりも尊いものなど無いということ

 月明かりだけを頼りに、妙ちゃんのお祖父ちゃんが操縦する爆撃機は蒼白い闇の中を、ひたすら日本へ向って飛び続けました。


眼下に広がる海は蒼白く、まるでスパンコールの様にキラキラと輝いていました。


どうやら敵機は居ないようです。

月と満天の星達に見守られながら、爆撃機はひたすら日本へ向って飛び続けました。


静かな夜です。



鈍いエンジン音が月夜の空と海に響き渡り束の間の平和がお祖父ちゃんと仲間達を包み込んで夜は静かに過ぎて行きました。




『ご飯よ〜ッ』キッチンからお母さんが呼ぶ声で妙ちゃんは目を覚ましました。

すっかり夜になっていたのです。

階下のキッチンから、美味しそうな匂いがしてきます。


妙ちゃんは、お腹が減っている事に気が付きました。


『はぁ〜ぃ』元気よく返事をして、階段を降りていきます。

お父さんもいつもより早く帰って居ました。

楽しい三人の夕食の始まりです。


 その夜、妙ちゃんは夢を見ました。


夢の中は、南の国の何処かの島でした。 


満天の星空は、まるでダイヤモンドを黒いベルベットの上に撒き散らしたような、妙ちゃんが今迄に、見たことの無い、もう言葉では表現しようの無い美しさでした。


そして、水平線の近くに横たわるように、半分欠けた月が銀色に輝き、白い砂浜は月明かりに照らしだされ水の中まで輝いています。 

海から吹いてくる風は気持ち良く妙ちゃんの頬や髪を撫でてくれるのです。 


誰かが砂浜をこちらに向って歩いて来ることに妙ちゃんは気が付きました。 


若い男の人です。 


誰なのでしょう。 


前に何処かで逢ったような、懐かしい人のような、妙ちゃんは思い出そうとするのですが、思い出せません。 

その若い男の人は、妙ちゃんのすぐ近くに来ました、そして『妙子、よく来たね、元気だったか?』

優しく尋ねてきます。 

『お兄さんは、妙子のこと、知ってるの?』『もちろん、知ってるよ。妙子はね、後四十五年ほど経ってから私の孫として生まれて来るんだよ。』

妙ちゃんは不思議なことを言うお兄さんだなと思いましたが、その言葉を夢の中では、なぜか信じることが出来ました。『それじゃあお兄さん、妙子のお祖父ちゃんなの?』


お兄さんは、その質問には答えず、月が浮かんでいる辺りを眺めながら、『妙子、宿題は出来たか?』


と、聞いてきます。 

妙ちゃんは、宿題はまだ出来上がってない事や、戦争の事も知らない事がいっぱい有ったし、お祖父ちゃんの手紙でいろんな事が判ったので、それを作文にまとめて発表するつもりで居ること等を話しました。そして、戦争が悪いという事は誰もが解っている筈なのに、なんでいつまでも戦争は無くならないのだろう。


世界の指導者達はみんな平和な社会を創らなくてはいけないって言ってるのに、戦争は終わらない。

今だって世界の何処かで戦争が行われている、何故なの、妙ちゃんは、お兄さんのお祖父ちゃんに聞きました。

 お兄さんのお祖父ちゃんは、妙ちゃんに背を向けたまま、呟くように話し始めました。『妙子、おまえの言うとおり、おかしな話だね、私もそう思うよ。』妙ちゃんは、もう一度訊ねます。

『お兄ちゃん、』


このお兄さんが自分のお祖父ちゃんなんだという事は、何となく理解出来たけど、こんな若いお兄さんの事をお祖父ちゃん、なんて呼べません。 


『お兄ちゃんは、兵隊なんでしょ、昔の日本の軍隊は、命令は絶対だったんでしょ、だから、戦争が悪い事なんて言ったら大変だったでしょ。』


『それでも、戦争が悪い事だなんて、みんな解っていたよ。とくに軍隊の偉い人達は、よく解っていたさ、やったら負けるって…』

『じゃあなんで、戦争をしたの?』


『何故なんだろうねぇ私にも解らないな。』

『妙子、私は思うんだけれど、過去に戦争をどんな理由でやってしまったのか、それを探るよりも、未来に向って戦争を憎む心を、人間の中に植えて行く事が大事だと思うんだ、だから、未来を生きる妙子達が今から、戦争を憎む心を自分の中に育てて行ってほしいんだ。』

『ウン、妙子頑張る。』


妙ちゃんの返事を聞いたお祖父ちゃんは、とても嬉しそうでした。 

青年の姿をしたお祖父ちゃんは、妙ちゃんの頭に手を置いて、『妙子、もういかなくてはならない、お父さんやお母さんの言う事をよく聞いて、勉強も頑張ってくれ』そういうと、月明かりに浮かび上がる砂浜を来た方向へ歩きだしました。 


こぼれ落ちて来そうな星空と珊瑚礁。白い砂浜をお祖父ちゃんは戻って行きました。


お祖父ちゃんの姿が小さくなって、青い夜に溶けこんでしまいそうになった辺りで、妙ちゃんは、お祖父ちゃんを呼びました、精一杯、声を張り上げて、何度も呼びました。 


一度だけお祖父ちゃんは振り向いてくれたようでしたが、すぐに青い夜の向こう側へ消えてしまいました。


妙ちゃんは泣きました。

お祖父ちゃんは死んでしまう訳でもないのに、何故か妙ちゃんの眼からは涙が後から後からこぼれ落ちて居ました。



妙ちゃんのお気に入りのオルゴールの目覚まし時計が鳴りだして、

朝がやって来ました。

夢の中でいっぱい泣いた妙ちゃんの眼は、少し腫れぼったく為っていました。 


今日は、宿題頑張れる気がする妙ちゃんでした。






何時間が過ぎたでしょうか。 


惨たらしい姿の瀕死の負傷兵達を乗せた爆撃機は、日本の領海に近づいていました。妙ちゃんのお祖父ちゃんの操縦する爆撃機の機体は朝の訪れを報せる輝きに包まれています。


真っ暗な空が少しずつ、明るさを取り戻して来ると、そこには何処までも続く雲海が広がっていました。 


その雲の海が東の方から朝焼けの色に染められて、紅の海原に変化していく様子は感動的な光景でした。 


巨大な太陽が雲の海からついに姿を現すと、厳かな一日の始まりです。 


何もかもを、紅に染め上げ、そこに溶かした黄金を流したような、煌めきのセレモニーの始まりです。


そして、遥か前方に、雪を頂いた富士山が朝日をいっぱいに浴びて燃える様に雲海から姿を表しています。 


『おいっ!みんな聞こえるか、日本だぞ!富士山が見えるぞ!起きろ、起きろって!』 

お祖父ちゃんは機体を大きく傾けて、爆撃機の小さな窓から富士山が見える様にします。

負傷兵達に日本に帰って来れたことを知らせるためでした。『ウォーッ』


彼らは声に為らない声を発します。


小さな窓から、美しい富士山が見えます。


白雪を紅に染めて輝く富士山の姿は、ただただ美しく、言葉で表現することは出来ません。 


折り重なるように狭い機内の床に横たわっていた負傷兵達の輝きを亡くした眼から涙が溢れ、土のようにひからびてしまった頬を、幾筋もの涙がつたい落ちています。 


判るのです彼らにも、自分達が日本に帰って来れたことが、脚も無い、腕もない、あちこちに銃弾や爆弾の破片が入ったままの身体で、それでも彼らは帰って来たのです。 


彼らの肉体は、とっくに腐って、死んでいます。 


でも彼らの心はまだ生きていたのです。 


彼らの心は、朝日を浴びて輝く富士山の姿を見てやすらぎました。

戦争が始まってから、こんな気持ちになった事なんて有りませんでした。 


遠い昔、彼らがまだ幼い子供の頃、お母さんの胸に抱かれて見上げた夏の朝の白い雲、あの時の幸せな気持ちを、父親と母親に挟まれるようにして手を曳かれながら出かけた縁日の賑わい。 


幸せな時間、幸せな空間、それがどうしてこんなに成ってしまったのだろう。 


やすらぎの中に心を漂わせながら、遠退く意識の片隅で彼らは思いました。 


自分達がしてきた事が本当に日本の為に成ったのだろうか?


日本は勝てるのだろうか?


そして、最後に彼らひとりひとりが一番大切な人の顔を思い浮かべていました。ある歩兵は、故郷で小さな畑を耕しながら、自分の帰りを心待ちにしている母親を、ある整備兵は、ゆっくり話もした事の無い五歳年下の婚約者の顔を思い浮かべていました、また両手両脚を失ってしまった将校は、三ヵ月前に産まれたという、まだ見ぬ我が子を、せめて一度だけでもこの手に抱き上げたかったと思いました、でももう彼には赤ん坊を抱き上げる手が無いのです。 

ただその子とこれから大変な苦労をしなくてはならない最愛の妻の幸せを祈るばかりです。 

こうして負傷兵達は、静かに、眠るように生命(イノチ)(トモシビ)を消してゆきました。 

静かに、眠るようにひとり、またひとりと…全員がこの爆撃機の搭乗員達に心からの感謝を残しつつ…。




『しっかりしろッ、死ぬなーッ』


『生きろーッ、あきらめるなーッ』


搭乗員全員が口々に彼らに声を掛けます、でももう彼らには届きません。 


お祖父ちゃんの眼にも、他の仲間達の眼からも涙が溢れ、それが無駄な事だと解ってはいても、皆は声を掛け続けました、いつまでも、いつまでも。 


操縦桿を操る若き日のお祖父ちゃんは考えました。 

この戦争は、やっぱり間違っている、日本のためにもならない。 後少しで、戦争は終わるだろう、それも日本が敗ける。 


こんな戦争で生命を棄ててなんか居られない、俺は生き抜いて新しい日本の為に働こう。 

こんな戦争で死んでは、それこそ犬死にだ!よし、必ず生きて帰るぞ! 


戦争が終わる八月迄、後、百日あまりの事でした。

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