お祖父ちゃんの青春、それは戦争に翻弄された時代。それでも精一杯生き抜いた若者達。
妙ちゃんは、夏休みの宿題のことでおじいちゃんの所へ電話をしました。
宿題というのは、戦争を経験した人からその頃の話を聞き、戦争について、平和について考え、作文にするというものです。
受話器を持ったままで妙ちゃんが笑っています。
きっとお祖父ちゃんが何か面白い事を言ったのでしょう。
開け放たれたリビングの窓から、夏の朝特有の湿り気のある生暖かい風が吹き込んで来ます。
暑い、真夏の一日の始まりです。
郵便受けにお祖父ちゃんからの手紙が来ていたのを、プール帰りの妙ちゃんが見つけたのは三日後の事です。
お祖父ちゃんの手紙はこんな書き出しで始まっていました。
妙子、元気にしてますか。
お祖父ちゃんは今年で八十歳に成ります。
いつの間にか歳を取ってしまいました。
昔のことは大分忘れてしまいました、だから妙子の宿題の役に立つかどうか自信がありませんが、思い出した事から書いていきます。お祖父ちゃんが妙子に最初に言っておきたい事は、戦争は絶対にしてはいけないという事です。
狭い部屋の中、勉強机の前に腰掛け、妙ちゃんはお祖父ちゃんからの手紙を読みました。
長い、長い手紙でした。
そこには妙ちゃんの知らない沢山の悲しい出来事が書かれていました。
やがて陽が西に傾き妙ちゃんの部屋にも夕陽が射し込んで、部屋の壁も天井も、
妙ちゃんの顔も全てが夕陽の色に染められています。
その夕焼け色の中で妙ちゃんは、泳いだ疲れも手伝って、眠ってしまいました。
妙ちゃんが遅い昼寝の真っ最中、遠く離れた妙ちゃんの田舎では、西の山陰の向こう側に沈む夕陽を、
お祖父ちゃんは縁側に腰を下ろして眺めていました。
今から五十年以上昔、日本は世界を敵にまわして戦争をしていました、そしてその時代がお祖父ちゃんの青春時代でもあったのです。
日本陸軍の優秀なパイロットとして中国大陸からインドネシア、ベトナム、ビルマ、タイとアジアの空を駆け巡っていたお祖父ちゃんは、危険な任務を次々と遂行し成功させました。
いつの間にかお祖父ちゃんに下される任務は、必ず生きて還らなくてはならないというものばかり、戦場から生きて還る事は、時には死んで還る事より難しい事なのです。平和な社会に生きる人達にとっては、理解出来ない事かも知れません。
お祖父ちゃんの青春はそんな時代の激しい流れに翻弄されながら過ぎて行きました。
真っ赤な夕焼け空に少しづつ夜の闇が溶け込んで、長い夏の一日が終わろうとしていました。
お祖父ちゃんは少しずつ暗くなって行く空を眺めながら、あの頃を思い出しています。
あの日も丁度こんな夕焼けだった事をお祖父ちゃんは昨日の事のように憶えています。
それは南の国特有の暑さが去って心地良い風がジャングルから吹いてくる夕暮れ時の事でした。
お祖父ちゃんは新しい任務の為に、日本に戻る事になりました。
戦争は日本にとっていい状況ではありません。
前線基地と日本との間の空も海も、アメリカを中心とした連合軍に制圧されていました。
圧倒的な軍事力の差は、強い精神力や大和魂ではどうする事も出来なかったのです。『マレーの虎』と呼ばれ、連合軍にその名を轟かせたある司令官は、軍事裁判に掛けられ死刑を宣告されましたが、処刑の直前に、敗因は何だと思うかとの質問に、たった一言『サイエンス』と言って死刑台に上って行ったそうです。
それ程日本と世界の科学力には開きが在りました。
そんな状況です、重要な任務を次々と成功させているお祖父ちゃんの事を連合軍は当然知っていました、そして敵の戦闘機のパイロット達はお祖父ちゃんの飛行機の尾翼に描かれた桜のマークのことも知っていたのです。
彼等は血眼になってそのマークを付けた飛行機を捜しました、何故ならお祖父ちゃんの飛行機を撃墜したパイロットには報奨金と国へ帰れる休暇が与えられたからでした。
お祖父ちゃんは、夜の闇に隠れて飛ぶしか方法が無かったのです。
その日も、夜に成るのを待って出発する予定でした。発前に、負傷して野戦病院に入院している戦友を見舞っておこうと考えたお祖父ちゃんは、そこで怖ろしい光景を目にします。木造の粗末な建物の野戦病院の片隅に、テントを寄せ集めて作った遺体安置所が在りました。
そこには、未だ息がある瀕死の負傷兵達が棄てられたように横たわっていました。
両脚が根元から千切れた様に無くなっている兵隊の身体からは死臭が漂っています。
それだけでは有りません、その傷口にはビッシリと、蛆が湧いているのです。
それも一人だけではないのです、顔半分、吹き飛ばされてしまった人間も居れば、腕の無い者、脚の無い者、折り重なるように蛆に塗れ、眼だけが異常に光り、辺りはいつまでもそこに居る事が出来ないくらいの死臭がたち込め、まるで地獄の様な、という表現がピッタリの惨たらしい光景でした。
それでも彼等は生きています。
あと少しだけ、彼等は生きていられる。
そんな彼等を遺体安置所に放り出した衛生兵や軍医の事を誰も咎める事は出来ません。
日本からの物資はなかなか送られては来ません、食料も衣類も何もかもが不足していました。
とりわけ医薬品は或る時期を境に全く送られて来なくなりました。
手術をするにも麻酔も無い、化膿止めも痛み止めも、消毒用のアルコールさえ手に入らないのです。
彼等に何をして上げられると言うのでしょう。
軍医たちの気持ちは、痛いほどお祖父ちゃんには判っていました、見ない様にするしかないのです。
お祖父ちゃんは飛行場に戻り、出発の準備に忙しい仲間達に言いました。
『すまないが、この機体から外せる物は全部外してくれないか』
『?』
みんな、お祖父ちゃんの言っている事がよく判らず、キョトンとしています。
お祖父ちゃんはみんなが理解出来る様に順を追って話し出しました。
病院に放置されたままの兵隊達の事、ひとりとして五体満足な者は居ない事、傷の状態から云って、彼等が助かる事はまず無いという事、その彼等を自分は日本から遠く離れたこんな所で死なせたくない、せめて故郷の土に還してあげたい、という事を伝えました。
その話が終らないうちに、みんなは思い思いに工具を手に、取り外しの作業に取り掛かっていました。
機銃が外されました、弾薬が降ろされました、椅子や荷物も降ろされました。
これが無ければ飛行機が飛べないという物意外は全て機内から運び出されまた。
常に死と背中合わせの危険な任務を共に果たして来た仲間達です、説明など要りません、気持ちは通じ合っていました。
心はひとつなのです。
お祖父ちゃんは、仲間達に心の中で手を合わせていました。
護衛の戦闘機も無く、武器を総て取り外した爆撃機が単独で飛ぶ事がどれだけ危険な事かは戦争を知らない人達でも想像はつく筈です。
それは自殺行為と言える事です。
やがて、野戦病院からトラックに乗せられ彼等はやって来ました。
お祖父ちゃんは彼等に向かって声を張り上げ、『お前達をこれから日本に連れて帰る、気を強く持って絶対に死ぬんじゃないぞ、必ず俺が日本に連れて行くから心配するな!』
彼等の間から『うーっ』という呻き声が聞こえて来ました。
南十字星が夜空に輝きを増した頃、妙ちゃんのお祖父ちゃんが操縦する爆撃機は、一発の爆弾も積まず、一丁の機銃も無く、その代わりに瀕死の負傷兵を、すし詰めに乗せて日本に向かって飛び立ちました。
妙ちゃんのお祖父ちゃんは、まだ二十七歳の青年でした。