シャルロット・アーレントの旅路①
半端に長くなったので切りました、②は今日中に投稿します!
1
シャルロット・アーレントの旅路は最悪の結末へ向かっていた。
彼女は目立たないブラウンのローブを目深に被り、両手で握った大きな杖に体重を預けながら、ふらふらとおぼつかない足取りで不規則に配された木々の根をゆっくりと一歩一歩、注意深く乗り越えて行く。
頑丈で靭やかな革製のブーツのお陰でなんとか不安定な足場を進んで行けるが、一度でも足を取られれば、そこから起き上がる為の気力も体力も残されていない事をシャルロットは分かっていた。
彼女が最後に立ち寄った村で持ち物と交換して手に入れた、元から僅かな量の食料が切れて既に五日、水袋が空になってから三日が経っている。
体力など残っている筈が無いのだ。
シャルロットの手足は寒くもないのにぶるぶると震えが止まらず、眠くもないのに目蓋が重くて堪らない。身体が重く、一歩一歩が沼地の泥濘の中を進んでいる様な感覚だ。
朦朧とした頭で何も考えず、日が昇ってから黙々と三時間ばかり歩いた頃、疲れが毒の様に回ってきた。
視界がぐらぐらと揺れ、まともに立っていられない。
彼女は近くの木に左手を着いて体を支えようとしたが、腕の堪えが効かずに左半身を木に打ちつけて、そのままズルズルと地面に膝を着いてしまった。
……彼女はもう限界だった。
巨木に背を預けてローブの頭巾を払うと、木漏れ日の射す森をぼんやりと見つめる。
彼女は人生最後の瞬間を絶望感に支配されまいと、かつて過ごした穏やかな日々に思いを馳せて、アメジスト色の瞳をゆっくりと瞑った。
2
シャルロット・アーレントはノーハンと言う小さな町の外れにある丘の上の一軒家で、精霊術の導き手である彼女の師匠“ファティナ・レヴァン”と裕福ではないが慎ましくも穏やかに暮らしていた。
ファティナはシャルロットを実の妹のように可愛がり、シャルロットも姉のようなファティナを師としても家族としても大いに慕い、頼りにしていた。
シャルロットは町の周辺では可憐な容姿と優しい心根で知られた少女で、彼女の美しいプラチナブロンドの髪は日の光が当たった際、それそのものが光を放っている様だと評判だった。
彼女にとっても仕事中はセミロング程の長さが邪魔にならないように緩く編んでいるが、軽く手櫛を通すだけでさらさらと元に戻る自分の艶やかな髪は、密やかな自慢である。
しかし、幾ら櫛を通してもほんの僅かに顔の内側へ曲がってしまう“クセ”に唯一の不満がある。
この“クセ”と、ファティナからは愛らしいと言われているぱっちりとした大きな瞳のせいで、鏡に写った自分が随分と幼く見えてしまい、――折角のアメジスト色の瞳もこの幼げな顔立ちのせいで台無しだ。と彼女は思い込んでいる。
また、シャルロットは風の精霊“気まぐれのシェルフィール”の加護を受けた精霊術士でありながら、高い魔力を持った魔道士としても知られており、人との関わりを良しとしない彼女の師匠は余り良い顔をしなかったが、請われたとあらばシャルロットが自ら赴いて人々の助けとなっていた。
ある時は精霊術士として雨が降らずに干上がった土地に、精霊術に長けたエルフ達ですら手綱を握れないと言われているシェルフィールの力を借りて雨雲を呼び、その土地を潤した。
ある時は魔道士として、若い雄馬が十頭も引かなければびくともしない様な巨大な岩盤が坑道の入口を塞いでしまった時。
彼女が急いで駆けつけて、王宮の魔道士でなければ使えない様な膨大な魔力量と繊細なコントロールを必用とする物理干渉の魔法を使い、ふわふわと岩盤を浮かせて中の鉱夫達を救出した。
……裏話をすれば、本来ならば魔力を身体に循環させて彼女が自ずから岩盤を退けた方が簡単であったのだが、これでは小柄で華奢なシャルロットが巨大な岩盤をひょいと持ち上げるような格好となってしまう。
優秀な魔道士とは言え、シャルロットも十六歳の乙女である。
そんな姿を見られたくないと思うのは当然の事で、事件のあらましを聞いた彼女の師であるファティナも「どうしてそんな面倒を?」とは敢えて聞かずに「良い事をしたね」と優しく微笑み、シャルロットを褒め称えるのみにした。
それ以外にも畑仕事に人手が足りないと聞けば農民達に混じって土まみれで田畑を耕し、時間があれば出先で子共達に字の読み書きを教えるなどしていた彼女を指して、いつからか「ノーハンの町外れには天が遣わせた天使がいる」と言う好意的な噂が流れ始める。
いずれ、その噂と“天使”の正体を耳にした彼女は気恥ずかしさで頬を真っ赤に染める事となった。
稀にこうした珍事であったり、シャルロット宛の恋文を見つけたファティナの癇癪があったりと、変わった事も偶には起きるが、概ね彼女の毎日には大きな変化は無く、小さな喜びと小さな幸せに満ちている。
……それは“今朝”もまた変わらない。