ナガクラ ナオシ
1
青々と色付いた木々の枝葉の合間から、薄く木漏れ日が射し始めた頃、森の中に携帯電話のアラームが鳴り響く。
しかし、まだまだ寝足りない少年は、その耳障りな電子音から顔を背けて寝返りを打ち、幼い子供の様に身体を丸めて少しでもアラーム音から逃れようと寝袋の中に潜り込む。
だが、その厚い生地でも満足な遮音効果を得られない。
すると次いで少年は、寝袋のジッパーを中程まで下げると中からにょきっと手だけを外に出してがさごそと辺りを探り始めた。
音を頼りに携帯電話を探り当てて直接アラームを解除してしまう事にしたのだ。
しかし、寝惚けた頭ではなかなか上手く携帯電話を捕らえる事が出来ず、悪戦苦闘している内に徐々に微睡んだ頭が眠気を払い出した。
そしてようやく携帯電話を掴み、アラームを解除出来た時には幾らか瞼が重たいものの、殆ど目が覚めていた。
少年は薄目を開けて辺りが明るい事を確認すると、大きな欠伸をしながらゆっくりと上半身を起こし、軽く寝癖のついた黒い髪を手櫛で後ろに撫で付ける様に整えて、目を擦りながら辺りを見渡す。
するとこの場所は就寝前と変わる事無く、ほぼ全ての木々が樹齢数百年はあるだろう巨木だけで構成された深い森の中である事に気がつく。
そして、その事実は少年の――永倉 直の好奇心を多いに刺激した。
「こりゃあ大幅に予定を変更しなきゃなんねぇな」
ナオシは顎を親指と人差し指で撫でながらニヤリと微笑み、手にした携帯電話のディスプレイに視線を落す。
起動した地図アプリには真っ白な画面に『現在地を特定できません』の文字が点滅していた。
2
はっきり言えばナガクラ ナオシという少年は、どこにでもいる普通の男子高校生とは言い難い。
彼は生来のものである神経の図太さと大胆さ、加えて突飛な性格で周囲に知られた存在であった。
その様子は何の前触れも無く、見ず知らずの地へ放り出されたこの状況下で取ったこの後の行動にも見て取れる。
彼は森の中で目を覚ます前日、両親から大いに心配されつつも高校生二年の夏休みを利用して、かねてから計画していたバイクでの旅に出た。
……旅に出る時点で既に普通の男子高校生とは言い難いのだが、それは敢えて割愛しよう。
彼のバイクはスプリンガーフォークを備えた年式の古いアメリカンタイプのバイクで、艶消しの黒を基調としたボディにタンク上部と前後のフェンダー中央に赤のラインが貫く様に走っている。
彼はその古いバイクを相棒に、ツーリングを楽しみながら適度に観光と休憩を繰返し、少しずつ目的地への距離を縮めて徐々に日が暮れ始めた頃、古いトンネルを一つ抜ければ一日目の宿泊地であるキャンプ場に無事到着という所まで来た。
初めての長距離移動に若干の疲れを感じつつ、そのトンネルの入り口を潜る。
トンネル内部の照明はLEDではなく古いオレンジ色の蛍光灯で、その光はSF映画のビームの様にナオシの眼前から後方へ次々と流れて行く。
しばし変わらないその光景を見ていたが、トンネルの出口が見えて来た。
――あと少しで到着だな。
と、少しの安堵感を感じつつ、トンネルを抜けたナオシが見たのは、視界を埋め尽くす木、木、木、である。
疲労が蓄積していた為、一瞬――キャンプ場があるような所だしなぁ……と、辺りの景観に大きな違和感を感じなかったのだが、突然ガタガタと激しい振動がナオシを襲った。
何事かと地面を見れば、先程まで快適に走行していた筈の舗装された路面は突如として剥き出しの大地になり、そこには縦横無尽に木の根が走っている。
路面の造りがここまで急激に変化するものかとバイクを停車させて振り返って見れば、そこには道路どころかここへ抜けて来た筈のトンネルが綺麗さっぱり消え失せてしまっていた。
トンネルを抜けてから停車するまでは二十メートルも進んでいない筈なのだが、トンネルは跡形も無いどころか存在した形跡すらなく、ナオシの背後には一際大きな大木が天を突く様に存在しているだけだ。
ナオシも事態を整理しようとヘルメット越しの顎に手を添えて数秒間、事の把握に努めてみるが……
「んー……うん、こりゃ駄目だな。道が消えちまってんだもん。アタフタしても仕方がねえし、メシ食って今日は寝るか」
と、あっさりと考えるの止める。そもそも自分が何処にいるかなど知ったところで仕方の無い状況なのだ。
それならば傾いた日が完全に地平線へ消える前に、木の根の凹凸が少ない具合の良い寝床を確保して、暖かい食事で腹を満たしてぐっすりと睡眠を取ろうと決めた。
3
比較する物の無い大きく偉大な月の明かりを、木々の枝葉が遮ってしまい、辺りは完全に暗闇に包まれている。
肝の据わり具合では相当な物を持っているナオシも、あまりの暗闇の深さに衝撃を受けた。
家族連れや若い男女が料金を払い、決められた場所で行う“大自然の中”でレジャーなどは冗談の様な物で、本物の大自然の暗闇とは人工の小さな光などあっさり飲み込んでしまうのだ。
ナオシはレジャーショップの店員に旅に出る事を話した際に強く進められた物が有る。この暗闇の中で煌々と輝くLEDのランタンである。
半信半疑で購入したものの、現状ではこれが無ければ迂闊に動けないとまで言える。
――あの店員には是非土産を渡そう。
それはもう強く思った……ともあれ夕食である。
ナオシはランタンの光を頼りに日の落ちた森の中でバイクに括った荷物をほどき、何とか火の設備を設営出来た。
要するにコンロの火を使い、温かい夕食が取れるのである。
「よしよし、もう良いだろう」
ナオシは網の上で程よく焼けた四本のソーセージの一本をコッペパンに挟むと、その上からパラパラと粉マスタードを降り掛けて、トマトペーストを少量塗り込んだ。即席のホットドッグである。
彼はそれにかぶり付いた。
最初に感じたのは肉の味、ぷりぷりとしたソーセージの皮の内側には、たっぷりの滋養と肉の脂が封じられていた。
パリッという歯応えと同時に熱々に溶けた肉の脂が口の中で炸裂した。噛めば噛む程、旨味がどんどん染み出して来る。
次いで感じたのはマスタードの程好い辛さとトマトペーストの酸味、これはあくまで刺激である。
肉の旨味を引き立てて食欲を駆り立てるのにこれほど相性の良い香辛料は存在しないと断言出来る。
二本三本と食べ進め、あっという間に残り一本。最後の一本はトマトペーストは変わらず、マスタードを多め。ナオシはこれが一番好き食べ方だった。
一口頬張った瞬間、今までとは違う反抗的な辛さが肉の旨味をねじ伏せた。これぞ典型的なジャンクフードの大雑把な味付けで、ピリピリとした辛さが食欲を刺激して、もう一口もう一口と咀嚼している内に食べ終わってしまった。
「これこそ飯、これこそ旅、これこそ冒険だな」
ナオシは満足そうに言うと、缶のカフェオレのプルタブを開け、くいっと一口煽った。
疲れきっていたナオシの身体に糖分が染み渡り、食後の満腹感と合わさって急激な眠気が襲ってきた。
ナオシは堪らず寝袋へ潜り込み、ランタンの灯りを消す。
――はてさて、明日目が覚めた時、俺がどこにいるのか見物だな。
と、期待に胸を膨らませつつ、ナオシの奇妙な一日はようやく一旦の幕となった
新撰組二番隊隊長 永倉 新八さんと301飛行隊「新選組」隊長 管野 直さん この方々の名前を借りてナガクラ ナオシです。