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修羅幼女の英雄譚  作者: 沙城流
第一章.■■■■■■の英雄譚
6/36

6 『強襲』

 ──大々的な強襲部隊の出発。

 それから、二日と経たない深夜のことである。

 門番は口許に手を当てて、あくびを抑える。

 ちょうど草木も寝静まった頃合いだ。人様が眠気に誘われるのも致し方ないと、彼は石造櫓で一人きりの時間を過ごしていた。暇を潰していたとも言える。

 夜風が鼻先を擽る。日中には恋しくなる涼だ。

 これが吹けば、勤務の鬱憤も多少は晴れるのだが。


(全く、最近は暑ぃ日が続いてんだよなあ)


 彼は欄干に肘をつき、ぼうと景色を眺めていた。

 居心地のいい夜だ。山並みが宵闇にひっそり沈み、星月の明かりがその上澄みに降り注いでいる。宵の底からは、精一杯の虫や野犬の鳴き声。決して(かまびす)しくない塩梅ゆえに、ついつい聞き入りかけてしまう。

 酒の一杯でも仰ぐにはいい雰囲気だ。だが、生憎と仕事中の飲酒は厳禁である。上司に見つかれば懲罰ものだし、そこまで彼は酒好きというわけでもない。

 ただひとつ、強い面白みがないのは事実だった。

 門番にとって、最大の敵とは眠気である。


(あの馬鹿はまだ帰ってこねぇし……)


 現在、話し相手だったはずの片割れはいない。

 一言「厠に行ってくる」と言ったきりである。あれは休憩を口実にして賭け事で遊んでいる最中だ。腹いせに連れ戻したいのは山々だったが、前回の当番の折には逆の立場だった。片割れに番を任せ、自らは仲間内で博奕に興じていた。文句は言えない。

 ──これも順番だ。次は俺の番だぞ……ったく。

 門番はまた、変わり映えしない景色を眺める。

 だが、睡魔の手にかかるのも時間の問題だった。

 うつらうつらと、幾度か舟を漕いでいると。


「おう、交代だ」

「あ? ……バルドーか。もう時間かよ」

「あいあい、お疲れさん。片割れはまたアレか」

「まあな。お前が真面目なんだよ」

「馬鹿、仕事だろうが。けっ、さっさと寝床に戻れ」


 門番は目元を指で擦り、背筋を思いきり伸ばす。

 いま肩を叩いたのは、次の当番たるバルドーだ。

 彼は同僚のひとりである。気安い遣り取りができるものの、格好や口調に似合わず真面目な性格で、いつも貧乏籤を引いている印象がある。上司から厄介事を押しつけられることも多い。不憫な奴だと同情できるが、肩代わりしてやろうとまでは思わない。

 自分とは同僚ではあるが、同類ではないからだ。


(融通ってのが効かねぇんだよなぁ)


 バルドーは実に口煩い。たとえば、門番の任をなおざりにし、交代制で遊惰に耽ることに小言を挟んでくることもままあった。ただ自分たちは、娯楽に対する飢えを、知恵を絞って潤していただけだというのに。

 ゆえに、門番の仲間内では彼が理不尽な目に遭うことも「真面目くんにはいい気味だ」と嘲笑える娯楽と化していた。ただ、最近はバルドーも諦めたらしい。いま突っかかって来ないことがその証左だ。

 門番は持ち込んだ椅子から重い腰を上げる。


(黙認してくれるぶんにゃありがたいんだが)


 どうやらバルドーは現状を憂いているらしい。

 それは、砦に残留した帝国兵たちの弛みぶりだ。

 だが、杞憂にすぎると門番は笑い飛ばす。


(一介の兵士風情が賢者気取りかってな)


 彼も、斥候から齎された戦況を聞いているだろう。

 曰く「連合国軍が流れ込む怪我人で手一杯」「アイリーン中将の活躍で甚大な被害を与えており、敵軍は非常に弱っている」「英雄級と呼べる人材がデラ支城に殆どいない」という報せは、末端の帝国兵たちにまで伝わっている。バラボア砦防衛に割り振られた彼らは、もはや吉報を寝て待つだけである。

 ──我らが無敵の帝国軍は勝利を手にした、と。

 ──圧倒的な力量差で敵支城を蹂躙した、と。 


(それに加えて、かの『六翼』ロズベルン中将が指揮の後を継ぐ予定も控えてるわけだし、このバラボア砦自体、致命的な欠陥もないんだぞ)


 ──どこに憂う余地があるのだろうか。

 現在のバラボア砦に充満する弛緩した空気。

 それは、これら要素が重なった結果である。

 門番は嘆息して、バルドーを胸中で嘲った。


「んじゃ、あとは頼むわ」

「ああ。悪い夢は見ないようにな」

「意識してできっかよ、んなこと」


 門番は肩を軽く叩いて、彼とすれ違う。

 もはや眠気が目元と背筋に凝り固まっている。

 早々に一眠りしたいところだ。しかし、帰りがけには片割れに声をかけねばならない。交代制である都合上、時間帯を合わせねば上司たちに露見する可能性が生まれてしまう。ここだけは怠けていられない。

 そのとき、背後から溜息が聞こえた。

 門番は物珍しさに思わず足を止め、振り返る。

 

「疲れてんのか? 溜息たぁお前らしくもねぇ」

「ああ。うちに来たガキが色々と言ってくるんだ」 

「そっちに配属されたガキ──ってえと」

「ソルって名前の奴だよ。あいつが最近ずっと妙なこと言ってくるもんだからよ、困ったもんだ」

「妙なことだぁ?」


 門番が眉を渋めると、バルドーは頭を掻いた。


「あー、たとえばだな。臨時指揮官殿が進軍していったあと、胸騒ぎがするだの何だのって。『数日中に奇襲が来るかもしれない』っつってな。用心しておけってことあるごとに言ってきてんだ」

「はは。んだそりゃ、予言者様かよ」


 件の幼女は、門番も既知の人物だった。

 そもそも、ソルほど悪目立ちする人間はいない。


「あいつは斥候の情報を聞いてないのか?」

「俺もそうなんだろうって思ったんだよ。来て日も浅いわ、孤立してるわでな。だから伝えちゃおいたが」

「効果は上がったかぁ?」

「それが全然でな。相変わらず、ちょこまか砦を歩き回るわ、備品を弄り回すわでナッドの奴がキレかけてたな。いや、完全にキレてた」


 バルドーはこめかみに指を当て、嘆息する。

 あの幼女は彼に押しつけられた厄介事の一つだ。

 身元不詳、年齢不詳の不審者。本人曰く「ダーダ村出身」らしいが、それも眉唾物だ。ダーダ村の領主邸宅は何者かに放火され、焼け落ちてしまっている。

 資料も名簿も藪の中。実際にあの幼女が農奴の娘だったかは不明なのだ、との噂は小耳に挟んだ。あるいは、連合国側の手勢かも知れないのである。

 だが、彼女の入砦は軽く認められてしまった。

 臨時指揮官殿の参謀曰く「奴に裏はない」らしい。

 彼の見る目とやらは一目置かれている。


(だから、拍子抜けするほど簡単に認められたって話だった。んで加えて、普段の言動か。あいつのズレた天然ボケさが『世間知らずの箱入り娘』って信憑性を上げたみてぇで、警戒心が薄くなってるっぽいな)


 ──幼女の転身には三つの理由が重なっている。

 そのひとつは、帝国の侵略を、あくまで義挙だと言い張るため。二つ目は、信に足る参謀のお墨つきを得たため。そして彼女の態度。これらを吟味して、受け入れたほうが利潤を見込めると判断したのだろう。

 彼女は大事な道具。ゆえに、美味しい役どころである砦防衛の班に配属された。デラ支城攻略軍に組み込まれた帝国兵からはきっと恨まれているだろう。

 ──つまりあれはただ運のいい奴と見るのが正解。

 ただ、あの幼女は胡散臭さにかかわらず、言動自体が奇人のそれのため、好んで近寄りたくはない。

 門番は少しばかり同情を込めて、彼の顔を見る。


「そらまた、面倒臭ぇのを持ったもんだ」

「まあこういうのにゃ慣れてるから問題ねぇがな。妹のガキの面倒見てんのも俺だしな」

「あー、確かにそうだったな」


 バルドーの視線の焦点が外れ、頬が緩む。

 その先に見えているのは──故郷の村で彼の帰りを待っているという、病気がちな妹と、その子供なのだろう。妹の旦那が早逝したあとバルドーが二人の面倒を見ているらしい。だが、収入は所詮一兵卒でしかない彼頼みだ。生活は貧しいの一言だという。

 だが、三人の幸せな暮らしぶりは有名だった。なにせ酒の席で、バルドーは延々と家族の自慢話を繰り返す。ゆえに彼と飲み交わせば、嫌でも知れることなのだ。門番も胸焼けするまで「妹の性格のよさ」と「子供の成長ぶり」を聞かされた覚えがあった。

 だから彼は厄介事の極めつけ(ソル)に親身なのだろう。

 きっと幼女を、妹の子供に重ねているのだ。

 ともあれ、彼の家族の話になれば長くなる。

 門番は眠気に押されて、切り上げにかかった。


「かー幸せなもんだな。独り身の俺からすりゃ妬けちまう話だ。惚気られる前に、俺はお暇させて──」

「ちょっと待て……あれは、何だ」


 息を詰まらせた声には冗談の色はなかった。

 門番は何事かと欄干に乗り出し、視線の先を辿る。

 すると、門前の松明には幾つも人影があった。

 こちらを見上げる小隊規模の騎馬集団だ。

 およそ五十人ほどだろうか。彼らは黒衣を目深に被っているため、頭上からは人相が見えない。服装の切れ目から装備のみが目視できる。それ自体は帝国軍で一般的に支給されているものだ。この集団の後方には、暗幕の降りた荷馬車が二台ほど駐車している。

 門番は「夜回りの帰りか」と軽く考えた。

 だが、隣のバルドーは厳めしい顔つきのままだ。


「そこの小隊、止まれ! 所属はどこだ!」


 バルドーは目の覚めるような大声で誰何を問う。

 その声音は、威圧感を醸すほどに刺々しい。

 それで門番も違和感に気づく。そういえば、小隊並みの人数で夜回りするわけがない。砦に残留した兵士の二百。その人員の二割五分を割いて、深夜に歩き回らせるなどあり得ない。荷馬車の存在も不可解でしかない。夜間警備にしては実に大仰すぎる。

 辺りに緊迫感が張り詰めた。筋肉が強張る。

 門番は生唾を呑んで身構えつつ、返答を待つ。

 ややあって、小隊先頭の大柄は声を張り上げた。


「ドーネル少将の使いの者だ! 参謀サンソン・ハーパリア殿に重要伝達事項を届ける傍ら、取り急ぎ、不足分の食料調達を受けに、ここへ馳せ参じた!」


 その返答に、門番は胸を撫で下ろす。

 ドーネル少将。この砦を統べる臨時指揮官の名だ。

 強襲部隊を発案して、組織した張本人である。現在は現場指揮のために砦を離れている。その使いというならば、小隊規模でもさして不思議ではない。もちろん伝達事項のみを担っていたのであれば大人数すぎるが、食糧運搬にかける人数と見れば妥当だろう。

 ただ、門番はそこから戦況に思いを馳せる。

 わざわざ砦まで食糧補給に戻った。つまり事前に見込んでいた継戦日数の超過を意味する。どうやら現場では長期戦の目処を立てたと見える。デラ支城に集った敗残兵たちが、思いの外に足掻けているのだろう。

 ──『人類最強』に負けてまだ折れてねぇのか。


(まあ、あちらさんも精々頑張ってくれよな)


 まず開門しようと動き出すと、手で制される。

 不意を打たれ、その主たるバルドーに目を遣った。

 彼は黙したまま頷くと、階下の小隊に叫ぶ。

 

「その黒衣をとって、面を見せてもらえるか!」

「おいバルドー……」


 門番は虚を突かれ、バルドーを小突く。

 この問いは無意味だ。入砦した千人以上もの帝国兵を記憶できている者はいない。此度の戦に駆り出された農民や新兵は膨大。顔馴染みでもなければ、顔も名前も一致しないだろう。ゆえにバラボア砦では、所属する隊の責任者の名前を合印にしているのだ。

 まして、厳戒態勢も敷いていない今なれば。


(ガキの妄言を真に受けたんじゃねぇだろうな)


 ──連合軍が数日中に奇襲を仕掛けるだろう。

 予言者気取りの台詞だ。まさに子供の戯言である。

 そんな門番同様に面食らったのだろう。

 騎馬集団は答えに窮したかのように黙り込む。

 闇を沈黙が支配し、再び緊張感が漂う。


「了解した。では仕方ねェ……」


 先頭の大柄は応じるように自身の頭巾を掴む。

 それに倣うように、小隊全員が各々引っ掴んだ。

 次の瞬間には、宵闇に黒衣の群れが舞う。

 視界を奪われた門番は瞠目する。彼らは一斉に纏っていた外套を放り投げたのだ。それらが暗幕の役割を果たし、俯瞰視点からは彼らの素顔が見えない。

 門番が当惑の声を上げかけた瞬間──。


「真正面から喰い破るぞッ。この場に再び、我らがラプテノンの旗を掲げるのだァ!」


 ──強烈な衝撃が櫓を揺さぶった。

 門番の口から呻きが漏れる。不意を打つ振動に堪えきれるはずもない。重心の制御が崩されて、背後に転がる。尻餅をつくと、水面の波紋めいた鈍痛が身体中に響いた。その一瞬、首だけは必死に起こした。石床に後頭部を打ち据えてしまえば気絶一直線である。

 いち帝国兵として、それだけは避けねばならない。

 現在、異常事態に襲われている最中なのだから。

 

(な、な……何事、だよッ!?)


 門番とて帝国軍人の端くれだ。

 前転の勢いで立ち上がって、体勢を立て直す。

 そして勢い任せに、欄干から身を乗り出した。

 この揺れは天災か、否、答えは単純明快。

 騎馬集団の一人が(・・・・・・・・)門を全力で(・・・・・)蹴飛ばしたのだ(・・・・・・・)


(うそ、だろ)


 門番の顔色が蒼白に塗り替わっていく。

 眠気は覚めたが、悪夢の只中にいる心地だ。

 黒衣が落ちた眼下では事態が進行している。騎馬集団は馬から降りて、控えていた荷馬車から各々武具を取り出していた。それとは距離を置いた、砦門付近に佇む巨漢は、騎馬集団の先頭にいた男だ。

 門番も知る顔だ。あの面相を見紛うことはない。

 松明の火に照らされる姿形は酷く特徴的だった。

 獅子の鬣を思わせる煤けた金髪、膨張した筋肉は装甲めいている。そして鼻下で形の整った髭を蓄えた巨漢が、亀裂の入った砦門に片足をついていた。彼は背後を見遣りながら片手で──先刻まで黒衣に覆われて目につかなかった──幅広の大剣を握っている。

 この特徴に該当する者はたった一人だけ。

 ラプテノン王国が喧伝する新進気鋭の英雄。


(名前はボガート・ラムホルト、だったか……)


 驚愕すべき事実はそれだけに留まらない。

 この集団には、名だたる猛者が混じっていた。二十年前から最戦線に立つ古兵、門番の上司の首を撥ねた女、宗教者の恰好した痩身の魔術師、いずれも王国で武を振るう精兵たちである。そしていずれも、デラ支城に派兵されたという情報のない(・・・・・)者ばかり(・・・・)だ。

 門番は足下が崩される幻想に囚われた。


(いや、つまり……まさか……!?)


 ──これは楽に昇進できる好機だったはずだ。

 今宵まで抱いていた甘い想像が瓦解していく。

 門番が慌てて警鐘を鳴らす横で、バルドーは叫ぶ。


「敵襲だ! 連合側──奴ら、少数人数で砦を落とし(・・・・・)に来やがった(・・・・・・)っ!!」




 ※※※※※※※※※※




「遂に始まったようじゃな」


 砦内で鳴り響く警鐘に、ソルは瞼を開く。

 兵舎の天井から砂埃がはらはらと舞い落ちる。

 遠くに木霊する、断続的な爆発音。室外で駆けずり回る帝国兵の足音がけたたましい。砦と併設された兵舎の角部屋からでも、狂騒ぶりは十分に伝わった。

 微細だが建物も揺れており、地鳴りを想起させる。

 同室で仮眠中だったナッドも飛び起きた。

 いまは目を白黒させて「何だ、何が……」と呟きながらも窓から状況を窺いつつ、鎧を装着している。この点は流石だった。伊達に士官学校の出ではない。

 しかし、光源は月明かりと室内の蝋燭のみ。

 外界の様子を満足に見通せず、歯噛みしている。

 ずっと踵で床を叩いているのは苛立ちの表れか。


(焦りは禁物。状況と情報整理に行こうかのう)


 幼女は、焦燥に駆られる彼とは対照的だった。

 硬い寝台の上で、寝巻きのまま胡坐を掻いている。

 汚れた薄布と下穿き姿から着替える様子もない。

 その裾からはみ出た内腿を、ぷにぷにと抓る。


(連合側も短絡的な策に出てきたのう。奇襲の目的も不明瞭ときた。なんとなく不穏じゃな)

 

 連合側には以前、雇われていた経緯がある。

 その関係上、デラ支城には一週間ほど滞在した。ゆえにソルは、帝国側の斥候の持つ情報が正しいと知っている。たとえば支城の収容人数の程度や、目ぼしい猛将が配置されていないことなど。その当時に強烈な肩透かしを喰らったがゆえに、鮮明に覚えている。

 だが、それも頷ける話だった。戦地に『人類最強』が出張るという情報を先取りしていれば、人材を惜しむのは当然のことだ。だが、此度はさにあらず。

 いまバラボア砦に奇襲を仕掛けている存在は──。

 状況から察するに『英雄級の人員』だ。


(まず、仕掛けてきたのは少数精鋭じゃろう。大軍を引き連れて攻め込むには渓谷が狭すぎる。迂回路を辿るにしても、帝国側の強襲軍と鉢合わせる。……しかし、少数人数で砦を落とすなど普通ならば夢物語)


 攻城戦の定石は多人数を仕向けることだ。

 基準としては防衛側の三倍程度の兵力だろう。それだけ用意すれば趨勢は傾くとされる。投石器を設えるにせよ、破城槌で門を抉じ開けるにせよ、調略するにせよ、兵糧攻めにせよ、人数が必要なのだ。

 基本的に戦いとは数。実力差は頭数で補える。

 だが、英雄の立つ戦場でそんな常識は通用しない。

 所詮は凡人同士の間だけに成立する浅知恵だ。

 所謂『英雄級の兵』の個人戦力は数百人分。師団規模の軍隊に数人で挑み、壊滅させた事例すら存在するのだ。選りすぐった少数ならば、十把一絡げの大多数を蹴散らせる。ゆえに、いまバラボア砦に仕掛けてきた奇襲兵が精鋭揃いならば無謀ということはない。

 更に、勝敗の天秤を傾ける要素として──今宵の舞台たるバラボア砦がある。ここは元来、連合側の城砦なのだ。内部構造を知り尽くされているため、敵兵を惑わす入り組んだ通路は意味を為さない。

 むしろ、奪取して日が浅い防衛側が不利だ。


(この奇襲については予兆があった。こんな姿と身分ゆえに、相手にはされんかったが。……なにせ確信した理由がわしの経験に基づく勘じゃ。まあ子供の悪寒めいた感覚を、誰も信じるわけがないのう)


 ソルが他者より長ずるものは時間だ。

 これまで砂粒を食むような歳月だった。六十五年ぶんのそれを貪り、単身に蓄え、ついぞ生涯という砂時計の中身は落ちきってしまった。だが体内には時砂の量だけ『経験』が積まれた。これは凡人にとって値千金の武器である。ソルが過酷な戦場で生き永らえてきた要因は、何も並外れた悪運だけではないのだ。

 たとえば、度重なる反復練習で培われた反応速度。

 そして猛者たちを観察、研究した末の経験則だ。

 似た出来事の記憶が先の未来を想像させる。

 謂わば、鋭敏な危機感知能力──勘である。

 これがソルの数少ない武器のひとつだ。


(しかし、困ったものじゃのう。連合側の強襲を相手に万全という支度はできんかった。もっとも、一切の用意がない……とは、言わん。ナッドの監視もあったゆえに一人でできることは少なかったが)


 ソルは寝台の下から装備一式を引き出した。

 帝国軍の支給品ではない。バラボア砦の雑木林に隠しておいた品々だ。巡回任務の折に触れて、こっそり持ち込んでいたものである。ナッドには目敏く見られたとき「ガキが。ガラクタ拾って喜びやがって」という冷めた視線をもらったが、それに留まった。

 内訳は、使い古しの剣と死体から剥いだ装備品。

 ただ寸法が合わず、剣以外を収納しなおす。


「うむ……」


 小さな手で古びた剣を握る。

 背筋を伸ばす剣身と、燭台の灯を照り返す刃。

 柄に巻かれた、血の滲む包帯が手に馴染んだ。

 実に不思議な話である。すでにソルはこの剣を握ってきた手の形ではないというのに。指先から伝う感覚は依然として心地良い。まるで姿形が如何に変わろうとも、魂が剣を、剣が魂を覚えているように。

 これが、共に戦場を渡り歩いた相棒である。

 この相棒は三代目。初代は十代後半で呆気なく折れてしまい、二代目は三十代半ばで盗まれた。それに続く大事な無銘の剣だ。寄り添って生きて三十年にもなる。この三振りを打ち続けた鍛治師は、いまも壮健だろうか。幼女はらしからぬ感傷に浸ってしまう。

 だが、痺れを切らした大声が引き裂く。


「お前、いい加減にしやがれっ! さっきからぼうっとしやがって。状況がわかってんのか!? 悠長にしてる場合かよ!? いま襲撃されてんだぞ!」

「……わかっておるのじゃ。少し待っておれ」


 ──ゆえにこそ、焦ってはならんのじゃ。

 そんな説教は飲み込む。ソルは学ぶ幼女だ。

 とりあえず身支度に取りかかる。枕元にあった二尺の紐を口に咥える。後頭部に手を回し、純白の長髪を縛る。これが戦に臨むときの作法だ。髪は束ねていなければ、風向きや動作次第で視界を塞いでしまう。若い頃の失敗はこうして生かされているわけだ。敗因が神の手でなく髪のせいでは笑い話にもならない。

 そして幼女は手慣れた動作で身を包んでいく。 

 高揚する精神を冷ますため、手つきは緩やかに。

 支給品の具足、手甲、軍靴……と。


(焦れば判断を見誤る。それは、わし自身が己の武器を封じることに同じ。思うに任せた攻撃で突破口を開くことのできる才覚、というか実力を、わしは備えておらんからのう。それに)


 凡人にとって戦の一々が死出の旅路と同義だ。

 もう次はないかもしれない。歴戦と言えるソルであれど、戦に身を投じる直前は重圧を感じる。戦には、死には、いまだに慣れていない。慣れるべきものでもないのかもしれない。ソル自身はそう思っている。

 そのとき、踵で床を叩く音が速度を上げる。

 暗に「早くしやがれクソガキ」と言われている。

 少し動作を早めて最後、腰に三代目の剣を差す。

 気が引き締まる心地を覚えながら、視線を遣る。

 その先は、眉を曇らせて顔面蒼白のナッド。


「先輩。こちらの支度が終わりましたのじゃ」

「そ、そうか。準備、できたか……っ」

「見るだに吐きそうじゃが」

「うっせえ、クソ。俺は大丈夫だ。ああ、クソったれ、俺は大丈夫なんだ……ちくしょう何で俺がこんな役目を与えられなきゃなんねぇんだ。死ねってのか」


 彼は、ぶつぶつと念仏を唱えている。

 表情が百面相のように移ろい、さながら舞台の道化方だ。それも詮方ないことである。ナッドにとっては初戦場。本来なら鉄火の間を潜るはずだった戦は『人類最強』による蹂躙で幕を下ろした。そのまま安穏と日々を過ごせる。そう油断していた矢先に襲撃だ。

 ──背中でも擦ってやれば落ち着くかもしれん。

 そんな親切心が首をもたげ、背後に回る。


「……手が届かんのう」

「なんだよお前……殴られてぇのか!」

「っ、っ、っ」

「どうやら本当にボコボコにされたいらしいな」


 爪先立ちをしてみたが届かない。

 小柄な幼女の身体とは不便なものである。


(こうなれば、落ち着くまで待ってはいられんな)


 一度は水を差された状況分析を継いだ。

 ナッドを見る限り、彼は蟄居する線が濃厚だ。

 身支度を終えたはずが、彼の足は外に向かない。

 視線は所在なく揺らぎ、散漫な足取りで室内を彷徨くばかり。おそらく焦燥感に炙られた精神の置き所を図りあぐね、本能的に発散しているのだろう。だが、外に飛び出すことはしない。明確に発散法を選んでいる証拠だ。たとえば時折、首を伸ばして窓外を見遣る動作には怯懦の色が強い。殻に籠る亀に似ている。

 遂には、寝台に腰掛けて頭を垂れてしまった。

 統合すると、ナッドは緊張と恐怖に縛られている。

 無理に連れ立てば、互いが不利益を被るだろう。

 ソルは木扉に向かいつつ、ひとつ声をかける。


「わしは行くからのう。落ち着いたら来るのじゃぞ」

「あ……ああっ? な、なんでお前、馬鹿っ」

「すまぬが、ぬしとは一緒にいてやれん」

「だっ……誰がそんなこと頼んだっ! 俺を馬鹿にするのもいい加減にしやがれっ! 黙って、勝手に死にに行けばいいだろうが!」


 幼女はそんな暴言をどこ吹く風と受け流す。

 頭のなかを占めていたのは、今後の方針である。

 防衛側と合流するか。または独断で動くか。

 そして、火のついた向学心に精神を賦活される。

  ──ああ、此度の戦でどれだけ学べるじゃろう。

  ──どれだけ高みに行けるじゃろう。


「楽しみじゃなあ」


 ぽろりと呟いて、廊下に足を踏み出した。

 この、つい出てしまった他愛もない独り言。

 幽かな声は喧騒で消えるはずだったが──。

 幼女が去った部屋で、ナッドは呆然としていた。

 開け放たれた木扉を凝然と見つめ続けて。

 声すら、震えて。


「いま……なんて、お前……」



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