5 『前兆の六翼』
説明回です。
(最近、皆に避けられている節がある)
ソルフォート改め、ソルは腕を組む。
いや、人に避けられているだけならまだいい。
ソル自身、孤独には慣れている。基礎的な鍛錬は一人で取り組む姿勢が望ましい。たとえば、少年期から続けている素振り。雑念を排除する関係上、二人以上は必要ない。だから今回は単に避けられているだけでなく、遠巻きに好奇の視線が向けられていた。
たとえば、いまソルは砦二階の廊下を歩いている。
窓際に凭れていた若い帝国兵は彼女を見ながらに。
「……おい」
「……ああ、例の?」
こうやって途端に囁き笑う。
例外はほぼない。通路で通りがかる者、食堂で居合わせた者のうち大半が、見下げたような笑みと奇異の目を注いでくる。ただ幼女自身、納得はしている。
疎まれるソルの要素を挙げ出せばキリがない。
この砦における『最年少』かつ『唯一の現地参加』で、『農奴上がり』と名乗る『不釣り合いな装備に身を包んだ幼女』だ。いささか自分の見え方にも気を配ったほうがよかったかもしれない。
だがそういうことは不得手にすぎる。
ソルは肩を竦めて、砦内を早足で移動する。
(初日でもなし、この姿くらい見慣れるものと思っておったが……そう上手くことは運ばんか)
幼女が入砦して、早くも三日が経過していた。
世話係として割り当てられた兵卒──ナッドという将来有望な男だ──には、距離を置かれてしまっている。任命された手前、ソルの移動には付いてくるが、もはや軽口すら交わしてくれない。何事か話しかけても無視されてしまう。あの一件以降、まともに手合わせもしてくれなくなった。幾ら一人で過ごすことに慣れているとは言え、袖にされれば傷つくものだ。
ちらりと視線を飛ばす先には、当のナッド青年。
不機嫌そうな表情で、三歩後方に貼りついている。
そして目線に気づくや否や、目を逸らす。
──と、彼は先日からこの調子である。
(ナッドには申し訳ない。新しい身体での模擬戦に、年甲斐もなく有頂天になっておったゆえに……)
やはり、初日の鍛錬が端を発しているのだろう。
初対面で上から目線の駄目出しをされたのだ。
それも見目は幼女。加えて、模擬戦で打ち負かされた相手だ。人より才能を持っている若者が、そんな者の助言に耳を貸すわけがない。若き日のソルフォートも、決して良い顔はしなかっただろう──とまでは言えない。流石にナッドに対して同情的すぎる。
この凡人は藁に縋ってでも高みを目指していた。助言をもらえたなら、一生忘れぬ恩とするだろう。だが当然、そんな変人は例外中の例外である。
そして、ナッドに対する周囲の目も厳しい。
「おい、ナッド・ハルトさんよ! 三日前の武勇伝を、いつもみたいに聞かせてくれるんだろ? そこのちびっことやった奴だよ。覚えてるよな?」
「士官学校での武勇伝は聞き飽きちまったからな」
「ま、輝かしいハルトくんの経歴に新しい頁ができただけだろ? ちっとばっか時間を貰えね?」
「腕は悪くないが、足は得意じゃなかったか?」
「帝都に帰る前にさあ、頼むぜホントさ」
背後からは、揶揄する声が投げかけられる。
するとナッドの頬は目に見えて赤みが増す。
口元には歯軋りが窺え、羞恥に肩を震わせている。
「……のう、先輩」
「その『先輩』ってのやめろ。苛つくから黙れ」
ナッドは盛大な舌打ちをして、険のある声を出す。
どうやら模擬戦の顛末を目撃されたらしいのだ。
砦上部の窓から、よりにもよって同期の兵に、だ。
やっかみを除いても話題性は抜群だ。士官学校を実技成績に支えられて修了し、出世の道を歩まんとする優等生が幼女に敗北したのだから。
陰険な真似と思うが、数少ない娯楽なのだろう。
ゆえに、冗談で済む一線を踏み越えてはこない。
──それだけならいいのじゃが。
ソルは持ち前の眼光で冷やかしを追い払う。
(ナッドの矜恃を真に抉っているのは、余人の言葉ではないのじゃろう。揶揄う帝国兵を払っても、安堵の様子を見せないことが何よりの証拠じゃ)
自分で自分が許せないのかもしれない。
その原因たる彼女を煙たがることも道理だろう。
きっと、この男は根が真面目なのだ。
(ゆえに……本当に申し訳が立たぬ)
余計な助言は反省点である。
お節介にも似た助言は凡人の癖だった。あれは鍛錬に貴重な時間を割いてくれた相手に対する、一種の礼儀のつもりだった。凡人が駆け抜けた生涯で身に染みて知った、時間の大切さ。だから相手にとって実りのある時間になって欲しかったのである。もっとも「爺臭い説教だ」なんて罵声を浴びたこともあったが。
何にせよ、自重は心がけなければならない。
ソルもいたずらに孤立したいわけではなかった。
(誰も寄りつかんから、鍛錬相手がおらん)
人知れず嘆息する。 懸念の焦点はそれだ。
反復練習以外の鍛錬法は相手を必要としている。
観察と模倣と研究。他人の技術や身のこなしを見ることで己を磨き、弱点を徹底的に洗い出す。これは他者の助力を必要とする方法だが、そのぶん実になる方法だと信じている。年の功の成果物だ。
ソルは、通路の窓から快晴の空を見上げる。
(絶好の鍛錬日和じゃが、日中は勤務がある。お預けを喰らうのは痛い……ただ、ここで口を利いてくれる方には会える。気晴らしになるなら、よし、じゃ)
今頃、砦壁に張り出した石造櫓にいるだろう。
ソルは足早に通路を渡った。
※※※※※※※※※※
バラボア砦は盆地に構えている。
平地に建つ城砦に比べ、櫓からの見通しが悪い。
遠方に目を凝らしても、マッターダリ山脈の峻厳な斜面と切り立った崖が遮ってしまう。水平線や地平線はおろか、ここからは人家すら視界に入らない。
だが、一定の実用性は備えている。
連合軍の遁走に用いられた、渓谷への入り口付近は見渡せるのだ。囲む峰々さえ除けば、起伏も少ない地形である。櫓の役割は十分に果たせるだろう。
ソルはその砦壁の櫓にいた。
無骨な石の部屋である。狭間落としや狭間が開いており風通しはいいが、湿気ているのは減点だった。
「ぼっちは辛いなぁ、ソル」
「伍長……哀れむなら、そろそろ鍛錬に付き合ってくれぬ、ですか?」
「馬鹿言え。ガキ相手にチャンバラする気はねぇよ」
骸骨めいた骨ばった頬を引きつらせて笑った。
彼は、ソルが編入した班長──バルドーである。
年の頃は三十代後半。吹きつける風で靡かせているのは、脂で光沢を帯びた焦茶の髪。高身長の痩せた身体つきからは帝国兵の風格が窺えない。だが、ソルは一目見ただけで看破できた。あれは実用的な筋肉のみが上手く配されている、理想的な身体だと。
そんな彼こそが、ソルの唯一の話し相手だった。
顔を合わせて以来、懇意にしてもらっている。
とは言えど、会話が成立する程度の間柄だが。
「伍長はなにゆえ、言葉を交わしてくれるのじゃ?」
「ガキに厳しくあたるってのは気乗りしねぇからな」
「ガキ……もちろんその通りじゃな。わしが幼女であり、青二才ということは一目瞭然じゃ」
「そう念を押されると疑いたくなってくるな」
「……伍長はわしを対等に見てくれる、と?」
「いや、お前はガキだよ。危ねぇ危ねぇ。このまま鍛錬相手にする腹積もりだったろお前。生意気なことしやがって。大人をハめるのは三十年早いわ」
幼女の額が指で小突かれた。
不意打ちのあまりに面食らう。
ソルはじんわりと広がる痛みで患部を抑えるも、バルドーは何食わぬ顔で辺りを見回す。
「ナッドの奴にはまだ無視されてんのか」
「……依然、変わらずですのじゃ」
幼女監視役ことナッドは隣の櫓にいる。
意図的に耳をそばだてなければ、幼女と男の会話は聞こえないはずだ。
「あいつも大概、面倒な奴だからな」
「伍長は仲直りする方法をご存知ないかのう?」
「知るかよそんなこと」
「率直な感想じゃのう」
「つか、あいつが意地張ってるだけなんだ。お前が考える意味ねぇよ、あいつの問題だ」
その言葉を聞いても、ソルはううむと悩む
若者に丸投げするのは年長者の怠慢である。
できることはないか、と解決案を模索する。
だが、積み上げた人生は何も語ってはくれない。ソルはふと、仲直りという出来事に直面したことがないことに気がついた。袂を別った相手とは二度と会わないか、戦場で対面するか、または因縁を最期まで引きずるかだったのだ。故郷の村人たちは燃え尽き、喧嘩した傭兵時代の同僚たちは数日と経たず戦死した。
それを抜きにしても、果たしてナッドが応じるか。
──年の差が矜恃を刺激するとは思わなんだ。
これは幼女であるがゆえの苦悩だった。
(幼子になったことのない者にはわかるまい。……まあ、そんな機会などそうそうあっては堪らんがのう)
バルドーは、うんうん唸る幼女から視線を外す。
「それに無理に仲直りする必要もないだろ。そろそろ俺たちはお役御免だ。『六翼』のベルン中将が引き継いでくれりゃ、この砦も安泰。ここに腰を据える作業が終われば、ようやっと家に帰れるって訳だ。……ああいや、すまん。お前には辛い話だったな」
「気にしとらんのじゃ。それより『六翼』とは──」
「……まあ見逃してやるが、お前。流石に『六翼』の名くらいは知ってるよな?」
「無論じゃ。この大陸で知らぬ者はおりますまい」
少し顔を綻ばせてバルドーは頷く。
その表情はどこか少年のような熱を帯びていた。
帝国の誇る『六翼』は、ソルもよく知っている。
「アレは名誉勲章みてぇなもんだが、グリーシュ大将を除けば実質的には中将と同等の位だからな。中将って扱いで呼ばれることが多い。アイリーン中将然り、今度こっちの指揮を受け継ぐベルン中将然りな」
『六翼』とは帝国黎明期から存在する名誉勲章だ。
その名の通り、六人の大英雄が選ばれる。
当代は特筆して「癖の強い手合い揃いだ」と聞く。
(彼らの名前ならば諳んじることもできる)
まず、歴代最強の英雄と呼ばれる人型の怪物。
──『人類最強』アイリーン・デルフォル。
四十代の若さで軍最上位たる大将の座に就いた男。
──グリーシュ・デルフォル。
独自に鍛え上げた騎士団を従えた猛将。
──シグール・ニブリス・イブレーシス。
堅実な采配と人柄で部下からの信頼が厚い篤将。
──ロズベルン・ラスティマイン。
敵方の虚を突くことを得意とする智将ならぬ奇将。
──リバレシェロ・エンヴィロア。
国一番の美男子と囁かれる寡黙な闘将。
──ユステア・ヴォル・ヅォルト。
(わしも得心する話じゃが、国民人気は非常に高い)
なぜなら、武勇に優れた多種多様な美形揃いだ。
彼らが自国の旗を靡かせて連戦連勝する様は、さぞ痛快なことだろう。なにせ『六翼』のうち五翼が、途中から指揮を文官に託して、最前線で猛威を振るうのだ。敵方からすれば笑えない。帝国と敵対する連合軍に雇われていたソルフォートはなおのこと笑えない。
いや、実際は歓喜のあまり笑っていたが。
それにしても、不思議な巡り合わせと言える。
いまの立場からすれば、彼らが味方なのだから。
(まあ、帝国側にいたほうが都合はよい。大陸で最高峰の英雄たちを傍で観察できるのじゃからな。もしや上手く転べば、稽古に付き合ってくれるやもしれん)
そう思えば、無性に身体が疼いてしまう
「おいソル、何だその顔。まさか『六翼』とお近づきにでもなりたいのか?」
「そうじゃが。わしの夢は英雄になることですので」
「そうじゃが、じゃねぇ。この身の程知らず」
軽く頭を叩かれた。ソルは無言の抗議をする。
だがバルドーは頬杖をつき、無視の態勢をとった。
「俺は十分知ってる。帝国兵の端くれっつっても、アイリーン師団にいたからな。英雄様ってのの強さはよく知ってんだよ。ありゃあ人間じゃねぇ。ちびっこは見てねぇだろうが、容姿がお嬢様みたいなのが、かえって化けの皮にしか俺にゃ思えないね」
「じゃが……目指したくならんか? 最強に近しい英雄たちと肩を並べて戦う。そして、最後には最強になるという筋書きは男の浪漫じゃろう」
「その浪漫は男のじゃなくて子供の浪漫だっつの。言葉は正しく使え。つーか、男の浪漫とか言ってるが、お前は女だろ。一応」
「そうじゃった。いやどうなんじゃろ。わしは女子と名乗っていいのじゃろうか……?」
素で混乱するソルに、胡乱な視線が向く。
バルドーは露骨に息を吐きながらぼやく。
「ナッドの言う通り、お前に冗談の才能はないことはわかった。だが、英雄を目指す心意気自体は分からなくもない。俺だってお前ぐらいの年頃じゃ、ちょっとばっかし英雄ってもんに憧れたもんだ。……すぐに無理だって諦めちまったけどな」
「それは……なんと、勿体ないのじゃ」
「馬鹿がよ。そんなもんさ。むしろ逆に、本当に英雄ってのの高みを知ってて、英雄になりたいとかほざける奴がいたとしたら、俺はそいつの頭を疑うね」
「……そんなものかのう」
幼女は頭を疑われていた。
あんなにも格好良く、あんなにも強い英雄たち。
ソルは憧れの熱が冷めきることなく、生涯を駆け抜けた夢追い人。バルドーの言葉が核心まで染みることはなかった。だが理解はできる。彼女も初めて戦場に足を踏み入れたあと、数年間に渡って葛藤があったことは確かだ。そんな人生の三叉路に差しかかったときバルドーは、ソルとは別の道を選んだのだろう。
──あと十年もすれば、お前だって嫌でもわかる。
そう言うと彼は「まぁ、何だ」と続けた。
「『六翼』さえ来てくれれば、晴れてこの砦ともおさらば。緊張は忘れちゃならんが、気楽にやるが吉だろうよ。ナッドや俺らはともかくな……お前には、こんな戦場以外の未来だってあるんだから」
※※※※※※※※※※
事態が動いたのは、幼女が入砦した五日後のこと。
『六翼』ロズベルン中将の到着は遅れていた。
早馬の知らせによれば「帝国中央部の農村で蜂起した逆賊、その討伐に駆り出されている」らしい。砦を陥落させて比較的安定したこちらより、反乱軍の萌芽は差し迫った問題だ。早目に摘まねばならない。
いまだバラボア砦は盤石の態勢は整っていない。
ゆえに、方針としては戦線維持が安全策である。
砦に籠り、ロズベルン中将の到着を待てばいい。
だが気を急いた──欲を掻いたのかは定かではないが──臨時指揮官は文官たちの反対を押し切り、デラ支城への強襲を宣言した。
『マッターダリ山脈を大きく迂回し、先日の敗残兵たちが逃げ込んだデラ支城を落とす! 強硬策ではあるが、アイリーン中将の猛威により大損害を被った連合軍相手だ。補給を受け、支城を固められる前に叩くッ! 支城陥落にまで持ち込めば、大きな一歩だ。一種の関門だったマッターダリ山脈を超えた地域に、我らが帝国軍の手を届かせられるのだから!』
自信を漲らせる表情には、確たる裏づけがあった。
斥候により齎されたデラ支城の内情だ。
曰く「這う這うの体で駆け込んだ負傷者の数に、あちらは上へ下への大騒ぎ」らしい。支城の収容人数はたかが知れている。人が溢れ返った現在、数十人が野外でテントを張るほどの様相のようだ。
──その混乱に乗じて攻城戦を仕掛ける。
臨時指揮官は舵を切った。悠長に『六翼』を待つ方針は悪手である、とも豪語した。こちらが待ちぼうけを喰らう間に「連合軍側が事態を把握し、王国側の英雄を送り込む」と見ているのだろう。それでまたぞろ戦線が膠着するより、短期戦でカタを付けたいのだ。
やはり、戦功を立てたい我欲が透けて見えるが。
(一言に、悪いと断じられるものでもないのじゃ)
ちなみに、マッターダリ山脈の渓谷を通らず、わざわざ遠回りする理由は単純だ。渓谷の道幅は行軍するにはあまりに狭く、火計を企てられれば致命的な打撃を被ることになる。連合軍とて馬鹿ではない。絶好の近道に罠を張っていることは自明の理と言える。
事実、その渓谷には伏兵が待機しているのだ。
連合軍側の傭兵はそれを知っていた。
(わしの立場上、迂闊に進言できずにおったから、山脈迂回の宣言でだいぶ安心したのじゃ)
ソルが属するバルドー班は、砦防衛を任ぜられた。
元より勝ち馬に乗るつもりの班員に異議はない。
楽して昇進できれば、それ以上のことはないのだ。
ただ一名「あちらに行きたいのじゃ」と不満を垂れた自殺志願者はいた。もちろんソルである。そして当然ながらバルドーに聞き流され、ナッドたちの白い目を受け、彼女はすごすごと引き下がった。溜まった鬱憤は日課の鍛錬で発散することになった。
こうして、砦に待機する兵数は二百と相成った。
(まあ、わしの存在は帝国軍にとっての免罪符。正義である証明書。戦場に送るなどできんとは思っておったが、やはり口惜しいものがあるのう)
そこからは早かった。速やかに武具や食料や馬が掻き集められ、二日と経たずに、臨時指揮官が主導する千の軍勢が進軍を開始することになった。ソルは羨ましさを込めて、櫓の上からそれを見送る。
軍列の将校のなかには、見覚えのある者もいた。
老年期に手合わせした中尉や、幾度も敗北した英雄の姿もある。如何せん砦での生活が短すぎた。彼らのような腕利きの鍛錬相手とは会えずじまいだった。
彼女にとっては口惜しいことばかりである。
(まあ、それだけあの軍勢の戦力は大きい)
『六翼』不在のまま支城へ攻める。
その字面は不安を煽るものだったが、戦力自体は足りていた。臨時指揮官の宣言に苦い顔をしていた文官たちすらも「杞憂だ」と思うに止まっていただろう。
まさか、窮地が訪れると確信していた者は──。
(ゆえに、まずい)
この一名を除けば、いなかったに違いない。