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修羅幼女の英雄譚  作者: 沙城流
第一章.■■■■■■の英雄譚
4/36

4 『謎の幼女2』

今回まで新兵視点です。次回からソルフォートに戻ります。

(それじゃ、適当に(なら)してやるか。なんせ──)


 ──剣術については一角の自信がある。

 ナッドは士官学校では負け知らずだった。

 剣術、槍術、馬術は得意分野といってもいい。

 学舎における彼の評価点は「模範以上の身体能力と動作のキレ」。どうやら欲しかった商才はからきしだった反面、そちらに適性があったらしい。当時の教官から「武官の道を目指すと良い」というお墨付きを貰うほどには認められていた。そして座学の出来も上々だったことも併せて、学舎では成績上位だった。

 だから、一対一で負ける気はしない。


(まあ……模擬戦だったら、の話だけど)


 模擬戦ではなく実戦であれば、自信はなかった。

 互いに真剣で打ち合うなど考えたくもない。

 もうひとつの例外は──ナッドの対峙する相手が、天に愛された『本物』だった場合だ。体内のオド量が桁違いにある怪物たちのことである。ゆくゆくは英雄と呼ばれるだろう彼らは、明らかに人間という範疇を超えていた。あんなものには流石に手も足も出ない。

 ゆえに、多少の謙遜を込めて自身を評価するに「あくまで人間の範疇において、優秀な武官候補」と結論づけられる。ただナッドは言葉の響き以上に「捨てたものではない実力」という自負があった。

 ──自分は、班組みされたなかでは一番強い。

 徴兵された凡夫たちと比べればもちろんのこと。

 まさか、幼女になど後れを取るはずがない。


「肩慣らしに模擬戦、か」

「手頃な提案と思いましたのじゃ。木偶人形の搬入はまだのようですしのう。効果的な鍛錬法は模擬戦が一番じゃと思った次第ですがのじゃ」

「敬語が愉快なことになってっぞ」

「失敬致しますのじゃ、先輩」

「……まぁ、いいぜ。子守ばっかは暇だったんだ」


 この、砦の裏庭は存外に広々としている。

 その感覚を引き立てている要素は「庭という題目のくせ、草木はわずかに点在するのみ」という殺風景さだった。本来ならば、閉塞感すら感じるはずの立地なのだ。裏庭の三方を囲う砦壁、そして残る一方に聳えるバラボア砦。硬質な黄土色の地面とも相まって、ここは広場という呼称が正しいように思う。

 そんなここでも、また幼女と二人きりだった。

 砦生活では皆、常に娯楽に飢えている。

 まさかこんな面白い見世物を放置するわけがない。

 同僚を筆頭に、冷やかす目が付き纏うはずだった。


(ホント、死ぬほど鬱陶しいからアレだったけど)


 しかし、彼らは一度覗いてきたとしても、早々に砦内に引っ込んでいった。どうやら裏手の砦壁配備を終えたらしく、いまは正門付近の防備を固めることにかかりきりのようだった。そのおかげで、ここは喧騒と好奇の視線とは無縁である。僥倖という他にない。

 頭上を見遣れば、やや傾いた太陽光が眩しい。

 その影で対峙しているのは、ひとりの幼女。

 穢れを払うような純白を靡かせている。


「勝利条件はどうするのじゃ……ですか」

「単純に、相手が負けを認めたらでいいだろ。一本入れたらって条件にしたら、俺がまるで苛めてるみたいになっちまうし、そもそもそんな短けー足じゃ一本取るなんて無茶だろ? あとは……魔術を攻撃手段として使うのも、なしにしてやるよ」

「了解じゃです」


 ナッドは素直に頷く幼女を他所に、背を向けた。

 そして所定の位置までつくと、木剣を構える。


(馬鹿らしいが、先輩の務めだ。まあダルいけど、これで憂さ晴らしもできるし、こいつの力量も見れて一石二鳥だろ。……つか、ここでも暑ぃな)


 鍛錬時には、ナッドの常として薄着だった。

 簡素な着衣ならば、茹だる暑さも多少は和らぐ。

 裏庭は涼しげな影に沈んではいるものの、昼間となるとやはり汗ばむ程度には暑い。故郷とは違う、海から離れて峰々に囲まれる環境の辛さを思い知る。

 風の通りも悪い盆地での生活は、そうそう馴染まないものだった。ナッドは帝都での暮らしが長く、潮風が鼻腔に染みついている。このじわりと纏わりつく気温のほどには、ほとほと嫌気が差す。

 視線を前に遣れば、所定の位置に幼女がいる。


(ガキはいいな。へっちゃらって顔してやがる)


 小癪にも、慣れた手つきで木刀を回していた。

 調子を確かめているようだ。彼女自身も「素振りは趣味じゃ」などと淡白に語っていた。そこには強者特有の自負や、自信が欠如しているように思えた。

 自らの剣術に不安があるのかと茶化したくなる。


(もしくは、ホントにお遊び程度の実力か)


 ナッドの持論として「強者は独特な雰囲気を持つ」というものがある。士官学校で喫した、幾度もの敗北を思い出す。才能の怪物たちはその都度、そこはかとない自信を唇に滲ませていた。恥じるように韜晦していた者も、態度の端々から垣間見えていた。嫌味なくらいの自負と自信と、傲慢があった。

 ──自分たちは特別な人間として生まれ、そして特別な人間として生きていくのだ、という。

 その考えを、根本から否定する気にはなれない。

 ナッドですら多かれ少なかれその自負はある。

 常人より優れている自覚があるのだから、当然だ。


(けど、あいつからはそんなものは感じられない。別種の妙な雰囲気はあるが……気のせい、か)


 おおかた、奇異な喋り口調と挙動のせいだろう。

 いま思えば、幼女相手に怯えたことが恥ずかしい。

 対するナッドには剣の腕に覚えがある。

 だから模擬戦はうってつけの機会だった。

 小生意気な後輩に、上下関係を教え込む好機だ。


「それじゃ、始める──ぞ!」


 意思を引き締めて、前方に踏み込む。

 基本、彼の戦法は速攻だ。相手の出方を見つつ、牽制し合うのは性に合わない。一気に敵の懐へ潜り込んで、動揺する間に痛恨の一打を加える。それこそが最高に気持ちがいい。ナッドは腹の探り合いが好きではなかった。もしや、父親が彼を後継者に選ばなかった理由はそこだったのかもしれない。

 大股で距離を詰め、小柄な幼女を正面に捉える。

 だが、自分とはあまりに身長差がある。

 彼の『懐に潜り込む』得意戦法は使えない。


(まあでも、大人げないことはできねぇし)


 ならば、真っ向勝負ですぐに決着をつけてもいい。

 狙う場所は頭か喉。もしくは右手首だろう。武器を落として、降参の機会をつくらねばならない。初心者に引き際を示すことも先達の役目である。

 ゆえに、わかりやすく敗北を教えるには──。


「よっ……!」


 狙いを頭部に絞ると、容赦なく木剣を振るう。

 良心の呵責はある。なにせ幼女相手なのだ。

 当然、接触直前で寸止めするつもりだ。しかし、もし勢い余って打撃を与えてしまったとしても『あり』だろう。痛みで知れることは多い。あの幼女に『上下関係』を身体に覚え込ませることができるのだ。

 無防備な脳天へ教育の一閃を振り下ろす。


「っ!」


 腕に、鈍い感覚が響く。

 会心の一撃が弾かれた──と瞬時に理解した。

 ナッドは目を剥いて、咄嗟に後退する。

 ソルからの追撃はない。慌てて退避した彼を、泰然と見つめ返すだけだ。微動だにせず、頭上に片手で木剣を掲げたまま。弾いた反動も軽微に見える。矮躯に反したそれは、彼女のオドの多寡を物語っていた。

 ただ、予想し得なかった事態ではない。

 ナッドは一定間隔を空けながら幼女を睨む。


(……だよな。安心した。ただの幼女を帝国兵として扱うほど、うちの上も焼きが回ってたわけじゃないみたいだ。あのガキは一応、真正面から為す術もなくやられるほど弱いわけじゃないらしい。まあ、それぐらいなきゃ張り合いがねぇよな)


 しかし、木剣で弾かれるとは予想外だった。

 あの幼女は直前まで無反応だった。

 ナッドは喉を鳴らすと、浮かんだ汗を拭う。

 

(反射的な防御か? まあ少しはやるみたいだが)


 ──大したことない、俺なら楽勝だ。

 息を整え、飛び込むタイミングを見計らう。

 いつ反転攻勢を受けてもいい心構えを欠かさない。

 肩の力も抜き、理想的な体勢を取る。


(焦るな、焦るなよ、俺)


 そう言い聞かせるナッドは緊張に弱かった。

 なにせ能力を見定める士官学校では模擬戦が主。

 そこまで緊張と縁がなかったゆえに、彼は成績上位で卒業できた上、有望株としてバラボア砦に派兵された側面があった。それがなければ、新兵のなかでも頭一つ抜けた腕を持っていることに一端の自信はある。

 ナッドは正眼に構えつつ、相手の動向を見守る。

 なかなか隙を見せない。石像のごとく動かない。

 視線だけは受けて立つものの、様子見が続く。

 戦闘は膠着状態。ただでさえ静寂が満ちていた一帯に、新しく緊張感が張り詰めていった。

 そこに、頬を撫でるような一陣の風が吹く。

 帝国兵たちの喧騒がそれに乗って、鼓膜を掠る。

 これでは埒が明かない。仕掛けるしか、ない。


「……【大地に於けるひと欠片】」


 ナッドは一言だけ詠唱を口遊む。

 魔力を編み、簡単な『魔術』を発動させる。

 魔術とは簡単に言えば、魔力を消費して何らかの事象を引き起こすことだ。

 このときに消費できる魔力は二種類。

 体内を巡る魔力(オド)と、大気中に満ちた魔力(マナ)だ。

 とは言えど、オドは身体能力に影響する他、生命力に直結している。これを削るのは文字通りの自殺行為ゆえに、一般的にはマナを消費する。

 だが、マナはマナのまま魔術の素にはできない。

 まず肺で空気中からマナを取り込む。次に体内で魔術として利用可能な魔力に変換。そして『詠唱』で起こしたい事象を固定化し、魔力をその工法通りに編み上げることで、ようやく魔術が形作られる。

 習得にはナッドも苦労したものだったが──。


(まあ、俺の使える魔術はたかが知れてる)


 彼が発動した魔術は、ごく初歩的なものだ。

 手のひらに収まるような小石を創造する。

 効果はただそれだけだが、小細工には使える。

 小石は幼女後方の中空に出現し、重力落下。

 些細な音を鳴らし、地面に転がった。

 しかし、寂然とした場所では嫌に耳につく。

 ──自分の背後で、如何な魔術が発動したのか。

 反射的に、確認したいと思うのは人情だろう。

 そしてソルは迂闊にも、意識を後方に向けた。


(馬鹿が……)


 好機と見るや、迷わず動く。

 今度の狙いを手首と決め、踏み込んだ。

 だが唐突に、脇腹付近へ衝撃が走った。

 

「がぁッ!?」


 さながら脳内で電撃が弾けたようだ。

 強制的に動きが停止する。

 下方を見遣れば、そこにはソルの靴の爪先。

 重量感のある軍靴が、鳩尾を抉っていた。

 振るうはずだった木剣は勢いを減退させ、身体はつんのめるような形になる。

 不覚を悟った頃には、時すでに遅く。

 戦闘における致命的な空白が生まれていた。


「隙あり、じゃ」


 ソルはここでようやく動き、横薙ぎに一閃。

 振るわれたそれを回避する手立てはない。

 のけぞったナッドの首元へと吸い込まれ──。

 喉を打つ直前で、ぴたりと止まった。


「…………ま、負けだ。俺の負けだ」


 言葉を絞り出す。

 声が、情けなく震えてしまった。


「これで一本じゃな」


 幼女は事もなげに呟き、首筋から得物を離す。

 ナッドは木剣を落とすと同時に、膝を折った。

 からん、という音が遠間に聞こえた。背中には冷や汗が滲んでいる。両脇にも染みをつくっていたが、これらは盆地の熱気による発汗ではない。

 殺気だ。たった一閃に発された、刹那の殺気。

 殺される、殺される、殺される。

 真剣を使わぬ模擬戦にもかかわらず、その言葉がナッドの頭を埋め尽くしたのだ。

 

「……う、嘘だろ。こんな、俺が……?」

「才能はある。一撃必殺を狙う戦法も、猪突猛進とは言え、わしは好むところじゃ。ぬしに足らんのは、ただ単純に経験じゃろう……です」


 うわごとのような呟きに、ソルは断言した。

 呻くように「経験?」と繰り返すと、幼女は「そうじゃな」と視線を下げる。


「例を挙げるなら……まず、手の震えは言語道断じゃ。殺気や気迫に慣れとらん、とは真っ先に思った。他は二合目直前、踏み込みに迷いが見られたこと。はったりを逆手にとられたことに気づかぬ、正直すぎるのもまずい。見破られて利用されれば、此度のごとく致命的な隙をつくることになるじゃろう。そこら辺を取捨選択する感覚や勘の鋭さを研ぐには、地道な鍛錬が手っ取り早い。剣と魔術での戦闘を意識してなのかは知らぬが、剣以外の──今回で言えば足技を失念しているのも痛い点じゃな。勝ちを焦り、慎重ささえ見失わなければぬしは強くなる。あとは視線の散漫さも気になったのう。集中して相手を視続けると……いや。すまぬ、わしの悪い癖が出た。無用の説法と思うなら、聞き逃しとくれ」


 やってしまったという顔で、そう締め括る。

 ソルは居心地悪そうに、剣先で地面を突いた。


(は、はは……俺が、こんな奴に?)


 ──完敗だった。

 高等な戦闘技術に翻弄されたわけではない。幼女の子供騙しめいた手に、勝手にかかっただけ。常人離れした力や技に圧し負けたのではない。ナッドに加えられた打撃や斬撃は随分と軽いものだった。

 明確に勝敗を分けたのは、観察眼と()

 的確に彼の改善点を洗い出し、弱点を突く観察眼。

 『予備動作なしの防御』という超反応めいた回避を為せた理由は曰く「勘のようなものじゃ。経験はアタマもじゃが身体にも染みつく。肌が、骨が、あるいは部位が、目前の似た剣筋を覚えていれば勝手に反応してしまうことがあるだけの話じゃ」とのことだった。

 もはや、ナッドは開いた口が塞がらない。

 楼閣のごとく築き上げていた彼の矜恃が──。

 脆くも、ひび割れていくような心地がした。


「オド量……の、問題じゃねぇのか」


 もはや言い訳は意味を為さない。

 今回の戦闘では、筋力の差異は些細な問題だった。

 つまり幼女が啓蒙する「経験の差」こそが勝敗を左右した。オドを相応に溜め込んでいるのだろうが、独特の剣術は使わなかった。実際のところ、この一幕で彼女の力量が測ることができたわけではない。

 ──もしや、こいつも怪物なのか? 本物なのか?

 過去から這い出した恐怖は視界を冒していく。


(あいつら、みたいな……才能の怪物、なのかよ)


 眼前のソルが歪んでさえ見えた。

 どことなく困った様子の彼女を、士官学校時代の怪物たちと重ねようとする。しかし、寸でのところ重ならない。相変わらず、強者特有の気配が薄弱だ。

 ただ正直に、この印象を飲むわけにはいかない。

 この、矜恃の楼閣を崩れ去らせてはならない。

 だから、現実を受け入れるにはこう言うしかない。


(まぐれだ。……ああ、これがまぐれじゃねぇなら何だってんだ)


 ナッドはソルを認められない。

 どうしても、認めることはできない。

 なぜなら目前の幼女が、得手とする剣術で「自分を上回っている」などと認めてしまったら、自分が「苦労も時間を重ねていない者に劣る」と認めてしまったら、強者の風格すら持ち合わせていない者よりも格下と認めてしまったら。あの日、後継者指名の日に逃げ出した自分を否定することになってしまう。

 それは、絶対にしてはならないことだった。

 自らの根幹となる出来事を否定してしまえば──。

 きっと、ナッドは立ち止まってしまうだろう。


(偉そうに、上から目線で適当なこと語りやがって)


 たとえばこれが、士官学校に少数在籍していた怪物たちや、英雄相手だったなら諦めがつく。彼らは人間の域を超えた存在だ。誰もが「勝利できないのは当たり前だ」と知っている。たとえ無様を晒したとしても「仕方ねえさ」と仲間が肩を叩いてくれるだろう。

 だが、この怪物の匂いがしない者にだけは──。

 口が何か言葉を紡ぎかけて、止める。

 ソルは、それを数回繰り返す彼を一瞥すると。


「……ズルしたわし相手に、落ち込む必要はない」

「……ズル?」

「若作りじゃ」

「……質の悪い冗談はやめろ」

「冗談ではない。わしはぬしより年上なのじゃ」


 ナッドは鼻白んで、嘆息が漏れる。

 怪物か否かはさて置いて、冗談のセンスは最悪だ。

 当の幼女が至極真面目な顔で言うものだから、余計に脱力してしまう。


(ああクソ……! たとえ怪物でも、勝負がまぐれでもどれでもいいわ、クソが)


 計算づくなのかは定かではない。

 だが、色々とナッドは諦める。


(馬鹿馬鹿しくて、相手なんかしてられるかよ)


 上下関係を教え込む云々は果たせなかった。

 接したのは数時間ほどだが、間違いなく言える。

 ──この幼女に、まともな軍人は向いていない。

 自称箱入り娘は、その文句に嘘偽りない実情を見せつけた。上下関係の疎さ、冗句も間抜けときた。面倒見のよい先輩が愛想をつかしても仕方あるまい。

 ナッドは内心でそう吐露する。

 嫉妬が混じっているのは否定しない。だが、傍らに自分の存在を揺るがせる存在を置く趣味はない。一旦の子守役として任命されたが、この戦が収束すれば二度と会うこともないだろう。あくまで帝国の正義を主張するために匿われているにすぎないのだから。

 所詮これは、身寄りのない幼女でしかないのだ。


(俺とこのガキは歩いてる道が違う。道が違うんだから、分かれ道まで行けばそこでおさらば。無理に関わらなくても、時間が来れば勝手に離れていく)


 対するナッドは、好成績で士官学校を卒業済み。

 目前には前途洋々な未来が開けている。実地経験さえ積めば、悠々自適に内地で暮らせるようになる。なにも国に期待されているというのは誇大妄想ではないのだ。その証拠は、彼が派兵された最前線の一角がこの南マッターダリ地方という事実がそうだった。

 ここは、何が起ころうと敗北し得ない場所。

 なにせ『人類最強』が参じる戦場なのだから。

 かの『人類最強』が活躍するとなれば、一般兵の出る幕はない。つまりは参加さえしていれば、出世は約束されたも同然。実際に、直近の野戦は一方的な制圧で終結した。帝国側の戦死者は軽微であり、ナッドも戦場に立つことなく勝利の美酒を味わった。

 立身出世を提供してくれる、美味しい機会。

 ──それにありつけた自分はこのままでいい。


(だからまあ、気にいらねぇ奴とわざわざ交流を持ってやる義理なんかない。そう思うと気が楽だ)


 実に不愉快だが、もうしばらくの辛抱だ。

 ナッドはそう締めくくり、一区切りに空を仰ぐ。


「休憩は終わりでよいか? では再び模擬戦を」

「ああ? まだするつもりかよ……パスだパス。俺はもう疲れてんだよ。ガキは元気でいいな」


 その日は結局、模擬戦を幾度申し込まれようと、ナッドが首を縦に振ることはなかった。

 

 

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