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修羅幼女の英雄譚  作者: 沙城流
第二章.幸せな怪物の墓標
36/36

20 『火は鉄を試し、』

お久しぶりです。

突然のお知らせですが、2024/11/18から、本作を元にした漫画の連載がピッコマさんで開始しましたので、ご興味のある方は是非是非ご覧ください。(ソルが可愛いのでオススメです)


以下、これまでの簡単なあらすじです。

※不要な方は前書きを飛ばしてください

-----

・第一話あらすじ

子供の頃から英雄に憧れている男、ソルフォート・エヌマは凡人だった。六十余年、彼は夢を叶えるために研鑽と努力を惜しまなかった。他人の技術を観察し、研究し、ひたすらに剣の腕を磨く毎日を過ごしていたが、結局のところ夢には手が届かなかった。人生最後に対峙した、最強の英雄『アイリーン・デルフォル』との闘い。かの最強には、己の生涯を懸けた一撃すら通じず、彼は報われぬ最期を遂げた。だが、ソルフォートは生き返る。生前、『最高の魔術師』と名乗る男に冗談半分で言ったことを思い出す。「もし志半ばで果てることがあったならば、二度目の機会が欲しい」と。その願いが叶ったのか、と感謝を抱く反面、困惑した。なぜならば、生き返った姿は、男の姿ではなく幼女の姿だったからだ。それでも、ソルフォート・エヌマは英雄としての夢を再び追いかけ始める。ソルフォート・エヌマという男ではなく、ソルという名の幼女として──。



・第二章あらすじ

ソルは、バラボア砦にて敵将ボガート・ラムホルトを討ち取り、その褒賞として少尉を拝命する。その戦いぶりから『修羅』と呼ばれ、次期英雄の期待を集めることになった。英雄への階段を一段のぼれたと喜ぶのも束の間、領地に出没する怪物──『獄禍』討伐の命令が下る。「怪物退治は英雄譚の醍醐味」と、ソルは帝国小隊を連れて現地へ向かうも、そこには件の怪物はおらず、敵国『ビエニス王国』の英雄ハキム・ムンダノーヴォがいた。応戦するもまるで歯が立たず、ソルたち帝国小隊は全員倒されてしまう。目が覚めたソルの前には、ハキムの姿。ソルとハキムが傭兵時代の古馴染みだったことで、何とか生け捕りで済んだようだった。ハキムを問い質すと、彼らビエニス王国&デュナム公国の精鋭は、災害級の怪物『原罪の獄禍』討伐を目的としていた。そこに英雄譚を愛するソルが飛びつかないはずもなく、獄禍討伐隊入りをかけてビエニス王国の大英雄『黎明の導翳し』シャイラ・ベクティスとの模擬戦を行う。模擬戦の結果、認められたことで、晴れてソルと帝国小隊は獄禍討伐隊入りを果たす。獄禍討伐隊にて、最初に下った命令は「討伐対象である『原罪の獄禍』──『根絶』ファニマールの子飼いの獄禍を、討伐隊の皆で期間内にすべて倒すこと」だった。ソルは、ビエニス王国の大英雄『黎明の導翳し』シャイラ・ベクティス、デュナム公国の魔術師イルル・ストレーズと共に、人生初の獄禍討伐に乗り出す。初日にソルたちが討伐しなければならない獄禍『ケダマ』は、体表に触れた物を凍らせる怪物。イルルとの共闘&シャイラの助太刀によって打倒し、その体内から『オド結晶』を回収する。そして、ソル一行は拠点である集落ケーブへと戻る。一方、ナッドたち帝国小隊も集落に戻ってきていた。彼らもソルと同様に、獄禍討伐隊に混ざって獄禍討伐を果たしていた。彼らは討伐を通じて、ビエニス王国&デュナム公国側の討伐隊員と仲を深めていた。一方、ソルはハキムと情報共有を行った。彼ら討伐隊の面々のうち、ビエニス王国側の人間は『根絶』ファニマールに対する復讐を第一目標にしており、デュナム公国側の人間はビエニス王国に資金援助してもらう代わりに手を貸している。そしてハキムは、自らの妻であり、ソルとも共通の昔馴染みだった『メイ』という女の復讐として『根絶』討伐隊を結成したのだ──と言った。そして、彼はシャイラと親睦を深めて欲しいとソルに頼んできた。曰く、彼女を義理の娘として引き取ったものの、なかなか打ち解けることができず、また彼女自身も精神的に不安定なため、誰かとの交流があまり持てていないという。ソルは快諾し、集落から歩いて程なくした場所にある湖に足を向けた。湖で物憂げにしていたシャイラと話していたところ『クロカゲ』と呼ばれる、とある子飼い獄禍の端末の襲撃を受ける。シャイラは鎧袖一触、危なげなく撃破したが、ソルはクロカゲが発する言葉から昔馴染みだった『メイ』がクロカゲを通して話しかけてきていると知り、招待を受けるようにしてクロカゲの一体である『黒球』に飛び込んだ。一方、シャイラは危地に飛び込んだソルを救うため、黒球を追った。追跡の最中、『根絶』ファニマールが放つ濃霧を横切る際、黒球の姦計により『魔力誘爆』が引き起こされ、その上、『根絶』の一閃を受け、シャイラは追跡を中断──しなかった。森の中、シャイラは右腕が使い物にならない状態で、身体を引きずりながらもソルの捜索を続けようとしたところ、偶然、討伐隊の一員と遭遇。共に、クロカゲの本体……『サナギ』が鎮座する場所に足を向ける。そこでは、ゆうに千を超えるクロカゲが犇めいていた。シャイラは構わずクロカゲの群れを正面突破しようとするも、そこで唐突に現れたハキム・ムンダノーヴォに制され、無謀さを咎められた。シャイラはソルの捜索を中断し、集落に帰投することになった。あくる日の早朝、ハキムの口から伝えられた当座の方針に対して、ナッドたち帝国小隊の間ではハキムに対する不信が広がっていた。一方、ソルは──黒球から出ると、燃える街にいた。そこには『メイ』を名乗る、蛾の姿をした獄禍がいた。獄禍は言う。「アンタには英雄になってもらいに来たんです」。そしてソルの目前に、在りし日のハキム・ムンダノーヴォが現れる──。

-----

 集落の奥地に佇む、静寂に包まれた小屋。

 その室内は薄暗い。隅に設けられた寝台、寝台の傍に据えられた椅子、壁際に寄せられた棚や机には暗闇がかかっていた。唯一、小屋の窓からは弱い曙光が差し込み、二人の人影を浮かび上がらせていた。

 そのひとり──シャイラは寝台に横たわっていた。


「以上が、昨夜の、顛末……です」


 シャイラの全身には、包帯が巻かれていた。

 顔は、双眸と口元が見えるのみ。右腕に至っては、救護班が急拵えで作成した木製器具で固定しており、余人が一目見て重傷だと断言できる有様だった。

 そんな有様で口にしていたのは、昨晩の報告だ。

 シャイラは細大漏らさず伝えた。湖畔でクロカゲと遭遇したこと。遭遇したそれら自体は苦もなく一掃できたものの、突然ソルが自ら、球状のクロカゲの口内に飛び込んだこと。そのクロカゲを追って『根絶』の霧のなかに入るも、魔力誘爆を引き起こされた挙句、『根絶』の攻撃の余波を受け、右腕を負傷したこと。そんな追跡劇の末、到着した場所がクロカゲの本体──サナギと呼んでいた獄禍の居所だったこと。

 ただ、到着前にそれが塔めいた姿に変貌しており、大量のクロカゲを放出していたこと。


「そうか」


 ハキムは、それを椅子に腰掛けながら聞いていた。

 項垂れたまま瞑目し、腕を組んでいる。

 果たして、いま彼が何を考えているのか。

 シャイラには推察することができなかった。


「あ、あと……ソルちゃんから、ハキムさん宛の伝言を……その、ふたつ預かって、まして」


 ──借りは帳消しでよいな?

 ──貴様も呆れるほど変わっとらん。

 この二言を言い終えると、しばらく沈黙が降りた。

 ハキムは無言だった。身じろぎもしなかった。

 シャイラはもどかしかった。彼には伝言の含意がわかっているはずだ。家族という、二人の特別な関係性の下に交わされるそれを、あえて余人が類推するならば、遺言か救援要請のどちらかになるのだろう。なにせ、己が飲み込まれる直前に放った言葉なのだから。

 仮にそうだったとして、ハキムの沈着ぶりは何か。

 唯一の肉親が命の危機に瀕している。

 だというのに、まるで動じていない──。


(まるで……お兄様たち、みたいに)


 シャイラの脳裏に『家族』の影が纏わりつく。

 彼女が、芽の出ない幼少期に受けてきた仕打ち。ビエニス王国が誇る超実力主義に即した価値観の下、弱者は淘汰される。無能や無才に居場所はない。戦闘も勉学も、優秀な兄たちの過去と比べられ、基準を満たさねば折檻され、せせら笑いの的になる。

 窮屈だった。いま思えば、憎んでいた。

 あるときまでは受け入れていた。他の家族を知らなかったから。しかし、初めて物語に触れたとき──英雄譚の頁越しに見てしまった。物語を通して『他』を知ってしまった。自分が、広大で美しい世界から切り離された、狭く息苦しい箱庭に閉じ込められていると知ってからは──自分の家族(あれ)がおかしいと思うようになった。許せないと思うようになった。

 そんな家族の在り方は、否定せずにはいられない。

 シャイラは、矢も楯もたまらず左腕を立てる。


「わ、私……行きます」


 右腕のほうは固定されて動かない。

 固定具を外しても、おそらく機能しないだろう。

 それでも、彼女には恵まれた体内魔力量がある。

 きっと足手纏いにはならないはずだ。


「ソルちゃんを、助けに行きます」

「初めてだな」


 目的を告げた瞬間、ハキムは呟いた。


「自分から助けに行きたがる、とは」


 無表情。平坦な声色からも内心は窺えなかった。

 シャイラは、そのわずかな手がかりを元に考える。

 いまの言葉を素直に受け取れば、ハキムは驚いたのだろう。確かに、以前までのシャイラからは発されなかったであろう行動的な発言だったのだから。

 その文脈から肯定的な機微を見出し、口を動かす。


「じゃ、じゃあ……」

「駄目だ。許可できん」


 言葉に詰まる。シャイラの類推は的を外していた。

 ハキムは眉ひとつ動かさず、断言した。


ソルの救援(・・・・・)は行わない(・・・・・)。これは決定事項だ」

「っ……!?」

「帝国小隊にもこの件を伏せる。ソルが無策であの獄禍の元におることが、帝国小隊かストレーズ……いや、ソルを認めておるビエニスの隊員にでも伝われば、救援隊の編成を要望されるやもしれん。しかし、それでは子飼いの獄禍討伐に遅れが生じる……それだけは避けねばならん。この『根絶』討伐では時間が枢要だ」


 錆を含んだ声からは、一貫して感情が窺えない。


「ゆえに……子飼いの獄禍討伐は予定通りに行う。サナギ以外の『根絶』の子飼いの獄禍を駆逐していく。シャイラ嬢は一晩安静に過ごし、明日から復帰せよ。サナギについては、眼班による監視を継続し、改めて討伐の指針を立てることとする。サナギの形状が変容し、クロカゲが大量発生しているものの、昨日までと異なり、あれらはサナギの周囲を取り囲んでおるだけで、こちらに干渉してくる様子がない。こちらの戦力を割く余裕もない現状──様子見が妥当だ」

「あ、あの」


 滔々と、今後の予定を語るハキムの口を止めた。

 彼は理を説いていた。救援実行の弊害。『根絶』討伐という本懐を遂げるため、静観を選ぶこと。聞いている限り、もっともらしい話のように思う。

 しかし、シャイラは食い下がる。


「でっ……でも、討伐は前倒しに、進んでいる……はず……です。昨日の報告では……確か、一日ほど、余裕がありました──その時間を使えば、救助……」

「ならぬ。確かに、討伐隊の皆の働きによって、計画には十一刻ほどの余裕が生まれておる。しかし、まだこの時間を削るわけにはいかん。我らの本懐──『根絶』戦で何が起きるかわからん。できる限りの時間は残さねばならんのだ。……わかっておるだろうが」


 これも、実にもっともらしい。

 予定の線表は、ある程度余裕を持たせるべきだ。計画が予定通り進むに越したことはないが、やはり不測の事態を警戒せざるを得ない。ましてや大人数が参画し、日程が長く、不確定要素が多いこの『根絶』討伐──何かしら想定外の凶事が降りかかるのは避けられない。それに対処する時間は必要だ。

 ハキムは「あやつは弱い」と言い捨てる。


「少なくとも、わざわざ『根絶』討伐の余裕を割くだけの価値がない。シャイラ嬢も、模擬戦と……獄禍討伐を共にして、重々わかっておるはずだ」


 言い返す言葉はない。彼には理がある。

 ソルの実力はあくまで成長過程。不可欠な戦力、と言いきるには力不足の感が拭えない。

 だが、言葉の裏から、その真意を猛烈に感じる。


(ハキムさんは……ソルちゃんを助け(・・)()()()()?)


 逡巡の末、シャイラは勇気を振り絞って、訊く。

 

「ソルちゃんのこと……心配じゃ、ないんです、か」

「心配? 俺があやつを心配などするものか」

「え……」


 それを、彼は忌々しげに吐き捨てる。

 さあ、とシャイラの脳裏が白紙に塗り替わる。

 そんな内心の変化を察したのか、ハキムは「落ち着け」と続ける。


「……お前さんはいま冷静ではない。俺とソル(あやつ)は、ただ血が繋がっておるだけだ。そも、家族など大した括りではない。シャイラ嬢にも……家族なる結びつきに、失望した経験があるだろうがよ。そんな薄い繋がりに、過度な価値を見出す必要などない」

「あ……」


 ハキムの言葉は、シャイラを宥めるためのもの。

 わかっている。しかし、それを聞き届けたシャイラの唇から不意に零れたのは、果たして何の感情だったのか、彼女自身ですら判然としなかった。

 ただ、いま確かに、ひとつわかったことがあった。


(ああ……そうだったんだ)


 ──私が、ソルちゃんを……助けたい、理由。

 ──私が、ソルちゃんを……助けたかった理由。


(わかった。わかりました。『螺旋現実』アンシャートの問いかけの答え。私がソルちゃんに拘っていた理由は……ハキムさんに期待(・・)していた、から)


 都合のいい、幼稚な幻想をどこかで信じていた。

 ベクティス家の『家族』だけが異常だったと。他の『家族』は温かな関係を築けているはずだと。むかし、狭い物置きで人目を忍んで読んでいた本の登場人物たちのような関係性を築けているのだと──。

 だから、ハキムとソルという家族に幻想を抱いた。

 否、幻想を抱いた要因がもうひとつある。


(私と、ハキムさん。義理の……でも、家族)


 名目上の関係性だと、わかっているつもりだった。

 あの日……ベクティス家から放逐され、当て所もなく彷徨っていた娘を、ひとえに憐れみから一時匿うために銘打った関係性。いまでは大英雄『黎明の導翳し』を手元に置いておくための関係性。それがシャイラとハキムの、義理の父娘関係だった。

 それでも、ずっと希望を抱いていた。終わりの見えない『家族』の檻から解き放たれ、拾ってくれたハキムが、いままで与えられたことのない『家族』の情を与えてくれたりしないか──なんて、甘いこと。

 改めて笑える。自分のお花畑具合に、笑える。


(欺瞞だってわかっていたのに、は、は……)


 ハキムは、ベクティス家の家族とは違う。

 どうして、そんなこと信じられたのだろう。

 否、信じたかっただけだ。ハキムとの間に交わされる会話の緊張も何も、思い描く家族像からかけ離れているのに。どれだけぎこちない関係性を続けても、自身に言い訳していた。これは、あくまで義理の関係性だから。本当の『家族』ではないから、仕方がない。

 そう、自分に言い聞かせていた。

 事ここに至って、そんな幻想は脆くも崩れた。


(こう思うと、倒錯していたんですね……最初、私は卑しく、ないものねだりしていたのに……もう与えられないと決まったら、ハキムさん自体に期待して……そう、せめて兄様たちの存在を否定できないかって。でも……もう、答えが出ちゃった……んですね)


 ハキムとソルという、本当の『家族』。

 ハキムにとって、ソルは損得勘定で容易く切り捨ててしまえるものでしかなかった。それは、シャイラが否定したかったベクティス家の『家族』と重なる。

 ならば。必死にソルを助ける必要は、もう──。

 寝台に立てていた左腕から、力が抜けてしまう。


「シャイラ嬢?」

「す……みません、ぼうっと……してました」


 ハキムは片眉を上げて、再確認してくる。


「くれぐれも言っておくが、あやつを助けには──」

「行きませんよ」


 すっと、言葉が出た。

 もはや胸元に手を当てる必要もない。

 腹の底が冷えていく感覚とともに、口にする。


「私は……『黎明の導翳し』ですか、ら」

「分かれば、よい」




 ※※※※※※※※※※




(はてさて、どうしたものじゃろうか)


 暗くけぶった空の下──街は燃えていた。

 ソルは、油断なく身構えながら思考を回す。

 まず、自身の背後に浮遊する獄禍について。


(まず、いまは蛾の獄禍を討滅する術はないのじゃ)


 子飼いの獄禍を討つ方法は、二通り存在する。

 ひとつ。獄禍の核を砕くこと。

 ふたつ。魔力補給管を断つこと。

 だが、結論──現状はどちらも不可能である。


(まず……かの怪物との距離は開いておる)


 蛾の獄禍は、地上から離れた位置で滞空している。

 直下にある噴水までの高さは三丈程度。現在地から噴水に向かって駆け上がり、全霊の跳躍をしても届くまい。剣を投擲でもすれば届くだろうが……唯一の武器である剣を手放すだけの勝機は見出せない。

 獄禍の核は、体内のどこかに眠っている──。

 もちろん、視覚できる範囲内には見当たらない。あの身体を何度も刺し貫いて、運よく核を砕くことを祈る必要がある。そもそも、あの溶岩めいた身体を物理的に貫けるか怪しい。あるいは刃が溶けてしまう恐れもある。大量の水でもあればいいのかもしれないが、生憎と持ち合わせはないし、周辺にも見当たらない。

 つまり、核を砕く形で息の根を止める方法は、不確定要素が多く、現実的ではない。


(あくまで……現状の情報では、じゃが)


 次に、魔力補給管を断つ討伐方法だが──。

 そもそも、そんな管が見当たらなかった。


(角度の問題か? 蛾の獄禍の背後から、水平に伸びているのだとしたら……ここから見えぬのも道理)


 周囲を探索したいところだが、そうもいかない。

 目前に立つ、明確な敵はそれを許さないだろう。

 その青年の顔を隠す──紅蓮の前髪が揺れる。

 獣の眼光が、前髪の隙間越しにこちらを射抜く。肩甲骨まで伸びた赤毛が揺れ、全身を覆う薄汚い枯葉色の外套の裾がはためき、彼の地黒の肌を垣間見せていた。片手には、一振りの剣を握っている。刃には赤黒い血液が凝固しており、刃毀れも起こしている。

 単なる幻、ではない。佇まいには実在感がある。


「ハキム」

「無駄ですよ」


 呼びかけの返答は、背後からだった。

 それも、呼びかけた名とは異なる腐れ縁の──。


「喋る機能を付けていませんので。いえ、発話機能の実装自体は容易いのですが……言語を解し、人格通りの言葉を紡がせる、というのが難しいのですよ。もっとも、姿形や技術のそれは、傭兵団に入団したばかりのものに創りましたから、ご寛恕願いたいですね」

「つまり、あれは訓練用の巻藁に等しいと?」

「ええ、正に。味気ないですか?」

「少しのう」


 軽口と判断して、軽口で返す。


「ああ……では、私が吹き替え(アフレコ)をしてもいいですよ」

「遠慮しておくのじゃ」

「安心しました。芝居は苦手なもので」


 怪物らしからぬ台詞を他所に、ソルは思案する。


(あの獄禍……どこまで本気かわからんが、わしを当分生かす方針ではある。ここは……表面上、蛾の獄禍に従いつつ、打倒方法を固めていくとするかのう)


 ソルは意識を前方に集中させる。

 詳しく見聞はできない。戦闘が始まっているのだ。


「……ッ」


 最初に仕掛けたのは、紅髪の傭兵だった。

 右脚に重心を宿らせるや否や、距離を詰めてくる。

 対するソルは、己が右脚をわずかに退いた。

 その場で迎撃する構え──否、いささか異なる。

 唇を尖らせて、小さく息を吐く。同時に跳躍。身体を捻り、剣を鋭く切り上げる。剣先の軌道は、正面から突進する傭兵を、下方から両断するように描く。

 傭兵は、笑みを浮かべて剣を振り上げていた。


(貴様の癖は、力任せに剣を振るうこと)


 わざわざ、迎撃を正面から捻じ伏せようとする。

 まさしく、昔日のハキムの面影そのもの。

 齢十八。鳴り物入りで入団した頃の彼だった。

 己の天稟を誇示することがすべてだった頃の──。


(文字通りの型無し。ならば容易い)


 双方の剣撃は、激しく衝突した。

 下方から飛びかかったソルは地面に弾かれる。

 想定通りだ。ソルは両脚で着地。膝を発条のように曲げ、斬撃の衝撃を両脚の接地面から逃がす。同時に膝は限界まで曲がっている状態──つまり、再び飛びかかる準備が整っている。そんなソルに比べて、赤髪の青年は振り下ろす剣撃を弾かれ、仰け反っている。

 己の矮躯を活かした迎撃方法だった。

 幼女は、蹈鞴を踏んだ相手の隙を見逃さない。


「ッ!?」


 二度目の跳躍。瞠目する青年の懐に潜り込む。

 刃が舞う。白銀の円弧を描いた軌道は、首を両断。

 身体を屈めた状態で、地面に着地。視界は、石畳に占められる。街路は靴底や馬車の蹄、車輪ですり減っていて、足元には蠢く自身の影が投影されている。

 手に残った感触は、ひどく生々しかった。

 幻を斬った気はしない。遅れて──どちゃ、と背後から音がした。斬り飛ばした頭蓋骨が落ちた音だ。身を屈めたまま、素早く振り返る。だが、首が落ちた痕跡はない。それどころか、別たれた胴体も何もない。

 あれはやはり、質量ある幻、と見るべきだろう。

 元より、彼は昔日のハキムの姿形そのままだったのだから、半ばわかっていたことだったが──。


「お見事」


 もう一人の腐れ縁だった女の声が、耳朶を打つ。

 視線を上方に傾ける必要はなかった。

 短い称讃の声は──壊れた噴水の上空からだった。

 言わずもがな、そこで傍観する蛾の獄禍のもの。


「努力の賜物ですね。アンタ、あの頃は……全然ハキムに勝てませんでしたよね。常人のオド量を遥かに越えるあいつに、小細工含めて食い破られて……あいつとの勝負、何戦零勝でしたっけ……アンタはそもそも実力不足で、搦手を使う技術も拙かったから、結局土俵に乗せられてボコボコでしたよねえ」

「よく……知っておるのじゃ」

「ええ、私は一番近くで見ていましたから」


 その言葉には、どこか誇らしげな響きがあった。

 ソルは言葉を交わしつつ、何気ない素振りで広場の外周を背にする。そして周囲に気を配りながら、外周に緩く添うように移動を始める。

 情報収集だ。先ほどのハキムの幻影は、あくまで蛾の獄禍の尖兵。蛾の獄禍自体を討滅するため、魔力補給管の場所を掴まねばならないのである。

 とは言え、悠長に時間を与えてくれるわけもない。


「では、次です」


 瞬間、至近距離から殺気と、風を感じた。

 ソルは背後に飛ぶ。咄嗟だった。間に合うか。

 一瞬前には、気配すらなかったはずだが──。


「ッ」


 ソルの退却を、殺気の主は見送ったようだった。

 否、殺気の主たち(・・)と言うほうが正しいか。


「懐かしいでしょう? 傭兵団の先輩方です」


 目前で、二人組の人影が揺らいだ。

 一人はこちらとの距離を詰め、一人は様子見。

 距離を詰めてきたのは──小柄な男。


「はッ」


 男は、両手持ちの剣を斜傾に斬り下ろしてくる。

 ソルは左方に重心を移動。身体をわずかに捻り、斬撃の軌跡から逸れる。幼女は重心の移動と同時に出した左脚を軸に右回転。そのまま横薙ぎに剣閃を走らせて、男の背面から破断せしめる──つもりだった。

 ぎん、と。硬質な音が響く。


「ぐッ……!」


 ソルと男は至近距離で鍔迫る。

 遠心力を帯びた斬撃が刃で受け止められたのだ。きっと、男は己の初撃が躱されること承知していて、返す刀で幼女を追撃しようとした結果、時を同じくして攻勢に出た彼女の迎撃に相なったのだろう。

 間近に迫った顔には、わずかに見覚えがある。

 獰猛に見開かれた両眼。鳶色の瞳から戦意旺盛な視線が放たれている。容貌には加齢の影が見えず、歳の頃は二十代半ば頃かと推察できる。だが、その印象とは裏腹に、彼の頭部は禿げ上がっていた。頭の稜線が周囲の炎により照らされ、赤々と浮き上がっている。

 思い出す。彼もハキム同様、ソルフォートの所属していた傭兵団の団員だった。ソルフォートたちより一回りは歳上だったはずだ。記憶に残る彼は外向的な性格で、常に取り巻きを擁していた印象がある。

 刃は──確か、模擬戦で数回交えた。


(当時は、全く歯が立たなかったがのう)


 とは言え、彼の戦闘法は把握できている。

 一言で表現すれば、超短期決戦型。息もかかるほどの至近距離で攻防し、堪らず崩れた相手を屠る。どんな巨漢相手にも臆せず距離を詰めることから、傭兵間では「恐怖を忘れた男」と渾名されていた。鍛え上げられた剣術と体術が、彼最大の武器である。

 名前に覚えはない。ソルフォートが年若い時分に出会った男だったからだ。便宜上、彼を『前衛』と呼ぶが──彼の膂力と、そこから繰り出される攻撃速度は、体格からも察せられる。逞しい猪首と、広い肩幅。筋骨で膨張した肉体は、彼が男性として短躯の部類とは言え、十分脅威となり得るものだ。

 事実、ソルの手に残る衝撃は相当なもの。


(正面から受け続ければ、遠からず崩されかねん)


 できれば、刃同士で打ち合う事態は避けたい。

 慎重に『前衛』の剣筋を読み、対処するべきだ。


(この相手の……剣筋を読むのは骨、じゃな)


 ソルと相対する『前衛』の足運びが忙しない。

 小刻みに跳ねるような足取りで、常に動いている。

 右手に握る剣。その剣先も頻繁に揺らしている。

 立ち位置も予想する剣筋も、一向に定まらない。

 これが、彼の戦闘術の最たる特徴。

 

(不規則な動作。不規則な剣筋。次の行動の起こりを読むことが困難……じゃが大して厄介ではない)


 そう。相手が彼一人ならば、だが。


(真に厄介だったのは──)


 ソルは辺りに視線を走らせ、咄嗟に半身になる。

 ひぅ、と。わずかな風切り音が嫌に耳につく。寸前まで胸部が存在した位置に、認知外の白刃が右前方から突き込まれる。それは直線に伸び、左頬を擦過、左目の至近を通過する。刃風が瞳の粘膜を乾かす。

 幼女は口元を引き締め、左脚の側面で地面を蹴る。

 わずかに右方に移動しつつ、剣身に左手を添える。

 それで──横薙ぎに振るわれた斬撃を受け止めた。


「ぬ、ぅッ……!」


 衝撃。喉奥から声が漏れる。

 吹き飛ばされた空中で斬撃の主を見る。

 『前衛』だ。剣を構え直し、舌打ちしている。仕留め損なったことを惜しんでいるのか。彼は、ソルが不意打ちに対応した隙を見逃さず、追撃を仕掛けた。

 その隙を生んだ剣先は、橙色に煌めいていた。


(槍、ではない。間合いは広いが……違う)


 剣は『前衛』の脇腹を掠めて突き出されていた。

 そこは、一瞬前まで彼の胴体があった位置だ。先の一瞬、彼が跳ねた刹那を狙い、ソル目掛けて突きを繰り出した。直前まで剣先が視覚外にあったため、躱すのは容易ではない。ソルが常に意識を割いていたがゆえに辛うじて回避できたが、際どい一撃だった。

 事前知識がなければ、あれで勝負が決まっていた。

 ソルは両脚で着地。着地までに削げなかった余剰勢力を、足裏と地面の摩擦で減退させつつ、下がった右脚で地面に弧を描き──流れるように、右脚を前に出した上で、腰を落とした構えをつくる。

 眼光はただ一点。不意打ちの主に向けられていた。


(やはりか)


 『前衛』の位置から大股に二歩ほど後退した地点。

 そこには長躯の男がいる。右脚を大きく前に出した上に腰を捻り、伸ばした左腕で長大な針のような剣を突き出した──美丈夫。およそ身長は六尺ほどか。鳶色の長髪を後頭部で編み上げており、結び目から伸びる尾のような髪が宙を舞っている。そんな躍動する身体に反して、彼の面相は固い。鋭角的な顎を横切る薄い唇に冷笑を宿し、同一温度の眼差しを備えている。

 確か『前衛』とよく(つる)んでいた男の一人だ。

 陽気な彼とは対照的な人物だが、幼馴染の関係性だったらしく──この話を誰から聞いたかも覚えはない──二人は特に親しかった印象があった。如何なる依頼でも二人組で行動していた、と記憶している。

 ソルフォートとは、実戦で二度だけ矛を交えた。


(慎重な性格じゃったか。彼も……名は知らぬ)


 例によって、便宜上『後衛』と呼称する。

 彼の戦闘法は『前衛』と比べても単純明快。

 相手の間合い外から一方的に攻撃し、沈める──。

 彼は、長身ゆえに脚が長い。恵まれた体格は、常人より遥かに広い間合いを生んでいる。その上、彼が操る得物は、全長が三尺を越している刺突用の片手剣。

 その間合いはもはや、槍の領域をも侵している。


(距離さえ詰められれば脅威ではない。しかし)


 ソルと目を合わせた『後衛』は鼻を鳴らす。

 そして髪を靡かせて『前衛』の背後に隠れた。

 これが彼ら二人の基本戦術だ。『前衛』は不規則な歩法でこちらとの距離を詰め始めて『後衛』との間の阻塞となる。ソルが『前衛』を避けるように左方に駆け出すと、彼は機敏に反応し『後衛』への道を塞ぐ。

 そして持ち前の猛攻で、ソルを防戦一方にし──。


「ぅぬッ……!」


 手一杯になっている間に、『後衛』の追撃が飛ぶ。

 あるときは小柄な『前衛』の肩越しから、またあるときは前動作なしに上げた腕の元の位置から、大きく開いた股の隙間から……刃が飛び出してくる。

 ソルは感嘆する。斯様な芸当は正気の沙汰と思えない。阿吽の呼吸による見事な連携だ。そもそも近接戦の人間を含んだ多対一の戦闘において、連携を取ること自体がどれだけ難しいか。同士討ちを避けようと動けば満足に身動きが取れなくなり、案外、多対一の一の側のほうが有利になることなどザラである。

 まして、これほど狭い間合い。その上で、これほど噛み合った連携を行うなど信じがたい。一体、如何ほどの信頼関係が築かれていれば為し得るのか。当時のソルフォートでは手も足も出なかった手合いだ。

 ソルは胸中で賞賛しつつも、唇を噛む。


(さて……問題は、如何に攻略するか、じゃが)


 とは言え、攻略法を思案するにも一苦労だ。

 ソルが距離を取るべく後退の気配を見せた途端、迷いなく『前衛』が食い下がってくる。その真意はあからさま。彼女の思考時間を削ぐ腹積りだ。絶えずかけられる攻勢に押され、攻略の糸口を探る試みは途中で幾度も打ち切られては、一向に考えが纏まらない。

 そもそも、必要な情報すら満足に得られていない。

 斯様に手一杯の状況下では、ジリ貧になるだけだ。


(なれば……退くのではなく)


 ──わしも前に出る他にあるまい。

 ソルは意を決し、自ら『前衛』の正面に飛び込む。

 その瞬間、わずかに彼の肩が硬直する様を見た。


(生理的な反応)


 一転攻勢。幼女が放つ剣閃は煌めき、斜傾を描く。

 軌跡は『前衛』を袈裟懸けに分断する──。


「ッ」


 ぎん──と響き渡る金属音。

 正面の斬撃は当然『前衛』の刃で受け止められる。

 そして、ソルはそのまま鍔迫り合いに移行した。

 身体的な都合で(ようじょにつき)得意とは言えない力比べ。互いの剣身を通して、互いの込めた力の波が行き交う。拮抗した力は、さながら唇を貪り合うような形で、危うい均衡を保ちながら維持される。幼女と『前衛』は立ち位置を調整しつつ、至近距離で視線が交じり合う。

 睨み合い。食いしばった歯列が口端から覗く。

 力だけではなく、互いの眼力と気迫もせめぎ合う。

 否──お互い、そう見せかけているにすぎない。

 まさに鍔迫り合いを演じているのだ。ここで行われているのは、単純な力比べでもなければ、威嚇や気の張り合いではない。それらは上辺にすぎず、本質は姿勢の崩し合い。立ち位置の奪い合いである。

 そんな、目には見えぬ攻防を繰り広げながら──。


(先ほどより、思考時間を確保できる)


 こちらが攻勢に回れば、向こうは対処に追われる。

 その間隙を縫うように思考を繋げられる。能動的に戦況を左右できる立場を得たことによる所産と言えよう。守勢に回っていては得られなかったものだ。

 ソルは、攻略に繋がる情報(いと)を紡いでいく──。

 

(二人の戦術を攻略する前に、まず大前提。彼らの戦術以外に、何か考慮すべき事柄がないか確認せねばなるまい。まず……彼らについて)


 『前衛』には、生身の人間が発する臭気がない。

 あの身体は幻影。所詮は作り物ということだ。

 しかし、ここで最も肝要なのは身体でなく心。


(彼らの意思は、生身のそれ(・・)らしいこと、じゃ)


 先のハキム戦でも、薄ら掴めていたことだ。

 ハキム、目前の二人。共に殺気を帯びている。


(殺気とは生物の意思から発されるものじゃ)


 何より、彼らの持つ意思を確信したのは直近。

 現在進行形で行われている鍔迫り合いの最中だ。

 不思議だった。ソルと『前衛』が地面に縫い留められている間──絶好の機会だというのに、なぜか『後衛』は『前衛』の胴体ごとソルを貫いてこない。

 ソルを仕留める。それだけが至上の目的ならば『前衛』ごと串刺しにしない理由がない。その他、生物として不自然な目的達成に至る近道を行う気配がない。

 あの幻影たちには、人並の意思がある。


(そして……蛾の獄禍も、従えるクロカゲも傍観に徹しておる。第三者による介入は、それほど意識しなくてよい。通常の対人戦と同様に攻略してよい)


 前提情報は確認した。次に攻略について──。

 ソルは『前衛』と刃を合わせながら、引き続き状況を分析する。


(諸先輩方は陣形を崩す様子がない)


 つまるところ、彼らの必勝の陣形というわけだ。

 如何にしてこの陣形を崩すか──否、さにあらず。


(主眼に置くべきは、崩すことではない)


 彼ら二人は、特定の陣形を必勝法としている。

 ゆえに十中八九『陣形を崩さない戦術』を頭に叩き込み、身体にも覚え込ませているはずだ。なにせ、陣形を維持するだけで勝利できるのだから。

 行うべきは、陣形に想定外の異物を放り込むこと。

 必勝の陣形に不具合を生じさせることだ。


(そして、それはすでに果たされておる)


 ──わしという例外を相手取った時点で、のう。

 『前衛』との戦闘は膠着状態を保っている。

 ソルは息遣いを殺しながら刃を合わせ続ける。所作は相手に合わせ、左右に身体を揺らす。さながら押しては引く波のような攻防の最中、そこにこの均衡状態を崩す役割である部外者──『後衛』の介入がない。

 道理だ。ソルは意図的にその状態をつくっている。

 巧みな位置取りで『前衛』を盾にしているのだ。


(盾にできている時点で、彼らからすれば異常事態)


 『前衛』の険しい形相はその事実の表れでもある。

 彼の身体は、幼女の矮躯を隠して余りある。彼我の体格差は大きく、まして至近距離で攻防を繰り広げているのだ。『前衛』が男にしては小柄で、猛攻を得意としていれど、ソルが幼女でかつ、近距離での剣戟を捌ききる技量を有しているがゆえに可能な状況だ。

 つまり、ソルでしか成し得ない例外。


(『後衛』は困惑する。まさか斯様なまでに小柄な相手は想定していない。彼らが同士討ちしない思考を有するがゆえに、手出しができぬわけじゃ)


 役割を奪われた人間は、焦燥感に駆られる。

 手持ち無沙汰。与えられた役目を果たせない。

 それで精神にかかる重圧は馬鹿にできない。


(特に、有機的な連携を得意とする二人組の片割れ。お互いの役割を十全に果たすことで戦果を挙げてきた彼ならば、自らの職分を全うできぬ葛藤を強く覚えるはずじゃ。焦れた末、役割を見つけようとする。膠着状態の現状、その仕切り直しを図りたがるはずじゃ)


 ソルは推論に推論を重ね続ける。

 『後衛』が取るであろう位置関係はどこになるか。

 まず『前衛』との距離感はどうなる。彼の身体越しに、懐まで潜り込んだ相手を狙うには、近寄る他ない。ゆえに『後衛』はソルの影を追って、現状の立ち位置から恐る恐る距離を詰めてくる可能性が高い。

 移動先が『前衛』の真後ろという線はない。彼の背中側から懐の獲物を穿つのは、連携能力が突出した彼らといえども同士打ちの危険性を孕む。この戦法は曲芸に似て、微妙な均衡の上に成り立っているのだ。

 つまり移動先は『前衛』の左右いずれかの後方。

 『前衛』の目と鼻の先にいる幼女を穿つには──。


(左右どちらかに寄るであろうことは予測可能じゃ)


 この場合は向かって右側。

 視界の端、音を殺しながら剣を構える影が見えた。

 左利き(・・・)の『後衛』は、己が焦燥感に負けたのだ。


(『前衛』の左側に飛ぶ)


 『前衛』と距離を空けて、右側に偏った『後衛』。

 ソルが彼の間合いが届かない位置、かつ『前衛』の後方に着地できれば、陣形は崩壊する。背後を許した『前衛』に振り返る暇を与えないまま首を刎ねる。あとは『後衛』を近接戦に持ち込めば、すぐにでも決着はつくだろう。勝利への道筋が光明に照らされた。

 ソルは右脚を軸にして、右側の(・・・)中空に身を馳せる。


(その勝利への光明。いささか明るすぎたのう)


 あれは露骨な罠。左側の中空に誘い込む魂胆だ。

 ソルが飛んだ直後、二人が硬直したのがその証左。

 浅はかな、見え透いた手に乗る義理などない。


「ッ!?」


 約半秒遅れで『後衛』の得物の鋒がソルに迸る。

 もし『前衛』が声を発せれば静止を叫んだだろう。

 ソルの口元が綻ぶ。これは明らかに咄嗟の行動。仕掛けた罠が不発に終わり、予想外の展開に転がった瞬間、彼の慎重な──反面、臆病な性格が災いした。反射的な迎撃だったのだろうが、致命的な悪手である。

 ソルは右を軸足にして同方向に飛んだ。

 飛行距離は短く、身体が描く放物線も極めて緩い。

 『後衛』の迎撃と同時に、ソルは右脚で着地した。


(悪手の理由はふたつ。ひとつ目は反応が遅く、わしに回避の余地を与えてしまったこと。相手の足が地面についた状態で、安直に突きを放っても当たるまい)


 ソルは着地と同時に身を屈め、再度飛ぶ。

 上方からこちらに迫り来る刃に向かって──。

 左頬すれすれに刃が掠る。線が薄く引かれる感触。

 視界を流れる刃越しに、唖然茫然の『前衛』が見える。


(ふたつ目は、結果的に『前衛』の介入を自ら牽制する状態に陥ってしまったこと)


 『前衛』とソルは『後衛』の剣が隔ててしまった。

 ソルは刃に守られる形で『後衛』の懐中に到達。

 跳躍。狼狽する彼の首元を狙い、剣を斬り上げる。


「二人目」


 美丈夫の首を刎ね、斬撃の余勢そのまま回転。

 ソルは緩い回転を帯びながら着地。

 背後から、身体が崩れ落ちる音が響く──。


(彼は、後方に下がるだけでよかったのじゃ。仕掛けた罠が不発に終わり、予想外の展開に転がった瞬間、臆病な性格が災いした。自己防衛のため、手を出したことが敗因じゃった)


 もはや勝負は決していた。

 見据えた先の『前衛』は口を震わせている。

 目を吊り上げ、怒気を全身から立ち昇らせ、そして歯を剥き出して咆哮──とは言え、彼の声は鼓膜を震わせないが──こちらに身体を馳せる。

 繰り出されるは連続的な斬撃。直情的な動作。

 彼の持ち味である不規則性を置き去りにした剣筋。

 それでは恐るるに足りない。これが複数人で補い合う関係性の負の側面だ。お互いの弱点を庇い合っていた二人組がゆえに、一人でも崩れると脆い。

 戦略的にも、精神的にも。


(感情がある。そこまで幻影は模しておるのか)


 ソルは感心しつつ、幾度も走る剣閃を半身で躱す。

 見極めた剣筋の隙を突くなど造作もない。

 一閃。すれ違いざま『前衛』の首を一息に刎ねる。


「三人目」




 ※※※※※※※※※※




「お見事」

 

 炎上する街の広場に、雑音混じりの声が響いた。

 ソルが立ち上がり、睨んだ広場の中央。

 階段上で壊れた噴水側のクロカゲが、まるで拍手をするように両手を幾度も合わせる。


「流石ですね。剣術と体術、咄嗟の判断能力は磨きがかかって、すでに達人の域にあると言っても過言ではありません。単純にそれらの多寡を比べるだけなら、アンタに追随できる人間は大陸でも稀でしょうね」

「しかし、この程度……」

「ええ。達人程度、通過点。目指すは──英雄」


 クロカゲは「もちろん、知ってますよ」と続ける。

 ソルは言葉を先回りされたので口を閉じた。

 そんな彼女は、周囲の検分を進めていた。

 気になっていた、蛾の獄禍の背面──。

 そこに魔力補給管は、ない(・・)


(となると……どうなる。魔力補給管があの獄禍の背面にない理由は……)

 

 ソルの脳裏に、ふたつの仮説が浮かぶ。

 可能性①……この獄禍は子飼いの獄禍ではない。

 可能性②……魔力補給管は『この空間』の外。

 まず、子飼いの獄禍ではない可能性について。

 単純な話、この獄禍が『根絶』と無関係であれば、当然だが魔力補給管など存在しない。魔力補給管の役割とはその字句通り、『根絶』が子飼いの獄禍から魔力を吸い上げるための管のことなのだから。

 とは言え、いささか無理のある仮説だ。


(クロカゲと初邂逅を果たした際、ストレーズ殿はクロカゲと、その『本体』について知っておるような口振りじゃった。そして暗に『子飼いの獄禍である』と断言していたことを思えば──魔力補給管は存在し、『本体』に付いていると推測できるのじゃ)


 つまり、目前の巨大な蛾は『本体』ではない?


(無論、まだ可能性にすぎないがのう……)


 次に、魔力補給管が『外』にある可能性について。

 これには、燃える街が獄禍内部、との前提がある。

 似た事例を挙げると、魔剣『幾千夜幻想』。あの幻想世界のように、ソルは知らず知らずのうちに獄禍の創造した世界に取り込まれていた、とする。

 であれば、多くのことに説明がつく。ここが現実ではないのだから、目前の獄禍に魔力補給管がないのも当然だ。黒球に飛び乗る前に森奥にいたはずが、大した時間経過もないうちに、この悪夢めいた大火事に見舞われる無人の街にいるのも理解できなくはない。

 よって、検討した二つの仮説のうち後者が有力か。

 そうなると、ここから早々に離脱したいが──。


「ですが……次は、そう容易くいきませんよ」


 その台詞を合図に、再び空間内に殺気が現れる。

 地面から立ち上る陽炎は、人影を形作った。

 それは──紅蓮の前髪を上げた青年。

 撫でつけられた髪は、周囲の熱風に煽られている。

 顔を俯かせている彼の口許には、草臥れた煙草。火をつける動作もなく、その先端が赤く熟れる。そして一服。深く息を吸い込み……吐くと、顔を上げる。

 地黒の相貌には、獣さながらの双眼が輝いていた。


(また、ハキムか。しかし──)


 彼は、咥えていた煙草を吐き捨てた。

 地面に落ちたそれを、薄汚れた編み上げ靴の踵で踏み潰すと、こちらに一歩踏み込んでくる。その動作を受け、肩に引っかけている、外套の裾がはためいた。

 外套の裾から伸びるのは──ひと振りの剣。

 剣身は真新しい。使い込んではいないようで、炎上する街並みを反射している。聖文字の刻印も見当たらず、それはソルの昔日の記憶とも合致していた。

 男は、片手に握る剣の先端で、緩やかに空間を混ぜている。

 

(今度は……ひと筋縄ではいかないようじゃな)


 髪型。表情。構え。煙草の習慣。

 先ほど退けたものより、幾許か歳を重ねたそれだ。


(煙草……あれはおそらく……ハキムが傭兵団に入ってしばらく経った頃の姿か。傭兵団に溶け込んで、先輩方から色々と学んでおったな)


 つまり、もはや型無しに非ず。

 ソルは唾を呑み込みつつ、思考を走らせる。


(たとえば、じゃが。ここで死せば……この空間から抜けられるか。否、一度しか試行できない、仮説未満の思いつきを体当たりで行う気にはなれん……まず、生き残る。その上で脱出法を考えなければならぬ)


 ソルは身構えつつ、相対者の戦闘法を類推する。

 構えに特殊なところはない。否、そもそも剣を構えてはいない。自然体だ。肩にも両腕にも力は入っておらず、剣も下向き。ただ持っているだけ、といった風情である。脚は肩幅程度に開いているが、重心を落とす姿勢を取っていない。ただ立っているだけ、だ。

 つまり、体術や剣術に軸足を置かない戦闘法──。


(頼りになるのは記憶。確か……ハキムは、当時から流行の兆しを見せていた、魔術と剣術、体術を織り交ぜた戦闘方法を教わっておったな)

 

 現代における対人戦の基本戦術だ。その定石は、当人の魔術属性と、剣術や体術の型の組み合わせの数だけ存在する。ソルのように経験や知識を集積した人間であれど、相手の出方を完全に読むことは不可能だ。

 しかし、数ある定石にも共通項はある。

 たとえば、先手。一対一、彼我の距離がある程度開いており、互いの得物の間合いにない状況下、先手は決まって、魔力放出か魔術による牽制から始まる。いまだ得物の間合いになくても、すでに魔力放出や魔術の間合いには入っているからだ。

 事実、正面のハキムの側の空中で跳ね火が飛んだ。


(来る)


 ソルは、火蓋が切られた気配を感じ取る──。

 ぼうん。瞬間、辺りに熱波が吹き荒れる。幼女は乱れ髪を直さず正面を見据えていた。その先、跳ね火が生まれた位置から炎が噴き出す。向かう先は当然幼女。炎は熱風を伴い、見る見る迫ってくる。

 眩いばかりの光を前に、ソルは目を閉じない。


(炎属性の魔力放出、か)


 ソルは左前方に身を馳せつつ、相手の思考を追う。

 なぜ、彼は初手に魔力放出を選択したのか?

 前述の通り、初手は二択。牽制として魔術か魔力放出が選ばれがちだ。しかし、魔力放出は中距離以上の戦闘ではほぼ選択されない。例を挙げると、バラボア砦で交戦したボガートは、距離が開くと魔術を──炎塊を飛ばしていた。彼の戦闘法はまさに定石だった。

 魔力放出は、緊急時の牽制でしか使われないのだ。


(理由は二つ。ひとつは斯様に──)


 ソルの右上の空間を、炎が通過していく。


(回避が容易いこと)


 魔力放出は、使用者の周囲からしか放てない。

 距離の離れた相手を攻撃するには苦労する。

 放出し続けて、徐々に飛距離を伸ばすしかない。

 ゆえに目前の炎は炎柱と呼ぶべきだろう。ハキムは継続的に炎を放ち続けているため、炎が横倒しにした柱が伸びてゆくように横一文字に流れていく。

 風圧がソルを呑み込み、髪や、纏う服の裾を乱す。


(ふたつは、魔力放出の費用対効果が悪いためじゃ)


 魔力放出の威力は、使用者の技量に比例しない。

 それが、一般人でも腕利きの魔術師でも同様。消費した魔力分の威力しか出ない。引き起こせる事象の幅もない。だから、基本的に魔力放出は緊急時の攻撃手段等にしか使われない。比較すると魔術は、威力や消費魔力効率を向上させる術が多いゆえに、まともに魔術が扱える者ならばそちらを選択するわけだ。

 だが、かくも非効率な魔力放出を初手に選ぶ。

 それは、型無しの所業か。物知らずの愚行か。


(否。これは目眩し。本命は──)


 ソルは前方、ハキムに集中力の焦点を絞る。

 口許を凝視する。その、かすかな唇の動きを視る。


(【風す、狂う、喰う】……風属性の魔術詠唱!)


 風は、ソルが有する属性である。

 彼女にとって他属性の魔術よりも造詣が深い部類。

 習得難易度が易しいものならば、一節で類推可能。 

 ソルは、周囲の風の動きを感じ取らんとする。


(あれは空気を凝固させる二節の魔術。空気を鋭利な刃物に凝固させる用法、あるいは莫大な空気を凝固させて鈍器のように扱う用法が一般的じゃ)


 例に漏れず、ハキムは透明な刃を展開していた。

 ソルはそれを鋭敏に察知し、器用に躱していく。


(なるほど。この時期のあやつは、炎と風の二重属性を生かした戦術を採用しておるのじゃな)

 

 ハキムは、大陸でも数少ない多重属性持ち。

 しかし、多重属性とは良いことばかりではない。


(実際には力を持て余す場合が多い。手札が多いことと、その手札すべてを十全に扱えることは別ゆえに)


 魔術は、産まれながらに使える技術ではない。

 知識を蓄え、知識通りに行使できるか試行錯誤し、如何に実践可能な段階まで持っていけるか勘案、鍛錬を積む……といった工程が必要だ。外界のマナの取り込みにも、使用可能な魔力の変換にも、想像通りに魔力を編み上げるにも、知識と修練は必須。

 そのうち、特に魔術を扱う知識は入手が難しい。


(先達となる魔術師に師事するか、学舎に入るか。文字が読める者ならば、高名な魔術師が記した指南書を読み、独学で魔術を扱うまで至ることも不可能ではないが……とても効率的とは言えぬな)


 ──いずれも、環境に左右されるものにすぎぬ。

 周囲に師事できる魔術師がいるのか。学舎の門をくぐるだけの金銭や後ろ盾があるのか。文字を読んで意味を解する程度の学があるのか。それらの条件を満たしていたとして、己が属性の系統に適したものを蓄えているのか。多重属性を扱う才能があれど、有する属性すべてを十全に扱えない事例は枚挙に暇がない。

 磨けば光る逸材は、磨く環境にいなければ、そこらの石礫と変わらないのだ。棺に入るまで己の才覚に気づかない天才はごまんといるだろう。

 持ち腐れになるのが当然の宝。それが魔術属性。


(だから、属性の学習に比重を設けるのは当然。環境的に学びやすい属性を集中して伸ばし、そうではない属性には労力を割かず、弱いながらも自らの手札の一枚として運用するのが必定じゃ)


 ハキムの場合、炎属性の学習は後回しにした。

 風属性の魔術を優先的に習熟しようとしたのだ。

 思い返すと、傭兵団に所属する魔術師で、教師向きの性格を備えていたのは風属性持ちの男だった。対して、炎属性の使い手は曲者ばかりで、彼らに師事するのは非効率的だと判断したに違いない。

 その結果、生まれたのがこの戦法。


(炎は、相対者の注目を集める囮にすぎぬ。自らは炎属性の使い手で、牽制に魔術を使えないほどに修練をあまり積んでいない……と印象づけるためじゃ)


 得心する。なるほど、合理的な戦法だ。

 要するに初見殺し。二重属性を知らない者からすれば、炎属性の魔力放出を視認した時点で、風属性魔術は盲点になり、この見えざる罠を避ける術がない。

 だが、ソルは過去のハキムについて知悉している。

 風属性を有しているため、風の流れにも敏感だ。

 かてて加えて、彼女の観察力があれば、炎柱により辺りに撒かれる火の粉の動きから、不自然な空気の滞留は見えているも同然だった。


(この時期、ハキムの魔術の腕は三流。凝固した空気を周囲に配するしても、間隙すべてを埋めるだけの力はなく、相手に不可視であること前提で、最低限の刃しか仕掛けられておらん──)


 ハキムとの距離を詰めることなど、実に容易い。

 彼の懐中に飛び込みざま、逆袈裟に斬り上げる。


(浅いか)


 剣閃が滑り、捉えたのはハキムの右肘。

 わずかな手応え。振り抜くと鮮血が迸った。

 ハキムはぎょっとした様子で背後に飛ぶ。彼の狼狽の程は、跳躍の弱さから窺える。仕切り直す意図をも満たせない、衝動的な背馳としか捉えられない。

 追撃の好機だ。ソルは更に前方に踏み込む。

 戦局は彼女有利の展開たる、近距離戦に推移した。

 ソルの繰り出す幾重もの剣閃がハキムを襲う。

 彼は正確に見切って回避を続ける。だが、一向に攻勢に転じられない。彼女の白兎めいた速度の足運びと矮躯、反撃を仕掛ける隙は存在しない。そう、幼女の身体と老兵の技量の掛け合わせは、常軌を逸した攻勢において最大の相乗効果を発揮する。ジャラ村での遭遇戦──老爺ハキムには通用しなかったが──。

 若輩者だった時代の彼に、純粋な剣術勝負で後塵を拝するつもりはない。


「ッ!」

 

 無論、相手も守勢に甘んじるつもりはないようだ。

 彼は踏み込んだ。己が正面、側面、背面に乱れ飛ぶ斬撃と、周囲を縦横無尽に動き回る幼女を無視し、攻勢に打って出てくる。蛮勇? 否、彼は見極めた。

 その瞬間だけ、幼女が正面から臨んできたことに。

 絶好の機会に。ここしかないという時機に。

 ハキムは、逆袈裟に剣先を迸らせた──。

 

「ぬしの癖は」


 ソルは身体を低く保ちつつ、向かって左方に飛ぶ。

 斬線の円弧が下弦を描く手前で、左脚から着地。

 左膝を曲げ、頭上擦れ擦れで刃を躱す。


「怪我を庇いすぎること」


 この斬撃、ハキムの踏み込みが甘い。

 踏み込みが甘い、つまり足が出ていない。斬撃の動作が上半身だけで行われており、身体の重心も高い位置にある証左である。放たれた剣閃には威力が乗っておらず、彼の足元には明確な隙が生まれている。

 ソルは曲げた左膝を一気に伸ばし、右方に飛ぶ。

 そう、生まれた()に矮躯を滑り込ませたのだ。


「ッ!?」


 振るった幾つもの斬撃が、血飛沫を舞わせる。


(仕留め──得んか)


 ハキムは首を大きく捻り、寸でで刃を躱す。

 鼻先と右の二の腕に傷口はつくれたが──。

 深追いは思い留まり、追撃の手を止める。

 先の好機は、直前に受けた傷に端を発していた。


(あやつは斬られた腕を庇い、更なる負傷を恐れた)


 この頃のハキムは、怪我や負傷に慣れていない。

 彼は、所属する傭兵団で絶後の天才だった。傭兵稼業に身を置いて数年経った時点でも、本人曰く「負傷を受けたことが数えるほどしかなかった」という。かすり傷すら稀だったのだから、慣れなくて当然だ。

 つまり──彼が負傷している限り、好機は再び巡り来ることを意味している。


「────ッ!!!」


 ハキムは声にならない雄叫びを上げ、踏み出す。

 負傷から即座の反撃。並外れた度胸、何より──。


(此度は怪我を庇わないよう、意識したわけじゃな)


 (しか)と踏み込み、剣が全身で振るわれている。

 先ほど指摘した癖がすでに修正されている──。

 ハキムは大口を開けた口許を歪めていた。

 そして、ソルの相好もまた、崩れる。


(そう、二の轍を踏みたくないのは人情じゃ)


 ソルは度々、対戦者の癖を指摘する。

 己の弱点を看破された──あまつさえ、その弱点で足を掬われた自覚があるのならば、その癖を必要以上に意識してしまう。人間、直前の失敗はよく覚えているものだ。そして、その弱点が些細であれば、二度目に修正しようという()に逆らえなくなる。

 欲が満たされると、満足する。慢心する。

 弱点を塞ぐ安心感で、それが過剰だと気づかない。


(庇わないことを意識するあまり──)


 ソルは、追撃せずに温存していた脚で一歩、動く。


(前のめりになりすぎじゃ)


 ハキムが想定する間合いと、実際の間合い。

 ふたつの間に乖離が生じた。

 彼は目算の誤りに攻撃中に気づく。すでに攻勢の動作中、止まることはできない。ソルの立ち位置が絶妙に近すぎず遠すぎず、体術や魔術、魔力放出に切り替えることもできない。斬撃の軌跡を遅れさせ、調整する他ない。だが──そんな詰まった剣筋。

 その間にソルは幾数の剣閃を走らせる。四肢の関節を狙った高速の斬撃は、間合い擦れ擦れだったため部位を斬り落とすに至らないが、深手を負わせた。

 しかし、ハキムも字句通り必死の意地を見せる。

 最後、頚動脈を裂開する軌跡からは逸れてみせた。


「ッ」


 やはり、ハキムには紙一重で致命傷を避けられる。

 如何なる場合でも、生に対する執着を捨てない。そう、このしぶとさは、ハキムとソルの数少ない共通項だった。ハキムの実力が飛躍的に伸びてからは感じる機会も少なかったが──無論、生き汚なさを発揮する最中も、決して退避一辺倒にはしない。

 彼は躱しつつ、苦し紛れのような斬撃を放つ。

 さりとて、狙いは正確。横薙ぎの斬線は弧を描く。

 軌道の行く先は、幼女の側頭部。


(見切った剣筋)


 ソルは鋭く視線と思考を走らせる。

 この不用意な一撃、いなした上で深く踏み込めば勝機となり得る。彼女は重心を前方に移動し、前傾姿勢に移行。徐々に右膝を曲げ、追撃体勢を取る。

 まず斬撃は空中で受ける。とは言え、刃で受け止めるのではない。傾斜をつくった剣身に当てて、受け流す。ハキムの無防備な懐が目前に曝け出される。

 すれ違いざま、今度こそ首を獲る──。

 その、はずだった。


「ッ!?」


 不自然に。

 ハキムの放つ。

 刃の速度が。

 変化する。


「────」


 初速は予想通り。予想した軌道も同様。

 だが、軌道の途中から明らかに加速している。

 およそ半秒。ソルの予想範囲を超え、速く奔る。

 十分に間に合っていたはずのソルの刃は。

 間に、合わない。


(な)


 背筋が凍る。ハキムの剣速を読み違えた?

 魔術詠唱を見逃した? 風の魔力放出の絶技か?

 否、ソルはいずれも注視していた。可能性は極小。

 そんな素振り、一瞬でも見せれば退いていた。

 有り得るとすれば──と、ソルは今更悟った。


(あの剣、もしや魔剣(・・)か……!)


 注目すべきは刃の部分ではなく、柄の部分だ。

 ハキムが柄を握り込んだ指の隙間から、いま仄かな翠色の曳光──風属性の魔力光が垣間見えた。魔力放出によるものではない。おそらく、あの剣の柄にのみ聖文字が刻印されているのだ。対峙した相手に、得物が魔剣だと悟らせないための細工である。

 周囲の炎も、魔力光の擬装の一端を担っていた。

 事実、ソルは気づかなかった。気づけなかった。

 致命的な読み違い。何より相手を知悉しているという思い込み、傲慢さが、凡人を殺すのだ。紛れもなく必殺の間合い。喫驚を露わにするだけの余裕もない。

 生まれた隙を見逃すほど、過去の天才は甘くない。

 放たれた熾烈な剣撃は、身体を破断せんと迫る。


(避け、きれ)


 ない。

 その剣先は、ソルの側頭部を正確に捉え──。

 

「そこまで」


 あわや肌を切り裂く──寸前で、止まった。

 ぴたりと静止した鋭利な刃。微動だに、しない。

 ソルは今一度、相対するハキムの幻影を見返す。

 一気に飛び退る。そこでようやく、硬化していた唾を呑み込み、詰まっていた息を吐き出す。呼吸を再開すると、正常な生命活動の歯車も再始動。極度の緊張と消耗した体力から来る荒々しい息に変わり、今更ながら背中に噴き出していた冷や汗に気づいた。

 死を、その息遣いさえわかるほど至近に感じた。

 それを遠ざけた者。助命の一言を発したのは──。


「アハハ……面食らっちゃいました? 実はですねえ、アンタは知らなかったでしょうが、この時期のハキムは、当時の私が試作品として打った剣を──魔剣を使っていたんですよ。とは言え、小細工程度の効果しか出せない代物ですが……魔力を流すと、微量に剣速を増す程度の、ね。でも、それで十分。観察や経験、既知の情報を組み立てた上で相手と渡り合うアンタを倒すのには、これだけでね。こういう小さな計算違いで、アンタは呆気なく崩されてしまう」


 蛾の獄禍。この幻影を嗾けている張本人。

 ソルは、後方上空に留まるそれに目を遣った。


「貴様……」

「ま、そんなことより」


 取りなして、蛾の獄禍は続ける。


「あの加速術、使わなくなったんですね。良いことだと思います。ハキムとの最後の近接戦で使っていれば葬れたでしょうが……あれは持たざる者の技法。いまのアンタには不適格ですからね。ただ、それよりも……先の試合は大変、今後の参考になりました」


 噴水脇のクロカゲは、腕組みして幾度も頷く。


「アンタ……技量は十分ですが、それに比べて体内魔力量が不十分です。アンタは、持ち得る技巧を凝らして、かろうじて格上の実力に拮抗することはできる。しかし、相手が隠していた奥の手を開示されれば、容易く消し飛ばされてしまう──受け流すことも、事前に奥の手を探ることもできない。その余裕を生むためには、地力──体内魔力量が不可欠ですから。また、加速術を封印した結果、決め手に欠けているのも課題ですね……なるほど、大方、予想通りですかね」

「まこと……耳が痛い。指摘、感謝するのじゃ」


 長々と述べる所感に、ソルは素直に感謝を述べた。


「しかし……なぜ、助言を。なぜ……わしを助けた」

「? 目的なら最初に言ったじゃないですか」


 変わらない平坦な声色。しかし、彼女が人間の身体ならば、きっと口を尖らせていたに違いない。分からず屋の幼馴染相手に、拗ねている姿が目に浮かぶ。

 脳裏に思い浮かべた女──メイを、追懐する。


「アンタを英雄にするって。だから、助言だってしますし、命だって守りますよ。死んでもらっちゃ……困るじゃないですか」


 メイは、墨色の髪をお下げにした女だった。

 いつも男性的な格好をした、傭兵団の料理番。

 普段は忙しなく厨房や水場を歩き回り、手並み鮮やかに団員の食事を用意していた。手足として働く他の料理人たちを纏め上げる彼女は、まさに調理場の支配者だった。食に頓着していなかったソルフォートに、美味という感覚を教えてくれた人物だった。

 だが、ソルが思い描く人物像とは全く異なる。


(わしからすれば、ただの腐れ縁の片割れで──)


 料理番の職を全うする傍ら、夢を追っていた女。

 名のある鍛治師、という夢を追っていた──。

 ソルフォートの夢を笑わなかった、同志だった。


「もう一度だけ言いますよ。私の夢は……アンタを英雄にすることなんです。ここは永遠の演習場。アンタという剣を鍛えるために用意した──鍛冶場、溶鉱炉。ここで、望むだけの相手を宛がいましょう。望むだけの武器を揃えましょう」


 蛾の獄禍は動かない。

 その代わり、クロカゲは両腕を広げる。


「だから、望むだけ、鍛錬し(たべ)ていいですよ」


 紡がれる言葉とともに、その足下で影が揺らめく。

 あれは陽炎。例に漏れず、その影めいた空間の歪みは徐々に実体を持ち、人影を形作り始めた。一体一体の姿かたちは多種多様。あれがつまり『望むだけの相手』というわけなのだろう。ソルは息を呑む。

 怪物は語る。生かさず殺さず、超えられる程度の敵役を用意し続けましょうと。アンタはそれを倒し続けて、徐々に体内魔力量を増やしていきましょうと。

 怪物は語る。夢への近道を考え続けたアンタは、常に物事を合理的な損得勘定で判断してきたはずだと。私たち凡人に遊びは許されない。ならば、単に目障りな怪物を倒すだけで済ませず、目一杯、倒すべき怪物を利用したほうが有益でしょう──? と。

 怪物は語る。怪物は語る。怪物は語る。

 ソルの信条に寄り添った、ソルのための言葉を。


「それで……強くなってください。強靭な精神に相応しい肉体を仕上げるため、存分に私を利用してください。『据物斬りで技術は磨かれない』──ええ、むかしアンタが言っていた通りだと思いますから」


 その複眼は、炎の光を受けても純黒を湛えていた。


「何度も何度も何度も壁にぶつかって、倒れてください。そして、何度も何度も何度も立ち上がって、やっとのことで乗り越えて、また壁にぶつかって──ハキムよりも……誰よりも強くなって──そうして──」


 クロカゲは胸に両手を当てて、小首を傾げた。

 クロカゲも、蛾の獄禍も、相貌に変化はない。

 しかし、目の錯覚か。

 微笑んだように見えた。


「最後に、英雄(アンタ)怪物(わたし)を殺してください」



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― 新着の感想 ―
再開!うれしい!(語彙欠落) ニコニコ静画でコミカライズされたのを見て再開を知りました。めでたい。 ソルさんにとっては一見願ってもない環境だけど、どう判断するのか楽しみです。
面白いです、剣戟がリアルっぽい嘘で楽しいです。 良い物語をありがとうございます。
先日見つけて一気読みしました。 1話1話に結構予想外の展開があり、面白く読ませてもらってます。 獄禍がなぜ主人公の幼馴染の意識を持っているのか、主人公の復活もその流れの中の物なのか、等、色々興味が尽き…
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