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修羅幼女の英雄譚  作者: 沙城流
第二章.幸せな怪物の墓標

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14 『修羅の感覚』

 時を遡ること数分前、ケダマが見える茂みの影。

 少女と幼女は、討伐の段取りを練り直していた。


『いい? ルーちゃん。シャイラのお姉さんがいないから、昨日考えてた方法で攻略はできない。でも、息を合わせての連携にも限界がある。ここまでいい?』

『ええ。明確な攻略法が必要、ということですな』

『大正解! 無策じゃ簡単にやられちゃうと思う』


 そう言って、イルルは視線を茂みの隙間に飛ばす。

 その先には我が物顔で居座るケダマの姿がある。一軒家ほどはあるかという体格を悠然と誇示して、日光を浴びている。ぶるぶると気持ちよさげに震え、毛並みが波立った。一般的な動物のような仕草である。

 ソルが思うのは、先ほど遭遇した獄禍との差異だ。

 シャイラが相手を引き受けた、生物的な雰囲気がない不気味な影。あれとはまるで違う形態を目にして、やはり噂に違わず、一口に獄禍と言えども姿形、能力は千差万別だという実感が湧いてくる。

 イルルは「じゃあ」と話を先に進めた。


『元々の討伐案を振り返ろっか! 第一案は力押しだったね。ケダマの特徴の『触れれば氷漬けにする』がどこまで処理できるか、シャイラのお姉さんが剣の砲撃で試してみる。それで処理限界に行って針鼠にできたらいいけど、できなかった場合の第二案。シャイラのお姉さんが牽制しつつ陽動、ルーちゃんとイルルが魔力補給管を狙うような役割分担だったよね!』

『第一案のベクティス殿の役割は……』

『そこはイルルが代わりにやるよ! コトが簡単に済むならそれに越したことないし! イルルの魔術で真正面から突破できないか試してみるよっ!』


 ソルはこくんと頭を上下に振った。

 真正面から打倒せしめられれば言うことはない。

 だが、とわずかに目を細めて目前の少女を眺める。

 直接手合わせしたシャイラの力量は十分以上に承知しているが、この魔術師の力量は如何程か。


『あー、お姉ちゃんのこと心配してるんだー』

『実力を、疑うわけじゃないがのう』

『まあーだよね。ルーちゃんからしたら、イルルの実力なんてまだ知らないよねえ』


 見ててよー、と言いながらイルルは長杖を回す。

 手の甲、手首、肘、肩から肩、と杖を蛇のように身体に纏わりつかせて弄び、最後には手に収める。ソルは技量に小さく拍手をする。その見事な杖捌きは大道芸人さながらだった。ここが街の目抜き通りであったなら、路銀を投げる人間もいただろう。

 イルルは照れるように、頭に被る頭巾を掻いた。


『拍手喝采どうもどうも! まあー、こんな小手先の技、実践じゃ役立たないんだけどね。そもそもルーちゃんっ、魔術の技じゃないって突っ込みが──』

『そう謙遜するものではないでしょう。実践で活かされるのは総合力。身体の使い方を見れば、魔術だけでなく体術にも長けていることが分かります」


 ソルは一連のイルルの挙動で動く筋肉を見ていた。

 擦り切れたローブの裏側に覗く、華奢な四肢。

 だが、動作時の膨らみ、形、肉の躍動から──皮膚の下に、しなやかな筋肉が形成されており、その上、上質な筋肉を操る器用さも持ち合わせていることを見透かしていた。ソルにしてみれば、イルルの杖捌きは秘めたる実力の一端を示されたも同然の行為だった。

 真っ当にそれを称賛して、しかし二人の間に妙な沈黙が降りたことに、いささか戸惑った。


『これだけ出来て、本領の魔術がおろそかとは思えませんのじゃ。ゆえに背中を預けるに足る実力は確かにあると見て、その、イルルお姉ちゃんの案に賛同したいのじゃが……呆として、どうかされましたか』

『いやいや、見透かされちゃってちょっと恥ずかしいというか……おどけたことがますます恥ずかしくなっちゃったというか……ちょっとびっくりしちゃって』


 ぱちぱち、とイルルは紅い両瞳を瞬かせる。

 そうしてようやく、至極真っ当な疑問を述べた。


『ルーちゃんって、ホントにイルルより年下?』

『見ての通り、単なる幼女なのじゃ。そもそもこれも当て推量です。ハキム……ハキムお爺ちゃんが、実力の足りない者を討伐隊に加えるとも思えませんので』

『なるほどー、『カゾクノシンライ』ってやつだね』


 そう心得顔になると、手を叩いて密談を締める。


『とにかく、期待していいよ! イルルも討伐隊に選出されただけはあるから! ここはどんっと、お姉ちゃんに任せてくれて問題なしっ! ルーちゃんたちに心強い仲間ができたってこと、見せてあげるから!』


 本来ならば、敵対関係である国家に属する面々。

 模擬戦以前までは、行く手を阻む壁だったはずの彼らが、いまや背中を支える壁になったのか。深々と頷いて、胸に灯る熱源を小さな手で抑える。


『それでは次……イルルお姉ちゃん。第一案のほうは決定として、力押しでどうにもならない場合の段取りを決めましょう。二人でケダマを攻略する方法を』

『ふふん、ルーちゃん。実はイルル、この場所に来て攻略方法について、ぴーんときたんだ』

『ほう、詳しくお伺いしましょうのじゃか』

『ケダマ攻略。突破口は、あそこにある川、だよ』




 ※※※※※※※※※※




 そうして、現在──。

 ケダマが生み出した巨大な氷柱の横薙ぎ。

 それは目前に迫る氷壁となって、ソルの視界を猛烈な速度で埋めてゆく。鼓膜に轟くは大質量の物体が大気を破る音。危機的な状況を前にして思考は加速、脳内麻薬が頭中を巡る。打開策について検討する。

 迫る脅威への打開策は限られている。足か、剣か。

 前者の選択肢はすでに選べない。回避には間に合わないからだ。氷柱の側面から察するに、その直径は平屋の屋根程度はあるだろう。飛び越えようと上に跳躍すれば、あえなく氷柱と直撃して全身の骨が砕け散ることになるだろう。背後に飛び退いても同じことだ。

 視線を横に流す。氷柱は視界外まで伸びている。ここで背馳に転じたところで、大して距離を稼げるとは思えない──これも悪手だろうと結論づける。

 ならば、力でもって打開するか。片手に収まる剣に意識を向ける。虎視眈々と獲物を狙う刃は、振るわれる瞬間を今か今かと待ち詫びている。だが目前の氷柱に刃が通るという楽観視はできない。氷槍と同様に一刀両断するには、氷柱はあまりに巨大すぎる。そもそも幼女の小さな体躯で、巨大質量と正面衝突など愚作も愚作。弾き飛ばされ、肉塊に変えられるだろう。

 だから結局、ソルは剣を向けなかった。


(走り続けているとき、立ち止まってはいけない)


 ただ集中する。速度を落とさずに足を回し続ける。

 足元から忍び寄る怖気。腹底に滾る焦燥。恐怖という生物らしい感情を削ぎ落とす。それには半秒もあれば十分だ。自らを削ぎ落とすのは得意分野だった。死と正対し、互いの鼻頭を擦らせるのは常だった。氷と逆風による冷気ではなく、心構えで顔を凍らせる。

 この吶喊は果たして無謀か。否、信頼である。

 心強い仲間と豪語した少女に、この場を任せた。


「頼む!」

「任された!」


 合図となる言葉を発すると同時、地を炎が這う。

 視界の横合いから一尾の紅蓮が迸り──爆裂。

 目前で、氷柱の一部が内部から弾け飛ぶ。それだけに留まらない。氷柱を端から齧るように、根元へ向かって爆裂が続く。連続的なその激しさは、至近距離を駆け抜けるソルに降りかかった。頬に、胸に、腹に、腱に、砕けた氷礫が爆風に乗って身体に突き刺さる。

 肌を破るのは痛みと強烈な風圧。耳に轟くのは猛烈な爆音。かすかに鼓膜を掠めるのは、氷の豪快な破砕音。だが、それらも足を止めるほどのものではない。

 片手で両目を庇いながら、進む爆裂と並走する。


(想像以上に派手な対処じゃ……が、道は開けた)


 勢い十分だった爆裂の連鎖。しかし、根元のケダマまでは届かない。氷柱全体のうち、三分の二程度を喰らい尽くしてぴたりと止んだ。きっと魔術の有効範囲内を出たのだろう。あるいは体力切れか。爆裂という派手な現象を連続で発動するのは、如何なる魔術師も疲労するのは想像に難くない。けれども十分だ。

 ソルの眼前を、短くなった氷柱が通り過ぎる。

 そう、すでに氷柱の脅威は脱したのだ──。


(わしの為すべきは、距離を埋めること。魔力補給管を切り落とすことが、わしの役割じゃ)


 敵対者との接近は、当然だが甚大なリスクを孕む。

 反応速度と正解を選ぶ判断力だけが生死を分ける。

 これが魔力を扱う相手ならば尚更である。魔術の出力先にできる有効範囲は、術者本人を中心にした範囲なのだ。先のイルルを例に挙げれば、炎の渦も蛇も、最初に出力された位置は彼女の至近距離。そこから遠くまで飛ばす等は自由だが、魔術の大前提として出力先は術者の周囲である。もちろん、術者本人の力量や特質によって広狭は変わるが、つまるところ。

 氷の魔術使い(ケダマ)に不用意に近づけばどうなるか。


「ッ……!」


 ソルの目前には氷槍が所狭しと十本が並び──。

 空中には囲むように二十本が現出し──。

 直下から、鋭利な先端を持つ氷柱が立ち昇り──。

 周囲の地面からは、無数の糸状の氷が伸び──。

 そのすべてがソルの身体を貫かんと迸った。


(わしで対応は……否、絶対的に手が足りぬな)


 最小限の手数を考え、逃げ場がないことを認める。

 まず、眼前の槍を弾くために剣を抜くとする。

 全方向を斬り伏せる必要はない。進路に塞がるひとつを排除すれば、小柄なソルは窮地突破に事足りるだろう。同時に、立ち上がってくる氷柱を足でいなさねばらない。ここまでは可能な範囲だ。現状、疾駆するソルの脚は開かれている。いなすため脚を戻すには時間が足りず、前傾姿勢による疾走中ゆえに屈んで避けることもできない。だが、氷柱の先端が股を貫く前に地面を蹴って加速することで逃れられるだろう。

 さりとて、第三の壁。文字通りの壁は越せない。


(槍を並べた向こうに、氷壁まで拵えるか……!)


 視界の先には、日光を跳ね返す氷壁が立っていた。

 ケダマをこちらの視界から隠すほどに巨大である。


(防御網をさらに強固に……!)


 そして、視界下部でも変化が起きていた。

 周囲の地面から伸びてきていた糸状の氷だ。ひとりでに編まれて、こちらを包囲するように網を張り始めていた。実に手が込んでいるが、その網は目前の槍とまとめて叩き斬れない距離にある。だが、目前の槍を突破した直後に、飛び越えられる距離はない。

 舌を巻いた。ケダマは近・中距離戦では無双だ。


(本体に触れれば問答無用で凍結させる能力。瞬く間に氷魔術による包囲網を形成する能力。同時に三重以上の魔術を行使するなど、人間業ではないのじゃ。やはり、わし一人の手に余る手合いじゃのう)


 想定通りの(・・・・・)難敵ぶりに感心してしまうほどだ。


「飛んでッ!」

「応!」


 再び合図。背後からの声に合わせ、地を蹴った。

 前方にではなく、上方に跳ぶ。

 瞬間、軍靴の裏で地表面が爆裂する。


「ぐっ……!」


 声が漏れる。一瞬の浮揚感の後、空に攫われる。

 ゆうに死線を飛び越え、ケダマの背丈すら超す。

 ソルはきつく歯を食いしばり、苦痛に堪える。

 爆風で上空高くに飛ばされながら──身を捩る。


(身体への、負荷は……どうとでもなる程度じゃ)


 それでも右脚は深刻で、足裏の感覚を失っている。

 血管の脈動と同期して、膝は微痛に襲われている。


(それより状況はどうか……!)


 蒼穹に抱かれながら一回転。視線を巡らせる。

 横合いからの太陽光が眩しい。目を細めて、地上の状況を確認する。辺り一面の緑が、太陽の兆しに輝いている。遠目に湖の青が見えた。その近辺にあるぽっかり空いた場所は──拠点となった集落だろうか。

 ソルの真下は、刺々しい氷の彫像と化していた。

 氷塔には幾つも氷槍が突き刺さり、周囲に砕けた氷の破片が飛び散っている。わずかでも遅れていれば肉塊に変えられていたに違いない。ぞっとする。

 その後方、イルルは川縁に立っていた。


「【日輪の輝き】【其の風、幽冥なる蜃気楼を払い】【其の圧、炎舞う獄を攘い】【其の炬火、塗装された闇を祓い】【其の光、星彩を擽い】──」


 イルルは橙髪を揺らして、杖を振るっている。

 先端の宝石が紅々と輝き、陽光を跳ね返す。


「【空満す白き天球】ッ!」


 杖を地面に突き立てて、六節の詠唱を繰り出した。

 地の底から響く轟音。鳴動は劇的な結果を産む。

 縷々と流れていた川が波濤となり、怪物を呑んだ。

 彼女は魔術で川底を爆破することによって、意図的に大波を起こしたのである。


(ここまでは、事前に描いた絵図通りじゃ)


 イルルと立てた策は前半・後半の二部構成だった。

 まず前半、ソルは囮、イルルが本命である。ソルがケダマの正面突破を試みて、その背後からイルルがあらゆる遠距離攻撃を加える。囮役となる幼女は、劇烈な炎魔術の影で距離を詰めることでケダマの注意を向けさせたが、危険は大きかった。安全策として、イルルの魔力を纏った状態ではあったが──。

 他人の魔力(マナ)がある箇所は、魔術の起点にすることはできない。ゆえに、あらかじめ半径数丈程度に魔力を散布していれば、少なくともその範囲内が突如として爆発したり氷槍が出現したりはしない。

 氷槍に囲まれた場面でも、いささかソルと距離があった理由はこの安全策のおかげだったわけだ。


(もっとも、ストレーズ殿が魔力補給管を直接爆破できない理由でもあるわけじゃが、それはそれ。だから攻略は二部構成で立てた。前半で撃破できればよし、撃破できなければ、ケダマの特性を利用する)


 ケダマは、触れたものを問答無用で凍らせる。

 では、ケダマを包み込むような形で接触すれば?

 

(ケダマ自体を氷で覆い、無力化できるやもしれん)


 事実、果たして波浪はケダマを呑み込み、凍った。

 そしてこの波状の氷には、もう一つの用途がある。

 事前に立てていた策の後半だ。波形の上に落ちる。

 幼女は空中で四肢を繰り、姿勢制御で重心移動を行い、受け身を取った。


「ぐ、ぅ……!」


 着地の衝撃は氷上を転がることで逃しつつ、受けた衝撃を初速にして滑り始める。


「こ、のままッ……!」


 加速。加速、加速、加速。

 氷上を滑走し、終着点に向けて加速を続ける。

 そう、凍結した波浪には活路という役割があった。

 ケダマを呑む形で波を固形化させれば、その身体に直接触れない緩衝材をつくるだけではなく、滑り台(・・・)をつくることにもなる。氷上を滑ることで、ケダマの背後にある着地点──魔力補給官に至る滑り台を。

 この誂えられた突破口ならぬ突破路は、人の手で均されているわけではない。凍った水飛沫が肌を裂き、臀部から腰を守る鎧が氷上に轍をつける。傾斜がきつくなれば、痛みとともに加速する。吹き抜ける冷気に目を細め、歯を食いしばって堪えていると──ケダマの背後、影のなかにケダマの魔力補給管を視認する。

 魔力補給管は、数十本の細い管で形成されている。

 外見は、遠目に見た以上に毒々しかった。生物の血管然とした赤黒い管、青黒い管。生々しい色合いの管は、脈動しながら絡み合い、弧を描いて地面に繋がっている。その先に『根絶』が手ぐすねを引いているのだろうか。と、そこで一旦思考を切った。

 さしあたって、斬るべきは見定めた管の束である。

 だが、一筋縄では獄禍の討伐は叶わない。


「なッ……!」


 行く手を遮るように、氷の獄が展開される。

 冷気放つ滑走路の左右と床面から茨が生えてくる。

 まるで氷の魔窟。必殺の空間が大口を開ける。


「ぐッ、ぬう……! 撤退じゃ!」


 腹の底から叫んだ言葉には、爆裂が応えた。

 大音響が轟き、烈風が踊る。視界は更に一回転。

 滑降中だった身体は風に掬われ、天高くに再び放り投げられる。急激な上昇で三半規管が狂いかける。嘔吐感は喉奥で堪えた。生理的な反応は逆らいがたい。

 唇の隙間から涎が垂れる。拭う暇はない。


(失敗した……!)


 ソルは大気に揉まれながら情報整理を行う。


(ケダマを無力化した上で、魔力補給管を上空から奇襲することはできなかった。ケダマはわしの挙動について知覚しておった……じゃが、どうやって)


 いまはケダマの体躯を越えて吹き飛ばされている。

 自由が利かないなか、着地点を探りかけて──。


どうやって(・・・・・)、わしの存在を知覚できたのかのう)


 疑問の結論に辿り着いた瞬間、剣を放り投げた。

 手首のしなりのみを推進力に緩やかに飛んでゆく。

 狙い通り、ケダマの体表を掠る軌道を描いた。


(よし。あとは着地を考えなければならぬ……ッ!)


 ソルは身体を反転させ、地上に視線を転じる。

 ケダマの正面には薄い白煙が立ち込めていた。

 連続的な爆裂音が木霊している。煙には球状の膨らみが幾つも生まれては破裂。暴風が切り裂いて乱れた隙間から、怪物と少女の激闘ぶりが窺えた。

 炎と氷が真正面から衝突。イルルは器用な身のこなしで、猛撃を躱しつつ、倒れた幹から幹へと駆ける合間に爆撃を放っている。戦況が拮抗しているようにも見えるが、後手後手というのが実状だろう。

 イルルは一定距離を保ったまま、派手な爆発を起こしているだけだ。ケダマの特性上、魔力補給管を断つ以外で有効打は与えられない。このままでは体力の限界を迎え次第、氷漬けになる未来が待っている。

 それも当然。彼女は元より、ソルが奇襲する上で陽動の役を担っていたのだから。


「ルーちゃん!」


 間近から声がした途端、背と尻に手が回される。

 イルルは空中でソルを抱きかかえたのだ。

 一拍の間を置いて、彼女は倒れた幹の上に着地。

 ぎぎ、と足元を軋ませては、倒れた木々から木々へと飛び移ってゆく。


「無事!? って、剣どっか落としちゃった!?」

「離しちゃいました」

「離しちゃったか──!?」


 爆音を轟かせ、白煙に頭から突っ込んでゆく。


「とにかくっ! 一旦距離を取って作戦を立て直そうか! ちょっと見積もりが甘かったけどっ! 期限の日没まで時間はあんまり残ってないけどっ! 情報は得られたんだし、まだ打つ手はあるはずだから──」

「ふむ。もはや打つ手は不要かと存じますのじゃ」

「え? それって……どういう」

「もう斃しておるようですのじゃ」

「え、ええ……!?」


 疑義を呈しながらも、速度を落として振り向いた。

 濛々と立つ白煙の向こう側から──氷が、来ない。

 イルルは立ち止まって様子を見守る。浅い呼吸を落ち着かせながら目を眇めている。ソルは同様に彼女の腕の中で、やがて晴れ始める川向こうを眺めていた。

 遂に姿を現したケダマは、もはや微動だにしない。

 斜光を浴びる怪物は、静かに、絶命していた。


「ど、どういうことなんだ……ルーちゃん!?」




 ※※※※※※※※※※




 契機は、ケダマの感覚器官に対する疑問だった。

 あの怪物はどうやって外敵を認識しているのか。

 想像の埒外にある知覚方法は一旦除いて考察する。

 生物の感覚器官は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。

 味覚と触覚の可能性はまず消える。どちらも接触が必要な認知法だ。次に嗅覚と聴覚は考えずらい。暴風と爆音が轟くなかで掻き消されているはずだ。位置が正確に把握できるほど繊細ならば尚更。

 残ったのは視覚だが、これも違うだろう。

 全身が体毛に覆われた怪物には、光情報を受け取る眼球にあたる箇所が見当たらないのだ。


「加えて、正面でのストレーズ殿との戦闘、わしの頭上での急襲、どちらにも対応を行っていた。あまりにも広範囲のものを同時に認識できていた……」

「まるで、お空に目玉があるみたいだったよね」

「はい。特定範囲……たとえば、ケダマの周囲を何らかの基準で知覚しているのではないかと類推したわけですのじゃ。視覚か、あるいは五感以外の基準で」


 次に、どのような基準なのかを絞り込んだ。

 明確に反応していたのはイルルの炎と人体。大波に対しては氷槍や氷壁で対処していなかった。これを鑑みたとき、ふたつの可能性が浮上した。

 おそらくは魔力、あるいは温度ではないか──。


「だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の!? 魔力も纏ってない、温度も下がったものなら見えないと思って……!? それも、剣が滑って、魔力補給管を切るように投げて──」

「試してみる価値はあると思いましてな」

「すごーっ! すごすぎでしょ!? 投げる角度も力の加減も計算したわけでしょ!? いやー、ルーちゃんもー流石すぎっ! 想像以上にできるねえっ!」

「と、つい先ほどまでは思っておりましたが」

「え」


 ソルが急に言葉を濁したことで、イルルは困惑しきった顔をしていた。


「ええ……思っておりましたが……?」

「一旦、ケダマの骸を確認しましょうのじゃ」

「う、うん? まあ何にしてもジッサイ倒せてるんだから問題ナシだよ! じゃーゴーゴー」


 弛緩した空気のまま、ケダマの骸に近寄っていく。

 傍らで見ると弥増しに大きく感じられる。幼女の身からすると小高い山にすら思えた。まだ怪物に息があれば大事になる可能性もあるため、一定の距離を置きながら裏に回る。ソルには確認したいことがあった。

 魔力補給管は事実、白刃で切り裂かれていた。

 瞳の鋭さを保ちながらも「やはり」と呟く。


「ケダマはわしが斃したのではないようですのう」

「えーと、どれどれ……あっ」


 投げた剣先は、魔力補給管の大半を外していた。

 毒々しい管の束の真横に突き立っている。二、三本は断てていたが、大半が漏れている。では、実際に管の束を切り裂いているのは何なのか。原因究明のための検分は必要ない。ひと目見ただけで明らかだった。

 管は、獣の群れに貪られたような有様だった。

 管の残骸が撒き散らされている中心には、()()()()()()が滅多矢鱈に突き刺さっている。


「じゃあ、もしかして」


 ソルと同じ発想に至ったイルルは周囲に目を配り、後方に向かって手を振った。


「シャイラのお姉さーん! 大丈夫だった?」

「ごめんなさい……すごく、遅れて、しまって」

「ベクティス殿、無事でなによりなのですじゃ」


 木立ちの向こうから、麗人が早足で駆けてくる。

 風に流れる紫紺の髪、動く手脚には乱れもない。

 裾に汚れひとつつけず、大英雄が戻ってきたのだ。

 シャイラ・ベクティスはわずかな息の乱れにのみ戦闘の面影を残して、立ち止まる。


「こちらは、問題な、く…… 心配をかけて、ごめ」

「謝らないでよー! 間に合ってるじゃん!」

「助太刀、感謝いたしますのじゃ。ベクティス殿がケダマの魔力補給管を狙い撃ちしていただかなくては、ジリ貧に追い込まれていたかもしれませぬ」

「あ、あの、その。はい」


 シャイラの瞳には、澱のような影が落ちていた。

 それが、羞恥を覚えたように目線を背ける動作や浮ついた声色と繋がらず、ひどい違和感だった。


「お役に立てたの、なら……よかった、です」

 

 彼女は暫し、ケダマのほうに目を遣ると瞑目した。

 ソルが意図を測りかねて訝しんでいると、横合いからイルルが明るい調子で尋ねてくる。


「で、どうだった? 初めての獄禍戦の感想は」


 イルルの無邪気な問いに、ソルは答えに窮した。

 当たり障りのない言葉は幾つも思い浮かんだ。

 たとえば「不甲斐なくて申し訳ない」だの「共闘とは実に難しい」だの「氷使いは初めて見た」だの「ストレーズ殿の魔術の腕前は申し分なかった」だのと。だが、今回の獄禍討伐で覚えた正直な感想は、四文字で言い切れる。前歯で唇の一部を噛み千切る。

 鉄錆の味が、じわじわと舌に広がり出した。


(物足りない)


「ルーちゃん……?」


 気づけば、黙りこくっている自分がいた。

 瞬きをする。紅い光彩に輝く瞳が目前にある。

 鼻先が触れそうな距離だ。驚いて数歩下がる。

 知らず、息のかかる距離まで近づかれていたとは。


「いかがしたのじゃ」

「いかがした、じゃないよー。怖い顔してたよ?」


 会話中にも関わらず熟考に沈むのは己の悪癖だ。

 身体には、物事を観察して熟慮する癖がむかしから染みついている。簡単には抜けまい。


「ともあれ、獄禍も倒したし、やることやろっかー。ちょっと辛いとは思うけど、ルーちゃんも手伝ってくれる? イルルたちのもう一個の目的──」

「もう一個…… 子飼いの獄禍を期日以内に倒しきる以外にある、ということですかのう?」

「そーそー! ハキムのお爺ちゃんの頼みで集めている、あくまでダイニモクテキなんだけど」


 イルルは踵を返し、ケダマの死骸に飛び乗った。

 

「獄禍の『核』を持って帰らなくちゃいけないんだ」




 ※※※※※※※※※※




 獄禍の核とは、生物で言うところの心臓にあたる。

 が、この説明では語弊がある。心臓と言えども、血液を全身に送り込む喞筒の意味合いではなく、生物の動力源という意味合いでの心臓だ。獄禍の一般的な討伐方法は、体内の核を穿つこととされる。ファニマール子飼いの獄禍であれ、例外ではない。つまり、目前に横たわるケダマのなかにも核が眠っているわけだ。

 手始めに、ケダマの巨躯に目星をつけた。

 どの辺りに核があるか。核の位置は心臓という役割に反して、人間や動物のように中心部にあるとは限らない。獄禍ごとに個体差が激しい。曰く「胸部に収められていた」「右足の踵に埋まっていた」「表皮の一枚下にあった」と、法則性というものがない。

 そのため、核探しは虱潰しの様相を見せた。

 ケダマの身体を捌き始めてから暫し、空が茜色に染まりきった頃にようやく終わった。 


「よいしょーっと! 核発見──!」


 ソルは地上に接した付近を解体していたときだ。

 目前に、イルルが快哉を上げながら降り立った。

 登攀したケダマの頂上から飛び降りたのだ。体力が有り余っているらしい。夕陽色の髪と頭巾をふわり空中に踊らせて、綺麗な着地を決めている。

 ソルが解体に使っていた短剣を返却すると「ありがとー!」と弾けるような笑みを見せた。


「これで獄禍討伐完了だよ! お疲れー!」

「み、見つかった、んですね……」


 快活な声とは正反対に、周囲は血の海だった。

 地上には赤黒い染みが広がり、ケダマだった残骸が至る所に落ちている。イルルとシャイラと三人で捌いた跡だ。ケダマの巨体を探すには相応の作業時間と体力を消耗した。腰に来る。懐かしい感覚である。

 イルルの手には、件の核なるものが握られている。

 それは、ケダマの体躯と比べてあまりに小さい。

 少女の手に収まるサイズ。形状は、多面体の鉱石のようである。斜光を浴びて、表面の黒色が煌めいていた。黒曜石とは違う。目を凝らすと色が黒以外にも変化する。真紅、深緑、紫紺、気づけば他の色に。その鉱石は半透明で、宝石のように内部まで見通せる。

 世の澄んだ色を、すべて閉じ込めたような逸品だ。

 貴族階級の者は飛びつく代物だろう。ソルが見目相応の精神性──少年性、少女性──を待ち合わせていれば、その綺麗さに惹かれていたかもしれない。

 しかし、彼女の興味はそこにない。あれはどういったものなのか。純粋な知的好奇心の下、まじまじ見つめている姿がおそらく物欲しげに見えたのだろう。

 いささか逡巡したようだったが「触ってみる?」と手渡してくる。


「ケッコー危険だけどね。ちょっとだけなら」

「有り難く、あらためさせてもらいますのじゃ」


 知的興味に背中を押され、手元の鉱石を観察する。

 いや、観察しようとするはずだったのだ。

 

「な、っぐ……!」

「おっととと、危ない!」


 手に鉱石が触れるや否や、ソルは石を取り零す。

 驚きのままに、地面に転がったそれを凝視する。

 体内の内圧が膨れ上がるような感覚だった。

 五臓六腑も膨らみ、すべて千切れるような──。


「ごめんごめん! 吐き気とか大丈夫?」

「いえ……わしは。それにしても、これは」


 程度は遥かに下がるが、似た感覚に憶えがある。

 心配するイルルを手で制して、推量を口にする。


「これはマナ結晶、ですかのう?」

「おー、ルーちゃん物知りー! でも、ちょっと違うんだ。自然的に出てくるマナ結晶よりも、もっと純度も濃度も高くって扱いづらい、『オド結晶』って言うんだって。いやー魔術を使うヒトからしたら、涎を垂らして飛びつきたいくらいのモノなんだから!」

「ふむ。無学なもので、初耳でしたのじゃ」

「……なーんて。イルルも最近知ったんだけどねっ」


 マナ結晶については知っている。マナの吹き溜まりで稀に発見される石だ。大気中のマナが凝縮した魔力の塊であり、用途としては体内に魔力を生成する術を持たない一般人が魔術を使う場合や、魔術師が簡易的な魔力の補填として使う場合が殆どだ。

 これは元来、自然発生するものだったが、帝国で二十年ほど前から人工的に生成する技術が生まれたことで、大きな産業革命が起きたのは有名な話である。

 人工のマナ結晶は天然ものより純度が劣る。比較するまでもないほどに。当然、天然ものは産業的な価値も高く、市場では高値で取引される代物だ。ソルもお目にかかったことがない。そんな、高純度とされるそれよりも、純度・濃度ともに高いというオド結晶。

 ソルは空を仰ぐ。もはや想像の埒外である。


(見たことのない貴重品より、さらに貴重品。魔術に疎いわしには実感がない。現状オド結晶のことは『超高濃度の魔力の塊』という認識でよいかもしれん)


 オド結晶は使用せずとも高いマナ濃度を放射する。

 手にしたときの圧迫感はそれによるものだ。以前に説明を受けたファニマールの霧と同様の原理である。


「これ一個で億万長者! なんだけど、そのまま市場に持ってっても値がつかないんだってー」

「それだけの妙品ということですか。もっとも……金銭的な目的で回収したわけではないのじゃろう?」

「えへへー、わかっちゃう?」

「ハキムの奴とは付き合いが長……んん。ま、孫ですじゃからのう。奴の思惑の傾向は読めます」

「そっかー。チノツナガリってやつだねっ」


 イルルは屈んでオド結晶をひょいと拾うと、巾着袋に仕舞い込んだ。彼女がオド結晶を身につけられるのは、日頃から魔術の鍛錬を積んでいるためだろう。彼女たち魔術師は、常人より魔力に慣れる必要があり、そのぶん耐性がついているのである。それでもファニマールの霧は突破できないのだから、原罪の獄禍の厄災ぶりがわずかながら実感できた。 

 しかし──と、ソルは横目で紫紺の麗人を見る。

 彼女ならば、勝負になるのではないだろうか。

 難なく子飼いの獄禍を一蹴した大英雄ならば、かの『根絶』にも対抗できるのではないか。


「? っ、どうし、ましたか」

「ベクティス殿はご存知ですかのう? ハキムの奴がどうしてオド結晶を収集しているのか」

「え、えと。私は、何も……」


 伏せた目を逸らす仕草は、隠し事の趣きが強い。

 おそらくは口止めされているのだろうが、イルルはあっけからんと「ハキムのお爺ちゃんが言ってたのはねー」と続ける。


「オド結晶は『根絶』討伐で絶対必要なんだって。シャイラのお姉さんと同じで、イルルも一応何するかは知ってるんだけど……まー、詳しいことはお爺ちゃんから聞いてね。あっちの国の機密的なあれらしいからね──よっし。それじゃ戻ろっか!」


 イルルは日没が近いと見るや、撤収を提案した。

 斯くてソルの獄禍討伐隊での初任務は幕を下ろす。


「積もる話は、戻って、ハキムのお爺ちゃんに報告したあとね! ルーちゃんの成果を首長くして待ってると思うし! 日が沈むと危ないからねっ!」

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