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修羅幼女の英雄譚  作者: 沙城流
第二章.幸せな怪物の墓標

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3 『望まれぬ邂逅』

 ──ジャラ村に鎮座する獄禍。

 それは一見、白い球体であるらしい。

 怪物の全長は一般住宅と同等程度。体表は石膏のように滑らかだ。そこに袈裟を斬るような線が一本、引かれている。たまに蠢く切れ込みから臼めいた犬歯を覗かせ、涎が止めどなく垂らされる。

 この体躯を支えるのは、下部から伸びる人間並みの細腕が五本。この世のものに当て嵌めるとすれば、大蜘蛛に似ていると言えた。腹を一杯に満たし、脚を極端に短く揃えれば、更に実物に漸近できるだろう。

 目撃者である村人たち曰く「遠目に見たときゃ、切れ込みの付近は赤く染まっていた」「血の雨でも降ったみたいだった」「辺りに千切れた腕と脚と、頭が散乱していた」「何か軋むような音が聞こえた」など。

 人を喰らう獄禍は、怪物と呼ばれるに相応しい。

 英雄譚にて打倒されるべき存在である。

 だが、ソルは神妙な面差しを変えられずにいた。


「状況はどうじゃ? ナッド」

「駄目です! 村の東側を回ってみましたが、獄禍の痕跡すらも見当たらず……地面に移動跡はなく、樹木にも不審な点はありませんでした……!」

「報告かたじけない。じゃが……これでは、怪物退治を始められぬのう」


 ──さあ、どうしたものじゃろうか。

 幼女は住宅の瓦礫に尻を乗せ、頭を悩ませた。

 太陽はそろそろ天頂に差しかからんとし、地上を灼熱で舐め上げる。ここまでの道程とは違い、緑の庇は頭上にない。青々と広がる空の下に日陰を落とすよう建築物は見渡す限りにおいて存在しなかった。あるのは痕跡だけだ。幼女の尻に敷かれた残骸と、そこに滲み込んだ赤黒い血痕と、朽ちた十数人の骸のみ。

 ソルの眩しい肌に、透いた汗水が這う。


(早朝の到着からすでに数時間は経ったかのう)


 しかし、一向に獄禍討伐の任は進んでいない。

 討伐対象の獄禍が村から姿を消していたのだ。

 帝国小隊は見事に肩透かしを喰らったわけである。

 手始めに、獄禍の捜索に乗り出したのだが──。


(まだ見つからぬどころか、移動の跡すら見当たらん。じゃが……獄禍がいたという痕跡だけはまざまざと白日の下に晒されておる)


 幼女が腰を下ろす瓦礫の頂上は見晴らしがよい。

 燦々と差す太陽に手を翳して、村を一望する。

 かろうじて形を保っている住居すら少ない。以前までは堂々と建ち並んでいたはずの家々が、ひしゃげて崩れ──屋根上から押し潰されたかのような瓦礫の山として一面に軒を連ねていた。なかには路面に崩れ、無残に石片や木端を吐き散らすものもある。

 ナッドは危ない足取りで、散乱するそれら残骸を渡りつつ、時間をかけてソルの元へと辿り着く。彼の顔は疲労以上に、焦りと困惑で歪んでいた。息は乱れ、額には脂汗が滲み、しきりに手のひらで拭っている。

 それに比べ、この場に屈んだもう一人は冷静だ。

 整理すると、とソルは傍らの少女に目を向けた。


「この村中央部から、怪物の姿が消えてある。どこへ行ったかを探さねばならん。最初わしらは西側からジャラ村に入ったが、そのとき怪物を道中で見た覚えはない。ぬしの報告では南におらず、ナッドの報告によれば東にもおらぬ。となれば、残るは北側のみか」

「そうね。ゲラートたちが戻ってくれば仕舞いよ」

「……ちょっと待てよ、マジェーレ。ゲラートたちはお前と一緒に南を回ってたんじゃなかったか?」


 ナッドが口を挟むと、事もなげに少女が息を吐く。


「……話に水を差さないでくれるかしら? 答えは『いいえ』よ。私が許可を出して、ゲラートたちは北のほうに回しておいたわ。じき戻るから安心なさい」

「まあ、事後承諾はこれきりにしてほしいがのう」

「またお前、少尉に通さず勝手に……」


 ナッドは鼻白んだような眼差しを少女に向ける。

 マジェーレは幼女の隣で、膝を曲げて屈んでいた。

 その姿はまるでミミズクのようだ。小ぶりな顎を膝に乗せて、黒の双眸はぼうと遠くを見つめている。彼女の思惑は杳として知れない。いや、数日前の対話で垣間見えてはいたのかもしれない。

 ──私、あなたのことが嫌いだわ。


(もっとも、個人的な好悪を仕事に持ち込む人物ではない。軍曹は実利に焦点を絞った見方で、職務を真っ当に果たす人物のはずじゃ。事実、不甲斐ないわしに代わり、ずっと小隊の指揮を執ってくれておったからのう。有能な人物とは疑いようがない。この獄禍の探索も、誰より効率よく終えたようじゃから)


 少女にもナッド同様、周辺の捜索を頼んでいた。

 だが、この中央部に戻ってきた時刻は彼のそれより一時間ほど早かった。逆算すると、ゲラートが北側の探索を終えるまでに十分な時間が経ったと言える。頃合いが絶妙だが、計算高い彼女のことだ。最初からナッドの帰還に併せて考えていたのかもしれない。

 沈着な計算は、火に油を注ぐことになった。

 ソルは口を挟む機を逸す。彼のその憤懣の有り様は唐突にも思えるが、そうではないのだ。むしろ空気を込められ続けた袋がいずれ弾けてしまうように、この三日間に込められ続けた鬱憤が、噴き出した。

 それも、不甲斐ない幼女(おんじん)の代わりに。


「……少尉が長だ。独断をくだすより先に、話だけは通しておくのが筋って奴なんじゃないのか?」

「型に嵌るだけじゃ駄目よ。現場は生き物。獄禍が移動した可能性を真っ先に考慮するのなら、捜索の時間短縮を図る、そうでしょう? 足並みを揃えている時間で取り逃がす、なんてのは馬鹿馬鹿しいわ」


 少女は膝を伸ばすと、大上段から彼を見下す。


「それに私は副長、まだ小さな隊長さんの代わりに隊を動かしている。いままでもそうだったでしょう?」

「意味合いが違う。流石に目に余るって言ってんだ」

「流石に目に余る、ねえ。まるで、いままで見逃してきたが、って頭についてくる口ぶりじゃない?」

「お前、わざと惚けてんだろ。そうだって言ってんだよ。ここ三日、お前が必要以上に出張ってるのは、傍から見てりゃ一目瞭然なんだよ、まるで──」

「……ナッド、よい。付近に井戸があった。そこで頭を冷やして来るのじゃ」


 ソルは口論間際の応酬を諫めるために立ち上がる。

 黙して鎮火を待つには互いの表情に険が強い。


「ですが……っ」


 ──ここは一旦、退いてくれんか。

 ナッドは言葉を詰まらせる。目顔から意図を汲んだのだろう。少女のほうに敵意の籠った眼差しを向けたのち、幼女のほうに小さく一礼すると、足早に去っていった。その背中に宿る意志は、信用に根ざした硬度と重量を誇っているように思われた。

 信任。ソルはその重みをひしと受け止める。

 彼は、十字路の角を曲がって瓦礫の影に消えた。

 幼女は感謝を込めて見送り、隣の少女に向き直る。


(……こんな些事に手間取っとる場合ではないのじゃがのう。元を辿れば、わしの未熟さが招いた亀裂じゃ。ここ三日、軍曹に甘えとったしっぺ返しか)


 思い返されるのは空回り続けたこの三日間だ。

 第二駐屯地から発ち、ジャラ村に辿り着くまで。

 傍目には子供の遊びの延長線上に見えたろう。小隊長は幼女、副長兼案内人は少女なのだから。だが、ソルの意気込みは十分だった。長としての経験は浅く、目標の英雄像からは逸れるものの、他ならぬ『六翼』の命だ。立派に務め上げる気概はあった。

 しかし、初日から指揮を執っていたのは主に副長。

 彼女がなまじ手際よくこなすため、つい頼りきりになっていった。途中からはナッドがソルの不甲斐なさを繕わんと横入りし始めるも、そのたびマジェーレとの軋轢を深め、小隊間では益々「ソルは有名無実の長」という認識が公然と化していった。

 ナッドはその狭間で気を揉み続けていたのだろう。


(この事態を避けるためにも小隊の皆と交流をとり続けたはずじゃったが……二日目から露骨に避けられるようになった。目標に急いたあまり、わしの態度に見落としがあったのじゃろうな)


 ──かくて、ソルの威厳は失墜した。

 厳密に言えば、元より彼女の威厳は地を這うようだったため、地中深くに埋まった、との形容が正しいだろう。現状としてソルが小隊に命じたことは、マジェーレの命令に容易く掻き消されるようになった。

 さしものソルとて望ましくない展開だとはわかる。


(この尻拭いに介添えを要するほど、自身が老いさらばえたと思いたくないものよ。それがナッドの立場を悪くするとなればなおさら。……肌に合わぬと放り投げるには早く、幸運にもゲラートたちが戻るまで時間がある。いまわしが、関係性の改善を図る他ない)


 マジェーレは表情ひとつ変えず、佇んだままだ。

 軽く腕を組んで、虚空を──去ったナッドを幻視するかのように──見下ろしている。瞼という几帳が降ろされた黒瞳からは内情が窺えない。過去の言動から類推するなら、嘲弄だろう。ソルがその眦に未練の残滓を思うのは、歪な認識によるものかもしれない。

 静かに幼女はこの皮肉屋を説き伏せる労を考える。

 越える壁の高さを再認識し、つむじを掻いた。

 だが、不得手でも挑まねばならぬことはある。


「軍曹。話があるのじゃが」

「……ええ」

「ぬし、何とか言動の角は取れんものかのう?」

「そうね。ごめんなさい。さっきは言葉が過ぎた」

「……んん?」


 脱力したまま少女は嘆息混じりに顎を引く。

 幼女は耳を疑った。ぱちぱちと目を瞬かせる。


「……嫌に素直じゃなからんか」

「元々、私はひねくれた性根をしていないわ」

「白々しさ、ここに極まれりじゃのう」

「まあ、ひねくれものの戯言だと取ってもらって構わないけれど、断言するわ。今回が本意じゃなかったのは確か。……いえ、今回も、ね」

「含みのある言い方じゃのう」

「含みなんかないわ。あなたのことよ、少尉」


 マジェーレは項垂れたまま、黒孔がソルを捉える。

 彼女が自嘲気味に指した出来事は出立当日。

 夜更けに交わした、野営地での問答のことだった。


「あのときも悪かったわ。大人げがなかった」

「気にしておらん……が、急にどうしたのじゃ」

「気にしなさい。小隊の現状を改善したいならね。私としても、この空気は不本意なの。……まさか、あなたがここまで人間関係に無頓着とは思わなかったの」


 見込み違いだったとばかりに少女は首を鳴らす。

 現状、小隊はマジェーレの指示で動いている。

 本来の長であるはずのソルと、彼女の擁護に駆け回るナッドが敬遠されている何よりの証左は──中央部にこの三人のみが残っていることだった。ナッドが村の東側から偵察に帰ったとき、彼は一人だった。他三人の面子は、獄禍の不在を確認したあと、報告役として彼一人だけを帰すと、別方角の捜索に回ったのだ。

 合理的な話だが、裏に潜む意図を意識させられる。

 この土壌にはそれだけの不信の種が撒かれている。


(じゃが、小隊は上手く回っておる。軍曹を筆頭に据え、一丸となって問題に当たっておる。ナッドもわしの擁護さえしなければ、あの輪に溶け込めるじゃろう。……これは、異端者(わし)が和を乱しておるだけ、か)


「けれど少尉、不和を招くまで深刻化したのはあなたのせいだけじゃないわ。異端が一人いようが、それほど和は乱れない。……私も、あなたを買い被って手を打たなかったから同罪だけど──いちいち余計な世話を焼いた男も、相応の要因と言えるから」

「確かにそう言えるがのう、ナッドはわしに……」

「良かれと思ってしたからってこと? そんなことはどうでもいいの。ただ私は、あなただけのせいじゃないって言ってあげてるだけ」


 マジェーレは視線をずらすと一歩、近寄る。


「……こういうの、初めてなんでしょう? ありがたく受け止めておきなさい」


 ──責任に押し潰されたくないならね。

 少女の臭気はつんと鼻に障った。

 ソルは眉根を寄せ「そうじゃな」と素直に頷く。


(責任という重みは身に新しいわい)


 傭兵時代でも率先して人を先導した覚えはない。

 ソルフォートは生涯、自分勝手に駆けた。

 若い時分はずっと身軽を求めていた。夢以外の荷を捨て去ることで速くなれると信じていた。彼方に霞んでいく背中に近づけると信じていたのだ。

 荷を降ろす喪失感と肌に当たる風を勘違った。

 いつからだったか。そしていつまでだったか。

 あの、代償に酔い、焦燥感を握り潰す日々は──。


(思い返すと、手に残ったのは苦味のみじゃな。結局どこにも辿り着けんかった。相変わらず目標の背中は遥か彼方。最期には身体までも残らずじまい。いや──この一振りだけは残っておったか)


 目を落とせば、そこには帯びた剣がある。

 二度目の生で引き継がれたのはこれだけだ。


(思えば、皮肉なものじゃ)


 ソルは酷薄に自嘲を浮かべた。

 そんな、勝手を押し通した元一匹狼だ。

 集団の長を務める者には尊敬しきりである。

 たとえば、バラボア砦で出会ったバルドー伍長。後に聞く話では、彼は砦強襲の折に戦死してしまったらしい。その最期を知る者は誰もいなかったようだが、彼も立派に纏め役を務めていたに違いない。

 初心者の凡人には容易く務まるわけがない。

 だからマジェーレは気負いすぎるなと言ったのだ。

 ──少しずつ慣れていけばいい、と。


「……軍曹、礼を言うのじゃ。心遣い痛み入る」

「そんな覚えはない。言ったでしょう? 私は──」

「あなたのことが嫌い、とな。覚えておるよ」


 ソルが彼女の言葉を継ぐ。

 虚を突かれたからなのか、少女は黙り込む。


「ぬしのいまの言葉には、個人的な好意を挟んでおらんということじゃろう。なれば殊更に有難い。つまり、混じりけなしの厚意ということじゃ」

「……なんて曲解。私が損するから態度を緩めただけなのに、鬱陶しい幼女。額面通りに受け取りなさい。それじゃあ将来ロクな大人になれないわ」

「うむ、ロクでもない大人にもなれんかったわい」

「意味不明。何の話よ……」


 マジェーレは舌打ちすると、ソルに背を向ける。

 その寸時、少女は初めて渋面を見せた。くしゃりと歪んだ顔はどこか幼いようにも思えたが、違う。ソルは彼女の年齢を知っている。だから思い当たる。

 これは、ただ年相応の表情をしただけなのだと。


(ようやく……少しだけじゃが軍曹のことを知れたのう。口の悪さは如何ともしがたいが、悪とは別種なのじゃろう。ならば、きっと背中を任せられる)


「少尉……話は、済みましたか」

「ちょうどじゃ。ナッド、頭は冷えたか」

「はい。熱くなって……いささか言葉が過ぎました。手間をかけさせてしまって申し訳ありません……」


 ナッドが井戸から恐る恐る戻ってくる。

 水を滴らせた彼の顔は不憫なほどに青い。生真面目な彼のことだ。脳内では「失態」「羞恥」の文字が巡っているのかもしれない。だが、幼女の隣に立つマジェーレの姿を見た途端に赤々と歪む。

 ソルはそれに既視感を覚える。バラボア砦で彼に避けられていたときと似ていた。彼の癖だった、片意地を張るところは易々と変わらないようだ。

 ともあれ、言葉以上に表情は雄弁に語ったのだ。

 それをみすみす見逃す皮肉屋(マジェーレ)ではない。


「何? 文句があるなら口に出したらどうかしら?」

「……口に出したら、遠慮なく罵ってくるだろうが」

「そんなことはしないわ。罵倒じゃない、無闇に噛みつかないで。被害妄想も甚だしい。幼女の犬風情が」

「明確な罵倒じゃねえか」

「安心なさい、罵倒じゃないわ。ええ違うわよ」

「繰り返すなら根拠を言え! ってか幼女の犬呼ばわりは結構クるな。俺、そう思われてんだ……」


 まるで火と油である。近寄れば勝手に燃え広がる。

 しかし、二人の諍いを毎度止めていては進まない。

 先ほどの口論とは質が違う。きちんとじゃれあいになっていた。互いに激情の火薬に火はつかず、暴力沙汰にも発展しない。軽口程度の謗り合いはこの二人の交流の常だ。もう心配は要らないようだ。

 ソルは腰付近をさすりながら話を切り出す。

 ──話は済んだ、閑話休題と行こうかのう。


「獄禍の行方の話に戻ろう。軍からの情報提供によれば、件の獄禍は巨大。移動手段たる脚も頼りない。痕跡なしに隠れおおせるとは思えぬ。ゆえに、未調査の北側の奥地におるはずじゃ。……もっとも、獄禍の固有の特性を考えなければ、じゃが」

「……つまりあなたは、ゲラートたちが獄禍を見つけられず、泣きながら帰ってきた場合、獄禍が固有に持つ能力で行方を眩ませていると睨むわけね」

「それだけではない。軍からの情報に更なる誤りがある、という可能性も捨ててはおらんよ。……正直な話、あまり考えたくないがのう」


(しかし、かの『六翼』からの情報、確度の高いものと勝手に思っておったが……獄禍が村から動かない、という軍の見立てが間違っておったのは確定じゃ。ならば与えられた情報の精査が必要じゃろう)


 とは言え、すべてを疑っていても埒が明かない。

 ソルは瓦礫の海を見下ろす。竜巻でも吹き荒れたかのような村の様相は大事が起こった証左に他ならなかった。局地的な災害として、獄禍はここで暴虐の限りを尽くしたと見るべきだと思われる。まさか、獄禍の出現自体が誤情報という線は有り得ないだろう。

 やはり思考するべきはたった一つだ。

 ──どうやって獄禍が村から消えたのか?

 二人の知恵を借りようと相談を持ちかける。

 少女は虚空に流し目を送って、指を顎先に当てた。


「獄禍がいない理由ね。幾つか思い浮かんだものを列挙してみましょうか。単純に、軍の情報が外れて、何らかの方法で遠くへ行った線。これは獄禍に移動手段があった可能性の話ね」

「それ、あんまり考えたくない可能性だけどな。これが正しかったら本当に暗中模索だ」


 ナッドが慎重に瓦礫を上りつつ、釘を刺してくる。


「だからと言って、獄禍の固有の能力ばかりに目を向けても利はない。確か、獄禍が持ち得る能力は多岐に渡るんだろ? 絞りきれないと思う」

「そうね。発動にマナを消費する以外の共通項はないようだから、幾らでも候補があるわ。獄禍固有の能力で、姿形を変えている線。または、能力で姿形を消している線もあるわ。あるいは、別の可能性を探るとしなら──」



(ある)いは──親切な爺さんが先に討伐してくれておった線、正解はそっちだな」




 ※※※※※※※※※※




 ──唐突に割り込んだ、嗄れた声色。

 ナッドは声の主を探して、反射的に見上げる。


「ッく……!」


 強烈な日差しが目を焼いた。眉間に力が入る。

 目が慣れない数秒間は、逆光で世界が黒白に分かたれる。陽光を存分に浴びる頂上ならばなおさらだ。

 視界にあるのは、小さな影と一層小さな影。

 この二つは知っている。いままで言葉を交わしていた相手だ。気怠そうに立つマジェーレと、腰を落ち着けたソルだろう。だがその背後に影があった。

 二人よりも一回り大きな人影が──。


「……ッ」


 小さな影の二人組の行動は迅速だった。

 影絵の舞台が前説もなしに幕を開ける。

 最初に一層小さな影、推定幼女が動いた。

 彼女は左肩を沈めることで瓦礫に手をつき、左肘を撓める。同時に右手を左腰付近に伸ばすと、左手を軸にして身体を捻る。まさしく背後に立つ闖入者に振り返るように。誰何の先に顔を確かめるつもりか。

 そのナッドの予想を破り、幼女は反転する勢いに乗じるように剣を抜き放つ。風にも見紛うばかりの刃が血を求めて半弧を描いた瞬間──撓めていた左肘が張られ、軸だった左手で地を押す。矮躯は宙に浮く。

 そうなれば刃の行く先は、人影の首元となる。

 ナッドはようやくここで悟った。

 ──初撃で闖入者を屠るつもりなのだ、と。


「ふ……!」


 一方、小さな影の片割れはすでに消えていた。

 少女は影絵の舞台から、瓦礫の麓に舞い降りた。

 ナッドは間近に落ちた彼女──マジェーレに目が向いた。惹かれた理由はある。高所からの着地とは得てして重みを帯びるものだ。しかし、彼女のそれは猫のようにしなやかだった。重心の移動と宙空での体勢が抜群に上手いのだろう。この美技には舌を巻く。

 『六翼』に副長として推されるだけの実力がある。

 そして、まず闖入者と距離を置くあたり冷静だ。

 猪突猛進のソルを支える立場に相応しい性である。


(少尉はどうなった……!?)


「ッィ──!」


 再び仰いだとき、幼女は空に浮いていた。

 否、重力の尾はその矮躯を絡め取っている。実際は放物線を描くように落ちているのだ。まさに頂上から弾き飛ばされるようにして。つまり一瞬の攻防における軍配は、ソルに上がらなかったようだ。

 のけ反った背。広がる白髪はさながら海中の鯉のごとく身を(よじ)る。頭頂部から地面に激突するのではないか──とナッドは血相を変えるが、杞憂に終わる。幼女は器用に宙で後転したのだ。振り下ろされる両脚で地面を滑り、前傾姿勢のまま勢いを殺す。

 左腕と両脚の三脚で構える姿は獰猛な獣のよう。

 戦意の満ち満ちた黄瞳が二つ、空を見上げている。

 幼女は身体を震わせ、歯に当てたような息を吐く。


「しィ──」

「一筋縄ではいかないわね、これは」


 ──俺も、見とれてる場合じゃない。

 ナッドは己を律す。後退しながら腰に手を伸ばす。

 二人の元に辿り着くと同時、剣を正眼に据える。

 手の震えは軽微で、武者震いと取り繕える程度だ。


(いまは腕の調子も悪くない……! 結構、万全に近い体調だ。大丈夫、大丈夫だぞ俺……!)


 並び立つ少女は、腰の後ろから銀棒を抜き放つ。

 何事か口内で唱えると、棒の表面の文字列が仄かに浅葱色に発光する。瞬間には変形が始まる。金属音を連ねながら繰り返し──出立時に見た奇怪な魔道具に変貌を遂げる。彼女は蛇行形状を取るそれを、片手で傾けながら、泰然自若の構えをとる。

 これにて、この場に立つ小隊の臨戦体勢が整った。

 ナッドは今度こそ相対する闖入者を仰いだ。

 そして陽光の下の()の正体に、絶句する。


「おいおい、そこまで怯えられては敵わんなあ。親切心を無碍にはせんほうが良い。敵にせよ、味方にせよ、なあ。それとも答え合わせは不要だったか?」

 

 瓦礫の頂に佇んでいたのは、老人だった。

 赤毛混じりの白髪には彼の黒肌が際立つ。顔形はいわゆる魚面と言うべきだろう。お世辞にも褒められない目鼻立ちだ。離れ気味の眼窩からは目玉が張り出している。彼は瞼を蠢かせ──三白眼をぎょろりぎょろりと回して、三人を見下ろしていた。

 風体としては分厚い旅衣を身に纏っている。首元から上しか素肌を出ささず、足元も衣の裾と長めの靴で覆っている。この炎天下では拷問に等しい格好だろうに、彼は顔色ひとつ変えもしない。

 この奇妙な男から発されるのは圧倒的な威圧感。

 視認した者を釘づけにするほどの重圧。

 圧。圧、圧、圧、圧、圧、圧、圧、圧──。


「な、なん、なんで……っ!」


 ナッドの戦意は姿を見ただけで揮発した。

 鎌首をもたげた恐怖に打たれ、くらりと一歩退く。

 受ける衝撃は『六翼』との初対面のそれだ。だが、あのときは互いに敵意は介在していなかった。現在のように緊張の水位が喉まで達することはなかった。

 呼吸が止まる。肌がひりつく。脂汗が浮き上がる。

 握る手からは力が抜け、片手で腹部を抑えた。

 (はらわた)に孔でも開いたようだ。その孔に向けて、身体の全細胞が殺到するような感覚。自分が内向きに潰される心地というものを、ナッドは初めて味わった。きっと人の本能は知っているのだ。そこだけが唯一の逃げ場だと。あの老人に居合わせた現実には──『生』の活路が存在しないのだと。

 言葉を失った彼の代わりに、隣から声が上がる。


「知ってるわ、あなたの醜い面」


 ぎょっと、ナッドは目を剥く。

 面食らうあまりに重圧が解けたのは喜ぶべきか。

 少女はまるで臆さず普段通りに睨めつけていた。

 果たして彼女は恐れ知らずの勇者か。あるいは愚者か。きっと後者だとナッドは断じたい。彼女の肝の座り方はとかく一国の主顔負けだ。先ほど交わした悪態と変わらぬ、余裕を保った態度は脱帽ものである。

 その、少女が眇めた目に老人は呵々と笑む。


「ああ、いいモンだろ? この面ァ、覚えられ易くってなあ。二度と忘れられないってのは方々で役に立つ。生まれてこの方、親にすら褒められた覚えもねえ面だが、そういう意味では愛着があんだよなあ」

「……確かに覚えやすいわね。国ごとに出される、英雄の人相書きは美形に描かれることが多いのに、このホンモノと瓜二つに描かれてるんだから。ひょっとしてあなたの趣味なの?」

「美化されるってのも面映ゆくてなあ」

「ハ、ハキム……ハキム・ムンダノーヴォ……?」


 ナッドは引き攣った声色で、老人の名を呼んだ。

 ハキム・ムンダノーヴォ。誰何するまでもない。

 著名の大英雄だ。ただし、帝国のではない(・・・・)

 帝国と正面きって対峙する連合軍の片割れ、ビエニス王国における大御所の英雄である。格で言えば、先日バラボア砦を襲ったボガート・ラムホルトと比すると──論にもならない。むしろこの二人を比較すること自体が烏滸(おこ)がましいほどに、ハキムは大物だ。

 齢六十にして、ビエニスの英雄を名乗る。

 それがどれだけの偉業かは歴史が証明している。


(ハキム・ムンダノーヴォ……! この男が登場するまで、四十を越す年齢でビエニスの英雄を名乗れた者はいなかった。無知なわけじゃないってんなら、マジェーレはただの自殺志願者だ)


 ビエニス王国は精強で知られる軍事国家だ。

 帝国に追随し、大陸二位の領土を持つ大国である。

 大陸を南側から貪るそこは中央、西側まで手を伸ばし、いまや東側に陣取る帝国と火花を散らしている。つまりナッドが遠目に見上げるマッターダリ山脈を越えた先で、その存在感を示す敵国だった。

 その王国の特殊性は蔓延る国民性に集約される。

 名を、実力至上主義という。ビエニス王国では徹底した身分制社会が築かれ、老若男女関係なく『強さ』の秤に乗せられる。性別も年齢も障害も過去も、

すべてが度外視され、ただ有する能力のみが称賛の対象となる──苛烈なまでの弱肉強食の世界。

 ビエニスの英雄を名乗れるのは上位十名のみ。

 王に認められた強者だけが呼ばれる称号である。


(しかもハキムは四大将の副官なんだぞ……!)


 その王国には『四大将』という階級が存在する。

 帝国で言うところの『六翼』である。国家の花形である大英雄たちを称したものだ。ハキムは彼らの一人『黎明の(しるべ)(かざ)し』の副官を務めていると噂に聞く。

 老いが理由にならぬ国で──老いた男が立つ。

 それも、軍部における彼の位置づけは、蓄えた知識が物を言う参謀ではない。身一つで戦局を変える英雄として、あの老人はいまだに現役なのだ。

 大陸でも類を見ない、生きる伝説である。


「そんなやつが、なんで、何でここに……しかも獄禍を倒したって……」


 思わず、口から疑問の根がまろび出る。

 少女は流し目をこちらに向けて、ひとつ頷いた。


「こればかりはナッドの言う通りね。ビエニス王国の大御所がこんな田舎に何用? 余生はもう少しマシなところで送ったらどうかしら。生涯現役の英雄というのなら、戦場なんておすすめだけれど」

「生涯現役なんてのは俺には似合わん。もっと似合うような奴がいたからなあ。それより、歳上には敬意を払うことだ。長生きしたいならなあ」

「実力主義のビエニス人がよく言ったものね」

「慈悲という奴さ。ビエニスの法をここに持ち込むつもりはない。……郷には郷のやり口があるだろうからなあ。命乞いの方法にも、な」


 ──なぜ、ハキムがここにいるのか?

 際限なく話が逸れるなか、動けないまま考える。

 この付近は戦線ではない。マッターダリ山脈の峰によって、他国と隔絶された地域なのだ。そこに大物の敵将が侵入しているなど、悪夢としか言いようのない事態である。……いや、とナッドは思い直す。

 居合わせた現状、理由を探っている場合ではない。

 確かなことは一つ。目前に敵が佇んでいること。

 見方を変えれば、望外の幸いだったかもしれない。

 なぜなら、誰よりも早く敵将の侵入に気づけたのだから。帝国という国家の綻びに忍び込んだ虫を、居つく前に排せるのだ。討伐対象の獄禍を片づけるついで、敵将の首を討ち取れるなら一石二鳥だ。

 そう嘯かねば、いまに逃げ出してしまいそう──。

 自らを鼓舞して、早鐘を打つ心臓を抑える。


(分かってるさ。……相手は生きる伝説。本当なら一石二鳥とか口が裂けても言えやしねぇ。ボガート・ラムホルトを前に死を覚えた俺が、あんな凄いやつの相手になるとは思っちゃいねぇ)


 ──俺は人より要領はいいかもしれない。

 だが、届かないものは星の数ほどある。

 それをいつか掴める、なんて言葉が、励まし以外の何者でもないことを知っている。他に道があるはず、なんて言葉が、言い訳以外の何物にもならなかったことを知っている。自縄自縛の深海で息苦しさに喘いでいたときに、あのとき光を見た。

 崩れかかった活路を渡る幼女の姿を見た。

 もしかしたら、無為に終わらないかもしれない。

 このちっぽけな手で勝利が掴めるかもしれない。

 それが胸に焼きついているから、まだ逃げない。


(ああ、諦めない(・・・・)って、そう決めたから)


 ナッドは堪らず、ちらと後方に視線を飛ばす。

 その先で──檸檬色の、黄金色の瞳が揺れていた。

 三足歩行の獣。『修羅』の名を冠した幼女。

 彼女は好機を見定めている。機が熟したとみれば、即座に飛びかかるつもりなのだろう。前傾姿勢を保ちつつ、前足たる左腕、後足たる両脚を撓めている。身体に沿わせるように剣を傾けて、切っ先が地面に点を打つ。とん、とん。呼吸に合わせて律動する。

 一方、マジェーレは相変わらず気怠けに口を出す。

 手に掴んだ魔導具で、自らの肩に触れると。


「それで、あなたがここにいる理由は何なの?」

「まあ、はぐらかす必要ももうないか」

「時間稼ぎってこと? 何を待って……」

「……そろそろだ」


 瞬間、瓦礫の向こうで半球が膨れ上がる。

 それは、不穏なまでに黒と赤が入り混じった色。

 ナッドたちが声を上げる暇もなかった。

 それは急速に膨張を繰り返し──達する。

 散じる爆炎。轟く爆音。荒ぶ爆風。

 たった一瞬で視界は様変わりする。ハキムの背後を染めていた蒼穹は黒煙と火炎に塗り潰された。瓦礫の破片が舞い上がり、炎の一片が飛び、それらが烈風に乗ってナッドたちの元に飛来する。

 ハキムは渦中にありながらも暴威を物ともしない。

 まるで、そよ風が吹いた程度の反応だ。


「おーおーぶっ放すモンだ。あやつ派手好きだなあ」

「マジェーレ、少尉!」


 しかし、ナッドは血相を変えて、二人を見渡す。

 他人事で傍観者を気取ってはいられない。

 暴威の一端が、遂に間近まで肉薄してきたのだ。

 時雨のごとき瓦礫が降り注いでくる──。


「『レグーネ・ノーツォ』第一階梯──少尉、ナッド、念のため目を守っていなさい」


 学舎での教育の賜物だろうか。ナッドは有無を言わせない声に従い、咄嗟に目元を腕でかばう。瞼の裏の暗幕越しの残光の上に、明確な感情は乗せられなかった。生存本能に近い切迫感だけがぶち撒けられる。

 来るだろう衝撃に備えて、身体は勝手に固くなる。

 重心を落とし、地面を(しか)と踏み締め、待つ。


(あ、れ……?)


 両瞼を瞑って、一秒、二秒、三秒、経った。

 果たして、瓦礫の雨は──身体を打たなかった。

 衝撃もなければ音もない。何かがおかしい。

 ナッドは恐る恐る腕をずらす。だがそこには数秒前と変わらない光景があるだけだ。瓦礫の頂には悠然と老人が佇み、その麓に自分が立ち尽くす。後方には幼女が構え、隣では少女が己の武器を回している。

 その奇怪な魔導具が浅葱色の残光を発していた。


(あいつが何かしたのか……ゲラートみたいに口だけ偉いってわけじゃないってことか。安心というか何というか……って感謝とか言う場面じゃないな)


 素知らぬ顔を貫く少女を一瞥するも、向き直る。

 ナッドは呼吸を整え、努めて冷静に状況を見る。


(あの爆発……ハキム・ムンダノーヴォの他に別働隊がいるってことか。そりゃ、敵将が単独でここにいるわけないしな。それよりあっちは──)


 爆炎轟いた方角はジャラ村の北側である。

 そこは、残り八名の小隊が赴いた先のはずだ。


「あいつら、無事なのか……!?」

「さあ、合図は鳴った。俺も油を売るばかりではおられん。役目を果たさねばなあ」


 ハキムは嘯いて、飄々と腕を引く。

 その老木めいた手には細身の剣が握られていた。

 瞬く間に現れたそれは、凶暴に日光を照り返す。

 さながら竜の顎を連想させる赤銅の剣だ。

 刃は竜牙のごとく刻まれ、僅かに湾曲した峯は根本で放射状に広がっている。そこには大陸で使用される言語ではない──聖文字が刻印されていた。魔導具の証である。剣の形状を象っているため『魔剣』と呼称するのが正しいのだろう。あの、ボガート・ラムホルトが振るっていた幻想剣と同じように。

 黄蘗色の円が剣刃を囲うように中空に浮かぶ。


「今しがた訊いたな? 俺がここにおる理由は、と。それを知りたくば、俺を退けてみせろ、小童共」

「……一対一にはしないわよ?」

「呵々、安心めされよ。三人なぞ物の数にも入らん」


 浮かぶ円──聖文字の羅列は高速回転を始める。

 伴うように、空気が軋む音が掻き鳴らされ──。

 ハキムは黄ばんだ歯を剥くと、腰を落とした。


「皿ごとかっ喰ってやるから、纏めてかかって来い」

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