1 『その男には才能がなかった』
その男は凡人だった。
生涯を通じてなお、彼に飛躍的な才能はなかった。
少年期に出会った、師範の言葉が頭をよぎる。
──お前に才能という輝かしいモノはない。
青年期の同僚の、酒気を含んだ声音を思い出す。
──俺たちは消耗品。それも盾の類でしかねぇ。
老年期に遭遇した、当代人類最強の『英雄』の呟きを思い返す。
──貴方は半端者だ。
彼らの言はすべて正しい。
その男は、特別な才能、夢に至るだけの能力を持ち合わせていなかった。
1
それは、男の少年期から遡れば明らかだった。
足繁く通っていた、村の高台に建つ剣術道場。
彼は目立った成績を一度として残せなかった。
僅かでも才能を持つ剣士に勝利できた例がない。
年下相手だとしても、同じことが言えた。年齢が一回り下の子どもにすら敗北を味わわされた。そのときに知ったのは、屈辱が砂の味をしていることだった。
それでも、彼の席次は最下位ではなかった。
あのとき、男が誰にも勝利できないほどの弱者であれば──いや、それでも彼は無謀な邁進を止めなかったに違いない。それこそが若草である強みだった。
憧れという感情は青々として、活力に満ちていた。
──強く、強くなりたい。
彼は、むかしから剣という武器が好きだった。
寝床で母が読み聞かせてくれた、ある英雄譚の主人公が『剣使い』だったからだ。剣の一閃で雲を割り、弱きを助け、悪辣な帝国を両断する英雄の姿。
幼心に、そんな正義の英雄は眩く映っていた。
──こんな英雄になりたい、なってみたい。
最初は、誰しも持ち得る、幼稚な憧憬だった。
その夢の影を追って、彼は毎日、剣を振った。
蔦が絡む村外れの廃墟では、呼吸音だけが響いた。
わざわざ人気のない場所で鍛錬を積んだ理由は、村の人間たちが嘲笑ってくるからだ。
──無駄な努力だ。あれなら土弄りを覚えた方が利口に違いない。
そのせいか、同年代の子供と遊んだ記憶がない。
構わない。早熟の天才ではない、とは承知の上だ。
彼は「だからこそ鍛錬が重要なのだ」と時間を惜しげもなく削った。雨の日でも、風の日でも、雪の日でも、昼夜すら問わず鍛錬に打ち込んだ。そうした日々のなかで、憧れという剣は、情熱に炙られ、余人に叩かれ、貶され冷やかされを繰り返すたびに、光沢を放つほどに硬くなっていく。曇りない剣身は、今後の人生における何物にも代えがたい原動力となった。
どれだけ指差されようとも、剣を振るう。
どれだけ実を結ばなくとも、飽きもせずに。
手の血豆が潰れる感覚は、一年もすると慣れた。
身体から滴る汗の不快さは半年で、手と肩の負担は二年で、関節の痛みは三年で、神経が研ぎ澄まされる感覚は四年で好きになった。
自分が一歩一歩、目標に向かって進めている──。
その自覚が、凡人の身体を突き動かしていた。
師範の助言に従いながら、愚直に、まっすぐに。
男はただ、剣を振った。
2
非才ぶりは、青年期を迎えても変わりがなかった。
剣筋は教本通り。急場の判断も妥当。
しかし、何もかもが凡人という域を出ない。
身体能力は無論、英雄たちと比べるべくもない。
ただ、長年に渡る努力の結果がひとつ実を結んだ。
いつの間にか、男は村一番の剣士になっていた。
だが、ひとえに努力で勝ち得た立場とは言えない。
彼を凌駕する剣士たちは、すでに村を去っていた。
残った村民は、農作業に従事する者ばかり。人と関わりを持つわけでもなく、土弄りを覚えるでもなく、ずっと剣を振り続けた男が一番になるのは、至極当然と言えた。のちに伝え聞いた話だと、村人たちは影で
男を散々に揶揄していたらしい。
だが、幸か不幸か──。
──努力が実を結んだのだ。
彼は、そんな、幸せな勘違いをした。
無理もなかった。誰かと接する機会のすべて、剣を振るうことに費やしたのだ。思慮が欠けたまま成長してしまった、その弊害。表向きには褒めてくれる村人たちを疑いもしなかった。
だから、この時代には充足感があった。
無邪気にも、努力を信じ、才能を軽視できていた。
しかし、残酷にも答え合わせの機会はやってくる。
まやかしだったと気づくのは数年後のことだった。
彼は家が貧しく、村を出て傭兵団の門戸を叩いた。
そこで思い知る。ようやく才能の理不尽さを──。
それも、憧れ続けていた英雄の存在によって。
初めての戦場。傭兵として出向いたのは荒野。
英雄による死の旋風が席巻する、元は街だった地。
文字通りの一騎当千。剣が一度抜かれれば、師団を壊滅させ、男の同業者たちを、まるで羽虫を潰すがごとく虐殺する。『英雄』と呼ばれる怪物たち。
只人が相対すれば、死は約束されたも同然だった。
瞬きの間に、首から上が飛ぶことになる──。
同僚の傭兵が零した、ある言葉が胸に突き刺さる。
──ああ。確かに、これは俺たちが盾代わりだ。
死骸が、積み上げられては山となる。
血液が飛び散り、地面に垂れては河となる。
英雄たちは無類の力を発揮し、すべてを薙ぎ倒していった。命からがら生き残った男の心をも、蹂躙せしめた。御伽噺や英雄譚で培ってきた、幼稚な認識を覆し、胸中で磨いてきた憧れも現実の前に折れかける。
英雄とは、もはや人に非ず。生物に非ず。
兵器にしても凶悪すぎる代物、死神に他ならない。
──才能の差とは、これほどのモノなのか。
そう、男は呆然と立ち尽くしてしまった。
赤く滲んだ手からは、使い古しの剣が落ちた。
まともに剣で打ち合うことすらも困難なのだ。
理不尽のあまり、彼は初めて挫折を経験した。
それでも、彼は憧れを捨てきれなかった。
──所詮、自分が井の中の蛙だっただけだ。
汗とともに鬱屈を飛ばして、一心不乱に剣を振る。
自らを鼓舞する言葉だけ、何度も言い聞かせる。
──落ち込む必要はないはずだ。
──最初に憧れたものはもっと大きかったはずだ。
──『村一番の剣士』なんて矮小な望みではない。
──知っていたはずだ。
──自分は、知っていたはずだ。
人生は短い。あれに追いつくまで足りるだろうか。
そう思うならば、後ろ向きになる時間すら惜しい。
ひとり呟いた。少年老い易く英雄成り難し──。
あらゆる手を尽くし、できる努力を積んでいった。
──千里の道を徒歩で往く。
──遍くを照らす太陽に、手を伸ばす。
凡人が、英雄に喰らいつく無謀さは、それらと同義の夢想と知った。だが、元より簡単に英雄の域に至れるとも思っていなかった。ならば、何も変わらないはずだ。起こす行動も、目標も、何ひとつ変わらない。
彼は、いつものように剣を振った。
そもそも、膝を折ったところで今更だった。
この頃には、憧れ以外、何もかも失っていたのだ。
男が傭兵に身をやつしている間に、唯一の帰る場所だった村は戦火を被っていた。跡地には、炭や灰、燃え滓などの残骸のみ残っていた。両親はもちろん、師範や顔見知りの村人も当然、この世を去っていた。
夢を諦めて、戻る場所すら消えてしまったのだ。
その男には学がない。農作業の手伝いすら怠り、人との交流も苦手だった。すべての時間を鍛錬に注ぎ込んだ彼には、剣と夢しか手元に残っていなかった。
もはや、立ち止まる意味など失ってしまった。
ただ、背後を振り返ることに恐怖を覚え始めた。
心のどこかで挫けかけている兆候だ、と思った。
──英雄になれないのではないか?
──いままでの努力が、無駄になるのではないか?
そんな迷いを振り払うため、一層鍛錬を続けた。
純粋な憧憬が、揺らぐ時期だったと言える。
3
──彼は年老いても変わらなかった。
老体に鞭打ち、身体中の軋みを無視して剣を振る。
英雄への憧れは、依然として抱いたままだった。
むしろ、その頃には迷いすら湧かなくなっていた。
後戻りできる年齢を過ぎたから、だろうか。
何にせよ、不意の邪心に惑わされなくなった。
老いたことで、これだけは僥倖だったと言えよう。
男は、傭兵の間で最古参の人間になっていた。
傭兵稼業に踏み入ってから、五十年は過ぎている。
踏み入った当初に膝を屈しかけ、絶対的な才能の壁に歯軋りし、それでも戦場に身を置き続けていた。
人と交わるたび、幾度も彼らを失った。
傭兵らしく利己主義者だった小狡い男は、飛来する魔術の余波を受けて粉微塵に変わった。情に厚かった大男は、英雄に蹴飛ばされて破裂した。年若く傭兵に身をやつした女は、初の戦場で矢避けに扱われた。
数え上げれば切りがない。凡人である彼が、五十年に渡り、戦場で生き残り続けていたことこそ不思議だった。事実「いつ男がくたばるか」という賭けは、傭兵間における恒例行事になっていた。
もしや、天が与え給うた才能は悪運なるものか。
彼は冗談交じりにそう思ったが、案外的を射ていそうで恐ろしかった。英雄を志す男からすれば、その悪夢のごとき才能は、実に格好つかない代物だった。
それでも、彼が戦場に立ち続けた理由はひとつ。
自らに有益な経験を積むためだった。戦場では様々な手練れたちが勝利を得るため、惜しげもなく自らの技術を披露してくれる。味わわせてくれる。彼にとって、血生臭い戦場は、さしずめ財宝の山だったのだ。
強者の戦闘をじっくりと観察し、分析し、咀嚼し、自らの身体に落とし込む。とは言え、猿真似をするわけではない。彼はただの凡人で、真似や参考にできる範囲には限度が存在していたからだ。
言い換えれば、これは普段剣を振ることと、さほど変わらなかった。どちらも同じ、遥か高みにある英雄に手を届かせるための助走に他ならない。
そして、年月とは、それだけで大きな意味を持つ。
剣の才能が足りない彼を、慕う人間が多くできた。
名前も、巷の物好きたちの間で少し広まった。
彼らから、要らない二つ名を名づけられるほどだ。
『修羅』だの『狂戦士』だのと──。
全くもって不名誉な仇名じゃ、と彼は思った。
好き好んで戦に出ているわけではないというのに。
少ない給与を削って買った安酒を口に含みながら、誰かに零した記憶がある。
英雄は、戦場のなかにしかいられない。
──ならばそこへ行くだけじゃ、と。
4
──彼の最期は、呆気なかった。
日没前。一面、夕陽色に染まった戦場。
屍の山が築かれ、血の大河が横たわっている。
男は、皺だらけの手で、古びた剣を握っていた。
束ねた長い白髪は風で揺れる。色褪せた外套の下から、傷だらけの鎧が覗く。鮮血が飛び跳ねた身体は満身創痍だが、即座に飛び出せるよう、身構えている。
強い意志を込めた瞳は、正面だけを見据えている。
そこに立つ、最強の英雄だけを──。
『ソルフォート・エヌマ……以前から、貴方にひとつ尋ねたいことがあった』
『……何じゃ』
老いた凡人こと、ソルフォート・エヌマ。
彼は、しわがれた声音で無愛想に答える。
対峙する英雄は、年若い。十代半ばの女だった。
男女の格差は、凡人の相中でしか意味を為さない。
肉体面も精神面も、才能ひとつで上下が決まる。それは非才のソルフォートにとって残酷な話であり、その格付けの筆頭が、目前の大英雄だった。
齢二十にも満たない、当代人類最強だ。
彼女の長い髪は、黄金色に夕陽を照り返して靡く。
碧眼は、ソルフォートの眼光に動じた様子もない。
嫌味なほどに整った顔立ちは、さながら高貴な令嬢のようだった。甚だ戦場の殺伐さに見合わない。それに反して、発される殺気の濃密さは尋常ではない。
彼女が纏う白銀の装備は、大陸最大の帝国における六人の大英雄──『六翼』の証だった。
力量は、もはや疑うまでもない。
その一閃で大地を割り、山を消し飛ばし、敵勢を吹き飛ばす。ひとたび自国に帰還すれば、民衆の喝采を巻き起こし、数々の称賛を受ける。まさに彼女は、ソルフォートの憧れそのものだった。
つまり、英雄譚の主人公相応の強さを持っている。
(成程、儂の目標は最強であったか。道理で容易に追いつけぬわけだ)
呵々と笑いかける彼に、大英雄は小首を傾げた。
『どうして貴方は戦に固執する? 私には解せない。貴方は先代の頃から最前線にいると聞いた。死にもせず、引退もせず、ここまで老兵として戦場を渡り歩いてきた。名誉も持たず、実力も然程ない貴方は、どうして戦っている? その執念の核は何だ』
『愚問じゃな』
ソルフォートは短く切って捨てる。
『似たことを聞く奴は、これまでも仰山おった』
そして、身体を巡る力が最高潮に達すのを待つ。
彼は、戦に固執しているわけではない。
彼は、あくまでも英雄に固執しているのだ。
戦場の空気を肌で味わい、目標である英雄たちの活躍を目に焼きつけ、生と死の狭間で生き足掻く。こんなものは、単なる鍛錬の一環でしかない。彼としては今更、疑問視されるようなことではなかった。
見当外れの質問に答える義理はない。しかし、彼が到達せんとする『人類最強』直々の問いだ。彼女にだけは、あえて答えておくのも悪くない。そう思った。
あえて言えば、戦場に立つ理由はたったひとつ。
少年だった頃に剣を振った理由と、変わらない。
『まだ儂は、抱いた夢の一端すらも掴んでおらんからじゃ──!』
──込めた力を開放する。
右脚で踏み込み、老いた肉体を一気に駆動させた。
渾身の力はこのときのために。
疾風のごとく、間合いを詰めた。
英雄と打ち合うだけの強靭な肉体ではない。
英雄と張り合える、そう自負する腕もない。
だからこそ、通用する可能性があるのは一撃。
二の太刀以降に機は訪れない。
それを期待したが最後、首と胴が切り離される。
老体に残った力を掻き集める。
握り締めた剣にすべてを懸ける。
生涯における血と汗の滲む鍛錬の成果を──。
見せつけるのだ、この英雄に。
燈色に染まる戦場で二つの影は交差──決着する。
一つの影が地面に力なく沈み。
残った片方は、つまらなそうに呟いた。
『──貴方は、半端者だ』
※※※※※※※※※※
こうして、老いた凡人の生涯は終焉を迎えた。
人類最強の呼び声高い大英雄から見下げられて。
人生の最終目標から「半端者」の烙印を押されて。
いままで投げかけられた嘲笑の数々は、ひとつとして覆らなかった。あらゆる努力は実を結ばず、夢は夢のまま泡沫に消え、一介の傭兵として人生を終えた。
その結末は、報われないモノだった。
ソルフォート・エヌマは、どこまでも凡人だった。
切望した剣の才能は、凡程度でしかなかった。
研鑽に励み、観察を疎かにせず、基本的な筋力を鍛えるのにも余念がなくとも、背後から結果がついてくることはなかった。最終的に到達したのは、英雄から見れば「半端者」程度の強さだった。
一生を使い果たして半人前だった。ならば。
ならば、あともう一生あれば英雄になれるのではないか?
──訂正しよう。老いた凡人の生涯は一旦、終焉を迎えた。
※※※※※※※※※※
生者は退却した、死臭漂う宵口の戦場。
頭上で群れをなす、星の輝きと月明り。遠くで燃え上がる炎だけが死地を照らす。大気の熱は静謐を焦がし、あらゆる残骸は闇に埋まったまま。折れた剣も割れた弓も、砕け散った杖も。誰かの持っていた望みさえも、地面に蹲って死骸を晒しているに違いない。
そんな、屍ばかりが眠る、静まり返った場所。
そこで小さな影が身じろいだ──。
凡人、ソルフォート・エヌマである。
蒙昧な思考と曖昧な視界に嘔気を覚えつつ呟いた。
「……生きて、おる。たしかに、生きておる。やつは、約定をきちんと守ったというわけか」
現実味を失ったような声で呟く。
ソルフォート自身に驚きはある。動揺もある。
だが、数秒経てば落ち着いた。
不意に思い出したのだ。この奇怪な状況と直結する過去の出来事がよぎる。いまだに覚えていたのは、あのとき出会った男が随分と奇天烈だったからだろう。
『最高の魔術師』と名乗った男のことを思う。
(生前の、頃合いは青年期だったじゃろうか)
ソルフォートは、彼にひとつ頼み事をしていた。
──もし俺が志半ばで果てることがあったなら。
──そのときはもう一度、また走れるように、俺が目標に手を届かせられるように。
──二度目の機会が欲しい。
当時の彼からすれば、冗談半分の戯言だった。
なぜなら、そんなことは不可能だ。それこそ、御伽噺の魔法使いでもなければ。死した人間の魂を別の身体に移し、転生にも近い所業を可能にする。神の御業に片足を突っ込んでいる。魔術に造詣が深いとは言えない彼からすると、そう思うのだが──。
結局、あの謎の魔術師は何者だったのか。
彼が嘯いて憚らなかった『最高の魔術師』という名乗りは、果たして相違なかったのか。数十年経って、こんな疑問に囚われるとは予想だにしていなかった。
だが、現実として死後にこうして生きている。
また、戦場の死臭を吸い込み、吐き出せている。
念のため、辺りに視線を巡らせた。
間近まで夜が迫っているせいか、視界を闇が占領している。ただ、間違いなく、ここは先ほど大英雄との一騎打ちを演じた場所だ。傍らには、長年愛用していた剣が転がっている。二振りとない大事なものだ。
視界に収めつつ、試しに手で地面に触れてみた。
肌には、ざらりとした感触が確かにある。身体にも浮遊感はない。血が凝固した剣の刃に触れれば、その冷たさが指先を通じて伝わる。身体が霊体、ということでもないようだった。きちんと生身である。
何が起きたのか。脳内の混乱は収まらない。
収まらないが──生きていることには違いがない。
そう思い直して、心を平静に保とうとする。
「なぜ……」
しかし。たったひとつだけ。
彼には、どうしても解せないことがあった。
「なぜ、わしはおなごになっておるのじゃ……!?」
瞼を持ち上げたときから、違和感はあったのだ。
愕然の声色も、舌足らずの可愛らしい高いもの。
腰付近まで伸びる白髪は生前と同じ。
しかし、不思議と髪に艶がある。
手のひらは繊細で、潰れたタコと擦り傷だらけの硬質な手とは正反対だ。新雪のごとく真っ白な手足は短く、視界もいままでより一段と低い。
着ている服は、ぶかぶかの黄ばんだ襯衣のみ。それも老爺の自分が身につけていたもので、襟ぐりが左肩に引っかかった形だ。これでは全裸と大差ない。
股間に手を突っ込んでみれば、もはや確定する。
あったはずのものが、つるりと消えている現実が。
(あやつめ、確かにわしは二度目の機会以外を指定はせんかったが──!)
混乱、混乱、混乱。完全に思考が停止する。
──これは死ぬ直前に見ている幻覚の一種か。
そう真剣に思い悩むが、絶望的なまでに確かなこととして、ソルフォート・エヌマは十に届くかも怪しい幼女に姿を変えていた。
生涯、一心不乱に英雄を目指し続けた男。
『修羅』『狂戦士』などの仇名をつけられた凡人。
そんな彼が、英雄に至るための第二の人生は、奇しくも幼女の姿でと相成ったのだ──。