smile5「雨の日の本屋さん 後編」
「……」
男の子は私の言葉に何の反応もしない。これは無視なのか? それとも聞こえてないのか? どっちにしても反応がないのは寂しいよ。私という存在がここにはいないと否定されてるみたいだから。私はここにいるんだよう!
たとえね、小さな小さな光でもそれは光なんだよ。とてつもなく大きな光と比べたらちっぽけだけど、それでも頑張って力強く光っているんだよ。誰もその光に気づかなくてもさ、きっと誰かの足元を明るく照らしているんだよ。だからさ、無駄なことなんて何もない。
これは私の想像でしかないんだけど、男の子は今闇に囚われているんだ。そこは光が届かない、窓がなくて淀んだ空気が漂う窮屈な場所。ずっと暗闇で光はどこからも入ってこない。少しぐらいは隙間があるかなと思ったけど、そんな隙間は全然なくて暗闇が支配している。
何秒たっても、何分たっても、何時間たっても、何日たっても、暗闇のままで何の変化もなくてただ闇に囚われている。そんな真っ暗な世界にずっといたら自分は闇の住人だったのかとさえ思えてくる。もう光を浴びることは叶わないんだ、ここから出ることは二度とないんだ、それならもういっそのこと何もかも諦めて何もかも受け入れるしか選択肢はない。
選択肢が一つしかないから簡単だ。何も悩まなくていい、間違えるはずがない正解するしかない、ほら答案用紙に答えを書こうじゃないか。そうしたら楽になるはずだ、この苦しみから解放されて僕は闇に紛れるんだ。そうなったらもう二度と光あるところには行けない。でも僕は決めたから、あの扉は二度と開くことがないのだから。
男の子がそんな状態だとしたら……そんなの私の想像でしかないんだけど。それでもほっとけないよ! 無視なんてできない、声をかけるのが人として当たり前のことだよ。反応がないなら、反応があるまで声をかければいいだけ。
それでも反応がない場合はもう私の手に負えない。声をかけ続けて無視なんて失礼すぎませんかね、そう一言残して颯爽とこの場から離れてやる。反応がないのは考え事をしてるのか、想像を膨らませ過ぎて頭のなかで大冒険をしてるのか、自分の世界に落ち着きたくて誰かに邪魔されたくないのか。何でもいいけど反応してくれるとありがたいってことだね。
「ねえ君。学校はどうしたの? 体調悪くなって早退したの?」
「……」
「しんどいならここにいても治らないよ。先生にちゃんと見てもらわないと」
「……」
「ひょっとして病院が苦手なのかな。だから怖くてここにいるとか? その気持ちはわかるけどさ、私は入院してるからその恐怖から逃げたくても逃げられないし。そもそも逃げたら命にかかわるし」
「……入院?」
「私ここに入院してるの。もうずっと、小さいな頃から。だから学校というところに行ったことがないの」
「……大変だね」
「大変だよ。私の体が悪いばっかりにお父さんにもお母さんにも迷惑かけてるし。先生や看護師さんの皆さんの力も借りてるし」
「……どこが悪いの?」
「ここだよ、ここ。この柔らかいものの奥にある大切なものが弱いの」
「……ここって……どこ?」
「それは顔をちゃんと上げて確認してよ。何があったか知らないけど、下ばっか向いてもしょうがないよ」
「……っ」
男の子はなにかを言いかけてやめた。いったい何を言おうとしてたのだろう。ちょっと言いすぎたのかな私。でもさクヨクヨしててもしょうがないじゃん、それよりも明るく笑ってたほうが楽なんじゃないのかな。クヨクヨしてたって良いことなんて何もないんだから。
私はこんな体だけどクヨクヨしたことなんてあんまりないよ。そりゃ昔はあったよ、何で私はみんなみたいに学校に行けないのかとか外で思いきり走れないのかとか。できないということをわかっていても、何故か自分だけ仲間外れにされてるような気がした。そうやってみんなで私一人をいじめるんだと思っていた。
そんな時、お母さんは頼りになる存在なのだ。私にニコッと笑顔を見せて安心を与えてくれる。お母さんの笑顔を見たら嫌なことが全部吹き飛んだ。お母さんは私を優しくハグしてくれて、私はお母さんの胸のなかで思いきり泣いた。その間ずっと背中を優しくさすってくれた。それが心地よくて眠気も誘った。
いっぱい泣きなさい、泣くことは恥ずかしいことじゃないのよ。涙が陽菜ちゃんの中にたまった嫌なことを外に出してくれるんだから。だからいっぱい泣きなさい。嫌なことを体から全部出したら、きっととてもスッキリして、何で私はあんなに泣いてたんだろうと馬鹿馬鹿しくなるから。お母さんはそう私に言ってくれた。
今思えば全然馬鹿馬鹿しくはないでしょうと思う。この柔らかいものの奥にあるものはとても大切なんだよ、それが弱いんだからちっとも馬鹿馬鹿しいことではないと声を大にして言いたい。お母さんは何で馬鹿馬鹿しいと言ったんだろう、もっと他に適切な言葉があったはずなのに。
そんなことより男の子! まただんまりを続けるつもりなのかな。私はこういう人を見るとイライラしてくる。さっきも言ったけどクヨクヨしてもしょうがない、どんなに大変なことを考えても悩んでいてもそれは同じ。前を向かないと何も始まらない、変わらない。
私が背中をそっと押せばいいのかな。それにはまず男の子が何でこんな状態になってるのかを知る必要がある。わざわざ聞き出してちゃんと解決できるのか、男の子を笑顔にできればいいね、傷口を広げるだけ広げてあとは知らぬ顔にはならないか、さあほら手を引っ張って男の子を闇から助けよう。私のなかの私が意見を言ってくる。
「何があったの? あんまり力にはなれないかもしれないけど。でもお話を聞くぐらいはできるからさ」
「……」
「誰かに聞いてもらったほうが楽になるよ。私はそうやってずいぶん楽になったから」
「……」
「言いたくないなら無理にとは言わないよ。でもねそのことをずっと考え続けるのはあまりよくないからね」
「……何で?」
「考えても考えても、答えが全然出てこないということはあるよ 。だったらもう考えないほうがいいよ。それよりも楽しいことを探したほうが心が潤うよ」
「……」
「私は重い病気だけど、下ばっかり見てないよ。下を見ても良い景色は見れないからね。やっぱり顔を上げないと、綺麗な花とか様々な形を作り出す雲とか沈み行く太陽は見れない」
「……そんなのできない」
「どうして? 誰だってできると思うけどな。私だけが特別ではないと思うよ。ていうか別に特別なことは何もしてないし、ただ毎日を精一杯生きてるんだよ」
「……そう前向きになれるのは、特別なことだよ」
「君も重い病気なの?」
「……」
「病気のことで悩んでいたの?」
「……」
「何か言ってくれないと、何もわからないよ」
「……」
「いつまでもクヨクヨしてるのはカッコ悪いけどなー」
「あーもう、うるさいな!」
その時男の子が顔をあげた。その瞬間私にはスローモーションに見えて、ゆっくりと男の子の顔が見えてきた。あれこの顔どっかで見たことがあるぞ、どこだっけ何か気になってたような。そんなことを考えてたら男の子は私の目をじっと見ていた。
男の子の目は赤くて、頬には水っぽいものがあった。ひょっとしてここで泣いてたのかな。何だか私余計なことをしたような感じがする。そっとしとくのが一番良かったかもしれない、そう思ったけどもう遅い。
私の挑戦は男の子にとっては迷惑でしかなくて、涙を女の子に見られたとなると責任をとらねばならないかもしれない。誰にも見られたくないから一人で泣いてるのに、わざわざ声をかけてきたんだから力になってくれよな。そう肩にポンと手を置かれそうだ。
まあそうなったらそうなったで、私はこの事に真剣に取り組むだけだ。とにかく今は男の子の顔を上げることができたんだから一歩前進ってことで。よーし次はどうするかな、どうしようかな!
「やっと顔見せてくれたね。はじめまして、私は陽菜って言います」
「ひな? かわった名字だね」
「いや名字じゃなくて名前。君の名前は?」
「あー名前か、名字は教えてくれないんだね。俺の名前は川端だよ」
「かわばた……変な名前だね、名字は何?」
「川端は名字だよ。何となく流れでわかるでしょ」
「で川端君は何でここで泣いてたの。男の子の涙を見るのははじめてだったなー」
「恥ずかしいからそんなこと言うなよ! 俺だって泣きたくて泣いてるわけじゃないんだから」
「じゃあ何で泣いてるの?」
「……おばあちゃんが倒れたんだよ」
「おばあちゃんが?」
「休み明けから体調が悪くて、それでも大丈夫よって言ってたから。でも今朝お茶を飲むために、キッチンに行くねって言ってから帰ってこなくて……それで見に行ったら倒れてたんだよ」
「……そっか」
「お父さんとお母さんは仕事で忙しいって言って、おばあちゃんのこと何も気にしてないから。だから俺が見てたんだけど……」
「お父さんとお母さんに連絡は?」
「したよ。でも仕事で忙しいからすぐには行けないって。学校は休んでいいから、おばあちゃんのことよろしくって」
川端君の考えていたことは結構重いものだった。おばあちゃんのこと、お父さんとお母さんのこと、その二つに挟まれている川端君。私は他所様の家庭に、勝手に土足でお邪魔した第三者だ。その第三者が他所様にどうこう言っていいのかな。
でも川端君は家族のことを一人で頑張っている。今のこの現状だと頼れる人は誰もいなそうだ。いてたら川端君はここまで悩んでいないと思う。誰もそんな人がいないから、お父さんとお母さんは頼りにならないから、だから全部一人で抱え込んでるんだ。
私は川端君の頼りになれるかな? ならなくてもなってもどっちだっていいや、勝手にこっちから土足でお邪魔したんだからね。涙も見ちゃったしなんか悪いし、秘密を共有してしまったような感覚だ。それはバレたくないし、ばらされたくもないし、ていうかばらすなんてことはしないけど。
「ねえ川端君」
「なに?」
「友達になろうよ。私同年代の友達いないからさ」
「……それ今言うタイミングかな」
「今だから言うんだよ。だって川端君がここで泣いてなかったら会ってないし、お話もしてなかったかもしれないから」
「それ忘れてくれないかな?」
「それってどれのこと。ちゃんと言ってくれないと」
「だから、俺が泣いてたことだよ!」
その声は大きくて、雨の音しか聞こえないぐらい静かな本屋さんには隅々まで響いただろう。そのことに気付いた川端君は顔を赤くして、そしてまた下を見始めた。何だか可愛い、そう私は思った。
顔を赤くして目を閉じている川端君を見た私は今になって思い出した。そうだよこの顔だよ、あんなに見たかった男の子は。何で忘れてたんだろう、もうどうでもよくなったのかな? いやそんなことはない、きっと見てなかったからちょっと忘れてただけだ。
そっか川端君だったんだ。この出会いは偶然なのかな? それとも必然なのか。どちらなのかわからないけど、私は会いたい人に会えたから嬉しい。そのことに今気づいて何だか恥ずかしい。私まで顔が赤くなったらどうしよう。
私は笑っている。難しいことなんて考えずに笑っておけば丸くおさまりそうだから。川端君のことも、お父さんとお母さん、おばあちゃんのことも気になるけど今は笑っておこう。