smile4「雨の日の本屋さん 前編」
外は雨が滝のように降っている。風はびゅんびゅんと音を鳴らせて吹いている。それは季節外れの台風が接近しているからだ。学校や会社は休みになったのかな、やった休みだぜと学生は喜んでいるかも。
そんなに喜んでいいのかな? 今日の分をいつか変わりの日にするんじゃないの。その日が日曜日だとせっかくの休日が無くなってしまうよ。だから喜ぶのはやめといたほうがいいんじゃないかな。
でもそんなやったぜという喜びは経験がないから、どんなものかは知らない。憧れじゃないけれど一回でいいから、今日は学校が休みだやったぜと言ってみたい。急に決まったお休みって何をすればいいのか迷いそうだけど。
さあ元気よく外にお出かけだ、っていうわけにはいかないよね。外は雨と風が凄いから。お休みだけど出かけることはできない、つまり家のなかで過ごさないといけない。家のなかでできることって何があるかな。
たまった録画の消化とか、進めなくて困ってるロールプレイングゲームをいい加減進みたいとか、こんなときだからこそ部屋の片付けとか、雨の音を聴きながらゆっくり読書とか。うんいいよね読書! まわりがガヤガヤと騒がしいと落ち着かないし。
そんな私はいま病院内にある本屋さんで、読書をするための本を探している最中。病院に本屋さんがあるなんて本好きの私にとっては最高だ。病院では珍しい施設の一つがこれだよ。
本屋さんにはあんまり人がいない。いるにはいるけど見える範囲には数えるほどだ。いつもはもっと多いのに今日に限って少ないのは何でだろう、と考えたらすぐに答えが出てきた。外来の患者さんがあんまりいないからだ。外はご覧の通りの天気だし、こんな日は普通お家で大人しくしてるよね。
それでも来る人は来るけど、外は危ないから出来る限り出かけるのはやめといたほうがいいのに。朝の番組でも言ってたからね。それでもみんな学校に行くし会社に行くのかな。こんな日ぐらいお休みにしたらいいのに。
学校はお休みになるだろうけど会社はならないのかな。そうまでして社員を働かせて利益をあげたいのかな。んー何だかブラックな感じがするのは気のせいかしら、それともこれはごく一般的なことであって何もおかしなことではないのか。
私はまだ子どもで、世の中のことがわからないし知らない。テレビやネットや雑誌や本で世の中のことを見ても、それで果たしてわかったことになるのか知ったことになるのか。私はここのことしかわからない。
私は頭を左右にふった。そんなこと考えてもしょうがないよ、今考えるべきことはこれから読む本を考えることだよ。この数多く置かれている本のなかから、自分が読みたいと思う本を見つけないといけない!
あー大変だ。これは大変だ。私に読んでほしい本がこのどこかにあるはず、それを見事見付けることが私にはできるのか。これはまるで宝さがしのような感じだ。宝といってもキラキラと輝く財宝ではない。
お宝っていうのはそういうのじゃないと個人的には思うの。もっと身近にあるものだと、もっとあたたかいものだと思う。私のお宝は今日という一日かな。穏やかな時間が流れているだけで幸せだから。
お父さんとお母さんも大切だけどお宝とは違う。二人のお宝は何かな、陽奈ちゃんだよって言うだろうな。嬉しいんだけど恥ずかしいよ! 想像するだけで赤面だよ、リアルに言われたらどうしようかな。でもいつもそんなことを言ってくるし平気かな。
ってそんなことより本探しだよ本探し。私は今この時この瞬間、いったい何を読んでみたいんだいと自分に問いかけないといけない。さあ問いかけようじゃないか、私は何を読みたいの?
それで何か言葉が出てきたら簡単なんだけどなー。出ないんだよなー、出てくれないんだよなー。読みたい小説はもう今のところ全部読んだし、漫画だってそうだし、この前気になってた県境の全てという本も読んだし。もう本当にこの時この瞬間、読みたいものが一つもない。
県境の全て面白かったな。この県とこの県の県境はこんなものがある、こんなところだ、こんなお店がある。とか県境に関する色んなことがこれでもかと詰まった素敵な本。これを買ったときお父さんに言われたのは、陽奈ちゃんマニアックな本を買ったね。苦笑いをされたことを覚えてるよ。
マニアックなことって面白いよね。誰がこんなことに興味あるの? こんなもの買う人いないでしょ! そんなの知ってなんのためになるんだ? と生きていくうえで不必要なこともあるだろう。でもさ生きていくうえで必要なことだけ知って楽しいのかな。どうせなら色んなことを知ったほうが楽しいじゃん。
あーそんなこと思ってたら何かまた新たなマニアックな本を読みたくなってきた。マニアックな本のコーナーとかあったら見付けやすいんだけどな。そんなコーナー作ったら、そのことにたいして真剣に向き合ってる人に失礼にあたるからできないのかな。今は何かとそういうのにめんどくさい世の中だからね。
とりあえず歩いて本を見よう。気になるものがあったら立ち止まって手にとって数ページなかを見よう。どんな本か確認しないと買えないよね。ジャケ買いというのがあるけどそんな賭け事みたいなこと私にはできないな。本はいくらでも読んでいいよとお父さんに言われてるけど。
私はしんとしていて雨音だけが聞こえる本屋さんを適当に歩く。雑誌コーナー、医学書コーナー、漫画コーナー、文庫本コーナー、イラスト集のコーナー、猫や犬や動物の本が置いているコーナー、手芸の本や園芸の本や家庭菜園の本が置いているコーナー。
静かな時間が静かに流れて、別世界に来たかのような気分になるのは私だけかな。色んな本に囲まれて、まるで本の中の世界に吸い込まれていくようなそんなことを思うのは。本好きならこの気持ちわかると思うんだけどなー。
「……はぁ」
そのとき誰かの声が静かに、けれどしっかりと聞こえた。私は思わず足を止めてまわりを見た。そこには誰もいなくて、さっき数人だけ見かけたお客さんはもう買い物を済ませて本屋さんから出て行ったのかな。声は気のせいだったのかしら。
いやいや気のせいなんかじゃない、確かにしっかりとため息が聞こえた。ため息が出るのは気苦労や失望を感じたときで、感動したときや緊張がとけたときにも出る。そのどれかに当てはまるのだろうけど、何だか重いため息だったから気苦労や失望かな。この声の主が何に悩んでいるのか気になる。
放っておけよ、困ってる人がいたら助けるのが普通だよ、お前には関係ないだろ、とりあえず声をかけてみたらいいんじゃないの、野次馬みたいなことをするのはやめとけ、まあ今は暇だしたまには人の役にたつのもいいよね、面倒事に自ら首を突っ込むんだから途中で投げ出すなよ。そんな声が私の頭の中で響き渡る。
この声は私で、色んな性格が私の中にはいる。だからって私は多重人格とかそういうのではない。私の中にいる私は、私が悩んだ時や何かをする時に現れる。そして色んなことを言ってくる。前向きなことや後ろ向きなこと、真面目なことや適当なこと。
その声に惑わされてはいけない。参考にするのはいい。だって行動を起こすも起こさないもそれは私が決めることだから。声はしょせん声でしかなくて、声以外の何者でもなくて、何もできやしないから。さて私はどうしようか。
そんなの考えなくても決まってる。ため息の主を見付けて、声をかけて、元気を出してもらうんだ。よけいなおせっかいだよ、あっちににいけよ、そう言われたら素直にその場から離れる。本人が望んでないのに深入りはよくない。
「……はぁ」
また聞こえた。ため息を出すと幸せが体から出ていってしまうと聞いたことがある。もうこの声の主は二つの幸せを失ったことになる。早く見付けてため息をやめさせないといけない。幸せが減ってしまうのはさみしいからね。それにため息が聞こえてあまりいい気分にはならないから。
もう本を探すどころではない。この声の主を勇気づけたい、少しでも人の役にたちたい。私は人に迷惑をかけているけど人の役にたったことなんてあんまりないから。陽奈ちゃんは病気だからいいんだよ、そう言われるのが何だか嫌だ。病気のせいにされるのは悔しい。
無理をしたらダメなことはわかってる。でも無理をしない程度に人の役にたてることはあるはず。それすらも病気だからダメだと言われたらグレてやる。私がグレたら大人達はビックリするだろうね。想像したら面白い。
歩け歩け、探せ探せ。しかしどこを見てもそこには本がある。人を見つけるほうが難しいんじゃないかと思うぐらい今日は人がいない。まあ人がいたら声の主を見つけにくいからこのほうがいいんだけど。でも人がいないとここはとても静かで、少し恐いところに思えてくる。
ここだけじゃなくて何処でもそうだよね。かつてはそこには人がいて、多くの人の笑い声が聞こえてきて笑顔が溢れていたのにそれは昔の話。今はスッカリ朽ち果てて、人がそこにいたとは想像できないぐらい変わり果てている。そんな場所はいくらでも存在する。
この病院だっていつかはそうなるのかな。こんなに大きな病院だから大丈夫だとは思うけど。そうなったら寂しいな、ここは私が小さな頃からお世話になってる場所だから。もう自分の家みたいなもんだから。
そんなことを考えながら角を曲がった。するとそこに人がいた。その人は椅子に座って、ただ俯いていた。どんな顔をしているのかわからないけどただひとつわかったことはある。学校の制服を着ていることだ。セーラー服じゃない、だから女の子ではない。
男の子かー。男の子とはあまりお話をする機会がない。小児科の男の子は年下だし、異性としては見れないし弟って感じだし。ああどうしよう、同年代なのかなそれなら益々苦手だな。同年代の子が何を考えて何を思っているのかなんてよくわからないから。若者が何を考えてるのかわからないねえ、というお年寄りと同じ。
男の子はまたため息を出した。三つの幸せが男の子から出ていってしまった。これはダメだよ、もう男の子が苦手だとかそんなこと言ってる場合ではないよ。人の役にたちないなら当たって砕けろだ! 砕けるのを覚悟で、おせっかいと言われるのを覚悟で、私が失うものなんて何もないんだからさ。
私は勇気を出して男の子へと歩いていく。きっと今とてもドキドキしてると思う。私が今からやろうとしてることは、私にとっては挑戦だから。だからこの柔らかいものの奥にある大切なものがドキドキしてる。あまりよくないよね、こんなにドキドキさせるのは。
でも大丈夫だよ、私はちょっと男の子に声をかけるだけだから。それは普通のことでしょ。だからさ少し落ち着いてくれないかな、私の大切なもの。そしてできればでいいんだけど、背中をそっと押してくれないかな。誰でもいいから。
あっそうだ、こんなときこそ笑えばいいんだ。ニコッと陽奈ちゃんスマイルだよ。なに笑ってんだよ、こっちは笑えないぐらい辛いって言うのに、そう言われても当たって砕けろだ。
「ねえ君。ため息ついてどうしたの?」
私は笑っている。