smile2「朝の病室」
病室に戻った私はベッドの上に座っている。太陽の光が私を照らしていて、体と心がぽかぽかするような気がする。でもこれから暑くなっていくからぽかぽかとのお別れも近い。
私は外が暑くても、外が寒くても、外で突風が吹いていていようと大雨や大雪が降っていようとここでただ座っていたり横になっている。それだけじゃつまらないからよく病院を散歩しているけどね。
この病院は綺麗で広くてとにかく凄い。病院では珍しい施設とかもあるし、何かお洒落なお店とかあるし、そういうのを見るとここが病院だということを忘れてしまうときがある。こんなに凄い病院だからお金も高いのかなぁ。
私は小さいときからずっと病院にお世話になっている。だからお金のことも気になってくるわけで。そんなこと考えなくていいんだよとお父さんは言う、ひなちゃんが笑っていたらそれでいいのよとお母さんが言う。
難しいことを考えても答えなんて出ないからそれなら考えないほうがいい。お父さんとお母さんにはとても迷惑をかけているけど、私がこのことで悩んだら心配するだろうから。迷惑をかけてるのに心配もかけるなんてできない。
だから私は笑っていることにした。辛いことがあっても笑っていれば乗り越えられるような気がする、苦しくても笑っていれば少しはマシになるような気がする、ここが痛くて痛くてしょうがなくても笑っていれば痛いことを忘れてしまうような気がする。
それでいい。笑っていればいい。なんてシンプルなんだろうか、自分でもそう思う。笑うことは誰にも迷惑かけないし、嫌な思いをさせないし、良いこと尽くしなんじゃないのか。ムスッとしてるよりは絶対いい。
そんなにニコニコしてたら、無駄に笑って気持ち悪いと言われそう。いやいやそんな四六時中笑ってるわけじゃないから! 喜怒哀楽の喜と楽が多めってだけだから。私だってショボンとしてるときはあるよ、そんなの誰だってあるでしょ。
例えば……ほら……男の子を見れなかったときとかさ。まだ引きずるよ、たぶん今日は一日引きずるんじゃないかな。明日見れると思うけど毎日見たいんだよ、それが私の一日なんだから。私だって偉そうな時もあるよ。
「陽奈ちゃんお待たせ。いつもの時間より遅れたけどごめんねー」
早苗さんがニコッとしながら病室にやってきた。この笑顔を見ると安心するし、心が開けるし、こっちまで笑顔になる。私の担当が早苗さんで良かったと思える瞬間でもある。
「いいよー病院の仕事が忙しいことは知ってるから」
「ありがとう。本当は時間厳守なんだけどね。色んな人がいるからどうしても時間がずれてしまうの」
「言うこと聞かない人いるよね。さっさと手を伸ばせばいいのに、さっさと脇に挟めばいいのに」
「そうなんだよねー。でもさっさとしてよとは言えないのよ。私のかわりに陽奈ちゃんが言ってくれると助かるわ」
「言ってもいいよ。私はこの病院の入院歴長いからきっと大先輩だと思うし。先輩の言うことは聞かないとね」
「後輩にパンとジュースを買いに行かせるのかな? 何だかそんな雰囲気が」
「早苗さんここの病院何年だっけ? 因みに私は早苗さんがくる前からいるけど」
「ちょっと待ってちょっと待って陽奈ちゃん! 気のせいかな、私にパンとジュースを買いに行けって言ってるような」
「ふふふ」
「この娘さん何か企んでる顔をしている! あー恐い恐い。さあ早く血圧と体温計って逃げよう」
私は早苗さんとお話するのが好きだ。話し相手があまりいないというのもあるけど、本当のお姉ちゃんのような気がしてきたし何でも話せる友達のような気がしてきたし。とにかく早苗さんは私にとって大切な人だ。
早苗さんがもし私の担当ではなくなって、他の人の担当になったらと考えると泣いてしまうかもしれない。大好きな早苗さんが違う人のところに行くのは嫌だ。何でそんな酷いことができるんだと病院長に文句を言ってやる。早苗さんは私の物だ、誰にも渡さないんだからね。
この気持ちを早苗さんに伝えたらどう思うのかな。ビックリするかな、照れるかな、デートしてくれるかな、結婚してくれるかな。私にとって良いことが起こるなら伝えてみたい。その逆だったらどうしようとか考えると、伝えるにはタイミングというものが重要だからそのときまで待つことにしよう。
私は腕を見た。腕は血圧計によって圧迫されている。毎日のことだからもうスッカリ慣れたけど、はじめのころはこの圧迫が気持ち悪かった。誰かにぎゅっと掴まれてるような、力を入れて私を離さないように掴んでるような、そんな気がして慣れなかった。
力を入れて掴んでも私はどこにも行かないよ。私はここにいるし、何処にも行けないから。私を離したくないぐらいあなたの思いは強いのねと思ったりした。そうやって自分の世界を作ってからは病院ってとこが恐いところじゃなくなった。
小さいときの私は病院が恐いところだと思っていた。注射に手術に薬、小さい私にはそれらが何かの実験に使われる道具だったり部屋に見えて恐ろしくて、力の限り泣いて叫んで手足を動かして暴れた。この声はひなちゃんだ、と先生や看護師は泣き声ですぐにわかったという。
その頃のことを知っている人に会うと、あんなに泣いてたのに今はすっかりお姉さんになったねと言われる。私の顔は赤くなって、その話はもうやめてよと恥ずかしくなる。小さいときのことなんだから仕方ないじゃん。
泣いていたことを言う人ばかりではないよ。ひなちゃん僕のこと覚えてるかなあとニコッと笑う先生もいる。もちろん看護師さんもいるよ。小さいときの記憶はとても鮮明に覚えているもので、まるで昨日の出来事のような感じがして不思議だ。
先生はあの時お世話になって、看護師さんは私が廊下でしんどくなった時に助けてくれた人ですね。そう言うと二人とも泣き始めて、あの小さかった陽奈ちゃんがこんなに大きくなってと感動される。私はこの時だいたい苦笑いで切り抜けている。
先生の気持ちも看護師さんの気持ちもわかるけど、素直に笑顔になれないのは今も私は病人のままだからだ。せっかく私のために頑張ってくれたのに治ってなくて申し訳ない、こうやってまた会えたことには嬉しいけど複雑なものがある。だから喜んでいいのかわからない、だから苦笑いをしてしまう。
そのことについてお母さんに話したことがある。そしたらお母さんは、何も悩まなくてもいいのよ陽奈ちゃんのとびきりの笑顔を見せればいいのよ、と素直になれない自分がバカみたいと笑えてくるぐらいの素晴らしい答えを出してくれた。
私は笑っている。お母さんのおかげで苦いものは綺麗さっぱり取り除くことができた。ありがとうお母さん、いつも助けてくれてありがとう、私が笑っていられるのはお母さんがいてくれるからだよ。
ついでにお父さんにも感謝しとくか。こんなこと口に出したら怒られるかな。いや優しいお父さんだからこれぐらいのことでは怒らないかな。ていうかお父さんが怒ってるところなんて見たことないぞ。怒ってるお父さんなんて想像できない。
「────はい、終わったよ。今日もとくに異常はないね。血圧も体温もいつも通り」
「やったね」
「うん、その笑顔が見れてお姉さんは嬉しいよ」
「えへへ」
「どうしたの何かご機嫌だけど。何か良いことあったのかな」
「ちょっと昔のこと思い出してね」
「昔のことって、泣き叫んでたころの?」
「もーそれ言わないでよ」
「恥ずかしいことじゃないでしょ。ちびっこなんて皆そんなもんよ」
「早苗さんもそうだったの? 泣き叫んでたの?」
「私って言うよりみんなそうだよ。泣いて叫んで生まれてきてさ、その子の人生という長い道を歩く毎日が始まる」
「なるほどー」
「親は色々思ってるんじゃないかな。この子はどんな道を歩くのかなって。険しい道なのか、平坦な道なのか、くねくね曲がる道なのか、曲がり角が沢山あって迷いそうな道なのか」
「うんうん」
「でもまあ何があっても笑っていたらそれだけで幸せだよ。親にとっては子どもは宝物だからね。途中で投げ出す最低な親もなかにはいるけどさ」
「みんな泣いてるのか、叫んでるのか」
「そうだよーだから気にしなくていいよ」
「うん、でもあんまり昔のことは言わないでね」
「ふふふ、この娘さんの弱点がわかっていてそれを使わないのは勿体ない。これからもどんどん弱点を攻撃していくぞ!」
「この看護師さん何か企んでる顔をしている! あー恐い恐い。さあ仕事はまだまだあるんだから行ってらっしゃい」
「ほんとだよ、陽奈ちゃんはいつも私から時間を奪っていく。じゃあまたあとでね!」
「はーい」
早苗さんは慌てて病室を出ていった。すると病室はしんとして静かになって、私はテーブルに置いている読みかけの小説を手に取った。近々映画化される小説で、内容は四人の不良がたまには世間様の役に立ちたいと突然いい人になっていくというもの。
そんなにすぐに人は変われない、そう元不良の先輩は言うけれどそんなことないと何かが燃えて四人の不良はいい人を目指す。まずカラフルな髪の毛をどうにかして、次にだらしない服装をどうにかして、さらには未成年だからということでタバコとお酒はやめてと少しずつ不良をやめることから始める。
この小説はシリーズで他にも何冊かある。まだ一作目の半分も読んでないけれどシリーズ全部読んでみたいなと思う私がいた。この四人の不良がどうなるのか見たい、どうやって世間様の役に立つのかも見たい、とにかくこの四人を応援したい。私はすっかりこの四人の虜なのだ。
よーしお昼までに頑張って読むぞ! 今ちょうどいいところだからね。隣町の不良がいい人になろうとしている四人の不良とばったり町で会っちゃってさ。もう一触即発って感じでヤバいの。
あーなんかお腹すいてきた。さっき朝ごはん食べたのに。成長期の私にはここの朝ごはんでは足りないのかな。ぐーって音が静かな病室にはよく聞こえる。