smile19「大好きな来訪者 前編」
検査というのは何回受けても好きになれない。恐怖心というものはさすざに薄れて慣れが強まったから、そこは何回も受けて良かったと唯一思えるところかな。まあ検査をして早期発見できたら命が助かる可能性が高くなるし、発見がもう少し早ければ助かったのにってことにもならないし、つまり何が言いたいかというと検査は定期的に受けたほうが良いってこと。
しかし私は目を閉じている。別に怖いってわけじゃないんだよ! 思わず笑っちゃうから、目を閉じておくようにと先生に言われるの。何で笑っちゃうんだろう、面白いことなんて何一つないのに。慣れすぎたらこうなるのかな。慣れって怖いね、普通検査中に笑ったりしないのに。
定期的に受ければいいとは言ったけど、お金もかかるし時間もないしめんどいしでなかなかしないよね。それはわかるんだけど、自分のことだからちょっとは考えないとね。例えば女性の場合だと、乳がんや子宮頸がん、といったがん検診などがあるよね。男性の場合は……あれ何だっけ、ちょっと忘れちゃった。
とにかく男女関係なく受けるのが一番。女性特有のもの、男性特有のもの、年齢によってもあるよね。子どもがかかりやすいもの、若い人がかかりやすいもの、働き盛りの大人がかかりやすいもの、お年寄りがかかりやすいもの。いったい病気ってどれぐらいあのよ! その数はわからないし、知りたくないからいいんだけど、そのことを考えすぎるのもよくないかも。
気になって気になってしょうがないって人はいるから、そんな人はありとあらゆる検査を受ける。検査が趣味になってるのかな。それは悪いことじゃないけど、ずっとそんなことを考えていたらそれはそれで何かの病気にかかっていそう。病気は体のことだけじゃないからね。精神的なものもあるし。それも足したら病気の数がもっと増えるな。
ああもう面倒くさい! こんなこと考えていたら目を開けたくなってきた。ちょっとぐらいならいいと思うんだけどダメかな。目を閉じ続けていたら眠くなってくるし。こんな時間に眠ってしまったら、夜中に起きちゃうじゃんか。夜中に起きても面白いことはないよね、皆眠ってるし。この前のこともあるからなるべく夜中は起きたくない。
「はい終わったよー。目を開けてくださいね」
看護師さんの声が聞こえて、私はすぐに目を開ける。しかし天井の電気が眩しくて目を細める。視界が狭い。普段私はこんなに明るい場所にいるんだなぁ。光が届かない深海はどんな世界なんだろう。そこにいる命たちはどうやって生きているのかな。また新たな興味が出てしまったわ。
そうしているうちにだんだん目が眩しい光に慣れてくる。狭い視界もだんだん広がるよ。カルテに何かを書いている先生が見える、看護師さんの笑顔も見える、真っ白な壁も見える。何だって見えそうな感じがしてきた。もし何だって見ることができたら、私は何を見たいんだろう。ちょっと考えよう今すぐに思い付かない。
「あの……先生。どこか異常はありましたか?」
異常ならある。この柔らかいものの奥にある大切なものが弱いこと。でも私が知りたいのは、それとはまた別の異常。ここの他にも異常があったら嫌だからね。最悪だし最低だよそんなの。だからいつも先生の言葉が怖い。口が開いて何かを話すとき、スローモーションのようになる。
さっさと言ってくれればいいのに、そんな無駄な演出とかいらないから、早いか遅いかの違いだけで答えは同じなんだからさ。例え最悪な結果だったとしても、さっさと言ってくれたほうが心にぐさりとあまり来ない気がするから。溜めて言われると胃もたれのように残りそう。
私の病気はここだけでいい、これ以外はいらない、できれば悪化することなく治ってほしい。そう願い続けても未だに治ってないわけなんだけどね。もうこれは治らないんじゃないのー? と思ったり気づいたり受け入れたり。まあ私は今日を生きて、明日を生きて、明後日を生きて、その先も生きるけどね。いつまでここが頑張ってくれるかな。
「ないない。そんなに心配しなくていいよ」
先生は笑顔でそう言った。心配していることもわかっている。いつも優しい先生に私は感謝しなければいけない、この柔らかいものの奥にあるものとはまた別の異常が無いことに私は喜ばないといけない、今日を生きていることに私は誇りに思わなければいけない。ホッとして体の力が抜ける。
先生はああ言ったんだけど、めちゃくちゃ心配するんだよう。だって私のことだから。先生の言うことが信用できないとかそういうのじゃない。マジで信用できない場合は、セカンドオピニオンという選択肢もある。だからそういうことではないのよー! 気持ちの問題だよ。
「ひなちゃん、終わったからもう自由の身よ」
「うん、でも力が入らなくって」
「緊張してたの? 珍しいね」
「そうじゃなくって、ホッとして良かったって」
「あーそっちね。まあでも次もあるから、早く起きましょうね」
看護師さんの手が私の手を掴んで、それに引っ張られて無理矢理起こされた。何か乱暴じゃないかなー、もうちょっと丁寧に扱ってほしいですよ。先生はまたねと笑顔で、看護師さんはドアを開けて、早く部屋から出てくださいという感じ。また次もよろしくお願いします、と頭を下げて部屋を出た。
部屋を出ると、廊下にある窓から夏の陽射しが入ってきていて、そこだけやけに明るくなっている。とても暑そうだ、そこは避けて通らないと日焼けしそう。病院の中にいるのに日焼けしたらおかしい、だから私は窓側を歩かずに先へ進むことにした。
廊下を歩いていると、いつもより人が多い。皆さん暑いなかお疲れ様ですと言いたい。病院はいつも人がそれなりにいるけど、何で今日はこんなに多いんだろう。ひょっとしてまた何かの撮影でもあるのかな。思わず頭を左右に動かして芸能人を捜す。
しかし撮影をするような感じはない。何だよ違うのかよと少し寂しい。それなら何で人が多いのよと考えたら、そっか夏休みだからかなと思った。例えばこの病院に入院している人に、遠路はるばる会いに来たとか。いつもはなかなか会えない相手にも、夏休みなら会うことができて、いっぱいお話しして夏の思い出にもなる。良いなぁそういうの。
夏の思い出なんて私には……ああムナシイ! こんなしょんぼり落ち込むようなことを考えてることが暑苦しい! もっと涼しい話をしたい、もっと冷たくて甘い話のほうが好き。ひんやりしてたら眠気が出て来て、夜中眠れないかもしれないけど、まあいいやって悪くなってみたい。
悪くなることがマイブームになってきてるから、そろそろこれも趣味の一つに加えなくては。私の趣味はどれもこれもオタクっぽいね。そこが長所であり短所でもある。ここが治ったら、ちょっとはマシな趣味を見付けないと。もっとこう明るいやつ、オシャレなやつ、元気なやつ、爽やかなやつ。出遅れたけど間に合うよね。
明るいやつとオシャレなやつは頑張れば何とかなりそう。でも残りの二つは私には難易度高くないか? 元気なやつはきっと、いや絶対に体を動かす感じだよね。腹筋とか腕立てとか、しんどくならない程度には運動はしてるけど、同年代の子と比べたらかなりの差がありそう。爽やかなのもきっと、いや確実に体を動かす感じだよね。何で同じようなものが二つもあるのよ!
実行する前にできない、諦める、やらない、これは何だか負けたみたいでムカつくから嫌。だから是非ともチャレンジしてみたい。結果なんてしらないよ、初めから上手く出来る人なんていないんだし。頑張ったらできるよね、何でもできるんだよ人間は、私だってその力はあるよね。ああ早く退院したい、今すぐしたい。
心の中で熱くなってたら、喉が渇いてきた。水分補給大切だよね。熱中症がどうのこうのーって夏になるとうるさいし。水分の取りすぎもよくないからその調整が難しいよね。じゃあどれぐらい飲めば健康的なのよって。それは人それぞれなのか、基準があるのか、どっちなのか誰か教えてください。
自販機の横辺りに、体操服を着た同年代の子達がいた。何部なんだろうと思いながら、どれを飲もうかなと悩む。お茶にしようか、炭酸にしようか、紅茶にしようか、スポーツドリンクにしようか。これが飲みたい気分だわと決まっていたら早いのに。品揃えが豊富なのも逆に困るね。品揃えがあんまりだったら、わりとあっさり決められそう。
「邪魔だからどいてほしいんだけど」
横から声をかけられた。体操服を着た同年代の子だ。日に焼けていてスポーツマンって感じ。
「あ、スミマセン。どうぞ」
私は急いでどいた。お金も入れずに、自販機の前で突っ立っていたらそりゃ邪魔だよね。
「ちょっとその言い方はないんじゃない? イライラを人にぶつけないの」
「うるせーなー! お前には関係ないだろ」
「うるさいとは何よ! マネージャーを敵に回すと後が怖いよ」
「脅しかよ。俺は悪くないからな、勝つためにやったんだよ」
そう言った男の子は、乱暴に小銭を入れて、乱暴にボタンを押して、イライラしながら飲み物を手に持ってどこかに歩いていった。何があったか知らないけど、女の子に当たるのはカッコ悪いよ。
「ごめんね、怖かったでしょ? あいつイライラしてるからさ」
「何があったの?」
「試合で無茶してチームメイトを怪我させたの。でもそれは勝つためにしたことだから、怪我した子も別に何も怒ったりはしてないよ」
「そういうことかー」
「あいつ試合のことになると熱くなるかさ。スポーツ馬鹿っていうか、もうちょっと大人になってよって」
「なんかそういうのいいな。羨ましい」
「えっ、そうかな? 別に普通だよ」
「そう言えるのが羨ましい。私は病気だから、その普通が遠いところにあるの」
「ご、ごめん……病気だってこと知らなくて」
「いいよ、もう小さな時からずっとだから慣れたから」
「そんなに悪いの? どこが悪いの?」
「ここ」
「大丈夫? 痛かったり、いつもと違ったり、異常はない?」
「うん。ありがとう」
マネージャーの女の子は良かったとホッとしたような感じだ。私のここはそんなに脆くないよ。病気だから脆いんじゃないかって思えてくるけど違うんだよ。矛盾してる気がするけど、この矛盾はあってもいいと思う。さてと、何を飲むか再び悩もう。
「ねえねえ、私と友達になってくれませんか?」
「えっ」
「あいつに謝らせたいし、心臓のことも気になるから。純粋に友達になりたいのが一番なんだけどね」
お茶にしようか、炭酸にしようか、紅茶にしようか、スポーツドリンクにしようか、友達になろうか。どれを飲むか悩んでいたのに、新たな選択肢が増えた。私の喉はカラッカラだけど、友達はほしいからよろしくお願いしますと頭を下げたい。別にさっきの男の子に謝ってもらうのはいいよ。気にしてないよ。
「うん、じゃあ友達に────」
「あっ、ひなちゃんいたいた。捜してたのよ」
その時タイミング悪く、二人の会話に早苗さんが割り込んできた。
「何ですか? 今ちょっとお話ししてるんですけど」
「それは後にしなさいよ。ひなちゃんが大好きな人が来てるわよ」
「えっ……」
私は笑っている。この笑顔には何の理由もいらない。ただ嬉しいから、それ以上何もないから。気のせいだと思うけど、柔らかいものの奥にある大切なものが太鼓をドンドン叩いている。ここも嬉しいのかな。
「えっと、んーと、私はどうすればいいの!」
大好きな人に会いたい気持ちと、マネージャーの女の子と友達になりたいので、私の頭は熱くなっている。少し落ち着いて冷やしたほうがいいけどそんな器用なこと今はできない。
「あなたのことはこの看護師さんに聞いておくから、早く大好きな人に会いに行って!」
「えっ、でも」
「私に任せなさい。ひなちゃんのことをこの子に叩き込んでおくから」
「それはやめて」
「ほら、早く! 大好きな人が待ってるよ!」
「その人はひなちゃんの部屋で待ってるからね。あと廊下は走らないこと」
そう言って二人は私の背中を軽く押した。