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ひなちゃんは笑っている  作者: ネガティブ
18/50

smile18「涼しい部屋」

「何で君がここにいるんだ? ここは俺の秘密基地だぞ」


 あの先生はドアを開けて、私と目が合った瞬間に面倒臭そうな顔になって、怒ったような声でそう言った。手には本屋さんの袋とコンビニの袋がある。医学本でも買ったのかなと思ったけど、そういうのはもう既に沢山あるしいらない。じゃあ何だろう。


 私がそう思ってると、チッと舌打ちをわかりやすく鳴らしてドアを閉めた。鍵をかけるのもお忘れなく。そして両手の袋を机の上に置いて、袋の中に手を入れて何かを取り出した。


 それは本だった。雑誌だった。でもそれはやっぱり医学本じゃなくって、コミック誌でもなくてファッション誌でもなくって、私が見たら教育上よくない内容のものだ。だから目をそらして、なるべく視界に入らないようにする。


 そうしていたら、大人は皆こうなんだよと笑い声と共に聞こえた。別に何も聞いてないんですけどー! と言いたいけど黙っておく。いちいちかまっていたら何倍にもなって返ってきそうだから。この先生は大人なんだけど、子どもっぽいところがあるから。友妃奈ちゃんのほうがよっぽど大人に思える。


 現実に目を向けなくてどうする? この世界はな、君が思ってるよりもずいぶん汚いんだよ。そうやって何の変鉄もない壁や天井を見ていても、そこにある現実は何も変わらないんだよ。まあ子どもの君にこんなこと言っても理解できないけどな。それに君は女の子だし……。チッという舌打ちのあとに、ガサガサと袋の音が鳴り響く。


 美しい世界だってあるんじゃないですか? 私はそう思いたい。そうであってほしい。汚いよりは美しいほうが良い、暗いよりは明るいほうが良い、不味いよりは美味しいほうが良い、苦しいよりは苦しくないほうが良い。例えそれが偽善だったとしてもそのほうが良い。


 まあそんな世界もあることはあるよ。可愛い女の子が俺の言うことを嫌な顔をせずに聞いてくれるとか。俺が思ってる美しい世界は、君が思ってるものとは全然違うけどな。先生は楽しそうにそう言った。楽しいなら、私はまだここにいて大丈夫なのかな。


 そんなにここに居たいのかと言われればそんなことはない。じゃあ何でひなちゃんはここにいるのよと言われたら、この先生と少しでも仲良くなりたいからとしか言えない。わざわざそんなことしなくてもいいのにと言われたら、そうだよねと笑っておくことにしよう。


 物好きだね。うん、そうだと思う、そうじゃないとここにいないと思う。きっとあの先生のことが気になるから私はここにいる。それは別に好きだとかそういうのじゃない。皆に嫌われているから、私一人だけでも手を差し伸べようとかそういうのではない。ではどういうのが正解なのよ。


 そんなこと知らないよ! 皆にはないのかな、こういうこと。何故か気になって気になってしょうがないってもの。私はそこまでじゃないんだけど、その手前の手前の手前ぐらいだけど。それって手前ではないね。まあ心のどこかで気になってるよって感じかな。あれ、それってそんなに気になってないような。


 それにしても今年の夏も暑いな。異常気象ヤバイねー、これは一人一人が温暖化のことを真剣に考えないと地球が溶けてしまう。そう言いながらあの先生は、ピピピとエアコンのリモコンを押した。私は持ってきたパーカーを羽織る。


 寒いならこの部屋から出ていけばいいよ。我慢しても体に毒でしかないからね。俺は全然寒くないし、むしろこれぐらいがちょうど良い。あの先生はご機嫌にそう言った。そして横から、何かを置いた音がした。


 顔を動かしてそれを確認すると、そこにはおやつとジュースがあった。私の近くに置いてるってことは食べろってことだ。でも先生は食べろとは言わない。おやつを食べるのも、ジュースを飲むのも、私の自由だから。まあ私が手を付けなかったら先生が食べたり飲んだりする。


 先生的にはそっちのほうがいいのかもしれない。自分が買ってきた物のなかから私にくれてるから。私はおやつ食べたいとか、ジュース飲みたいとか、そんなことは言ったことはない。これは先生なりの優しさなのか何なのかわからない。だから手を付けていいのかわからない。


 先生は怒りっぽいし、よく不機嫌になるし、難しい人なんだけどおやつとジュースを用意してくれる優しさはある。何かを試されてる感じもするけど考えすぎかな。食べなくても、何で俺が用意したおやつを食べなかったんだよと怒ったりはしない。食べたらどんなことを言われるのかはちょっと興味ある。じゃあ食べようかしら。ここにはもう何回も来てるし、そろそろ食べないと失礼かな。


 初めてこの部屋に足を踏み入れたのは、先生におやつとジュースを買ってこいと頼まれたとき。俺は忙しいんだ、だから俺の代わりに暇そうにしてる君が買いにいってくれ、と断る暇も考える時間もないぐらい素早くお金を渡された。そのまま帰ったらドロボウみたいだと、しょうがなく買いに行った。そしてここに今いる。


 ここは先生の独壇場。先生が絶対で、先生が神であり仏で、何でも許されて何を壊しても生み出してもいい。それは私がここに来たときに教えてくれたこと。この先生相当ヤバいんじゃやいかと思ったけど、これぐらいで引いていたら向き合えないと心の中で踏ん張る。ここでようやく皆がこの先生を嫌ってる理由がなんとなくわかってきた。


 自己中心的だから? 頭のネジが幾つもないようなぐらいおかしいから? 親が偉いから自分も偉いと勘違いして偉そうにしているから? わけのわからないことばかり吐き出すから? 皆はそう思ってるんでしょう、散歩をしてると結構先生のことを話してる人がいて、その人達は面白がって色々言っている。残念ながらそれらは全て正しいから何も言えないんだけどね。


 噂が噂通りってヤバいよね。噂ってだいたいは本当よりは悪いように言われて、本当のことを聞いたときに全然噂と違うじゃんってびっくりするよね。先生の場合はそんなびっくりするようなことはなくて、全然違わないことに逆にびっくりしそうだけど、とにかく噂通りの人でヤバい。


 ところで君がここら辺を片付けてくれたおかげで、この部屋がずいぶん広く感じる。掃除というのは大事だね。だから君を見習って、俺もゴミはちゃんとゴミ箱に入れてるぞ。誉めてほしいのか、先生は笑顔でそう言った。いつも無愛想で不機嫌な先生が、少年のような顔になる時がたまにあって、この顔の時は誉めてあげるのが一番。


 先生偉いね、とわかりやすい誉め言葉を言っても嬉しがる。単純なのか馬鹿なのか、小児病棟にいる子どもたちのほうが複雑で、どっちが子どもなのかわからなくなる。私だってまだ子どもだし。一つ言えるのは先生みたいな大人にはなりたくないってことかな。


 誉めても何も出ないからな! そうやって俺のご機嫌をとって、父さんに近づこうとしても出世なんてできないぞ。まあ君は子どもで、医師免許も何もないから関係ないが。実際にそんな連中は昔いたな。先生はブスッとした顔でそう言った。先生はご覧の通りの有り様だけど大病院の長の息子、それはプレッシャー物凄かったと思う。そのプレッシャーのせいで変になったのかしら。


 院長先生は目付きが鋭い人だ。だからいつも睨んでいるような、怒っているような、そんな勘違いをよくされるらしい。回診のときに話したことがあるけど、その時も鋭い目付きで怖かった。他の先生が、院長の目付きで患者様の体調が悪くなったらどうするんですかと冗談を言っていた。院長先生はそのあと、僕は怒ってませんよと笑ってたけど怖かった。


 あの先生と院長先生、親子なのに全然違う。そりゃそうか、血は繋がってるけど同じ人間ではないからね。子どもは親のコピーではないし。私だってお父さんとお母さんとは違う。同じだったら、この柔らかいものの奥にある大切なものが弱くなんてない。お父さんとお母さんと同じはず。ここだけはコピーでもよかったかも。


 親が偉大すぎると、子は圧倒されてただ足掻くことしかできなくて、やがて親と同じステージに上がることは不可能だとわかって夢破れるのかな。いやでもあの先生は、先生という職業をやめてないし、まだ破れてはいないのかしら。まあこの姿を院長先生が見たらどう思うかは知らないけど。そう思うと親って凄い、尊敬しないといけないよね。


 それにしても何故こんなにもお腹が空くのだろう。俺は他の奴らと違ってたいしたことをしていないのに。不思議だ、不思議でしょうがない。この秘密基地で、ただ音楽を聴いたりゲームをしたり漫画を読んだり寝ていたりしているだけなのに。先生は何かに気づいたかのように、大げさにそう言った。一応気付いてたんだね、院長先生に家で言われてるのかな。


 だからといってここから出ても俺の地位は低い。しかしここでなら俺がトップだ。それならここから出る意味なんて何もない。何故辛い現実が待っているのに、わざわざドアを開かないといけない? 苦しい思いをするより、現状維持のほうが楽だ。先生は開き直ったかのようにそう言った。おいおーい! 何でそうなるんですかー!


 おい君! 何故笑っているんだ、馬鹿にしているのか。俺のこの状況がそんなにおかしいか、とことん追い込まれろと思ってるのか、息子がこれでは院長先生がかわいそうだと言うのか。先生は突然不機嫌になり、私に指を指して顔を真っ赤にして怒鳴った。怒ってるのは私に理由があるみたい。だって笑っちゃうしゃん、もう限界だったのよ。


 私は笑っている。あの先生が小児病棟の子どもたちよりも子どもで、面倒を見るのが大変だから。年上の人に、大人にそんなこと言うのは失礼でしかないけど、ホントにそうなんだなら仕方ない。大変だからこそやりがいがあるのかもしれない。頑張れ私、負けるな私。


 気分が悪くなった。そろそろ君はこの秘密基地から出ていってもらおう。外は暑いぞ。歩いてるだけでだらだらと汗が流れてくるし、喉もカラカラになって腹が膨れるぐらい飲んでしまうし、耳障りな蝉の声が日が落ちるまで鳴り響いているから。良いことなんて何もない、夏なんて無ければいい、そうは思わないか? 先生は顔を真っ赤にしながら、頭の上にクエスチョンマークを出した。


 確かに夏は暑いけど、良いことだってありますよ。学生は楽しい夏休みがあるから、海やプールで遊んだり、家族で旅行したり、スイカを食べたり花火を見たり。思い出になることいっぱいあるんじゃないですか? 私も頭の上にクエスチョンマークを出した。質問には質問で返す。


 ふん、蝉みたいにうるさい回答だな。ほらさっさと出ていけ、そのおやつとジュースは忘れるなよ。そう言うと先生は背中を向けた。なんやかんやで優しいところはある。子どもみたいな大人だからヤバいけど。大切に育てられたらこうなるのかな、それなら私もお父さんとお母さんの愛情が凄いから大人になったらこうなるの? こうならないようにしなくちゃ。私はドアを開けた。


「涼しい部屋からさようなら。また来たかったら来ればいい」

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