smile14「川端くんちの事情 前編」
夏休みまであと何日ぐらいなんだろう? と同年代の子と同じ気持ちになってみる。しかし学校に殆ど行ったことがない私に、その気持ちがわかるはずもない。だから演じるのだ。
私は女優でもなんでもないけれど、普通の中学生を演じたくなった。今の時期はきっと夏休みまだかなとカレンダーを見てワクワクしてるはず、しかしその前にテストがあるからハァとため息も出ているはず、でもでもその先には自由の身になれる一ヶ月とちょっとが待っているじゃないか!
夏休みが楽しみすぎて、テストがほんとにウザくて消えて無くなればいいのにと思えてきた。おお、普通の中学生を演じてみたらこんなことも思えてくるのか。これは発見だ、新たな発見だよ。
そうなったらミンミンと蝉の鳴く声もウザくなってきて、テストと同じように消えて無くなればいいのにと思えてくるだろう。クーラーがきいていて涼しい部屋にいるにもかかわらず、額には汗が浮かんできてテスト勉強のやる気を低下させる。ああもう! ここまでやろうと思ったのに、そんな気分じゃなくなったわ!
ちょっと休憩しよう。スポーツドリンクにしようかな、冷たいお茶にしようかな、それともガリガリ君にしようかスーパーカップにしようか、ここはやる気を出すために贅沢にハーゲンダッツにしようか。そんなことを考えるだけでテスト勉強なんてどうでもよくなってくる。もう気持ちは別のところにある。
「こんにちは、ひなちゃん。今日も暑くてヤバいね」
その時早苗さんが部屋に入ってきた。お昼が終わって少し経った時間帯だ。看護師による病室の巡回が行われる。せっかく普通の中学生になったつもりで、夏休み前のテストがうっとうしくてしょうがないことを楽しんでいたのに! これから盛り上がるって時にさー、タイミング悪いよう早苗さん。
まあこんな時間帯に遊んでいる私が悪いんだけどね。何年この生活してると思ってるのよ、ついこの間この生活を始めたわけじゃないのよ、こんな初歩的なミスをするなんて信じられないわ。夏ボケにでもなったのかな。
「毎年思うんだけど何でこんなに暑いんだろね? 建物内は冷房きいてるはずなんだけど、汗が出てくるのは何故?」
渡された体温計を脇にはさんで、少し待ったらピピピと音が鳴った。はいと脇から離して、早苗さんに確認してもらう。異常なーしと言って、ノートにシャーペンを走らせる。そこには朝昼晩の私の体温が書いてある。毎日ありがとうございます、と言わなくちゃ。
「暑いと口に出すから暑くなる。誰かがそう言ったけど、暑いと言わなくても別に涼しくはならないしなー。涼しくなるのなら言わないけどさ」
次は血圧をチェック。血圧計に腕を通して、ぎゅっとされて終わるのを待つ。このぎゅっとされるのはどうにかならないのかなとたまに思う。こんなに医学は進歩してるんだから、もっと簡単に血圧ぐらいわかる方法はないのかなって。
世の中どんどん進化して便利になってくけど、そこはまだ進化しなくてアナログなのってものがある。何でそこだけ、どうせならそこも進化して便利にすればいいのに。そうすれば人間はもうスイッチを押すだけで何でも出来てしまうのに。
そうなったら人間がダメになってしまうからアナログの部分は残しておくのかな? 全部が全部進化して、便利になったら、人間が何もかもをやめてしまうとかそんなことを。朝起きることを、食べ物を食べることを、手足を動かすことを、人と話すことを、生きるということを。そうはならないと思うんだけど……とくに最後のは。
「はい、お疲れ様。血圧も異常なーし。さてと、いつまでもお部屋にこもってないで、遊びに行ってきなさい!」
「いやいや、外には行けないから。外出許可はまだでしょ?」
「そういう意味じゃなくってー。私は外とは一言も言ってないよ、遊びに行ってきなさいと言ったのよ」
「何か私には、遊びに行けと命令されてるように聞こえるよ」
「命令ではないかなー、でもとりあえず遊びに行きなよ。マックのあたりにひなちゃんが気になる男の子がいたよ」
「……なるほど、そういうことか。って別に気になってないしー!」
それって川端君のことだよね。全然気になってなんかないし、だいたい恋愛のことはよくわからないし、なんで意地悪するかな早苗さんは! 川端君のことは好きでも嫌いでもない、ただの友達なんだよう。多分そんな感じかな私の気持ちは。
王子様と思ってた時はあったよ。だってキラキラしていたから。それは外にいて、自由に飛んでるからよく見えただけなのかな。まだわからない、考えても考えても答えは出ない。私の心が落ち着いたといえばなんとなく納得できるかも。
あの時は心が落ち着いてなかった。だから王子様みたいに見えていたんだ。冷静になったら川端君も私と同じようにまだ子どもで、同年代と同じような中学生で、どこにでもいそうな男の子だ。私だってそれと同じだ。違うのは性別と、この柔らかいものの奥にある大切なものが弱いことだけ。
一人一人同じようで少しずつ違う。あの子は背が高い、あの子は勉強ができる、あの子は運動神経が良い、あの子は歌が上手だ、あの子は難しいことをよく知っている、あの子は人を笑わす才能がある。私には何がある? 川端君には何がある? 私はやっぱりここなのかな、ここしかないのかな。
「ひなちゃん? どうしたのぼーっとして」
「何でもないよ、遊びに行ってきます!」
「ごゆっくりー」
部屋を出てマックに向かう。病院の外にあるのではなくて中にある。私はあんまり食べちゃいけないけど、たまにこっそり食べたくなる時がある。まあそんなことしたことないけど。管理されてるからね、私は入院患者だから。
俺が食べたいものを食べて何が悪い! と頑固なおじさんがたまにいるけど、ちゃんとしっかり体を治してから食べたいものを食べようよって思う。管理されるのは不自由なんだけどそれは仕方ないことだよ。何かしらの理由があって入院してるわけなんだからさ。言うことはちゃんと聞かないと。
そんなことより川端君はマックで何してんだろ。何ってポテトかバーガー食べてると思うけど。ここで食べなくても、他にもお店はあると思うんだけどなー。ここじゃないといけない意味って何だろう。考えろ私、マックに着くまでの暇潰しだ。
角を曲がって、そこに顔馴染みのおじいさんがいたからこんにちはと挨拶する。そしたら、はいこんにちはと笑顔で返された。いつもなら立ち止まって少しお話しするけど今日は止まらない。だから、今日はワシとお話ししてくれないのかー? と大きな声を出された。ごめんねーと歩きながら返す。
廊下はお静かに、廊下は走らないでください、そう書かれた張り紙を横切る。そうは書いていても緊急事態なら許される。いちいち張り紙の注意なんて気にしてられない。一分一秒でも命取りになるから。
よく歩く廊下、見慣れた地味な天井と壁紙、何かの薬品の匂い。すれ違うのは車椅子に乗った人や、点滴スタンドを持ってる人。その家族なのか、友達なのか知り合いなのか、私服やスーツを着ている人もいる。
悲しそうな顔をしている人、ホットしている顔の人、手を握って祈っている人、手で顔を隠しながら泣いている人。表情だって色々ある。ここはそういう場所、命が光続けるか消えてしまうかの狭間。
そんなことを考えていたら目的地に着いた。早足でここまで来たわけではない、いつもと変わらない早さで歩いてきた。なのにあっという間に着いたような気がする。気のせいかしら、それとも……。
マックはそれなりに賑わっている。先生がいたり、看護士さんもいたり、外来患者さんもいたり。その中に川端君もいた、白髪で眼鏡をかけた人はこの前言ってたおばあちゃんだろう。おばあちゃんはポテトを食べている。
ポテトを食べているなら元気になったのかな。そう思いながら川端君を見たら、川端君の表情は悲しそうだった。今すぐ泣き出しそうとかそんなんじゃなくて、二人で楽しくポテトを食べている様子ではなくて、それがなんていうか違和感っていうか。
こんな状況の中に入れるかよ! どうするのよこれ、ここまで来て引き返すのはなんか違うし。だからといって私にもポテトちょうだいとか言えないし。早苗さんはよく、こんな状況でよく遊びに行ってきなさいと言ったな。
「まあでも、どうにかなるかな」
思わず声を出しちゃった。こんな時ってあるよね。だから気にしない。私には笑顔がある、これは立派な私の長所なのだ。良いところは使わないと損だよね。では、二人のもとへ!
私は店内へと入った。いらっしゃいませという声が聞こえたけど、それを無視して川端君とおばあちゃんへと向かう。川端君はすぐに私に気づいて、体をビクッとさせた。おばあちゃんはポテトを食べている。
「ここ座って良いかな?」
「うん……断る理由はないよ」
「ありがとう」
川端君に許可を得てから椅子に座った。私の隣に川端君、前におばあちゃんという座席位置だ。サラッと川端君の隣に座ってなんか緊張する。同年代の男の子と隣同士で座るってあんまりないから。私ひょっとして今青春してる?
そんなことよりさっきの川端君の表情。何であんな悲しそうだったんだろう。おばあちゃんはポテトを食べてるから食欲ありそうだし、見たところ元気そうだけど。さっきのは気のせいだったのかな。
「おばあちゃん元気になってよかったね!」
「うん。心配かけてごめんね」
「それはいいんだけど、今日も川端君一人なの?」
「そうだよ、今日も一人」
「そっか……」
「色々あるんだよなー、家庭の事情ってやつが」
それはわかるけど、家族が倒れたならそんなの関係ないでしょ! と声に出しかけたけどやめた。世間の常識がどこにも当てはまるとは限らないから。色んな人がいるんだから、色んな考え方があるのは当たり前のことだ。
それに倒れた時も来なかった人達だ。もう体調が良くなったのなら来なくてもいいと考えてもおかしくはない。勝手に川端君の親のことを悪者にするのは駄目なんだけど、私にはそう見えてしまうからしょうがない。私の親は何かあったらすぐに着てくれるから比べちゃうのかな。
川端君の親は、家族のことに無関心なのかな。そんなことってあるのかな、あったとしたら何で無関心なのか私にはわからない。全く何も知らない赤の他人ならそれもわかるよ、でも家族だよ。家族に関心がないってどういうこと?
そう決めつけるのはよくないけど、川端君がそう言ったわけじゃないし。でもお見舞いに来ない、川端君に全部任してるのはちょっと。いくら仕事が忙しいからってさー。大人になったら仕事が全てで、プライベートな時間は作れないのかな。
「あれ、ひなちゃん飲み物買ってないの?」
「うん、二人の姿見えたから気になって忘れてた」
「それなら買ってくるよ。それまでおばあちゃんのことよろしく!」
「えっ、ちょっと」
川端君はニッと笑って歩いていった。なんか気を使わせちゃったかな、そうだとしたら申し訳ないです。そんなつもりでここに座ってるわけじゃないのよ。じゃあどんなつもりでここに座ってるのと聞かれても困るけど。
おばあちゃんは黙々とポテトを食べている。無表情で、一定のスピードでポテトを手にとって口に運んでモグモグと食べる。まるでポテトを食べるロボットみたいだ。そんなロボットはないけど。
とりあえず任されたから話しかけてみようかな。ここは笑顔で。笑顔で話しかけられたら、緊張とか警戒もしないと思うし。ていうか私にはこれしかないもんねー。
「はじめまして、川端君の友達のひなです」
私は笑っている。おばあちゃんの警戒をとくために、それと私は川端君の友達なんだということに。