一話 魔王覚醒
「魔王さまー、魔王さまー、起きてくださいよ」
「ったく、まさか三日も寝ているとはな」
黒城は幼く可愛らしい声と野太いおっさんの声によって目覚めた。
「こ、ここは……僕は一体……?」
黒城が目を開け最初に目にしたものは、天井に吊るされている赤黒く光る照明と、その光によって照らされている岩の天井。
そして小さな黒翼の生えた少女とガス状のおっさんであった。
「う、うわぁ!!」
黒城は驚き、飛び起きた。
先ほどあった謎の声との対談、そして魔王という単語から黒城は何やらファンタジー的な存在がでる事は予想していた。
しかし、いざ実際に目にするとその非現実的な姿に驚いてしまったのである。
「お、お前たち?」
黒城が恐る恐る聞いてみると、ガス状のおっさんは朗らかに答えた。
「おっと、はじめまして。俺は魔王様の忠実な下僕で名前は……忘れたのでとりあえず幽霊男爵とお呼びください」
黒城は言い知れぬ違和感を感じるが、とにかく挨拶し返さないとどうにもならないと思いなんとか言葉を絞り出す。
「……ええと、僕は黒城久秀。よろしく」
そして、幽霊男爵に続いて可愛らしい笑顔を浮かべながら小悪魔少女も挨拶をする。
「えーとね、わたしは魔王さまの使い魔の神崎菜々って言うの。魔王さまはわたしの事、ナナって呼んでね、よろし――」
その時――黒城はある事に気がついてしまった。
「な、ナナ?」
黒城は神崎菜々に駆け寄り、その顔を近くで食いつくように見つめる。
「へ、うん、わたしの名前は菜々だけど? ま、魔王さま……あまり、近くで見つめられるとはずかしいよ」
その言葉で黒城はハッと我に返り、神崎から距離を取る。
――神崎菜々が『松永七海』に似ているのは気のせいだ。
黒城はそう気持ちを落ち着かせつつ、自分が今どうなっているかを確認するために口を開いた。
「い、いや、そうだよな……いや、ごめん。そういえば鏡ってある?」
「鏡なら向こうにあるよ、魔王さま」
神崎が指さした方には巨大な鏡が置いてあった。
黒城はその鏡へ近づき、今の自分がどんな姿をしているか確認する。
「ええと、角とかないし背も変わらない。羽とかもないし、顔も……って生前の姿とあまり変わってない」
黒城は、もっとかっこ良くなっていればと思いながら、ついでにその位置から自分の寝ていた場所を確認してみると、そこには紅い魔法陣が描かれていた。
いかにも召喚されたという感じだなという印象を黒城は受けた。
「そういえば、二人の言葉を信じるなら三日もあの硬い床で寝ていたみたいだけど体は痛くもなんともないな」
「魔王さまは頑丈だからね」
「なるほど。あの声が言っていた事は嘘じゃないみたいだな」
「ところで――」
そのような事を神崎と話していると、幽霊男爵が黒城の背後から何やら提案をおこなってきた。
「ところで魔王様、三日間寝たきりでしたので、空腹であられるのでは?」
黒城はそう言われて初めて自分の腹が減っていることを自覚した。
「そういえば、そうだ。でも食べ物なんて――」
その時、黒城の頭に突然『ある情報』が刻まれた。
突然の事で彼は驚いたが、とにかく早急に腹を満たすには『それ』に従うしかないだろうと考え行動を開始する。
「ええと、この鏡を動かしてっと」
「魔王様、いったい何を?」
黒城はさっき自分がどうなっているかを確かめるのに使った鏡を持ち上げて動かした。
「でかい鏡だけど結構軽いな」
「あっ、ボタンがあるよ」
「というか、神崎が動かせなかった鏡をああも簡単に……流石は魔王様だぜ」
幽霊男爵の驚く声に対して、これも魔王としての力なのだろうと黒城は思いつつ、鏡の後ろの壁にあったボタンを押した。
すると、岩壁が音を立てて動き出しその奥から隠された空間が現れた。
「えっ……寿司……なんで?」
黒城はこの瞬間、言葉にならなかった違和感の正体を理解した。
いままでの会話の中で『普通に日本語が通じて』『名前も日本風』であった。
これだけならまだ、魔王としての何かの力で翻訳されているのかとも思える。
しかしそれに加えて『今ここに寿司』がある。
これは一体どういう事なのか黒城は困惑する。
「やったー、お寿司だ!!」
だがそんな疑問は神崎の喜ぶ声によって流されてしまう。
「おいおい、まさか寿司が出てくるとはな。俺もこのザマじゃなきゃ食えたんだがなぁ。って待て、神崎。魔王様の方が食べ始めるの先だろ!」
「い、いや……まあ、毒味って事で先に食べていいよ」
「はは、確かにそうだな。まあ、見た感じ腐ってないようだが。これも前魔王様の計らいってやつかな」
「わーい、ありがとう魔王さま」
神崎は黒城の目の前にある隠し部屋に駆け入り、いの一番にタマゴ寿司を食べ始める。
「タマゴからとはわかってるじゃないか……じゃなくて――」
「まあ魔王様。ここは一緒に食べながら話をするのがよいかと」
新魔王の緊張をほぐすためだろうか。
幽霊男爵は敬意を払ってはいるが親しい友人に話しかけるかのような口調で提案する。
「それも……そうだな。確かに急に魔王だ、何だと言われて少し疲れたしな」
そして、黒城もお腹が減っていては冷静に話を聞くこともできないだろうなと思い、その提案に乗ることにした。
「じゃあ、まずはタマゴから」
黒城はタマゴの寿司を口にし、その甘みと酢飯の酸味が口に広がるのを感じた。
「あぁ……寿司が旨い。僕は生きているんだ」
そしてこの時、黒城ははじめて自分が魔王として蘇り二度目の生命を授かったのだ、という事を実感し、タマゴ寿司と共にその事実を噛み締めた。
☆
「で、そろそろ寿司も半分ほどになってきた事だし、どうしてお前たちが日本語で話し、日本風の名前なのか。それからどうして寿司があるんだ?」
寿司をいくらか食べ落ち着いてきたので黒城は先ほどからの疑問を口にする。
その疑問に対して、使い魔の神崎が可愛らしい声で答える。
「名前だけど、うーん日本人っぽいってよくわからないけど、前の魔王が世界を支配していた時に言葉も無理やり変えたって――前に幽霊男爵さんがいってたよ。わたしは前の魔王が死んでから生まれたからよく知らないんだけどね」
その言葉に対し幽霊男爵は呆れたような顔をした。
「おいおい、様つけろよな。てか、前魔王様のことを呼び捨てなんてお前はある意味すげえよ」
「うーん、前の魔王には何故かさま付けする気になれないんだよね。わたしを作った親みたいなものだから?」
「二人と魔王の関係は後で聞くとして……やはり、魔王って凄いのか? 僕もそうなれるの?」
黒城は思った事をそのまま口にした。
彼の望みは誰よりも強く、そして暴龍のごとく喰らい尽くすことだったから。
「ああ、当然だ。生前、まだ生の肉体が俺にもあった。そのとき仕えていた前魔王様――あぁ、すまない不完全な死霊術で霊体化した副作用で本名は忘れましたが、あのお方は歴代の中でも最凶最悪と長生きの魔族たちも言っていましたぜ。それこそ、本名を口にするのすら多くの者が――そうさっき言った長生き魔族の連中さえも避けるほどに。実際、歴代魔王の中でも最長の666年もの間、世界のすべてを支配し、その間に現れた敵全てを打ち砕き、一晩で数十人、いや数百人のあどけない少年を絞り殺――」
「あぁ、うん、よくわかった」
長くなりそうなので黒城は話を無理やり遮ったが、幽霊男爵が語るその気迫からその、恐るべき力を本能的に感じ取った――正に全てを恐怖と絶望で支配する闇の帝王だと。
そして、同時に一つの目標が黒城の中で生まれた。
――自身もこの与えられた力で、前魔王のごとき誰も逆らえないような、絶対的超越者になろうと。
もう現世のように理不尽な強者に屈しないために。
もう誰にも奪わせないために。
そして至高の自由を手にれるために。
黒城はその決意を口にする。
「僕は強くなる――邪魔者全てに死と絶望を。そう、いま語られた前魔王のように僕もまた超越者としてのクロニクルを刻む」
もう現世のように自分の弱さのせいで心に飢餓を感じ、悲しむ必要はないのだ。
それを可能にする力が与えられたのだから。
だが黒城は同時に不安にも思う――本当に可能なのか?
いくら強くとも魔王など、物語内においては所詮、勇者が織りなす英雄譚を輝かせるために殺される餌でしかないと黒城は知っている。
「だいじょうぶ、魔王さま。わたしがいるから、どんなに苦しくなっても魔王さまについていくから」
そんな黒城の不安を察したのか、使い魔の神崎が無垢な笑顔を彼に向け、励ましと忠誠の言葉をかけた。
黒城はその言葉に何故か喜びと懐かしさを同時に感じ、思わず神崎の頭に右手をのせてしまう。
「わっ、ま、魔王さま」
「う、うわ! お、おっと。ごめん」
自分でも意識しないうちにやってしまった行動に黒城は驚き、慌てて頭から手を離し右手を自分の背に隠す。
「はっはっは、魔王様は魔王なんだから遠慮なんて不要ですよ」
「と、とりあえず外に出るぞ。出口は分かるか?」
「えーとね、あっちにあるよ」
神崎が指さした方向にはストーンヘンジのような石の門があった。
「ここは前魔王様がお作りなった秘密の部屋。闇魔法で作り上げた隔離空間ですから、あの転位門でのみ出入り出来るので」
「そうか、一応覚えておこうかな。じゃあ、行こう――絶望を撒き散らしに」
もう二度と負けない、誰にも自分から奪わせない――僕は最強になる。
そう黒城は強く決意し外に繋がる門へと歩みを進める。
「やったー、はじめての外世界だ」
「おいおい、あまりはしゃぐなよ。俺達は新魔王様をバックアップしなきゃいけないんだ。まあ、俺も記憶の所々が欠けてるわけだが……」
そして魔王黒城ら三人は冷たい足音と寿司を食べ終えた皿のみを洞窟に残し、門をくぐった。