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嘘つきは水曜日にやってくる  作者: 白川


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19/22

第19話 卒業式の朝

 三月十六日。

 藤代家のリビングのカレンダーのその日の数字に、母が前日のうちに小さな丸を書いていた。透はそれを朝、台所に降りていったときに気づいた。母は丸の話をしなかったし透もしなかった。

 父は出かける支度をしていた。卒業式に出るのか出ないのか、前日まで家の誰もはっきりとは口にしなかった。父は上のスーツを羽織ってネクタイを結んでいた。台所のほうへ歩いてきて母に何か言って、また玄関のほうへ戻っていった。透のほうは見なかった。

 透はネクタイを締めてブレザーを羽織って靴下を履いた。鏡の前でネクタイの結び目をもう一度整えた。結び目はほんの少しいつもよりまっすぐだった。

 玄関で父がぼそりと言った。

「行ってくる」

「はい」

「式典には、間に合わない」

「分かりました」

「……卒業、おめでとう」

 透はふと止まった。

 父が「卒業、おめでとう」と言うのは、たぶん十七年間で初めてだった。中学のときも小学校のときも、父は卒業式に来なかったし、来なかったことを謝りもしなかった。代わりに何か言ったこともなかった。今日は、来ない代わりに、初めてそれを言った。

「……ありがとうございます」

「うん」

 父は靴を履いて玄関を出ていった。

 残った母が、お弁当のおにぎりを二つ、卒業式のあとに食べていいように、と握っていた。透が頷くと、母は包んで紙袋に入れた。袋の表には小さく桜の絵が描いてあった。誰かにもらった使い回しらしかった。

 家を出るとき、母が玄関まで来た。

「気をつけて。後から行くわね」

「うん」

「写真、お父さんも、夜、見たがってたから」

「……うん」

 透はそのとき、ふと、自分が泣くかもしれない、と思った。けれど泣かなかった。


 学校までの道はいつもより人が多かった。

 保護者らしき大人がぽつぽつと歩いていた。スーツの父親、和装の母親、洋装の母親、私服の祖父母。誰もがどこかしら、よそ行きの顔をしていた。透の家の母は来るとは言っていたが、家を出るのは透より遅いはずだった。

 校門のところで蓮が立っていた。

 ブレザーを着てネクタイを締めて、いつもよりほんの少し髪を整えていた。蓮は透を見つけると軽く片手を上げた。透も上げ返した。

「藤代」

「うん」

「お前、卒業後、文学部って、まじか?」

 蓮はそれをちょっと笑いながら言った。笑いながら、けれど真面目に訊いていた。

「まじだ」

「お前、変わったよな」

「……うん」

「いい変わり方だ」

 蓮はそれだけ言ってまた少し笑った。

 透も笑った。たぶん教室では出したことのない、少しだけ素に近い笑い方だった。蓮はそれに気づいたかもしれないし、気づいていないかもしれない。

 いずれにせよ、それを言わないのがたぶん蓮のやり方だった。

 二人で並んで歩いた。校庭の桜の蕾を二人とも見上げた。蕾はまだ開いていなかった。

「桜……まだだな」

 蓮が言った。

「うん」

「だな」

 体育館へ向かう廊下の途中で、3-Bの教室の前を通った。透は窓越しにちらりと中を見た。茉莉はいた。窓際の席で灯と何か話していた。灯が笑っていて茉莉も口の端で笑っていた。透は立ち止まらずに通り過ぎた。


── ◇ ──


 その教室の中で茉莉は灯と話していた。

「茉莉、卒業しても、連絡するからね」

「うん」

「絶対だかんね」

「灯もね」

 茉莉は灯のほうを見上げてそう答えた。

 灯は何も言わずにまた笑った。笑いながら茉莉の肩を軽くぽんと叩いた。

「素じゃん、今」

「ま、卒業だしね」

「いいじゃん。私はそっちの方が好きだな」

 灯はそれだけ言って自分の席に戻った。茉莉は窓の外を見た。校庭梅はもうほとんど散っていた。代わりに桜の蕾が見えた。

 茉莉はその桜の蕾をしばらく見た。

 何かを確認するみたいに、自分の右手の爪先を左手の手の甲に軽く当てた。

 撫でなかった。ただ当てて、それで終わりだった。

お読みいただき、ありがとうございました。

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